今年のオオケタデ
今年は春から気候が厳しく、大風の吹く日が多かった。そして6月に入って、梅雨入りはしたものの、6月末には、東京では梅雨明けの様子を呈し、気象庁は意地で梅雨明けを認めなかったが、もはや誰の目にも、関東の「空梅雨」は、明らかだった。
それにしても、どうして気象庁は、あのようにわかりきったような梅雨明けを認めないのか?。それを認めたからとて、自分たちの首が飛ぶわけでもあるまい。梅雨前線が1日位降りてくることがあるから、まだ梅雨明けとは言えないなどと、どう考えても詭弁としか聞こえないような理由を挙げている。しかし、前線が、1日〜2日位、下がったり上がったりは、いつの夏でもしていることではないのだろうか。
しかしまあ、アテにならない気象庁はともかく、今年の天気は、かなり激しいことには違いないようだ。
鳥インフルエンザの影響で、今年はベランダにヒヨドリを呼ぶことは出来なかったが、そろそろカワラヒワの季節である。カワラヒワは、うちがベランダに毎年作る「オオケタデ」という、大形の「タデ」をめざして、やってくる。夜明け、昼間、夕方と、特に時間は決まっていない。かなり気まぐれな鳥である。
幸い鳥インフルエンザは、少なくとも国内では、一応現在おさまっているので、ヒヨドリのときのような心配をする必要はなくなった。ヒヨドリだって、当時の心配は杞憂だったわけだが、まあ事情がはっきりしなかったことだから、仕方がないだろう。
さて、そのオオケタデであるが、今年は何だかあまり調子が良くない。オオケタデは強い植物で、ちょっとやそっとのことでは、枯れたり、折れたりしないようなものだが、なんだか草丈が高くならず、7月も下旬に近いというのに、1.5メートル程度しかない。花は咲いていて、一見元気そうだが、去年もおととしも、今頃であれば、とっくに草丈2メートルを達成していた。
さらに今年は2本立てで、鉢に植えていたのだが、1本は葉っぱが垂れるようになって、枯れそうになったので、上のほうを切りつめて様子を見たりしたのだが、結局処分せざるを得なかった。
もう何年もオオケタデは育てているが、夏に切り捨てたことははじめてである。
どうもその理由は、空梅雨のせいで、ダニの繁殖がひどかったことと、大風の日が多くて、ここがマンション形建物の6階ということもあり、いっそう風が強くなって、葉っぱ同士がこすれて、葉縁が傷み、その結果葉の元気がなくなって、植物体が維持できなくなったようだ。
ところが花は咲いて、実はつくから、カワラヒワはちゃんとやってくる。どこで見つけるのかわからないが、独特の「キリリリリ、キリリリリ」という声を立てながら、いずこともなく飛んでくる。その様子からして、かなり遠いところからのようだが、正確な場所はわからない。
明け方に、暑いので、リビングの板の間に寝っころがっていると、ベランダのオオケタデから、「プチプチ」というような音がする、そっと目をそちらに向けると、もういつのまにかカワラヒワが来て、オオケタデのタネをついばんでいたりする。そのついばむ音なのだ。「プチプチ」は。
殺ダニ剤で、ダニを駆除してやりたいが、小さな鳥であるカワラヒワのことを考えると、薬をまくわけにはいかない。もしその薬が、悪い影響を、カワラヒワに与えたら…と思えば、花芽が出る直前くらいで、薬まきは終了にせざるを得ない。それから先は、噴霧器で水を葉っぱの表面と裏面にかけてやるだけだ。ダニは乾燥が好きなので、葉っぱを人工的に湿らせてやれば、ある程度効果があるようだ。もちろん、一時しのぎに過ぎないのであるが…。
今年のように空梅雨だと、ダニは大喜びになってしまう。ダニにやられた葉っぱは、白っぽくダメになっていくので、切って取ってしまうが、その分新芽としてどんどん出てくるので、通常すぐに心配する必要はない。ところが今年は、その新しく出た葉っぱが、強い光線と、高い気温で葉やけを起こしたり、風で縁がやられたりして、たくさんいい葉っぱを維持していられないのだ。これがかなり、今年のオオケタデを苦しめている。
連日の30度越えは、人間を苦しめているが、実は人間だけではないのであった。標準的な、気象庁言うところの「平年並み」でないと、地上の生き物全てが、強い影響を受けてしまう。それも予期せぬ形で…。
当分この暑さは続くそうだし、風もダニもどうすることもできないから、オオケタデについては、現状維持を図るしかないのであろうが、カワラヒワの大事な共存相手かと思えば、何とか毎日様子を見て、肥料切れしないように追肥をしたり、水を朝晩、時によっては昼間もやったりして、今ある花房と、比較的健全な葉っぱを残すことに、全力を尽くすしかない。
私個人は、夏暑いことで、バテたりしないほうだから、夏は暑いほうがいいなどと思っているのだが、実際のところ、そうも言っていられない。なぜなら、ベランダの植物も、飛んでくるカワラヒワも、大事な私たちの「相棒」のようなものだからである。 |