2004年11月26日号

おばさんとおじさんの謎

 
  おばさんとおじさんの謎
 

 現在、東京都知事には、石原慎太郎という人がなっている。
 私はこの人に、都知事を信託したいとは思わないが、まあ正当に選挙されたので、仕方がない。が、この人に言わせると、「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは、ババア」なのだそうだ。
 そうなのか?。どういう意味だか、今一つよくわからない。「ババア」というのが、通常使われるように、高齢女性への蔑視的言葉だとすれば、それは「文明」によってもたらされたとは考えにくい。なぜなら、人は勝手に歳をとるもので、文明的であろうと無かろうと、関係ないからだ。この人は、「作家」という肩書きを持ちながら、意味不明なことを言う。
 この発言は、発言当時相当物議を醸し、都知事も多少の答弁はしていたようだから、一般には無礼な発言ととられていたのだろう。
 さて、石原都知事が言ったのは、都民の公僕の代表としては、腹を切るべきほどの失礼な発言であることに、おそらく論を待たないが、そういう見方ではなくて、比較的高齢の女性、それはすなわち「おばさん」ということであるが、観察していると、特徴的な行動がいくつか見られる。
 まずスーパーのレジや、駅の切符売り場で、自分の番が来てからさいふを出しているのは、ほぼ必ず比較的高齢の女性である。これはどうしてなのだろうか?。
 スーパーのレジの場合は、行列ができていた場合、その列に中高年の女性、つまりおばさんが混じっているかどうかを見て、混じっていない列に並んだほうが、たいてい早く精算が終わる。これはかなり法則的である。
 それは、やはりさいふを、スーパーの係員から「○○円です」と言われてから、ゆっくり出し、かつ中をごちゃごちゃと探って、小銭を取り出してじゃらじゃらと置く人が、決定的に多数だからである。
 私たちから見れば、どうして事前に計算まではしないまでも、さいふを手に持って、おおよその金額を用意する位の配慮ができないのだろうかと思う。
 しかし、これには別の見方もできる。そもそもレジの順番待ちなどは、見ているとイライラするものだが、実際のタイムロスは、せいぜい1分もない。…とすれば、少々時間がかかって何が悪いかと言うこともできる。それによりかかってか、おばさんたちは悠然と、後ろを気にすることもなく、さいふをいじり倒す。最初から後ろの人をイライラさせるかもしれないなどという、観念そのものがないのだ。だから、例えばそれを指摘したところで、何がいけないのかわからない、というような顔をするだけだろう。
 駅の切符売り場でも同じだ。自分の番が来てから、悠然とおばさんは、券売機の上の料金表を見る。それで目的駅をようやく見つけると、またしてもそこからさいふを出して…となる。後ろに何人並んでいようと関係はない。これも、あらかじめ列が前に進むときに、自分の目的駅を探して、さいふから小銭または札を手に持つようにしておけば、もっと時間を短縮できるはずなのだが、おばさんたちは、荷物が多いこともあってか、そんなことは最初から考えない。

 では、おじさんたちはどうなのか?。これにも言及しておかなければ、片手落ちというものだろう。
 おじさんたちは、どうしてああ尊大な態度になれるのか?。これまた疑問である。
 新宿のソバ屋には、よく行くのであるが、そこで料理を運んだり、注文を取ったりしている人々は、比較的若い女性である。そのパート・バイトさんたちに対して、おじさんどもは、かなり尊大で、偉そうなのが気になる。別に料理をお金払って食べに来るのだから、店員氏に「おべっか」を使ったり、「こびへつらう」必要はないが、かといって「エラソウ」にする必要もない。確かにこちらは客には違いないが、客だからといって、店員氏が三つ指つかなければならない理由もない。そんなのは、私は嫌いだ。
 「あ、君、○○をくれ」とか、「まずビール。それから何々はないの?」など、どうして「○○下さい」、「まずビールを下さい。それから何々は無いですか?」と聞けないのか?。こういう人々は、きっと職場で、上司にはしっぽを振るのに、部下にはエラソウなのではないか?と、勘ぐりたくもなるというものだ。
 やたらバカ丁寧にしゃべれと言っているのではない。もう少し公の場で、ふさわしい、落ち着いた物言いがあるだろうと言っているのだ。これは上に出てきた都知事にも、あるいは言えるのかもしれないが…。
 どうも人は、中年から高年になると、よくない?伝統を引き継いでしまうのだろうか?。その「悪循環」を、断ち切ることはできないのか?。かく言う私も、もう中年も中年というような歳である。いずれエラソウなおじさんになっていくのが、どうしても避けられないことが明白で、複数の人によって確認されるとしたら、直ちに安楽死すべきかもしれないが、そういうわけにもいかない。だいいち、まだ死にたくはない。しかし、そのくらい嫌なものである。親しくもない人に対する、尊大な態度というのは。
 結局、これらおばさん・おじさんたちの「問題」は、他人のことを推し量る能力が、どのくらいあるか?、ということなのではないかと思う。しかし、レジ精算が遅い人や、飲食店での注文がエラソウな人が、一概に他人を推し量れないとまでは、言い切る自信はない。そこらへんが、人間の「不均一な」部分だと思うのだが。ただ人のことを推し量れない人が多い昨今、必ずしも無関係とは言えないだろう。
 少なくとも、自分はエラソウなおじさんにはなりたくない、ならないと、自戒を込めて思うところである。もっともこの文章からして、もう既に、その兆候があるのかもしれないが…。

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