2003年9月19日号

西伊豆紀行・水中撮影が教えるもの

  西伊豆紀行・水中撮影が教えるもの
 

 西伊豆の海は透明度が高い。そのため晴れて波が静かな、あまり土砂の堆積のないところなら、水に潜って結構遠くまで肉眼で見ることができる。海岸では無理であるが、磯なら大丈夫だ。
 いつも旅行前には、新宿で大量にフィルムを買い込んでいくが、並びの「使い切りカメラ」のコーナーを見れば、「水中用」と銘打ったものを売っている。そこで去年、今年と、水中撮影に挑戦してみた。背の立たないところに行くのは怖いから、水深1.5メートルくらいまでだが。
 去年はK社の使い切りカメラでやってみた。場所はよく行くO防波堤外側の磯である。ここは潜って遊んでいると、貝が捕れるのと、ウニがいっぱいいるし、タカノハダイなどの模様のきれいな魚が泳いでいるから、それなりに絵になるのではないかと考えたが、結論から言うと、ぜんぜんダメであった。
 それは潮流の関係なのか、海底に砂の堆積があり、見た目がきれいな海草が生えておらず、黒っぽい岩と、やたらたくさんのムラサキウニとガンガゼの世界であったからである。
 写真が仕上がって、さらにがっかりしたのは、シャッターチャンスを逃しており、写したはずの魚はブレていたし、極彩色のイソギンチャクにシャッターを切ったら、ただのグロテスクな、うにょうにょしたものにしか写っていなかったのである。
 ただ水深が非常に浅いところの写真は、光が均一に届いて、まあまあに写っていた。とすると、水深が深くなるほど、青い光線のみが通るようになるから、写真も青っぽくモノトーンになる、ということに気を使う必要がある。もっともそんな基本は、水中撮影の専門家に笑われそうだが。
 また、見た印象というものは、かなり「いいところ取り」のものであって、「きれいなシーンしか覚えていない」のである。しかし実際に「きれいと思うシーン」は、水中に潜っている時間のわずかな時間であって、それをうまいこと写真におさめることは、かなり難しく、おさめたつもりが、あとでがっかり…ということになりがちだ。

 …というような去年の失敗を踏まえて、今年はもう少しましな写真を撮ろうと、再挑戦した。
 今年はシャッターボタンの押しやすい、F社の使い切りカメラを用意した。磯に潜るときには、岩に着く貝類で手を怪我しないように、滑り止め付き軍手をはめるが、その手ではシャッターがレバー状になっているF社製品のほうが、押しやすい。
 まずは去年と同じ場所のO防波堤も行ってみたが、その日は天気が良くなく、光量が不足していた。海底の様子も相変わらずで、きれいなベラ類が泳いでいるのは見たが、とても写真になるような感じではなかった。
 その後の撮影の機会は、3日目にI港に行ったとき巡ってきた。ここの防波堤は2本あって、自然の磯を一部利用して、コンクリ防波堤としたらしく、磯っぽいゴロタ石がたくさん残っており、水は澄んでいる。その日の天気もいい具合に快晴であった。
 ただ、波打ち際から、かなり急な勾配で深くなっているので、見通しのよくない時は、危険かもしれない。そこで、堤の根本に、大きなテーブル状の岩がせり出ていたので、そのあたりに潜り、背の立つ範囲で撮影してみることにした。
 陸上からは、ディープブルーの熱帯魚みたいな小さな魚が、群をなして泳いでいたり、小メジナやチョウチョウウオも見える。条件としては悪くないはずだ。
 潜って撮影を始めると、横方向の視界は思ったよりよくない。しかしフエダイの一種のような魚が、列をなして泳いでいたり、メジナかもと思う25センチくらいの魚が泳いでいたりした。それらはすかさず写真におさめた。小さな熱帯魚みたいなのは、浅いところにたくさんいたので、それもカメラをやや下向きにして撮影した。そのほうが日光の届きが良く、水の影響を受けにくそうだ。
 撮影していて、意外に撮影のじゃまになるのは、自分の足元から巻き上がる、細かい海底の堆積物である。そのためそっとゆっくりしか動けず、やや離れたところに魚の回遊を見つけても、シャッターチャンスを逃すことがしばしばであった。それと少し残念なことだが、ロープが海底に打ち捨てられていたり、ゴミっぽいものがあったりして、それらが写らないようなアングルを考えなければならない。流木がそのままなのも気になった。
 そして、またたく間に27枚の撮影を終えた。
 宿に戻ってから、フィルムを近所の写真店に持ち込んで、現像してもらった。ここは自前で自動現像・プリント機を持っており、45分程度で仕上がるという。なかなかのスピードだ。
 結果は今回まずまずであった。きれいな写真も何枚かは撮れていた。サンゴとおぼしきものも生えていたので、それも撮影したが、目視よりやはり青っぽいモノトーンに写っていたりした。これは人の目と、フィルムの感色層の性質の違いだろう。フラッシュのない「使い切りカメラ」の限界と言えるかもしれない。
 その場で種類のわからない魚は、写真で見てもやっぱりわからない。それは水の作用で、どうしても遠くのものは少しボケるし、早い動きには、カメラのシャッタースピードが1/100秒と固定なので、追いつけない時があるからだ。だが、たかが「使い切りカメラ」と侮れない。相当奥が深い感じである。

 素人が手軽に、水中を泳ぐ魚の撮影ができるというのは、楽しさと共に、驚くべきことかもしれない。少なくとも、私がこの西伊豆に来始めた12年前には考えられもしなかったと思う。本格的な水中カメラや、通常のカメラを水中でも使えるようにする専用ケースなどというものは、あったような気がするが、それは素人のものではない。
 だがこうして素人が、手軽に水中撮影出来るようになったとき、既に海は結構汚れてしまっていた。本当に撮るべききれいな海は、人の普段の生活圏にはなくなってしまったのかもしれない。その現実はかなり悲しい。もっと身近な環境の汚染に、人々は気を使うべきだが、逆に考えれば、心ある人は、手軽になった水中撮影によって、それら水圏環境の汚れ具合にも、気付くことが出来るだろう。このことは「水中用使い切りカメラ」の、相当に重要な存在意義、かもしれない。

 来年もまた、水中撮影に挑戦してみたいと思う。手軽になったことを手軽に楽しむ。それもまた、大事なことである。

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