2005年8月19日号

宣伝広告の不思議世界<2>

  宣伝広告の不思議世界<2>
 

(前号からの続き)
 時間帯としても、昼過ぎであったので、若い人がたくさん乗る時間でもないし、広告の効果としては、あまり成功とは言えないと思う。せめて広告の意図くらいは、わかるようにしないと、安くはない広告費をつぎ込む意味は、とりあえずはやや薄れると言えるだろう。
 ところが、ここで「とりあえず」、「やや」という表現にしたのは、少し別の見方も出来るからである。
 広告・宣伝のたぐいは、その商品の細かなところを覚えてもらう必要はないという話を聞いたことがある。商品名か、ブランド名を、記憶のどこかに留めさせれば、その宣伝は成功なのだと。
 それはその広告なり、宣伝を見た人が、頭のどこかに覚えていてくれさえすれば、次回同じようなものを買う時、消費者行動としては、覚えているブランドや、商品を買っていく率が上がるからだ、などとも言われている。
 なるほど、そのように考えるなら、少なくとも私は「M」というロゴも、商品名も覚えてしまったので、伝達は成功ということになり、私ははからずも「ハメ」られてしまったということなのかもしれない。私は男性だから、その化粧品を買うことはなさそうだが、女性では、そのロゴも、商品名も目にする機会は多いだろうから、あるいは「M」を手に取るかもしれない。そして思い出すかもしれない、井の頭線の中の風景を。
 そうすれば、企業としては、一定の宣伝効果はあったということなのだろうか。

 この種の宣伝のうち、反応を示した人の後ろには、「何人の潜在的購入検討者がいる」とか、そういった経験則的数字があるのだろう。とすれば、1列車で数人〜数十人が「M」という銘柄を、ふと記憶すれば、その後ろには…という計算が成り立っているのかもしれない。
 ましてこの広告には、それほどコストはかかっていない。なぜなら最後尾の車輌には、二人組は乗っていなかった。おそらく車掌さんがいるからではないだろうか。もし見とがめられるとまずい、つまりは特に許可を取ってないということだろう。別に奇抜な衣装をして、乗車していけないということはない。今時普通に乗っている若い男女のほうが、よほど奇抜な衣装や、奇行をしていることすらある。だから特に許可を鉄道会社に、求めなければならないこともなさそうだ。車内で、何かするなら別だが、ドア脇に立っているだけだから、一般の乗客と何も変わらないとすら言えてしまうのだ。
 車内吊り広告と連動してないし、1列車8人の男女に、デザインした衣装を着せて、何往復か乗車させるだけだから、おそらくバイトの若者にそうさせているだけだろう。とすれば、山手線の車体にステッカーを貼るなどという、ややそれでも従来的な広告から比べれば、ずっと安上がりで、かつ話題性がある…かもしれない。
 最近はインターネットで、それも携帯電話で情報が広がるような時代だから、おそらく夜までには、いろいろな掲示板や、ブログ、日記などに、「今日井の頭線でこんな人たちを見たよ」というのが、記事になったに違いない。そうすれば、広告主としては、わずかな広告費で、相当な宣伝効果を上げたのではないか?。この点には、「なるほどそういう手法もあったか」と、感心させられる。

 なんだかロゴも、商品名も、使っているわけではないのに記憶させられ、しかも事細かに覚えさせられてしまった自分というのには、ちょっとばかり腹立たしいような気持ちにもなったが、まあくだらないCMを、延々と流されるよりは、すっきりしていて、案外いいのかもと、思い直しもする。
 もっともそうでも思わないと、「してやられた」自分が、みっともないというのが、本音と言えば本音だけれど…。
(完)

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