化粧坂
最近「コメットさん☆」というアニメの、「ロケ地訪問」が、マイ・ブームになっていることは、既に書いた。
アニメに「ロケ地」とは、違和感を覚えるかもしれないが、この作品は、「絵の表現」であるにもかかわらず、鎌倉という実在の場所を舞台としている。
こういうアニメは、その後いくつも作られたが、全編全てが特定の場所を舞台としているのは、「コメットさん☆」が最初だそうだ。たいていのアニメは、実在の場所を参考として設定された、架空の街が舞台なのだ。
さて、そんなことなものだから、ホームページ上に、作品に描かれたのと同じ場所を探して発表する目的で、鎌倉にはしょっちゅう行くことになった。だいたい少なくとも、月に一度は行っている。たいていは、大学時代からの友人N氏と行くのだが、時にはうちの家族と、ということもある。
鎌倉市内は、山と海に囲まれた、自然の豊かなところなので、散策には最適な場所なのだが、散策などという悠長な感じではなく、資料を片手に、あっちこっち見て歩くということになる。なにしろアニメに描かれた場所を探すというのだから、そのものズバリの場所は多くないと思われがちだが、意外にも、かなり実際の場所に忠実な描き方になっている。その忠実度をはかるようにして、市内のいろいろなところを、見て歩くのは楽しい。
「コメットさん☆が歩いていたのは、この道だな…」というように、確認しながら、デジタルカメラで写真を撮り、資料に印を付けていく。そしてそれを、家に帰ってから、ホームページにコメントとともに貼り付ける、という具合である。
秋も深まって、紅葉の季節になると、「コメットさん☆」という作品にも登場した、「化粧坂(けわいざか)切り通し」に行ってみたくなった。
鎌倉で言う「切り通し」とは、山を切り開いて作った道路であるが、同時に外からの防御のための隘路でもあった。化粧坂のほかにも、朝比奈切り通し、釈迦堂切り通し、名越(なごえ)切り通しなど、いくつも同じような場所がある。
街中の「ロケ地」ならぬ、「描かれた場所」というのは、結構年月の経過と共に変化していってしまうが、この化粧坂のような「史跡」は、ほとんど変化がない。
そういうわけで、今年も紅葉がきれいになる、11月下旬に行ってみた。去年も行ったのだが、その時にうまく写真が写せなかった場所もあったので、その「再取材」も兼ねてである。
「コメットさん☆」の第31話には、化粧坂がかなり忠実に登場する。それで…ということなのであるが、化粧坂への道のりは、鎌倉の駅からかなり遠い。駅を出て、北に進み、横須賀線の踏切を渡って、西側の道を北上する。そして横須賀線と別れ、北西方向に進み、さらに側道へ入って、やや南向きに向く感じで歩くと、どんどん坂は急になり、ついには舗装道路が終わって、化粧坂に着く。ここまではタクシーなどで行くこともできるが、ここから先、化粧坂を「登る」のは、歩くしかない。
どこかのホームページでは、「化粧坂は“険しい坂”」と書かれていた。それはまるでその通り。車輌通行止めの標識がぬっとあらわれ、そこからすぐに右に曲がるようにして、化粧坂は始まる。
右に少し上がって、すぐ左に折り返すと、もうそこにはわき水が流れていて、非常に滑りやすい坂である。舗装はされていないから、泥の滑りやすい道という感じだ。スニーカーなどの滑りにくい靴でも、うっかりすると滑って転びそうになる。実際、ハイキングに来たと思われる人々のうち、なぜか男性諸氏がやたらと転んでいるのが見える。
左向きに、硬めだが滑りやすい地面を踏みしめつつ登ると、そのあたりには化石がたくさんあると言われている。ということは、ここは昔海底だったということになろう。鎌倉市の大部分は、海の底だったのだ。
ようやく、滑りやすいが、比較的のっぺりした坂が終わったかと思うと、今度は硬い土と岩がごつごつした斜面が始まる。ここで足を取られる人も多いし、お年寄りには危険なほどだ。もちろん、私たち中年運動不足族も、うっかりしていると転倒しそうである。
このあたりには、大きな岩が顔を出していたり、硬めの土が不規則な階段状になっていたりして、極めて歩きにくい。しかし、ふと見上げると、昼なお暗いような、うっそうと茂る木々の間に、タイワンリスがささっと走ったりするのが見える。それに黄色く紅葉した木々も、あるにはある。
この硬い土と岩場の坂を20メートルほど進むと、やや勾配も緩やかになって、小さな岩がたくさんの坂になり、右手に標柱?のようなものが立っている場所を通る。このあたりでも、油断した人がよく転んでいた。
そこを抜けると、普通の乾いた土の坂になり、化粧坂は終わるのである。終わった先には何があるか。それは源氏山公園という、今は公園に整備された小山と、その先に神社が一カ所。カエデが植わっているところや、鎌倉幕府を開いた頼朝像のあるところになる。美しい赤い紅葉が見られるのは、頼朝像のそばや、神社の近くの広場である。
化粧坂は、今の北鎌倉方面から、鎌倉市内に抜ける、険しい道だったのだろう。源氏山公園として整備されているところも、同じようにゴロタ石や、硬い土で出来た山道だったに違いない。
現代人は、わずか100メートル程度の坂で、ふうふう言ったり、転んだりしているが、まったく情けないとは言える。遠い昔の武者たちは、甲冑をつけてここを走ったに違いないからだ。
だが、別の見方もできるかもしれない。それは今やここは観光地であり、もっと安全に、上り下りできるべきなのではないか?ということと、ここの坂道を、もしかすると通勤などに使用している人がいるのではないか?ということである。
通勤に使っている人がいそうだ、というのは、源氏山の中に、道路が通っているし、地図によれば、北鎌倉方面に抜けることが出来るようになっている。それに、化粧坂のすぐ下にすら、家が建っているからだ。
それらを勘案すると、昼なお暗く、観光客以外はあまり人通りもないような、この源氏山と化粧坂は、ともすれば不用心とも言える。去年来たときには、源氏山公園から外に通じる道をいくつも歩いてみたが、生い茂る草で、「最近果たして人が通ったのか?」と思えるほどの、寂しい道すらあった。
鎌倉市としては、史跡の保存ということとは別に、普通の道をそばに整備してもいいのではないか?、とも思う。それは足の強くない観光客のためと、このあたりを生活道路として使う市民のためである。
それにしても、この「コメットさん☆」というアニメを知らなかったら、ここまで鎌倉には行かなかっただろうとも思う。事実2002年頃には、1回花見に行った程度である。その前となると、1990年代に、今は死んだ父の教え子の家が市内にあり、そこへおじゃましたくらいである。それがアニメの「描かれた場所探し」がマイ・ブームになったとたん、毎月のように鎌倉に行っては、あちこち歩き、おみやげを買って、江ノ電か横須賀線で帰るのだから、えらい違いである。
たかがアニメと侮れない。そのおかげで、私は鎌倉の歴史に興味を少しは持ち、そこを散策するようになった。そしてサクラもツツジも紅葉も、海も山も見た。それらはまた、古都と現代人の私を結ぶ、不思議な縁と言えるのかもしれない。 |