熱帯化東京と植物たち
今年の夏は、まったくひどい気候であった。いまさら言うまでもないかもしれないが…。連日の暑さと台風で、各地は記録ラッシュである。野球の安打記録は面白くても、こんな異常気象の記録は、全然面白くない。
ようやく9月も下旬になってきたら、さしもの暑さも去っていったが、相変わらず、台風だけは、どんどんやってきて、判で押したように、九州から本州を横断するように通過し、各地に被害をもたらしている。
しかしこの夏の暑さは、相当うちのベランダ植物たちにも影響を与えた。何しろ真夏日が毎日だし、夜も気温が下がらないで、日によっては30度以上あるのだから…。そのままベランダに置いておくだけで、葉焼けを起こしてしまう。しおれ気味になってしまうものもあるありさまであった。
それで、今までそんなことをしたことはなかったが、毎日ベランダに打ち水をしたり、葉っぱの表面に空気式の噴霧器で、水をかけたりして、なんとか葉の傷みを減らすように心がけた。
その対策は、いくらかは効果があったようではあるが、それでも、例年元気に花を咲かせて、美しい鳥「カワラヒワ」を呼ぶ「オオケタデ」は、8月の半ばに、ついに枯れてしまった。理由はわからないが、全ての葉がだんだんとしおれ気味になっていき、ついには花も葉も維持できなくなって、水をやろうが何しようが、よみがえらなくなり、枯れるという経過をたどった。今年のオオケタデは、2本あったのに、1本目が割と早い時期に枯れ、結局2本目もだから、これでおしまいである。こんなことは異例だ。
それでも秋になってみると、調子のいい植物と良くない植物の、様子の違いがかなりはっきりしてきた。
調子の良い植物なんて、あるものかと思っていたのだが、実際のところは、夏の間は多少ヘタリ気味でも、秋になったら完全復旧というものもあるにはあるのだ。
調子がいいのは、タラノキやキキョウである。タラノキは、典型的な“陽樹”であるから、太陽は大好きで、日当たりが良ければ良いほど、調子はいいらしい。それでも、真夏の日照がきつかった一時期は、葉焼けの現象が出て、特に葉の成長部分が弱いというたちがあるだけに、気を使って、葉の表面への散水は、念入りにやってきた。今でも葉焼けのあとは少し残っているが、秋になったらすこぶる調子がいい。もっともこれを書いている今日は、台風21号のせいで、うちの中に取り込んであるのだが。
キキョウは、何株も買ってきて、一つのプランターに寄せて植えたものだが、株によっては、売られる前に良くない条件にあたっていたのか、調子が芳しくなく、その後枯れ気味で、別な新しい株と交換となったものもあったものの、今残っているものは、なんとか夏を乗り切って、元気に花を咲かせている。これも当然、真夏の葉面散水は欠かせなかった。
それと驚きなのは、カントウタンポポが、どうしたわけか調子が良かったことである。通常カントウタンポポは、強い光に弱いので、真夏は地上部が一旦枯れたり、葉色が悪くなったりするものである。秋になると少し盛り返してきて、そのあと冬に入ると株ごと小さくなって越冬、というような経過をたどることが多い。
ところが今年は、大きな株は真夏でも非常に元気が良く、強い光や高温にやられるどころか、葉もずっと青々としており、秋に入って、さらにそれは元気を増している様子である。
カントウタンポポの弱さ具合は、既に何度か書いたように、ちょっとでも強い光を当てると、葉がしなっとしたり、ひどければ葉焼けしてその葉が枯れたり、それでいて、日陰に入れてやればやったで、今度はうどんこ病だったりと、まったく野草とは思えない弱さなのだ。
ところが今年の夏に限っては、意外にもそんな素振りは感じさせない。これはいったいどうしたことなのか?。
もちろん日照りの日々は、日陰に下げてやったりしたのは言うまでもないが、それでもずっと家の中に入れたり、毎年置いているあたりより、更に日陰に下げたわけではない。葉面に水をかけるのは、他の植物と同様、やってはいたが、まさかそれだけで、こんなに元気になっているとも思えない。植物の悪条件への適応性は、思いのほか大きいということだろうか…?。
一方ダメなものはダメで、オミナエシなどは、買ってきてすぐに葉が枯れていき、ダメになった。どうも高温がいけなかったらしいが、冷房してやるわけにも行かないのだから、しようがない。
台風で葉っぱが飛ばされ、丸裸になってしまったサクラが、秋になったら、何を勘違いしたか、花芽を出して、きれいに咲いているなどというニュースも見かけた。それだけ今年の気象はめちゃくちゃだったということだろうか。
今年の気象は、ほとんどの人間と、ほとんどの植物たちに、「災い」をもたらしたと言えるだろうが、一部そうでないものがある。まあ儲かった海の家の人とかはともかく、植物に、それも身近なベランダの植物にある様子なのは、まさに驚きである。
熱帯化した東京。そこで生きている人も植物も、何が幸いするか、わからないということだろうか…。やれやれである。 |