気安いウェブログの問題<2>
(前号からの続き)
この自称ジャーナリスト氏のブログが、はからずも露呈したのは、「ブログが簡便であるが故に、世界配信しているのだという認識の欠如」と、「その影響の大きさ認識の喪失」が、発生している恐れがあるということ、である。
通常、友達と酒でも飲んだときに、「この間、うちのかみさんが、バスにクラクション鳴らされてさ…、謝罪に来たから、云々」というのなら、やった行為は社会的に許されないとしても、まあ、そこで友達に、「つきあいきれないやつ」と思われる程度ですむ。しかし、ブログに書く、どこかに書くとなれば、それは一生世界を駆けめぐるのだという認識と責任は、もたなければならない。それだけ、文字というもののもつ力は強い。
それは日記の公開程度のことだから、言い過ぎなのでは?と思う人もいるかもしれない。しかし、通常ネット上に発表されたページは、ほとんど全て、各種の「検索エンジン」と呼ばれるプログラムによって、情報収集されている。
情報収集というと、監視されているのか?とか、思想調査か?とか思う人もいるかもしれないが、そういうことではなく、検索サービスを利用して、何かの情報を得たい人が、さがしものをする時に、そのページがひっかかるようにするためだ。
この文章を読んでいる読者の方ならば、たいていヤフーやグーグルといった検索サービスを、何かしら利用したことがおありだろう。その時にいくつもの企業や個人のページが、項目として出てきたはずだ。それは検索エンジンが、あらかじめたくさんのページを、情報収集した結果である。
そして、一度検索エンジンが拾ったページは、キャッシュと言って、そのページがなくなっても、情報としてキープされる。…ということは、一度書いてしまったことは、ほぼ間違いなく消せないということであり、今度の事件のように、さまざまな人の目に入ってしまうと、「まとめサイト」を勝手に作られてしまい、そこに丸ごと転記されてしまったりするから(これも問題だけれど)、これまたずっとついて回ることになってしまう。そういうある種恐怖的な事態も想定して、みな書いているのだろうか?。ブログにしても、ホームページにしても…。
どうも気安さの陰に、責任意識が欠如したまま、ブログやホームページを立てている人が、最近多いように感じる。こう書くと、「ブログやホームページは、やらないほうがよい」と言っているように聞こえるかもしれないが、そうではなくて、「無思慮に書くと良くないかも」と、言っているのである。けっしてこれから始めようとする人を、押しとどめようと思っているわけではない。
ネットの特徴の一つは、誰でも比較的簡単に、情報発信できることで、それがまたどこの誰ともわからない人に、伝わるということである。このようなメディアは、これまで存在しなかったと言えるし、これからもちょっと考えにくいかもしれない。
新聞や雑誌、書物、電話、無線通信。どれを取っても、発信するにはそれなりの資格が必要だったり、相手との1対1のやりとりに過ぎなかったりと、一人の人が、不特定多数を相手に情報発信するのは、容易なことではないわけである。
もちろん、それら旧来のメディアにも、それぞれの意義があるのだが、ネットの世界では、文学賞に入選しなくてもデビューできるし、免許を取らないと放送局になれないということもない。お店を構えなくても、商売が出来るということすらある。また、本名を名乗る必要もない。そういうある種の匿名性と、誰でもいつでもどこでも発信できるという、それまでの概念に当てはまらないメディアの特性は、同様にそれまでのメディアの常識までも、覆そうとしている、あるいは覆してしまった。
その覆ったのが、今までハードルの高かった、情報発信の手段そのものだけに留まっていればいいのかもしれないが、そうであるはずもないし、それでいいとも言い切れまい。
結局情報の洪水の中から、自分の必要とする情報、自己の倫理に照らして、許される情報をストックしていくという、実に「自己責任」の世界に、みな放り出されたようなものだと言うことが出来る。
この「自己責任」とは、当然にして、書き手の責任というのも、含まれる。書き手は勝手に書き、それを取る人の側にだけ、責任をゆだねてしまうというのは、虫が良すぎるからだ。
前に別な話にも、少し書いたのだが、ブログといえども世界配信。この51歳自称ジャーナリスト氏のブログは、悪い例だと思うけれど、こういう轍を踏まないように、責任ある発表を心がけたいものである。
(完) |