2006年1月20日号

黒豆なかりせば

 
  黒豆なかりせば
 

 正月の料理というと、うちでは、長く伝統的な作り方を保ってきた黒豆の煮物が欠かせない。もともとこの黒豆の作り方は、父方のおばから伝わってきたもので、伯母の家でも、現在この作り方をしている人はいないから、うちだけが、この伝統的な作り方を、唯一継承していると言える。
 伝統的な作り方。それにはいくらもその家の流儀というものがあろうが、うちのそれは、乾燥している豆を水で戻さないで作り始めるという点で、特異なものだろうと思う。
 水で戻さないで黒豆を煮るとなると、どうするか。それはだし汁で戻しながら煮るということになる。一升くらいのだし汁を作っておいて、それをどんどん豆に注ぎながら、細火を保つ。豆はだし汁を吸って膨らんでいく。そうして豆以外のものも入れながら、おおよそ10〜13時間くらい、時には16時間くらい煮ると出来上がる。田舎風の、ニンジンや椎茸、コンニャクなんかが入った黒豆煮である。
 このやり方は、全然効率的ではなく、ずっと火の加減や、豆の柔らかさ、だし汁の吸い具合などを、始終見ていなければならないから、休む暇はない。それを嫌って、圧力鍋で作るように、“改良”してしまった人も、作り方を教えた中にはいた。
 そんな黒豆を、12月30日に煮ると、うちはぐっとお正月ムードが漂ってくる。
 そして、大晦日は、堕落したような紅白など見ずに、いつもとあまり変わらず過ごす。第9交響曲合唱つきは、見るけれども…。
 そうしているうちに、23時45分になるので、テレビをNHK総合に回す。すると「ゆく年くる年」の時間だ。何となく各地の様子を、ずっと映している。そのまま0時が近づくと、アナウンサーは決まって言うのだ。
 「来年が平穏な年でありますように…」
 …というようなことを。
 まもなく、新年はやってくるのであるが、平穏な年などやってくるはずもなく、今年も年はじめから、いろいろな事件・事故・災害その他が発生している。特に雪害はひどく、新年早々、生活が極めて混乱している地域も出る始末である。正月も何も、あったものではない。
 
 私はまあ、東京に住んでいるから、「都市生活者」になるのだろうと思うが、田舎があるわけではないから、帰省することもなく、もともと正月に旅行する習慣はないので、ほぼべったり家にいる。そんな者からすると、正月は、初詣に行って、早く開いているデパートの、食堂街で食事をしてくる位で、三が日は特に、どこかへ出かけるアテがあるわけではない。
 ちょっと前までは年始のご挨拶に、ご近所・親戚の家に出かけるなどということが、一般的だったのだろうが、少なくともうちでは、もうそういうこともない。みな高齢になって、死んだ人もいるし、代が変わって、あまり親しくなくなってしまった家もあるからだ。
 どうもそういうことを考えると、商店やデパート、コンビニエンスストアなどが、1月1日から無休で開いていたりするし、うちの中でも、父が生きていた頃のように、いろいろなお節料理を作り、年内のうちから、お正月ムードを盛り上げていくようなことは、すっかりすたれてしまったから、今時正月という意識は、年々歳々、どんどん薄れていくと言えてしまう。そういえば、餅もあまり食べなくなった。
 すると正月を象徴するものは何か?、ということになるのだが、それは正月のお飾りと、わが家伝統の黒豆、ということになる。これらだけは、どんなに時代が変わっても、ずっと続いている。
 年賀状も、あまり疎遠な人に出すのはやめたし、メールですませることも多くなった。そうやって正月は、「特別な日・月」では、だんだんとなくなっているのであるが、わが家の黒豆は、圧倒的な存在感で、1月の10日過ぎまで、食卓に正月を告げ続ける。今年も、また来年も…。

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