2003年8月1日号

苦悩する伊豆急行

 
  苦悩する伊豆急行
 

 ここ10年以上、毎年夏の終わりから秋口にかけて、時には春や10月になってから、西伊豆に出かけるのが、毎年の通例になっている。
 西伊豆の海は、まだまだきれいで、釣りをしたり、泳いで遊ぶにはいいところである。もちろん、西伊豆の良さは、海だけ、釣りだけではないのであるが、ここでそれをずっと語っていると、それだけで何回にも渡って書かなければならないほど、たくさんありすぎるから、それらはまた別の機会にしたいと思う。
 免許はあるが、現在車を持たないウチの人々は、もっぱら旅行には電車を使う。電車で行かれないところは、最初から行かない。
 さて伊豆半島には、鉄道が2線走っている。三島から修善寺を結ぶ伊豆箱根鉄道と、熱海・伊東から下田を結ぶ伊豆急行である。
 かつては、伊豆箱根鉄道を中伊豆または西伊豆の松崎まで延長する計画や、都内の大手私鉄小田急電鉄が、沼津から湯ヶ島温泉を結ぶ線を建設する計画、それに伊豆急行の下田から先、石廊崎まで延ばす計画、熱川から別線を建設する計画など、いろいろの計画線があるにはあったと聞く。実際に文献に記載のあるものもあるようだが、どれも実現していない。特に西伊豆・中伊豆ともに、地形が険しい所が多く、採算性からも、実現にこぎ着けられなかったようだ。まあ仮に実現していたとしても、山が多いので、トンネルばかりの、観光路線とはほど遠いものになってしまったかもしれない。
 私が西伊豆に行くときは、いつも東伊豆側の海岸線を抜ける伊豆急行線を使い、下田か一つ手前の蓮台寺駅からバス・タクシーを利用する。蓮台寺から40分ほどで、もう西伊豆の松崎である。
 以前は一度だけ修善寺から土肥温泉を抜けて行ったこともあるのだが、あまりに時間がかかるので、もっぱら伊豆急行利用である。
 この伊豆急行線の建設は、なかなかに大変であったようで、戦後1961年の開業である。いくらか東海岸側のほうが、地形が緩やかであったことと、熱海−伊東間を既に結んでいた、国鉄伊東線につなげる路線としたため、このルートが採られたようだ。
 伊豆半島全体、山と海が直接接しているような地形であるので、伊豆急行も土砂崩れや線路冠水など、度々災害に見舞われる「気の毒な」鉄道になってしまった。
 また伊豆半島は常に沖合から本州に押しつけられるように、地殻の影響を受けているので、温泉が豊富なのは結構としても、海中の火山活動が、手石海丘を誕生させたり、群発地震や大きな地震災害にも見舞われている。伊豆急行線も当然巻き込まれ、線路が曲がり、岩がトンネルをふさぎ、一部の駅は傾いて、何ヶ月か不通になったこともある。
 伊豆急行の運賃は、実は相当割高だが、こうした災害対策費が、おそらく都市部の私鉄に比べて相当な費額に上るだろうと思えば、ある程度は仕方なかろうと思う。

 10年以上に渡って、同じところに旅行していると、その間にはいろいろなことがある。2度ほど伊豆急行線で、家に帰れなくなりそうになったことがあった。
 一度目は8月の下旬に西伊豆に行っていたときのこと、ちょっと時期的に早すぎる台風が、日本列島にかなり接近して、伊豆の沖合を通過した。この通過直前に大雨が降り、伊豆の交通は鉄道・道路ともマヒ状態になったのだ。この時は仕方なく旅行を中止し、雨量規制で、断続的に通行止めを繰り返していた峠をなんとか越えて、ダイヤが乱れている伊豆急行に乗り、帰り着くことができた。神奈川県の松田町を流れる四十八瀬川の河床に、自動車が刺さっているのを見た。よほどの大雨だったのだろう。
 二度目は割と最近のことなのだが、日中天気が良くても、夜になると大雨というような天気になることがある。これは都内にいると、あまり気付かないが、箱根山のあたりや、伊豆半島では、猛烈な雨になって、土砂崩れや浸水に、警戒が必要になるようである。
 9月上旬のその日は、やや強い雨が帰りのバスの窓を叩いていたが、下田市内に入ると、雨は上がり加減であった。知り合いのパン屋さんに寄って、昼食をごちそうになり、車で下田の駅まで送ってもらったので、ちょっと恐縮しつつお礼を言って、手を振って別れた。
 そしてさて電車に乗ろうかと、ふと改札口を見ると、人だかりがしている。その光景が、いつもとあまりにも違っていたので、いやな予感がして、駅改札口上に設置されている、「発車のご案内」表示を見た。すると既に発車したはずの、JR直通特急「踊り子」号の発車時刻が、表示されたままになっている。よもや…と思っていたところに放送が流れた。曰く「現在大雨による雨量規制により、伊豆急行線は不通になっています…」。「もしかすると今晩は下田に“お泊まり”か…」と思いつつ、待っているしか無いわけだから、駅の人に、もう少し詳しい話を聞こうかと思って改札に近づいた。すると縞のポロシャツに、綿パン姿の男性が、大声で駅員氏を罵っている。よく聞いてみると、その周辺の人々もなんだかみなさん怒っていらっしゃる。駅員氏たちは、ひたすら小さくなってお詫びをしているが、どうも伊豆急行の拠点駅からの連絡が錯綜しているようで、改札口に詰めかけた人々の、「いつ走る見込みなのか」という問いに答えられていない。縞ポロ・綿パン男がわめく。「単線だからよう!だせえなぁ!」。歳の頃は30代半ばと見たが、首のあたりに気味の悪い汗をかいていて、顔色が真っ白であった。
 これは伊豆急行の案内のまずさはあるだろうが、そもそもの原因は鉄道会社にあるわけでもない。土砂崩れの危険があるかもしれない「雨量規制値」に達するほど雨が降ったので、雨が小雨になるまで運転を中止しているわけである。いわば乗客の安全を守るため、列車を止めたということである。もし危険を冒して、運転を続ければ、電車は泥濘に突っ込んで、大きな惨事となるかもしれない。
 それをもって駅員氏を責め立てるのは、いかがなものであろうか。電車は駅員が動かしているのでも、運転士が勝手に動かしているのでもない。線路を守る保線、運転を司る運転指令、車輌を保守する検車など、いろいろな部署が互いに連携を保ってはじめて電車は動く。予定が狂う苛立ちはわかるが、もう少し乗客たちは、冷静に情報を求めるべきである。もっとも駅員氏たちも、わびるばかりでなく、なぜ電車を止めざるを得ないか、詳しく解説したらいいのにとも思うが。
 ひとしきり、改札前の人々の混乱にカタが付いた頃を見計らって、駅員氏に聞いてみたところ、途中駅間が不通になっているから、その手前まで電車を出すので、そこからは代行バスに乗って欲しいということであった。ところがホームを見ると、さっきまでいた普通電車が発車していき、代わって東京からの直通特急がやってきた。途中駅間不通ならば、特急はやってこないはずで、もしかすると開通したのではないか?と思われた。
 まもなく、もともとホームに止まっていた特急と、いましがた着いた特急の計2本を、30分間隔で発車させるから、できるだけそれを利用すべしという旨の放送がなされ、改札で息巻いていた人々は、それに乗車するべくホームに向かっていった。
 縞ポロ・綿パン男が馬鹿にしていたが、伊豆急行は確かに単線で、行き違い停車をしながら進む路線である。しかし、伊豆急行の輸送量からすれば、単線が当然であり、複線にする必要は無い。単線か複線かはたまた複々線かということは、その鉄道の品格とか、見栄で決まるのではなく、純粋に輸送量が多いか少ないかで決まる。だいたい複線だからと言って、雨量規制が緩くなるものでもない。雨は単線であろうと複線であろうと、同じように降るのである。したがってこの男の言っていることは、全くの八つ当たりであるが、ひとたび自分の乗るべき列車が通常通り走らないとなると、異常な激高をする人が、近年多いと聞く。残念なことだ。
 結局私は特急に乗らず、そのあとからやってきた普通電車に乗った。所定では、伊豆急行ご自慢の展望電車「リゾート21」のはずであったが、JRの車輌であった。しかしこの際乗せてくれるなら、救世主のようなものである。

 電車は順調に走り、行き違い停車をこなしながら、代行バスに乗り換えのはずの駅まで来た。しかしそんな案内もなく、そのまま電車は前に進んだ。結果的に下田駅の案内は間違っていたわけだが、連絡体制に不備はあるにせよ、通勤輸送に徹する大手私鉄ではないのだから、あれだけ混乱した状況では、まあ仕方ないとしよう。
 と思っていた矢先、電車の車内放送で、こんどはこの電車の終点熱海から先、東海道線熱海−小田原間も不通と言っている。雨は降ったりやんだりだが、確か海岸沿いの道路を小田原まで走るバス便があったはずなので、熱海に着けばなんとかなる思っていると、電車は熱海駅の一つ手前、来宮駅に着いた。来宮駅からは東海道線の線路がもう見える。見ると、貨物列車が高速で走り抜けているところであった。とすれば、既に小田原までも開通している証拠である。やれやれ帰れそうだ。
 時々刻々と変わる状況に、JR・伊豆急行ともに対処し切れてないのは困るが、線路の安全点検は、最終的に人の手によるから、報告と伝達にどうしても時間がかかる。それはどうしようもない。
 最後に乗った小田急線の特急ロマンスカーが、15分ほど遅れて走り、途中で雷が鳴って徐行運転になる「オチ」まで着いて、なんとか家に帰り着いた。

 近年、伊豆急行は乗客が減少し、年々経営状態が良くないと聞く。看板電車「リゾート21」のグリーン車である「ロイヤルボックス」も、今年で連結を中止したし、古い車の取り替え用車輌は、新車ではなくJR東日本の中古車であった。これらは広い意味で、伊豆全体の落ち込みを示していると思うが、都内から近くにある温泉保養地としての伊豆は、車にシフトしすぎの感がある。伊豆の再生のために、伊豆急行の果たす役割は大きいと思う。不況で落ち込んでいる今、資金的に厳しいであろうが、石廊崎延長など検討して、起死回生の積極策を打ち出すことに期待したい。
 今年もまた、西伊豆旅行の季節になってきたが、私はまた伊豆急行の乗客となるであろう。大雨が降りませんようにと願いつつ…。


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