スミレのタネ
一時期ウチの人々は、スミレに凝っていて、いろいろな品種のスミレを植えていたことがある。
スミレは非常にたくさんの品種が、春先になると花屋に出回るが、生育条件をかなり選ぶようなので、買ってきてみたところで、必ずしも長く咲かせられるというものでもない。
ものによっては、学生時代に私が、大学の農場わきから掘ってきたものもあったが、それとて農場わきとウチとでは、育つ条件が違うのだから、これまた長く咲くかどうか、その前提としてうまく根付くかどうか、運次第である。
当時通っていた大学の農場は、助手の下の「副手」が管理していたが、多くのところは学生の手により、実際の作業が実習として行われていたせいもあって、ちょっとわきにそれれば、結構いろいろな植物が、雑駁にはえていたものだ。大学院時代の農場は、技官が管理していたので、あまりそういう感じはしなかったが。
そうやっていろいろ買ってみたり、あるいは学生の特権?で掘りあげてきたりしたけれども、多くの株は、時間の経過と共になぜか元気がなくなり、やがて消えていった。これは鉢植えにしても、住んでいる団地の花壇に植えても同じことであった。
では、全て消えてしまうかというと、そうでもなく、これでもかとばかりに増殖して、団地の建て替えにともなう2度の引っ越しを経てもなお、現在まで非常に元気の良い品種もある。
それは濃い紫と白のツートンカラーの花が咲く、比較的大きな株の品種で、香りがしたりはしないが、早春の頃に花柄をのばして、やや大柄な花をつける。それで次から次へと花が咲くが、5月末頃であろうか、だんだん花柄のかわりに、同じように柄をのばした先に、フットボール形の実をつけるようになる。それがだんだん成熟すると、やがて花と同じようにやや上向き加減になって、突如そのフットボールみたいな部分が、ぱかっと3つに割れて、直径1ミリにも満たないような茶色いタネが、中にびっしりついているのをあらわにする。そのあと天気にもよるが、一時間もするかしないかのうちに「パチン」と音がして、全てのタネがはじけ飛ぶのだ。
これがどんどんと繰り返され、その飛んだタネが、翌年にはまた別の株になるというのを繰り返し、だんだん違う花の鉢に、居候のように増殖していく。ある程度は放っておいて、その違う花たちと同じ鉢に同居させておいたのだが、あまりに勢力が強くなってくると、同居している主のほうが弱りそうな気配になるので、最近はある程度抜いたりして調節するほどである。
それでもなおいくつかの鉢には、大きな株が3つほどあるが、実が実ってきて、柄がやや上向き加減になると、ここ数年はその場でつんでしまい、容器に入れておいて、その中でタネをはじけさせることにして、タネの回収を始めた。つまれてなお、タネはちゃんとはじけるのである。
ただ、柄が上向きにならないうちにつんでしまうと、そのまま腐ってしまうだけなので、つむタイミングをつかむのは、しょっちゅう見ていないと難しい。スミレにつきっきりになってもいられないから、見逃しも当然ある。するとそれらは株の中ではじけてしまうが、まあ仕方がない。
そうやってはじけさせるスミレのタネであるが、容器は食品のプラケースの小さいものを使っている。あまり密封してしまうと、カビがはえるので、少しフタを開けておくようにしている。
ある夜、板の間に寝っころがって雑誌を読んでいると、ラップ音のような「パシッ、パシッ」という音が聞こえる。この団地は、もともと結構そういう音が、いろいろなところから聞こえるので、霊能者系の方々には、それなりに面白いところなのかもしれないが、たいていはふすまや本棚の木ねじなどが、湿度の変化や温度の変化で、膨張したり、収縮するときに発生する音のようだ。ところが今度の「パシッ」という音は、どこからしているのか、よくわからない上に、数分から速ければ数秒に1回の割で、かなり大きな音がする。別な部屋に行っても、その音が響いて聞こえるほどである。
一体何の音であろうかと、しばらく音の元を聞いてみたところ、かのスミレのタネを入れた容器からであった。少しフタをずらしてあるその中で、タネがはじけて飛ぶ音であったのだ。飛ぶときにほんの少しは、フタの隙間から外にも飛ぶ。見つかった限りのものは、あとで指でつまんで容器に戻すが、これが小さくて、なかなかつまめない。なにしろ1ミリに満たないのだから。
面白いのは、エアコンで除湿モード運転をすると、とたんにはじけ飛ぶ回数が増える。やはり乾燥するとパチパチ始まるようだ。そのあたり、植物は非常に敏感である。
動物は動くから動物で、植物は運動しないと思われがちだが、実際はそうではない。このタネ飛ばしだって、りっぱな運動である。スミレのタネ飛ばしの、詳しいメカニズムまでは知らないが、おそらく細胞の内圧である「膨圧」を、外界の湿度環境により変化させて、成熟したタネを少しでも遠くに飛ばすための「膨圧による運動」をしているのであろう。まったく自然の知恵には驚かされるばかりである。
あまりに飛びすぎて困るわが家のスミレのタネの容器の中は、あんパンの上にのっている芥子粒を少し大きくしたようなタネで、今やもう一杯である。
せっかくだから、これを団地の花壇の片隅や、ちょっとした木の下などに蒔いてやりたいが、最近は草刈りにエンジン付の草刈り機を使って、例外なく全て丸坊主に刈ってしまうので、よくよく場所は選ばないと、スミレも刈られてしまうだろう。こういうちょっとした山野草が生育する隙間も、都会には無くなって、草刈りのやり方も乱暴になって、風情のない世の中になったと思う。
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