2004年5月7日号

掲示板・ホームページと「表現の自由」

 
  掲示板・ホームページと「表現の自由」
 

 ここでの掲示板とは、インターネット上の「電子掲示板」のことである。
 さて、掲示板を利用している人は多いし、ホームページをたてて、情報を発信する人も、昨今珍しくない。私だって、こうやって作品をホームページ上に発表しているわけである。
 ホームページの場合は、かなり表現は自由であって、犯罪を教唆するものなどや、権利侵害にあたるものでなければ、特に問題が生じることは少ないようである。しかもホームページは、イヤなら見なければいいわけで、そこは大量に流れ、溢れる情報の中から、自分の必要とする、あるいは欲するものを選び取る権利が、閲覧者側にあると言えるし、反対に言えば、有用情報と、有害情報の選択くらいは、自己責任で出来なければ、インターネットを情報ツールとして使う資格はないとも言えるわけである。
 では掲示板はどうか。これはまたホームページとは違う問題がからむ。というのは、ホームページはある意味一方通行であるが、掲示板は書き込む人と、それを閲覧し、また反応を書き込む人、それを管理する「管理者」なるものが存在するという点で、双方向的なメディアと言える。
 普通掲示板は、ホームページに付帯して作られ、ホームページを見た人が感想などを述べることで進んでいく。ところがホームページは、イヤなら見なければいいが、掲示板はいろいろな意見や性格の人が、「仮想的に集う」場所であるから、必ずしも予期した方向に、議論や話題が向かうわけでもない。それから掲示板にはつきものの、「荒らし」と呼ばれる、迷惑な書き込みや、わざわざ人を不快にさせるような発言を書き込む人もいる。こうした場合、掲示板の管理者は、どう対処すべきか?。
 市販の書籍や、コンピュータ関連の雑誌の特集などでは、「荒らしや場を乱す発言は、見つけ次第即刻削除すべし」などと書かれている。
 しかしこれはどうだろうか。「荒らしは…」と言うが、どこからが「荒らし」で、どこまではそうでないのか、管理者は厳密な判断が出来る人ばかりでもない。またそもそも管理者は、そういう裁判をするべきなのか?、という疑問も、本当のところはある。
 それと「場を乱す発言」というのは、どういうのを想定しているのかわかりにくい。よく最近は「場の空気を読めないやつ」などという表現を、週刊誌などでも見かけるが、それは要するに、人の話に首を突っ込むのが下手な人とか、人にうまく話を合わせられない人、口下手な人もしくは文章にまとめるのが不得手な人ということなのだろうが、果たしてそれが「悪」なのか?という疑問もわく。
 明らかにその場面にそぐわない発言をする人も、いるにはいるかもしれないが、それを理由に単純に削除…というので良いのだろうか?。その人の「表現の自由」を侵害していないのか?。
 戦前の「大日本帝国憲法」では、「表現の自由」は完全に保障されていたわけではなく、「法律の認める範囲内において…」という注釈が付けられていた。それがやがて言論統制につながり、マスコミも自由な記事は書けなくなり、世の全てが大政翼賛政治に傾かせられ、戦争への道をたどったことは既に知られている。もちろん私はそれを生で見たことはないが、「壁に耳有り、障子に目有り」とか、「防諜」とか呼ばれるように、市民の相互監視の中で、自由な発言は封殺され、戦争遂行に賛成しない者は「非国民」とされ、投獄されたり拷問を受けたりした。そういうことが、この日本でかつて本当にあったのだ。
 だが当時の日本でも、ある日突然そうなったわけではない。少しずつ少しずつじわじわと、国民への締め付けは厳しくなっていったのだ。歴史は問う。今の世は本当に自由か?と。

 今日、表現・言論の自由は、一応保障されている。政府の方針や政策を批判したり、首相個人を批判しても、逮捕されたりはしないし、雑誌・新聞など日々そうした記事は多い。体制を批判するということは、その社会の健全度をはかる尺度にもなると思うので、それなりの根拠がある以上は結構なことだ。となり近所の国には、政権批判をしただけで死刑・流刑になる国もあるようである。
 掲示板の記事を無意識に削除したからとて、今日明日すぐにどうということはないだろうが、そういうことに無感覚になる意識の変化が怖い。個人の表現を、はっきり明確な理由もなく封殺することに、何の抵抗も感じない人が増えていくとしたら、それはやがてどうなるか。ちょっと恐ろしい。
 「明確な理由はある、場違いな発言をするからだ」という人もあるだろう。しかし、イエスマンをはべらせて、それ以外はいっさい排除する城壁を巡らせている掲示板管理人は、どこかの独裁者そっくりに見えるのは、私だけだろうか。
 多くの犠牲によって、戦後日本国民が獲得した「表現の自由」は、いろいろな制約を実際は受けながらも、私たちの大切な民主主義を維持する根幹として機能している。それを、影響力が決して小さくないインターネットの世界で、蝕むことがあってはならないのではないか。それに対する答えは、ネットワーク社会を構成する一人一人に、実は要求されているはずである。

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