2005年4月15日号

西伊豆松崎紀行・無念の松林

 
  西伊豆松崎紀行・無念の松林
 

 去年は、例年行っている伊豆・松崎に、とうとう行かれなかった。計画するたびに台風で、流れていたようなものである。このままでは、今年も行かれないようなことになる「癖」が付いてしまうと困るので、計画すると流れる、イヤなスパイラルを抜け出しておこうということになり、春、サクラの咲く頃に計画を立て、行ってみることにした。

 去年の台風では、1つ松崎に上陸したものがあったほどで、ずいぶんと強い風が吹いたらしい。
 行ってみると残念ながら、サクラには数日早く、今年はなぜかサクラが全体的に遅かったせいで、数輪咲いているのを見た程度であった。それでも、東京都内よりはわずかに早い。
 いつも毎年、行くたびに新鮮な魚料理を食べさせてもらっている、活魚料理店の前には、古くからあると思われる松林が、少し残っている。浜と平行に、その後ろの建物を守るように、現在残っているのは、100メートルほどだと思うが、背の高いもの、そうでないものがかたまって植えられている。どのくらい経っているのか、見た限りではわからないけれども。
 もともと松崎をはじめとする西伊豆は、冬の間、非常に強い西風が吹く。東京地方の天気予報でも、伊豆の風向きは、冬の前後、たいてい西向きで、強さを示す色も、黄色か赤である。
 私は冬松崎に行ったことはないのだが、海に面した遊歩道はとうてい歩けず、砂が浜から舞い上がってくるそうだ。
 冬の日本海も、大荒れだと聞くが、西伊豆も、それに負けず劣らずらしい。
 そんな松崎なので、この松並木のような松林は、もとは強い西風から、市街を守るために植えられたのではないかと思う。それが、海岸の整備と共に、ホテルが建ち、駐車場が浜と松林の間に整備される中で、一部だけ残ったのではないかと思える。
 この松林は、現在でも防砂・防風林として、機能しているはずなのだが、去年の台風に始まる大風では、建物に寄りかかったりしたらしい。
 これは木が全体に老いてきて、部分的に腐ったりした影響と、昔は平屋で、屋根も傾斜が付いていた建物が、今は高くなり、形も変わって、木が傾いたり、揺れたりすると、建物に支障するようになったらしい。全て聞いた話と、見た目の推測だが…。
 短い旅行の間の二日目、浜沿いを歩いていると、何か看板が立てられ、作業をしている。近寄ってみると、一部の松の木を、3日かけて伐採するという。
 ここの松林は、おそらく住民の財産を守るためにあり、見た限り松食い虫などにやられている様子もないのに、残念なことだと思ったが、今や、逆に住民の住宅に、倒れかかるかもしれないとなると、仕方ないのかもしれない。
 かくて、松の木には、番号を大書した紙が貼られ、それには1〜16の番号が書かれている。16本も切るのか?と思ったら、そうではなくて、どうも木には通し番号がふられているらしく、その番号の大きいものが16番、ということのようである。全体で伐採されるのは、住宅の間近にある8本程度で、その中には、住宅から1メートル以内のものも含まれている。
 そんな様子を見ていると、ますますこの木たちが、どんな経緯で植えられたのか、知りたくもなるものだが。そもそも林と住宅地の境は、どうなっているのだろうか?。

 昼食を港のほうまで食べに行き、いつも食べるたこ焼きとラーメンを食べ、戻ってきてみると、既にいつもの活魚料理店の前の1本は伐採され、トラックに積まれて運び出されるところであった。あとには大きな切り株が残され、お店の主人が、「こっち側が、前から腐っていたんだよね」と、切り株の店よりのところを指さして言った。たしかに、そちら側がいびつになっていて、色が変わっている。あたりには、松のにおいがしていて、いまいま切られた切り株には、もう松ヤニがたくさん出てきていた。まるで、無言の抵抗か、無念の涙のように…。
 この木はかなり太いものだったので、年輪を数えてみた。すると73本が確認できた。ということは、少なくともこの木は、植えられてから70年以上が経過しているということである。40年目頃は、目が詰まっているので、そのころは寒い年が続いたのだろうか?。ちょうど私が幼児のころである。思い出して見れば、そのころは毎年しっかり雪が降っていたような記憶が、かすかにある。
 一方、ここ10年ほどは成長量が大きく、年輪は詰まっていない。活魚料理店の奥さんは、「地球温暖化の影響でしょうかね?」と言ったが、そうかもしれない。ここ数年、松崎港の潮位も上がっているように感じるし…。
 切られた松の木の回りには、その木をチェーンソーで切るときに出た、たくさんのチップ状のおがくずがたまっていた。そっと手に取って、嗅いでみると、松のいいにおいがした。私は手持ちの紙袋に一杯、そのチップを拾い集めた。

 去年、台風があれほどやってこなければ、これらの松の木は、倒れることを危惧されることは、なかったに違いない。せいぜい、直接支障する枝を、枝打ちするだけですんだだろう。景観として、あるいは昔から受け継いだものの持つ重みとしては、そうあって欲しいところだが、果たしてそれですむ問題か?という疑問も残る。それはもし、木が建物を直撃するようなことがあれば、けが人が出たりすることも考えられるからだ。それを、行政としては放置できない、早くわかってよかった、ということもあろう。
 住民を風や砂から守ってきた木が、逆に住民の家や命を危うくするかもしれないとして切られるのは、まったく皮肉なことであるが、これもある種の時代の流れであろうか…。全ての事物には、一定不変などあり得ないということの証左かもしれない。
 木は黙して語らない。この日は4本の松が伐採された。翌日も作業は続く。こんなあっけない形で、生涯を終えるとは、松の木も無念には違いないだろう。
 集めてホテルに持って帰った松のチップは、強い「ワコルダー」のにおいを、部屋中にさせていた。
 今それは、手元にあるが、うちのところどころを、松のにおいにしてくれている。

※この作品が面白いと思った方は、恐れ入りますが下の「投票する」をクリックして、アンケートに投票して下さい。今後の創作の参考にさせていただきます。アンケートを正しく集計するため、接続時のIPアドレスを記録しますが、その他の情報は収集されません。

投票する