2005年3月4日号

お葬式の連鎖

 
  お葬式の連鎖
 

 どうも去年の11月頃から、葬式が続く。私と直接の友人・知人関係、というのはないけれど、親戚筋や母親の友人・知人関係である。
 続いて…というのは、昨年の11月下旬、今年の新年4日、1月8日、下旬にさらに1件あり、4件も続いたからだ。
 まあ人の一生が、いつ終わるかということは、普通わからないし、またそれがわかるようだったら、それはそれで問題かもしれないから、わからないでいいのだろうが、生きている人間の身としては、葬式がいつあるかということは、案外問題で、連続すると困ることがある。
 去年の11月の時に、私の喪服のズボンが、かなりきつめになっていて、すんだら修理に出そうと思っていた。ところが、師走の慌ただしさに、そのままにしていたところ、年末になって親戚が死去したという。
 仕方がないので、そのままになっていた黒のスーツを着て、年明けに出席したのだが、当然、相変わらずズボンはきついままである。しかも、11月の時とは違って、座敷に座って…という形式だったから、よけいに腹がきつい。いい加減私も、やせ形とはいえ、腹が出る体型になってきたということか。
 苦しい腹は、ベルトをやめ、儀式のあとの「なおらい」の席では、こっそりホックまで外すありさまだった。とても人には見せられないが、上着のボタンを外さないようにして、ネクタイと上着で隠していた。
 さて、新年早々の葬式もすんだから、これで修理に出そうと思っていたら、服のサイズ直しの店が、長く正月休みである。それで、10日過ぎあたりに、店の余裕も出てきたあたりなら、1週間程度でなんとかしてくれるのではないか?と思っていたところ、8日にまたしても、母親の仕事関係の人が亡くなったという。
 さあ困った。修理なんぞはしているヒマがない。そもそもクリーニングしないで、修理には出せないから、クリーニングしても大丈夫な範囲、というのを考えなければならないと思っていた矢先である。結局、クリーニングすらできなかったので、ブラシをかけた程度ということになってしまった。
 母は、年末に死去した友人の、年明けの葬式の後、喪服をクリーニングに出していたものだから、急ぎクリーニング店に電話して、最後の仕上げを急いでもらい、受け取りに行くという一幕があったほどである。
 それだけに、かなり喪服のクリーニングのタイミングには、気を使う。
 
 結局8日の葬式も、下旬の葬式も、なんとか苦しい腹のまま切り抜けたが、こうも繰り返しだと、いい加減気分が悪い。それで本当はよくないことなのかもしれないが、しばらく「まだあるかもしれない」と、今度はわざとクリーニングと修理には出さないでおいた。
 2月も下旬になって、さすがに4回続きの葬式も、終わりになった様子で、今頃なら大丈夫だろうという計算のもと、ようやく喪服はクリーニングに出した。帰ってきたら、急いで修理に出そうと思う。何度も何度も苦しい腹で、立ったり座ったりするのは、やっぱり困る。
 人の死というのは、その家族でもない限り、予測することは難しい。また、予測すること自体、不謹慎だという見方もあるだろう。また家族であったとしても、完璧な予測など、出来はしない。
 それに対して、礼服を着るということでは、似通った事象であるところの「結婚式」は、予測可能である。…というか、これはあらかじめ日程が決まっているものである。「明日突然結婚披露宴をするので、来て下さい」という人は、絶対いないと言っていい。
 ただ、もう結婚式というものが、身の回りで頻繁に起こる歳では、既になくなった。7〜8年前に、親戚の結婚式に出たのが最後である。もう一回り下の世代が…、というのでなければ、結婚式への出席ということも、当分あるまい。
 それに対して、葬式への参列というのは、これからも大いに考えられる。それは突然、予測しない人が予測しない時に…ということであろう。そしてそれは、今私の母世代がとか、親戚の一回り上の世代が、というのから、やがて自分の回りの人々が、亡くなっていく時代を迎えることになる。この事実は、厳然として存在する。
 人の一生は、いつ終わるかわからない。それはもしかすると、神がそうさせているのかもしれないが、喪服を巡る「騒動」は、いまさらながら、それを実感されてくれる。
 せいぜい、運命に対して、何もできない人間である私は、今クリーニングに出している喪服が、修理後も、出番が少ないことを、祈るばかりである。

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