2005年9月23日号

怖くないのか若い世代

 
  怖くないのか若い世代
 

 あまりもろに政治的な話は、面白くもないことが多いから、ここにしょっちゅう書きたいとは思わないのだが、今度の選挙結果だけは、そうも言っていられない。というか、一言言わないではいられない、というのが正直な感想だ。
 さて、先の衆議院議員選挙は、事前の予想通り、自民党の大勝で終わったわけである。基本的に「体制側」が嫌いな“物書き”である私としては、実に面白くない。選挙には毎回欠かさず行っているが、あまり選挙で「面白い」思いをしたことなんて、ありはしないのだが。
 今回は、夏の旅行──いや、もう9月は夏ではないが──に重なったので、「期日前投票」をして行った。前は「不在者投票」と言ったものだが…。仕組みは全く普通の選挙と同じに変わっていて驚いた。
 そうやって、旅行先で選挙速報を見ていたら、もう1時間もしないうちに、自民党大勝が決まっていた。つまらないから、徹夜の構えだったのに、適当に風呂に入って寝てしまった。
 自民党が勝ち過ぎなのではないか、とは、選挙後の街の声である。しかし、アンケートを取ってみると、20代〜40代までの人々が、自民党に投票した率というのは、40パーセントを越えているのだという。それも若い世代ほど、「自民党に入れた」ということだそうである。つまり一番の支持世代は20代だと…。これは一種怖い事態だ。
 昔から若者は、体制に縛られることが嫌いであって、普通に「レジスタント」であったはずだ。ヒッピーファッションにしたって、ピアス・入れ墨にしたって、バイクですっ飛ばすのだって、一見「反社会的」なことが、若者の“売り”だったはずである。それは、既存の体制に反対して、個性を主張するものであったから…。
 ところが、そういうスタイルが定番のはずの若者たちが、ぞくぞくと保守右派の自民党を支持している。その構図には違和感を覚える。
 私の大学時代は、学校が私立だったこともあり、当たり前の「日の丸・君が代」であったけれども、別に歌わないからと言って、退学になったりはしなかったし、高校時代ですら、「新国民歌」なる、1941年に作られた歌を、「美しい歌だ」という音楽の先生に対して、「右翼的感覚が古くてイヤだ」と言ってのけたが、別にそれで音楽の成績が悪くなったりはしなかった。
 そして大学院に進んで、国立大学のリベラルな、そして反体制的な空気を吸い、「本来若い世代というものは、いずれその路線を外れるとしても、とりあえずは反体制的なものだ」という認識を持った。
 この認識は、諸外国の若者の行動、最近の歴史を見ても、反政府運動や、独裁体制打破の原動力が、全て若者の力によることからしても、間違っていないと思う。
 ところが翻って、我が国はどうだろうか?。安定を望んでいるのか、それとも小泉首相の「うわべかっこいい」言動に酔っているのか、とにかく若い世代ほど、保守右派政党である自民党支持であるという。どういうつもりだか、よくわからない。
 よくわからないとともに、背筋に薄ら寒さを覚える。みんなで「右へならえ」という、その集団の、数の怖さである。この世の極めて多くの人々が、同じ政党を支持し、その政党は、「憲法改悪」や、「大増税」、「教育基本法改悪」、「メディア規制法」といった、国民の基本的な権利を、束縛しようとするもくろみを、持っていることははっきりしているのである。
 断っておきたいが、私は野党の関係者でもなければ、党員でもない。ごく普通の「いくらか反体制主義者」である。これはしかし、ものを書くというような、「創作」にたずさわる者としては、当たり前だと認識している。
 今回の選挙は、ある意味わかりやすい「郵政民営化」という言葉で、「民営化は是か非か」だけで、投票させたような感じであって、本来何とかしなければならない年金の改革とか、税金をどうするかといった問題は、ほとんど議論の俎上に上がってすらない。そういうことで、今後の政治を選んでいいのだろうか。
 それと非常に気になるのは、参議院があるので、直ちにそうはならないとしても、「憲法改悪」を、今まで以上にやりやすくはなったということである。
 こういうことを言うと、「飛躍が過ぎる」と思う人もいるかもしれないが、私ら世代は、たとえ徴兵制がしかれようと、日本が海外に軍隊を出そうと、戦争になろうと、まあ兵隊に取られて戦場に行かなければならないことは、既にない年齢である。せいぜい予備役になるかどうか、という歳なわけである。では、だれが真っ先に兵隊にならねばならないか?。もちろんそれは、今回自民党に入れたような若い人々世代と、その子どもたち、ということになる。いったいそのことに、今の若い世代は、気付いているのだろうか?。それとも、自分の投票行動が、もしかすると、日本の右傾化に手を貸していないかとか、回り回ると、自分の家族に危害が及ぶかも…というようなことに、敏感でないのだろうか。
 どこかのマンガや、きれい事ばかりをたくさん書いた教科書とか、小泉首相や石原都知事の発する言葉に仕組まれた、「プチ・ナショナリズム」の「うわべかっこよさ」は、確かにわかりやすく、若い人々の心に届きやすいのかもしれない。だが、そういうある意味「ひとときの快感」に酔って、自分や自分の家族の行く末を考えないとしたら、それは愚かなことなのではないか。
 これは、自民党の圧勝で、今すぐ徴兵制がしかれたり、日本が軍隊を正式に持ったりするだろうというような、極論を言っているのではない。しかし、自民党は、かねてより憲法、特に9条を変えると言っているし、やがては徴兵制度と、正式な軍隊を持つと、明言していたではないか。
 民主党すら、憲法は変えることを推進する立場にある。憲法が永久不変ということは、「ない」と言えるかもしれないけれど、なんだかある流れ、それは「プチ・ナショナリズム」的な、「うわべかっこいい」雰囲気の流れで、いちいちいじられてはたまらない。それに、そのような浅い思考でいじられるほど、この国の平和を守った憲法の歴史は浅いのか?と、反問したくもなる。
 今、高齢世代になった人々の話を聞くと、戦前の「少しずつ戦争に向かっていったあの時代と、よく似ている」という。「みんなが戦争に向かっていったあの時代と」とも。それは、聞き流せないつぶやきなのではないだろうか。
 自民党が圧勝したから、ただちに明日徴兵制や、憲法改悪、軍隊派遣になるわけではない。その準備が確実になされる、という段階である。事実、これを書いている日には、衆院本会議で、「憲法改正の手続きを定める国民投票法案を審議する憲法調査特別委員会」の設置が、自民、公明、民主、国民新党の賛成多数で決まった。かくのごとく、憲法をいじる方向に、大きな何歩かを踏み出してしまったことには違いない。そのことに、私はある種の怖さを覚える。
 みんなが同じようなことを言って、少数意見を聞かなくなる。それは小学校時代、指導力のない教師が、なんでも多数決で解決しようとしていたけれど、まさか国ごとそういう雰囲気になってくると、この国の未来はますます不安である。

 先日、鎌倉・七里ヶ浜の海を見て、少し泳いできた。そこには彼岸も近いというのに、残暑の厳しさから、一時涼を得ようとする子ども連れや、若い世代もたくさんいた。おそらくのその中にも、今回多数政党に入れた人が、何人もいたに違いない。まあ、個人の考え方だから、一人一人にどうこう言うつもりはないけれど、みんな自分や自分の子どもたち、あるいはその世代が、「もしかすると戦争の最前線に、行くこともありうる」と承知の上で、投票したのだろうか。
 だんだんじわじわと、不戦という梯子段がなくなっていくような雰囲気。これが私には、とてもいやな感じだ。

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