2005年5月25日号 ※予定より2日早い更新です。

最近の小学生通学事情

 
  最近の小学生通学事情
 

 新宿から近所の駅まで、電車に乗っていると、車輌と車輌をつなぐ連結部分の扉を、一生懸命開けようとしている小学生を見た。その子は女の子で、三年生くらい。大きなランドセルを背負って、大人でもやや重く感じるドアを開けて、となりの車輌に行こうとしているのであった。
 その様子を見ていると、ずいぶん最近の子どもの通学風景は変わったなぁと思う。
 そもそも電車で遠くの学校に通学するということ自体、私が子どもだった頃には、そうはなかった。私ももちろん、歩いて10分もかからない近所の小学校に、通っていたのである。
 当時ランドセルは、3年生くらいの時に壊れてしまったので、それからは手提げや、肩に掛けるタイプのカバンに、教科書やノート、その他ビー玉や、テニスボールなどの遊び道具を入れて通ったものだ。
 さてしかし、その見かけた女の子は、重そうなランドセルの両側に、いろいろなものを下げている。右側には、引っ張ると鳴る非常ブザーを、左側には携帯電話が入っているらしい小さな袋を、その上何かわからない、細い鎖のようなものも下げている。
 最近、教科書もノートも、私たちが子どもだった頃に比べて、判形が大きくなっているようである。私たちが子どもの頃は、教科書もノートも、A5判であって、音楽の教科書やノートだけは、B5判であった。ところが最近のノートは、文具店に売っているものほとんど全て、B5判である。教科書も同サイズらしい。そうすると、荷物はかなり重くなるはずで、私たちが学校に通っていた頃の、1.5倍程度には、なっているのではあるまいか。それに、携帯電話や非常ブザーなど、私たちからすれば、考えられもしなかったものも、持ち物に加えなければならない。現代の小学生は、なかなかに大変な仕事なのだと思わせる。
 そういえば、先日井の頭線の車内で見かけた、有名私立小学校の女の子も、指定のカバンに制服。その胸のあたりには非常ブザーを取り付け、右腰には定期入れのついたスパイラルケーブルのようなもの…と、凛々しいようなスタイルであったのを思い出す。…もっとも、ちょっと鼻をほじっていたりしたが…。

 それにしても、今時の子どもは、例外なく非常ブザーを持たねばならないとは、まったくどうしようもない世の中になったものだと思う。私たちが子どもの頃、子どもだけで困っていれば、近くの大人がたいてい助けてくれたものである。近所の人たちで、信用のおけない人などいなかったし、そもそも人はたくさんその辺にいて、誰かの目が、必ず届いていた。だから逆に、悪さもあまりできなかったし、「知らない人は、まず疑え」というような教育は、受けたことはない。
 ところが現代は、そういう危機意識のなさでは、子どもといえども生きて帰れないかもしれないという、恐ろしい世の中になってしまった。
 例えば、最初に書いた子どもが、電車のとなりの車輌に行くドアを開けるのに難儀していたら、手伝ってあげてもよさそうなものだが、もしそんなことをしようものなら、「変なおじちゃんが…」ということに、されてしまうかもしれないのだ。私は、あやしい人相をしているつもりはないのだが、今や、あやしい人というのは、人相ではない時代なのだから…。
 まったくイヤな世の中になったな…という気持ちでいっぱいである。
 近所の私鉄にも、「女性専用車」ができたという。朝方、痴漢から女性と学童を守るのだそうだ。この種の車の妥当性には、いろいろな議論があるだろうし、私個人の意見としては、そんなアパルトヘイト時代の南アフリカじゃないんだから…と思うけれど、昔も「婦人子ども専用車」というのが、中央線にはあったそうなので、昨今の小学生の、重装備な通学スタイルを見ていると、痴漢はともかく、殺人的混雑からは、守ってあげるのも、大人の現代的責任かもしれないとは思う。もっとも、そのくらいの思い方しか、できようもないのかもしれない。難儀している子どもに手を貸したり、声をかけただけで、もしかすると変質者扱いされかねない、この世では…。本当によくない世の中になったものだと、思うものである。

※この作品が面白いと思った方は、恐れ入りますが下の「投票する」をクリックして、アンケートに投票して下さい。今後の創作の参考にさせていただきます。アンケートを正しく集計するため、接続時のIPアドレスを記録しますが、その他の情報は収集されません。

投票する