2005年3月11日号

香典返し考

 
  香典返し考
 

 2週続きで、葬式関係の話は気が引けるが、先週も書いた通り、年末近くになってから、4回も葬式が続いてしまったわけである。
 当然、そうすれば「お香典」というものを、もって出かけることになる。友人関係ならいくらとか、親戚はこのくらいといったような、地方により、関係の深さにより、仕事の内容により、「相場」というものがあるようだ。
 もともとお香典は、葬式の費用がかかって大変だろうから、それを助けるという意味が、あったのだろうが、現代のそれは、もっと儀礼的なものになりつつあると言っていいだろう。
 一般に、香典返しとして、いろいろ落ち着いた頃に、お返しをするが、それの相場は、いただいたお金の半分返し、というのであるようだ。もっとも、これは都内の、私の回りで、ということであるから、また違った風習のところがあっても、それはそれでその地方のやり方というものだろうと思う。事実、中部地方の葬儀に参列したときには、受け付けれにお香典を出すと、その場で「香典返し」にあたるとされる手提げ袋をわたされ、それをみんな持ったまま、葬儀を執り行うという方式だった。これはいままで経験のない方法だったので、ちょっととまどったのを覚えている。
 まあしかし、今回は4件も、葬式が続いてしまったので、相次いで「香典返し」が送られてくるということになってしまった。不祝儀だから、喜ぶわけにも行かない。もっとも、品物としても、あまり興味のわかないものであったのも事実である。
 まずは、パーカー社のボールペンとシャープペンのセットが来た。これには困ってしまう。今時替え芯の交換にも困るようなボールペンを、いつ誰が使うかという問題がある。 100円ショップなどで、売っているボールペンのほうが、気安く人に貸したりあげたりできるし、無くして惜しいというものでもない。ものを大切にしないじゃないかという批判もあるかとは思うが、とっさの時にメモを取りたい者としては、高いボールペンよりも、カバンやバッグなどに適当にじゃらじゃら入れておける、安いボールペンやサインペンのほうが、よっぽど使いよいという現実がある。
 よって今時、万年筆や高級ボールペンでもないのかもしれないと思う。
 次にやってきたのは、カタログを送るから、その中で何でも好きなものを選べ、というものだ。この方式は最近流行っているらしい。ものがあふれている現代らしいが、実際のところ、これもあまり魅力のあるものは載っていない。正直言って、許容点をかなり下げても、これ、というものはそうそう見つからない。それは、この種のカタログに載っているようなものは、既にしてたいていうちにあるからである。香典返しだから、DVDレコーダーや、プラズマテレビが載っていたりはしない。家庭内のこまごましたもの、例えば調理器具とか、時計とか、食器、アクセサリー、せいぜい電子手帳という程度である。
 これらはきつい言い方をすれば、今日日リサイクルショップの、定番的商品になってしまっている。結局こういう方式も、「気が利いている」ということには、残念ながらならないのではないか。うちの場合、何ももらわないのも失礼かということと、「食い気」のものが好きだからという理由で、半ば無理やり、食用油のセットを、カタログから選んだ。
 次にやってきたのは、花であった。大きなシンビジュームの鉢植え。3本の花芽が立ち上がっていて、なかなか豪華な感じである。
 これはとてもいい感じだ。うちの場合は、お正月に飾ったほどである。花が咲ききったら、切り花にして飾ってもきれいだ。
 それに、花ならば、見てそのまま枯らしてしまっても、それはそれでいいと言える。ものに執着しないという、仏教的死生観にも、合うような気もするし、そういう思い方をしないまでも、何より故人を思い出す機会が多そうだ。食用油を見るたび、使うたびに故人をイメージするのは、やはり難しい気がする。そのことは、ボールペンもまたしかりである。…もっとも、ボールペンがいい、という人の考え方を、揶揄するつもりはないけれど…。
 花は終わって枯れてしまうのがいやだ、という向きもあろう。しかし、花が終わったら、ちょっと植え替えて、しばらくしたら肥料をやれば、また翌年咲くかもしれない。それなら、また故人を思うこともできるではないか。うちの場合は、鉢が窮屈そうだったので、「ランの土」というのを買ってきて、一回り大きな鉢に植え替えてみた。もちろん花はもう終わったけれど、元気よく、新しい葉っぱを伸ばしたりしている。機嫌はよさそうだ。
 結局、こうしてみると、香典返しという習慣自体、もう見直すときに来ているのではないかと思う。それは、このものがあふれている現代、香典返しでもらったものが、大変重宝した…というシーンは、あまり期待できないからである。いっそ、使えないもの、使う機会が無いものをもらうよりは、例えばスマトラ大地震被害に、「いただいた半額を寄付させていただきました」とか、「新潟に届けました」というほうが、気が利いているのではないかと思う。そういうように報告して、怒る人は少ないのではないか?。
 実際、今から10数年前、父親の葬式を出したときは、香典返しには結構困った。結局タオルなどの、「消耗品・実用品」にしたのだが、それすら現在では、どうであったか。会葬御礼に添えたテレホンカードは、当時携帯電話はほとんど普及していなかったから、それなりに好評であったが、それとて、現在ではどうというものでもないだろう。それほど、現代の価値観の変化は、著しいのだと思える。
 このように書くと、心がこもっていない、と考える方もいるかもしれない。しかし、そもそも香典と香典返しそのものが、かなり儀礼的になってしまっている。それからすれば、今一度、考え直す時期に、来ているのではないか?。いままで当たり前であったことを、問い直してみる必要があるのではないか、という、21世紀的思考が、ここでも要求されている、そのように感じるのである。

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