2003年4月25日号

マスクマンと掲示板

 
  マスクマンと掲示板
 

 過日行われた、岩手県議会議員選挙に、プロレスラーの「ザ・グレート・サスケ」氏が盛岡選挙区でトップ当選した。私はプロレスに詳しくないが、この人はプロレスラーの中でも、マスクをかぶって、その素顔を明かさないことを、一つのトレードマークのようにしている「マスクマン」だ。
 氏は、そのいつもかぶっているマスクのままで、議場に入ろうとしているが、早くも他の議員から、「政治家として苦渋の選択をしたり、うれしさを表したりする姿を、有権者は顔を見て判断する。それを隠すのはよくない」※などと釘を刺されたり、「神聖な議場で…」という、国会議員の居眠りや、見苦しい「強行採決」など見ている身には、今時神聖な議場なんて、この日本にあるのだろうかと、横やりを入れたくなるようなコメントまであった。
 マスクでリングならぬ議場に上がることについては、どういう姿であれ、県民がその代表として信託した以上、氏がまちがいなく氏であるかどうかの「人定」以外に、特にそれほどの支障があるとは思えない。もっとも、この「人定」は、かなり重要なことと思えるが…。
 それよりひっかかるのは、本当に「苦渋の選択をしたり、うれしさを表したりする姿を、有権者は『顔を』見て判断」しているのか、という点だ。
 私たちはそんなに人の表情を、終始細かく見ているのだろうか?。まずそれを考えて見たい。
 普段の生活の中で、はっきり表情だけをもって、その人の感情や、思考を読みとれるほどに、人間の判断力は鋭いとまでは言い切れまい。私たちが他人の感情や思考を判断するとき、その人の語り口とか、口の動きや目の動きを見聞きし、それから表情の動きや、場合によっては身振り手振りといったものを、総合的に評価し、判断しているのではないか。
 とすると、他の議員のコメントである、「有権者は顔を見て判断する」という意見には、理がないとも言えない。しかし、顔が全てであるとも言えない気がする。発せられる言葉そのもののほうが、大きな要素のようにも思える。

 インターネットの掲示板というところは、うまく活用すれば、なかなか役に立つメディアだと言える。私自身、花の調子が悪いとき、鉄道車輌の細部がわからないとき、何度助けられたことか。面識もないケーブルの向こうの名も知らぬ人が、親切に教えてくれたりする。
 ところがこの掲示板は、字面だけで意見を言い合うところなので、思いも寄らぬ誤解をしたりされたりするときがある。また些細なことでケンカが起きたりもする。
 それは相手の「表情」が見えないことも、原因の一つであると思えるが、それだけでなく「口調」、言い換えれば「声の調子」が読みとれないことも、大きく作用していると思うのである。
 確かに全体的な表情が見やすいか、見えにくいか、ということは、その人の態度を知る上で重要ではある。ただしかし、人が他人の感情や態度を見て取るのは、一般的にどこなのだろうかという点を突き詰めれば、どうもやっぱりそれは、言葉と口、目線、そしてその回りの筋肉の動きという気がする。口から発する言葉はその中でもかなりなウエイトを占めるのではないか。口調がどうであるかは、その人の心理状態を如実にあらわすからだ。
 ネットの掲示板では、目線はもちろん、相手の声やその抑揚はわからない。その場の文字情報だけで、人の雰囲気や心理状態を読みとることは、相当に難しい。だから求心的な掲示板ほど、かんかんがくがくの議論になりがちなのかもしれない。

 目と口以外のところをマスクしながらも、ちゃんと目を見開き、口から言葉を発するレスラー議員氏に、県民が求めたものは何か。それは百面相の表情よりは、政策上の実行力であることには違いはない。
 もっともそれは一人の議員だけでなく、全議員、あるいは議会全体に県民が求めることに他ならないだろうが…。

※「朝日新聞4月17日朝刊 29面」より


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