2004年10月15日号

快速急行とトイレ

 
  快速急行とトイレ
 

 近所の大手私鉄、小田急電鉄は、もう20年以上も前から、都内の高架複々線化工事を進めている。道路との立体交差化というのも、目的のうちだから、完成した部分には踏切がなくなり、安全になるし、車も踏切待ちがなくなる。
 さて、そんな小田急線だが、世田谷区内の工事がかなり進み、この11月に、全体の計画から見た残り区間は、3駅ほどになるため、大幅なダイヤ改正が行われることになった。改正は12月11日と発表されている。
 ところが、そのダイヤ改正では、新しいタイプの急行電車が出来ることになった。停車駅を、都内〜神奈川東部で大幅に減らした、「快速急行」なるものが出来るというのである。
 公式発表によると、快速急行電車は、世田谷区北沢の下北沢駅から、神奈川県川崎市麻生区の新百合ヶ丘駅まで、無停車で走る。ここをスピードアップすることで、JRの「湘南新宿ライン」と競争するらしい。
 この思い切った停車駅の削減は、JR南武線とのジャンクション、登戸駅をも通過するという点で、驚くべきことなのであるが、意外や、朝の通勤時間帯などに、通勤利用すると思われる人々の中からは、大歓迎する声とともに、少なからぬ「無停車に対する不安」の声が、各所の掲示板などに見られる。
 それは「トイレの心配」なのである。尾籠な話で申し訳ないが…。
 上りの快速急行に乗ったとして、新百合ヶ丘から下北沢まで、走行時間は、おおよそ15分あまりと推定されている。それほど長い時間とは言えないが、今までのことを考えると、駅間が長い区間、急行に乗ってもせいぜい7〜8分、短ければ4分位であったから、それから比べれば、相当長いとも言える。
 つまり通勤利用諸氏が心配しているのは、新百合ヶ丘駅を発車して、まもなくお腹が痛くなったらどうしようか…、ということなのである。
 これは実は結構深刻な問題だ。腹痛と下痢は、お腹の弱い人の場合、突然起こる。そもそも私もそうである。うちの人々は、昔からそうだ。父もしょっちゅうビオフェルミンとか、セイロガンとかを飲んでいたし、母も胃の手術をしてから、やはりお腹は不安定だ。私もちょっと腹を冷やすと、翌日は朝お腹が痛い。
 また心理的不安感とか、これから仕事場に向かうのに、遅刻したらどうしよう…とか、またあの口うるさい上司と顔を合わせるのか…というような意識、または無意識の想像が、逆にストレスとして作用し、「過敏性大腸炎」という、一時的な腸の急激な運動を引き起こす。これは本来、心療内科とか精神神経科の領域にあたるようだが、朝下痢気味だからといって、精神科に行って相談する人は、ほとんどいないだろう。
 私は中学から大学、大学院まで電車通学であった。電車に乗っているうちに、催してきて、途中下車してトイレに駆け込んだことなど、数え切れない。
 朝うちを出るときに、ちゃんと「して」行くのだが、歩いて駅に行き、電車に揺られているうちに、腹がぐるぐる言いだすのだ。
 そういうわけだから、おおむね各駅のトイレが、どこにあるかというのは、帰りにチェックすらしていた。個室の数が2個あるかどうかとか…。不思議と帰りには、起こらないのだ。やはりそれは、時間に遅れるとまずいとか、何となく「行きたくない」というような心理が、どこかで働いていたに違いない。
 では、このような問題はどうするべきだろうか。まさかその場でしちゃいなさいとは言えない。列車にトイレをつけたらどうか?というのは、一見もっともらしい案だが、実際のところ、ぎゅうぎゅう詰めに混雑している電車の、端っこに設置されたトイレまで、たどり着けるのかどうかという問題もあるし、ふさがっていたときの「絶望的状況」を考えると、物理的に無理と言わざるを得ないだろう。
 すると結局、そういう傾向のある人は、快速急行に乗らないということにするしかないのか?。それも何だか、「弱者切り捨て」と同じ論理のような気がして、自分も経験者であるだけに、それでよしとは言えない気がする。
 いずれこの国は、少子高齢化が進み、年寄りであっても、電車通勤をしなくてはならなかったり、一方で在宅勤務が多くなったり、通学客が減って、電車の乗客全体が減少するかも、と言われている。そうなるとすれば、混雑の緩和にともなう車輌へのトイレ設置、また小さな子どもを連れての通勤の一般化という可能性だってある。それなら授乳や、おむつかえのための空間すら、たとえ通勤電車であっても必要になるかもしれない。
 それから始発駅からずっと我慢は無理でも、新百合ヶ丘駅でトイレに行ってから、15分だけ我慢して、下北沢でまた駆け込むというのなら、何とかなるという人もいるかもしれない。とすれば、駅のトイレは、コンコースや、改札の外に設けるのではなく、各ホームに設置する必要だって、出てくるかもしれないのだ。
 鉄道に限らず、交通機関のサービスというのは、なるべく多くの人々に、「快適な」乗車環境を提供することのはずである。その「快適さ」の中には、スピードアップとか、複々線化で通過待ちを無くするとか、立体交差で踏切事故の可能性をゼロにするとか、いろいろあるはずだが、動物の宿命的な問題である「出物はれ物」の類を、なるべく苦しい思いをしないで…というのも、提供を考えなければならない、サービスの原点であると言えるのではないか。
 鉄道は、社会を乗せて走っているようなものである。したがっていろいろな層の、様々な立場、状態の人が乗車する。ある程度「最大公約数的」な運行は、仕方ないけれども、少なくはなさそうな「声無き」意見に、耳をそばだてるのも、鉄道事業者はやらなくてはならない。それは公共交通の、輸送とサービスという社会的使命に属するものだからだ。
 それは、快速急行をやめてしまえということではない。速く目的地に着くのも、サービスの一つである。
 コストがかかって大変だし、整備にお金もかかり、それが直ちに収入に結びつかないだけに、車輌や駅に複数のトイレを整備するのは、なかなか難しいかもしれないが、例えば朝の通勤時間帯だけ空ける有料トイレを、上り下りの各ホーム上に設置し、シルバー人材センターの人を、早朝バイトとして雇って、料金収受や、簡単な清掃などの管理をしてもらうなどはどうだろうか。無論いろいろなハードルはあると思うが、これから高齢化が進む、あるいは人口の減少から、乗客が減少する時代がやってくるという予想からすれば、やがてこうした“根元的”な問題に、取り組まなくてはならないだろう。
 今のうちから、検討するに値すると思うのだが…。

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