迷い猫のゆくえ
最近、ウチの回りも放火が多い。たいてい自転車かバイクに火をつけられる。団地の敷地の中にある、普通の自転車置き場に置いてあるのに、犯人は、住民が忘れた頃に火をつける。今のところ、大火事になるわけではないから、警察もそれほど重大に見ている様子もない。困ったものである。
そんなあまり治安のよくない町内であるが、団地を取り囲む道路に面した、小さなマンションの1階の、退店した宅配ピザ屋のあとに、ダンススタジオが、2年前位にできた。ここはウチのベランダから遠めに見えるのだが、そこそこ習いに来る人もいるようで、毎週3日ほどのレッスン日は、外に自転車がたくさん止まっている。
ある夜、消防車がサイレンを鳴らして、団地の中の道路を駆け抜けていった。窓の外を見ていると、そのダンススタジオのあたりで止まるではないか。内心「また放火か?」と思いながら、しばらく様子を見ていた。だが、どうも煙が上がることもなく、消防士もあの銀色の消防服に身を包んでいるわけでもない。消防車も、アームの先にかごのようなものをつけた、梯子車風の車であった。
窓から見ていたのでは、様子が今一つはっきりしないから、現場は目と鼻の先でもあることだし、見に行ってみることにした。
すると、私が現場に着くか着かないかのあたりで、救急車がこれまたピーポーと言いながらやってきた。
「ああ、ぼやでけが人か?」と思ったが、通報の段階でぼやであるかどうか、わからないものだろう。とすると、ますますなんだか合点がいかない。
現場に着いてみると、どうもダンススタジオ内での事故のようで、大人と子どもが床に倒れて、介抱されているのが見えた。どうも近所から集まってきた人の話では、ダンス教室の最中に、ぶつかるか何かの事故が起きたらしい。それで消防車が来たのは、そのダンススタジオは、マンションの1階部分に入っているのだが、上の階であるかのように、誤り伝えられたようだ。もし上の階だったら、ベランダから救出ということも考えたのかもしれない。あまりその辺の人に聞くわけにもいかないから、最終的なところはよくわからない。
そのうちに警察官も自転車でやってきて、当事者に話を聞いている風情であったが、ざわついている現場をよそに、すぐそばで猫の鳴き声がする。
猫といわれると、黙っていられない私だから、すぐにその鳴き声がどこからしているのか、耳を澄ませた。
口を鳴らせて呼ぶと、猫は「ニャーオゥ」と、少々情けない声で応える。この種の声は、たいてい困っているときの声である。例えば木に登って鳥をねらったはいいが、鳥に逃げられ、自分は木から降りられなくなったときのような…。
口を鳴らしながら、猫の返事をたよりに探していくと、どうやら機械式駐車場の予定地になっていて、まだ機械が設置されていないが、四角い穴だけ掘って、穴の周囲をコンクリで固めてあるピットから、鳴き声が聞こえるようである。この駐車場は2段式で、棚のような構造物の上下に、2台車が入る。そのため車1台分の高さがすっぽりおさまる分だけ、きっちり垂直に、穴が掘ってあるのだ。
すぐに機械を設置して、使っているなら、人も出入りできるから、特に問題はないかと思うが、どういうわけだか、この団地の中には、機械が未設置で、そのまま工事中の仮囲いだけのところがある。以前から子どもや犬猫はもちろん、大人でも何かの拍子に転落したら、垂直な壁で、はい上がることができそうになく、何となく危ないなとは思っていたのであった。
果たして猫は、そこに落ちてしまったようなのである。
さてどうするか。私は考えた。よく土管にはまって動けなくなった猫を、レスキューが救出したとかニュースになるから、そこらにいる救急隊員に頼もうかとも思った。しかし、彼らは猫を助けに来たわけではなくて、もっと差し迫って病院に運ばなければならない人がいるわけであろう。とすると、忙しく立ち働いている彼らに、「猫助けて下さい」なんて頼めるわけがないし、一蹴されるのがオチである。
ということになれば、気付いた自分がやるしかないわけである。「仕方がないな」と思いつつ、とりあえず野次馬になっていた主婦の、なるべく歳の近そうな人にわけを話して、待っていてくれるよう頼み、工事中の柵をなんとかくぐって、ピットに近づいた。
ピットには何かが落ちることを予想してか、頑丈そうな網を張ってある。その網はロープで一応固定されているのだが、どうしても端のところに隙間ができている。ここからなら猫の1匹ぐらい、落ちても不思議はなかろう。
目を凝らすと、暗くてわかりにくいが、テニスボールが落ちていたり、木の枝が転がっていたりしている。が、うまいことに鉄パイプを、ピットの底から上に向け、斜めに渡してある場所があった。それをハシゴのようにすれば、なんとかピット内に降りられそうだ。
猫を呼ぶと、まだ時々「ニャーオゥ」と返事をする。その場所に聞き耳を立てると、驚いたことに、ピットの中央にある、50センチ四方くらいの排水口の格子の中からである。
これは意外なことだ。こんなところに猫が勝手に落ちるわけもなく、誰かが入れない限り、入っていること自体無理があるではないか。「猫虐待」という言葉が、頭をかすめる。
ピットの底に降りた私は、まず排水口の格子を外した。ところが猫はなぜか怒っている。「シャーッ」と威嚇の声をあげたかと思うと、さっぱり声が聞こえなくなってしまった。
そばに落ちていた木の枝を、注意深く排水口に差し込んでみた。暗いピット内の、更に暗いそこには、葉っぱくずが少したまっていたが、案外浅く、深さ50センチ程である。くまなく枝で探ってみたが、猫はいない。霞のように消えてしまったとでも言うのか。
そんな馬鹿な…と思いつつ、よく見ると、排水口には横穴があった。直径20センチ位のパイプが、横に向かっている。試しにそこに枝を差し込んでみると、かなり奥までつながっている様子である。
どうやら猫はこの横穴を通ってここに来てしまい、帰り道がわからなくなって鳴いていたらしい。そして私が格子に近づいてきたので、あわてて逃げ道を探し、自分で通ってきた横穴を再発見して、そこから元来たほうへ逃げ帰ったようである。
やれやれと拍子抜けしたが、まあこれでよかったのだろう。念のため格子は外したままにして、太めの木の枝を排水口の中に、立てかけた。もしまた猫がここに来てしまっても、一応排水口の外に出ることはできるだろう。ピットから出られなくても、あとはなんとかなりそうである。時々様子を見に来れば…。
私も元のように、立てかけられた斜めのパイプを伝って、ピットから出た。また柵をくぐって、待っていてくれた主婦には、わけを話した。この人は安堵の声をあげたが、気がつくと、ダンススタジオのほうは、消防車も救急車もとっくに引き上げ、数人の子どもと、自治会の人が幾人か残っているだけであった。
帰り道、私はなんとなく口ずさんだ。「いずこゆくか、流浪の民…」。無理な姿勢のおかげで痛む腕をさすりつつ、猫の姿くらいは見たかった気も、またするのであった。
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