2004年5月14日号

“香害”について

 
  “香害”について
 

 先日、よく行くS区のソバ屋に行ったら、あとから二人組のばあさまが入ってきた。
 このソバ屋は、中央に大きなテーブルがあって、ここに7人座れるようになっており、他に5人席と4人席、それに予約客用の座敷となっている。
 どうしてそんなに変則的な椅子の配置かと言うと、7人席のテーブルは、分厚い旧家の扉をテーブルにしたものだし、4人席のそれは、自然石の板である。いわゆる規格のものではないからである。それはなかなか面白いのではあるが、3〜4組の客となると、どこかが相席となる。
 しかしその日は、昼時の時間帯を外れた3時過ぎということもあり、客は最初私たち一組であった。うちの昼食は、いつもこんな時間である。
 他に客がいないとき、もしくは空いていれば、よくビールや酒などを注文する私たちは、広い7人席の片側に並んで二人座る。
 当然入ってきたばあさまは、5人席のほうに行くだろうと思ったが、どういうわけだか、私たちの斜め前にこれまた二人並んで座った。別に7人席を独占しようなどと思っているわけではないから、他の客がどこに座ろうと、知ったことではないが、他の全ての席が空いているのに、わざわざ私たちとの相席を選ぶのは、ちょっと意外だった。
 身なりはどこにでもいる、無駄に着飾ったような年輩女性の体(てい)だが、一人がもう一人を「先生」と呼んでいたから、何かの師匠と、教え子なのかもしれない。ただ見た限りでは、それほど歳に違いはないようにも思えた。

 やがて私たちのところにソバが運ばれてきたのだが、そのソバは既に旨味が半減していた。それはなぜか?。都内有数のソバ屋であるここの店主が、ミスをしたわけではない。ばあさまの一人がきつい香水を、これでもかとばかりにかけていて、その臭気があたり一面に漂っていたからである。無論相席している私たちには、まったく容赦ない。
 これではソバの微妙な香りなど、わからなくなってしまうし、つまみの海老天の香ばしさすら、怪しい。
 しかし、どうすることもできない。ジロリと睨みつけたって、このようなばあさまは、どこ吹く風だし、そもそもジロリと見られていることにすら気付かない。早々に私たちが退却するしかないのであった。

 そもそも香水というのは、あまり水が潤沢でなく、体臭もきついヨーロッパの人々が、風呂に入るかわりにつけていたとか言われている。
 それを降雨が多くて、水はたっぷりあり、体臭も比較的薄い日本人がドバドバつけるのは、考えてみても変なことだ。件のばあさまは、風呂に何日も入っていないのか?。
 それから基本的に食べ物屋に入るのに、香水をつけて来るというのは、エチケットに反すると思う。特に手打ちのソバ屋のように、水や粉に気を使って真剣に作るものでは、料理を作る人にも失礼ではないか。
 もちろんタバコも、その意味では良くないと言えるが、ずっと吸っているわけでもないから、まだしもである。その点香水の強い臭気は、ずっと放散されっぱなしだし、逃げようもない。これはもう、においの“暴力”だ。
 自分が香水をつけていることを知っていながら、わざわざ相席する神経もどうかしている。

 本当に「場の空気が読めない」というのは、まさにこのばあさまのような人を言うのではないかと思う。なにしろ自分がその場の空気を“汚染”しているのだから。
 店主のおかあさんは、いつもレジのところに居るのだが、私たちが、いつもよりやや早く席を立ったことを気にして、しきりに「ごめんなさいね」と言って下さった。
 でもこれはお店の問題ではない。まさか「香水つけた方お断り」とも、店の外に書いておくわけにもいくまい。本来客のマナーの問題なのだが、そういうマナーを、下の世代に説くべき年齢のばあさまが、この有様である。これではこの国の将来も暗いかもしれない。
 私は「いえいえ、お店のせいじゃないですよ。また来ます」と、小さな声で言って、店主のおかあさんと、互いに苦笑いをしながら、店を出た。

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