2005年6月3日号

さくらんぼの季節

 
  さくらんぼの季節
 

 信州・松本に行って来た。松本城の威容と、ソバの盛りの多すぎ具合には圧倒されたが、その話は、またの機会して、違う話を書こうかと思う。
 松本からの帰りは、特急「あずさ」で、新宿駅に帰ってきた。時間は夕方の6時。駅は夕方のラッシュで混雑しているが、夕食のアテがなかったので、某デパートの地下へ行き、何かすぐ食べられるものを買ってから帰ろうということになった。
 おみやげとして、山菜の類なら、いくらか買って持っていたのだが、それはおかずか、酒の肴くらいにしかならない。主食にはならないわけである。ウドやコシアブラというようなもので、腹をいっぱいにすることはできない。
 以前長野に行ったときは、長野駅の駅弁を買ってきて、夕食にしたこともあったが、松本駅の駅弁には、今一つ「これは」と食指が動くものはなかったのである。
 そうして、新宿のデパート地下で、ご飯ものを物色し、時々買う茶巾寿司を買って、帰ろうとすると、果物売場のところで、早出しのさくらんぼ「佐藤錦」を売っている。まだ温室もので、時期が早いから、相当高いのであるが、店員さんは、パックに詰めてせっせと売ろうとしている。そんな様子を見ていたら、中年の、濃いグレーのスーツを着た男性が、そのさくらんぼの小さなパック、本当に小さな、手のひらにのるようなパックを、一つ手に持ち、レジの列に並んだ。
 この男性は、身なりもちゃんとしているし、歳の頃は50歳にはならない位である。思うに、おそらく家族がいて、その家族への、ちょっとしたおみやげかもしれない。いったい誰のためだろうか?。大学生の息子さん、というのは、ものがさくらんぼだけに、少々考えにくい。そうなると、やはり奥さんだろうか?。それとも娘さんがいるのだろうか?。そんな想像をいろいろしてしまう。仕事帰りのお父さんが、家族のために、初物のさくらんぼを少し、ポケットマネーで買う。そんな光景なのである。やはりそれを見ていると、この人は、きっと家族思いなのだろうな…、そういうふうに思える。

 私は最近、本ホームページの、アニメ館内で、とあるアニメの、オリジナルアフターストーリーを書いている。作品終了後の「その後の話」ということである。これをいろいろ考えるのは楽しいし、また考える上で、そうとういろいろなことをネタにしなければならないから、調べものも時に必要になる。もともとそういう細々したことに、こだわらないではいられない性格だからである。そう言えば、よく風呂の中で、ストーリー進行を考えたりする。そうして書き進めるストーリーは、もちろんフィクションなのであるが、「家族の理想像」を体現するように、書くことにしている。
 それはもちろん、もとの作品に依拠している以上、その延長線上で…ということでもあるのだが、一つの家族の中で、父の、あるいは母の役割とは何か?、子どもと親との関係の一つの理想的形態は…、などということを、常々考えながら書くようにしている。
 私自身、家族運が悪かったことは、幸いにしてない。だから、自分が受けてきた「家族愛」のようなものを、体現するように書けばいいのであろうが、ただ漫然とそれだけ書いていれば面白いということもなかろう。それで、世の家族とはどういうものであるか、というのを、なるべく観察するようにしている。
 そういう中で、あの日新宿のデパート地下で見た男性は、「いいお父さん」であり、家族を想うとはどういうことか、あるいはもっと大きく、結婚して家庭をもつということには、どんな責任が発生するのか、といったことを、少し見せてもらったような気がする。
 無論、私の見立てはまるっきり違っており、愛人のもとに届ける、ちょっとしたプレゼントということだって、あり得ないことではないが、そこまで私も自分の眼鏡の度が狂ってしまっているとは、思いたくない。
 人は、意外な出会いをして、気付かずに通り過ぎているものだが、ふとしたことから、様々なことを考えうると、あらためて気付かされた思いである。
 季節はもう6月。さくらんぼを始め、いろいろな果物がおいしい季節である。

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