2004年7月9日号

大手クリーニング屋の横暴

 
  大手クリーニング屋の横暴
 

 私は、冬の間着る皮のハーフコートを持っている。皮のコートなので、なかなか暖かくていいのだが、一つ困ることがある。それは洗濯をどうするかである。
 普通の布のコートのように、ドライクリーニングすればいい、というものでもなさそうだ。かといって、洗濯しないわけにもいかない。昨シーズンはほとんど着なかったから、洗濯はしないでおいたが、今シーズンは結構着ることがあった。
 さて、それで洗濯に出すとして、どこに出すかを考えた。いつもシャツやズボンなどを出していて、先代主人からのつきあいがある、クリーニング店に出してもいいのだが、皮のものは取り次いで、専門業者に出すことになっている。それはそれでもいいのかもしれないが、いつもの顔の見える主人夫妻が、直接やってくれるわけではないのだから、ちょっと不安な感じもする。
 それで仕方なく、普段利用しないのだが、駅ビルの中に入っている、大手クリーニングチェーンH舎に頼むことにした。顔の見えなさ具合は同じだが、一応大手だし、駅ビルができた30年くらい前から入っていたと記憶するので、それなりの信用はあるだろうと考えたからだ。
 コートを持って、店に行くと、皮のコートは、場合によって風合いが変わってしまうかもしれないので、その場合は免責として欲しいと言う。どのくらいの割合でそうなってしまうのか、またどの程度なるのかがわからないから、その点引っかかりを感じたが、「じゃダメだ」とも言えないから、一応了解しておいた。
 前金での代金請求とともに、引換証を渡され、仕上がりは1ヶ月先になるから、指定の日付を過ぎたら、引換証を持って来てくれという。
 それで引換証を、持って帰ってからよく見たのだが、裏側に、わざと読めなくするためではないかと思えるくらい、薄いグレーで、自己保身の文句が書き連ねられている。曰く、引き取りが1ヶ月以上遅くなったら、延滞金を取るとか、一旦渡したらあとは知らないとか、後日異議申し立てはできないとか、引き取りに来ないものはいずれ売ってしまうぞとか、皮のものは何があっても責任は負わないとか、よくもまあここまで責任逃れに終始できるものだと思わせるくらい、読んでいるだけで頭に来る文章であった。
 頭に来る理由は、客に厳密を要求するのに、自社の責任は明確にせず、意図的に薄い字で印刷して、逃れようとするようなその姿勢である。全く企業倫理もあったものではない気がした。こういう論理がまかり通ると、経営陣が思っているとしたら、即総退陣すべきだとすら思う。
 プロの仕事とは、常に全力を尽くすことではないのだろうか?。問題が起きた場合に、「ここにあらかじめこう書いてあるので、あなたはそれを了承したはず。だから私どもは知りません…」ということではない。そもそも問題が起きないようにすべきだし、起きたら起きたで、誠意をもって対処するしかないのではないか?。
 もちろん、客の中には、とんでもない人もいるだろう。しかしそれが全てか?。とんでもないクレーマーが、100人の客のうち、99人もいるわけでもあるまい。少数のクレーマーや、問題客のために、普通のまっとうな客を不快にさせていいということにもなるまい。
 そこには、大企業・大手であるという、おごり高ぶった意識が見え隠れする。思い上がりもここまで来ると見苦しい。
 近所のいつものクリーニング店は、大物は取りに来てくれるし、母が石鹸液を誤ってたらし、色が部分的に抜けたスラックスの、染め直しまで試みてくれたりした。
 ワイシャツの糊が効きすぎていたり、洗剤の抜けに若干のむらがあったりすることもあるが、一応1点1点気を配りながらやっていることには違いなく、少なくともH舎の思い上がったような姿勢は、全く感じられない。むしろ、小回りの利くプロらしい仕事を感じる。
 大手には大手の、近くの店には近くの店の良さが、それぞれあるはずだ。しかし、H舎のような、横暴な態度は、ちょっといただけないと思う。
 1ヶ月が経過して、引き取ったコートは、一部の色がさめていた。「ノークレーム」条件だそうだから、別に文句はないけれど、これをもって「大手らしい仕上がり」と、言うべきなのだろうか…

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