2004年6月4日号

さよなら旧形電車

  さよなら旧形電車
 

 小田急電鉄に現存する、もっとも古い電車2600形が、先月末一杯で定期運用(毎日あらかじめ決められたダイヤに乗っ取って使われること)を離れ、全廃されることになった。…と書いても、なんのことだかわからない方もおられようから、少し説明しておくと…。
 2600形電車というのは、小田急が増え続ける通勤需要を、車輌の面から改善することを目的として、1964年から製作した、当時としては私鉄最大級の電車である。機構的にもそれまでの電車とは一線を画するものであったが、それは省略する。
 この電車は、当時逼迫していた輸送の救世主となり、1968年まで作られた。以来ずっと主に新宿付近の各駅停車を中心に活躍をしてきた。
 しかし通勤電車でもあるし、私の住んでいる町あたりでは、しょっちゅうこの車に当たるので、地味な印象の電車であったが、発車やブレーキのときに、モーターが「ヒューン」というように、独特の音でうなるので、駅にいれば当然、夏の夜などでうちの窓を開けていると、線路から2キロも離れているのに、大きなその音が聞こえるときがあった。そのことは、案外今でも印象深い。
 この2600形に転機が訪れたのは、急行列車に頻繁に使われるようになった、ここ15年ほど前のことである。それまで黙々と各駅停車や準急という、どちらかというと「押さえ」役に徹してきた車が、颯爽と江ノ島へ、小田原へ、箱根へと、性能をフルに発揮して走る。それは私たちの目にも、ちょっと新鮮に思えたものだ。座席の浅さには、少々閉口したのであったが…。
 通常、電車の寿命というのは、おおよそ25年程度である。それ以上に延命するとすれば、何らかの修理が必要となる。それは車体の各部がどうしても傷むことと、電車は電気部品の固まりだから、永年使っていると調子の悪くなるところがでてくる。であるから、1990年頃からは、引退するのではないかとも思われたが、車体や電気部品の大がかりな手入れをして、そのまま活躍を続けることになった。
 技術的なこととか、経済性ということを考えるならば、この方針が正しかったかどうかはわからない。小田急電鉄は、ここ近年、車輌の置き換えに苦慮している様子である。それは古い車を大事に使うということそのものは、悪いことではないが、新車に置き換える時期を逸してしまうと、いずれ老朽車の山になってしまうということであり、大量の電車を休みなく動かして、輸送をこなす大都市の鉄道では、どこかで見切りをつけなければならない。
 だが、2600形は、日本の高度成長から最近の不景気まで、見届けてきた電車とも言える。2600形の誕生した年には、「東京オリンピック」が開かれ、日本が世界の一流国になるのだという気概だけは、あふれていた時代だっただろう。そしてオイルショックを経て「経済大国」とか言われるようになった。その間ずっとこの2600形は、企業戦士を、郊外から都心へ運び続けていた。もちろん企業戦士だけではなく、通学生も、お年寄りも、子どもたちも、あらゆる人々を、であるが…。
 やがて時は1990年代のバブルを過ぎ、世紀が変わるところまで来た。それらの変化も、乗る乗客の姿を通して、この電車は見続けていたに違いない。言ってみれば、日本の縮図が、この電車の車内には詰まっていたのだと思う。
 新世紀がやって来る直前、いよいよ性能的に新形電車に負けるようになってくると、2600形の廃車は具体性を帯びてくることになった。そしてついに2000年あたりから、本格的な廃車が始まった。
 それまで慣れ親しんだ電車が、1編成、また1編成と、解体場に運ばれていく。地味な電車ではあったから、あまり数が減っている実感はなかったが、2003年には、とうとう残りが1編成だけになってしまった。
 どうなってしまうのか…。固唾を飲むファンにこたえるかのように、小田急電鉄はこの最後の1編成に、1966年まで採用していた旧塗装色を施した。現在のアイボリーに青帯ではなく、オレンジイエローとダークブルーの、いかにも昔っぽい色である。
 しかしこの塗装色の変更は、大変な話題を呼び、はるばる遠くから撮影しに来る人が現れたり、普段電車に興味のない人が、ケータイのカメラを向けたり、幼児が手を振ったりという、一種の「スペシャルイベントカー」のようになった。一般の人々の理解を深める上では、最高の演出だったのではないかと思える。
 そしてその祭りは、一時2004年の9月までと発表されたこともあって、しばらくずっと続くと思われた。私も冷房のよく効く2600形は、「夏は越えるだろう」と思っていた。ところが「祭り」は、長くは続かない。やっぱり終わりはやってくる。
 長年の激務がこたえたのか、特別塗装になったことで、無理や危険を冒して撮影しようとする人が現れたためなのか、突如6月5日に「さよなら運転」を行って引退と、会社から発表があった。
 近年、様々な鉄道会社で、特別塗装車の走行は、流行っている。それはイメージアップにつながるし、話題性もあるからであろうが、そういう電車がなくなってしまうのは、ちょっと惜しい気もする。しかしもともとが、かなり古い車輌であることには違いないから、いつまでも永遠に残しておくことは、物理的には可能でも、コスト的には困難だ。その意味では、会社も2600形も、よく頑張ったのだと思う。このことは、素直にエールを送りたい。
 5月31日には、定期最終運用に就いた2600形であった。私は長年親しんだ近所の駅に行き、営業運転に就く2600形としては最後となるであろう、写真撮影をしてきた。ホーム上には数人の同じように撮影する人がいたが、2600形は、いつものようにやってきて、いつものように涼しいような顔で、発車していった。1分の狂いもなく…。
 やはり電車は、いつでも都市と社会を乗せて走っている。通勤輸送に徹した2600形には、ふさわしい最期のような気もした。となりの駅へと遠ざかる、2600形を目で追いながら、一つの時代の終焉、それは私が幼い頃から数限りなく乗車したこの電車の終焉ということなのだが、そういうものを少しは感じた。だが、なんだか明日も同じように走っていそうな、そんな気もするのであった。
 6月1日になったが、沿線のどこでも、2600形は見かけられていない。やはり本当に定期運用から引いて、予備車になってしまったのだ。だが2600形は、6月5日、最後の晴れ舞台、「さよなら運転」に臨む。
 いや、やはり今まで自分の人生と、ほぼ同じ時代を過ごしてきたはずの電車の終焉は、電車がたとえ機械であっても、どこかもの悲しい。

※この作品が面白いと思った方は、恐れ入りますが下の「投票する」をクリックして、アンケートに投票して下さい。今後の創作の参考にさせていただきます。アンケートを正しく集計するため、一時的にIPアドレスを記録しますが、その他の情報は収集されません。

投票する