西伊豆紀行・キイロスズメバチ
西伊豆の防波堤釣りについては、前号に書いた。
防波堤で釣りをしていると、竿にかかる魚以外、いろいろな人やものがやってくる。地元の漁師のおじさんが、ひょっこりと釣果をのぞきに来ることもあった。その時は、たまたまイシガキダイの小さいのが釣れていたので、おじさんは魚籠(びく)を見るなり、「イシガキっ子か…」とつぶやくと、帰ってしまった。そのつぶやきが、どういう意味だったのか、いまだにはかりかねる。あれがベラばかりだったらどうだっただろうか。
子どもが「何しているの?」と見に来たこともあったし、時には海のほうから、水上スキーに乗った若者が、様子を見に来ることもあった。それに遊漁船やボート。これらは特に釣り人である私たちを、意識しているわけではないようだが、海側から来るのは、魚だけにして欲しいのが本音ではある。
しかしまあ、人が陸地側から来る限りは、言葉が通じるはずなので、それほど困るということはない。
「どうです?釣れますか?」
「今日はダメですねぇ」
などというように、会話が交わされることも多いから、それもまたいい。
しかし、今年は人の代わりに、なんだかわからないハチのような虫が、何度か飛んできて困った。以前、下田のそばの港で釣りをした時には、夕方になるとブヨがたくさんやってきて、手足を刺し、以後一ヶ月も炎症を起こし…ということもあったが、今回のはそんな小さな虫ではない。
そいつは、えさにしている大形のオキアミのパック皿に、どこからともなく飛んでくるのである。オレンジ色をした、2〜3センチの大きな虫なので、とっさに手やタオルで払ってしまう。それでもしつこく飛んでくるので、しまいにはタオルではたいてしまった。すると向こうはちょっと痛かったのか、すうっと防波堤の根本のほうへ逃げていった。
何の虫だか、その時はわからなかった。どうやら、冷凍オキアミのえさのにおいにさそわれ、その塩分を摂りに来ているようであった。
30分ほどたって、釣れない釣りを続けていると、またしてもどこからか飛んできて、私たちの周りにまとわりつき始めた。しかしふと、もしこの虫がハチであるすれば、手で払うのは危険かもしれないと思い、そばに置いていたたも網を手に持つと、それをさっと手返しし、昆虫採集の要領で捕まえた。
かつて友人のO君に教わった、昆虫の捕まえ方が、その後十数年して役に立ったようだ。網の枠の中に相手の虫を入れたら、網を巻くような感じで地面に伏せるようにする。
それで件の虫を、足で半ば踏んづけながら見てみると、それはまさしくハチ、それもキイロスズメバチではないか。尻にある横縞模様もあざやかに、体長は3センチ弱であるものの、尻の先から長いハリが出たり入ったりしている。その様子はなかなかに不気味であった。それにしてももし刺されていたら、と考えるとぞっとするとともに、さっきまでタオルで追っていたり、はたいたりしていたことを思うと、炎天下の防波堤なのに、さらに背筋は寒くなるのであった。
結局そのハチは踏みつけて殺し、海に捨てたが、あとでさらにもう一匹やってきて、同じように“死刑”にした。
宿に帰って、たまたまテレビをつけていたら、今年はスズメバチの類が大発生しているのだという。なるほどそういうことかと思ったが、何年も防波堤釣りをしていて、これほど何度もハチにつきまとわれたのは、初めてである。
川釣りをしていた頃、と言うと私が高校生の頃なので、相当前になるけれども、友人たちと東北の奥地で川遊びをしていたことがあった。そこは誰でもと言えるくらい、簡単にハヤ・ヤマベといった魚が釣れるのだが、水に入って川底の石をひっくり返して、川虫と呼ばれる魚の餌とりなどしていたら、アブのような虫が飛んできて、水につかった部分の皮膚を、なんでだかわからないが噛んでいくので困ったことがあった。刺すわけではないので、けがをすることにはならないが、噛んでいくので痛い。友人と共にほうほうの体で、川からあがって着替えたのを思い出す。
防波堤は人工構造物である。そのおかげで海岸や磯よりは、やや沖合に竿を出すことができるわけだ。しかしその先端は、人間がもっとも海という自然に接近する場所、と言うこともできる。もっと言えば、本来無防備な人間が、さらに無防備になりうる場所とも言える。地震・雷・大津波・紫外線…どれを取っても、防波堤では遮るものがない。
ハチは本来山や里にいるもので、防波堤にいるものでもないはずだが、人が自然と直接接するところには、それなりの危険があるということに、いまさらながら気付かされる。そう考えると、ハチにはちょっと悪いことをしたか、と思う今回の釣行であった。 |