2004年2月27日号

プラ製機関車はもう買えない?<2>

  プラ製機関車はもう買えない?<2>
 

(前号からの続き)
 歳を取ると、少しずつではあるが、手は震え、目も悪くなるので、若いうちは何でもなかったことが、とても困難になることがある。私も今回この作品を書くきっかけになった、P社の模型機関車では、運転室の窓ガラス部分にはめる小さなパーツが、どうやってもはめられず、ついに断念して、売り飛ばしてしまうことにした。
 そのパーツは断面が三角形で、ピンセットでつまもうとすると、ピーンとどこかへ飛んでいってしまう。角度を変えてつまむと、今度は0.8ミリくらいしかない足が、機関車の窓の上に、最初から付いているひさしにじゃまされて、所定の穴に入らない。何とか片足を入れても、もう片足を押し込もうとすると、パーツ自体が折れ曲がる。イライラすること甚だしい。もう手さばきが、少しずつ衰えているのを実感させられる。全く困った話である。
 やはりこの種の「苦情」は多いのか、P社のあとに参入してきたQ社の機関車には、車種は異なるものの、後付パーツを金属製にして、耐久性を向上させ、さらに全て取り付け済み、という別メニューの模型が、標準形の倍額ぐらいで用意された。
 当初、同じ機関車なのだから、そんなもの売れるのか?という声が多かったようだが、フタを開けて見れば、これがバカ売れらしい。聞くところによると、中年世代がよく買って行くそうだ。

 これらのことから言えるのは、中年にはもうあまり余暇の時間がなく、こまごましたパーツをいちいち付けていられないということ、また中年である程度お金のある人は、パーツ後付が必要なプラスチック機関車を最初から買わないで、高価な真鍮製のを、高いお金を出して買うか、プラスチック機関車を買ったとしても、模型店の取り付けサービスを使うか、もしくはQ社のように取り付け済み・その代わり倍額のものを買うか…ということであろう。
 とすれば、プラスチック素材の採用によって、高くなりすぎた模型を安めに誘導し、学生でもなんとか買える範囲にすることで、鉄道模型の底辺を広げようという試みは、一応成功したはずなのだけれども、ふたたび今度は、年輩の世代を遠ざける方向に向かっている、ということではないのだろうか。

 私は今回、久しぶりの「新車」を、わずかなパーツが付けられないことであきらめた。私の手先がもう不器用になっているからだと、私自身の問題だけであるなら、それは仕方ないと思えばよいことだ。しかし後付パーツが、箱を開けるとうんざりするくらい付いて来て、それがためにかかる時間や、自分の労力コストを考えたら、28万の真鍮でできた昔ながらの製法の模型を、カードで買うじいさまの気持ちも、わかる気がする。もちろん私はそんなこと出来もしないし、世間的な金銭感覚から激しく外れるけれども。
 Q社の発売した、後付パーツ取り付け済み機関車が、ほぼ倍額で買えるなら、むしろそれを選んだほうが、精神衛生上も、自分の「人的コスト」としても、賢い選択のような気がしてならない。
 むろん「そのはまらないパーツをはめていくのも、楽しみのうちだ」という意見もあろう。それは人の感じ方、考え方だから否定しない。だがP社のように、後付パーツがずらりと並んでいるような模型製品作りが、当たり前だと、製品の設計者が考えているとすれば、それはそれでロストしている模型人口も、かなりな数にのぼるだろうし、その中には、ある程度自由になる金を持っている「中年世代〜高年世代」が、たくさん混じっていることに、気付かないのだろうかと思えてくる。
 私は(酒を)飲めないし、(パチンコなどのギャンブルを)打たないし、買うものといったら、せいぜい趣味のものだけである。それが健全なのかどうかはわからないが、お金の使い道という意味では、幸い自由になるお金がないわけではない。それは恵まれていると思う。
 だからネットオークションで、昔買えなかった模型車輌を、うまく落札して手に入れ、それをまた加工していろいろな車輌を増やしていく楽しみというのは、手広くやれているほうだと思う。
 まあ人に自慢できるほどの技術ではないが、一応の基本的なハンダ付けとか、真鍮でなくとも、厚紙から電車を作り出す程度のことはできる。工具も持っているし、その扱い方も一応は知っている。
 だからこそ、プラスチック機関車の後付パーツがどうやっても取り付けられないのは、屈辱的ですらあった。
 もうプラスチック製品は、買えないのであろうか…。そう思う、中年モデラーの私であった。
<終>

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