2003年4月18日号

「カントウタンポポ」

  カントウタンポポ
 

 春になると、日当たりのよい空き地や斜面などには、タンポポの花が、鮮やかな黄色で開きはじめる。そして花は、終わったものから順に、わた毛になって飛んでゆく。春先のタンポポのイメージとは、そんなものだろう。
 ところがこれらはほとんど全て、外国から帰化した「セイヨウタンポポ」の特徴なのだ。最近新聞やテレビでも時々取り上げられるから、知っている人もいるだろう。
 この「セイヨウタンポポ」に対し、“東洋タンポポ”として、日本国内には、古くから「在来種タンポポ」がちゃんと存在する。
 エゾタンポポ、カントウタンポポ、カンサイタンポポなど、数種があるが、最近はセイヨウタンポポが広がって、あまり見かけなくなってしまったようだ。
 私も東京都八王子市郊外で、セイヨウタンポポとカントウタンポポが、2株並んで咲いているのを見た以外、出身大学に少しあったのと、奈良の法隆寺参道にカンサイタンポポが咲いているのを見た程度である。
 そこで、一風変わった植物が好きなウチの人々は、この在来種タンポポをベランダに置こうと、探し回ることにした。悪戦苦闘の始まりとも知らずに…。

 一番いいのは、何株かはえているのを掘り上げてくることであろうが、ウチの近辺では、そんな貴重な場所があるわけはない。そのため実生を育てることにして、都内の公園のヤブから、「間違いなくカントウタンポポ」という株のわた毛を、フィルムケースに1本分くらいもらってきた。晩春の頃である。
 カントウタンポポは秋蒔きなので、タネを取ってすぐ蒔いたのでは、発芽しにくいのだそうだ。その辺も「セイヨウ」と違うところなのだが、それで秋口に蒔いてみた。しかし、発芽率は、ある程度予想はしていたものの、あまりよくなかった。
 それでもまあなんとか数株は根づいたので、そのまま育ててみた。冬に地上に出ているところは一度枯れ、翌年の春になって、平らな株が再びできあがった。花も少しずつ株の真ん中からもちあがってきて、咲いたのであるが、あのわた毛はできない。そればかりか、葉っぱはうどんこ病にやられるし、強い光の当たる場所は苦手らしく、葉っぱがしおれることすらあった。
 およそそれまでのタンポポのイメージからは、想像もできない弱さに唖然としたが、うどんこ病は薬でやっつけ、半日陰のところに下げてやったら、まあまあ順調になった。しかし、相変わらずわた毛はできなかった。
 ある日新聞を読んでいると、どこだかの河原に群生するカントウタンポポの記事に目が止まった。それによると、カントウタンポポなどの在来種タンポポは、同一の株内で咲く花同士の花粉を受粉しても、タネにはならないのだそうだ。つまり別株がそばにあって、相方から花粉をもらわないと、実は付かない「自家不和合性」があるのであった。
 これは、近親交配を避けて、遺伝子の多様性を確保する自然の知恵なのだが、ウチのようにタネを取ろうとすると、やっかいな性質でもある。結局、となりあった株の花をこすりあわせて「人工授粉」させてやることで、ようやくわた毛ができるようになった。
 さあこれでいろいろな人に、タネを分けてあげられる、最初にわた毛を取ってきた公園にも「お返し」できる、と思いきや、晩春に採ったタネが秋までもたず、発芽力が非常に低くなってしまうのであった。
 これでは、日なたでどんどん増えるセイヨウタンポポに、負けっ放しになりそうだ。
 だが、強いところは弱点にもなりうるわけで、実際セイヨウタンポポが入っていけない半日陰の場所でも、カントウタンポポは生育できるし、セイヨウタンポポがたくさん繁殖するということは、1株ずつの世代交代は、案外激しいのかもしれない。私は生態学の専門家ではないから、あまり詳しいことはわからないけれども。
 私たちのもつタンポポのイメージというのは、小さい頃から道ばたで見慣れたセイヨウタンポポのイメージそのものであった。しかし大昔から、ひっそりと山野にはえていた在来種のタンポポは、個性的な野草の一種に違いない。実際に育ててみると、タンポポに対する今のイメージが、昔のそれではないこと、ひいては普遍的で固定的にイメージされるものばかりが、この世の絶対ではないことを、いまさらながら思い起こさせる。
 我が家のベランダは、狭い割には、妙に実験圃場のようである。一風変わった植物が大好きな、一風変わった人々の管理で、カントウタンポポたちは、なんとか今日も元気に咲いている。


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