空中電気鉄道の計画

 江ノ島電気鉄道が、1927年3月に免許申請を行った「江ノ島架空索道線」がその原形で、その後同年8月に「江ノ島懸垂鉄道線」に変更申請されています。この免許は、他社との併願になりましたが、既に起業しているなどの理由で、江ノ島電気鉄道に1928年7月に許可がおり、別会社事業として独立させることとして、「江ノ島懸垂電気鉄道」という会社を設立、免許を譲渡しています。さらに社名は1928年11月に「日本懸垂電気鉄道」、ついで1929年6月に「空中電気鉄道」に変更されましたが、地元住民の反対運動および、技術的問題の解決困難のため、1935年起業廃止として会社は解散し、計画倒れに終わりました。
 そんな「空中電気鉄道」の夢のあとを、少し見てみましょう。なお、免許はおりませんでしたが、大阪・梅田−住吉公園間にも、計画路線がありました。

空中電気鉄道起点予定地の画像です

 空中電気鉄道の起点は、「片瀬東浜」となっていますので、おそらく画像の中央右にあるマンション群付近に駅が設けられる予定であったと考えられます。そして国道を越えて、画像手前側(江の島島内)に向かってくる予定であったと思われます。2005年11月1日、江ノ島弁天橋上より撮影。撮影協力:Naka氏。

空中電気鉄道終点予定地の画像です

 当面は、江の島島内の画像奥あたりに、終点駅を置く予定だったようです。稚児ヶ淵(江の島の南側にある磯)までの延長計画もあったようです。江の島ヨットハーバー内より撮影。撮影は上の画像と同日。協力者も同じ。

空中電気鉄道予定地の画像です

 画像は別項の再掲になりますが、空中電気鉄道がどのようなルートを経由して江の島島内に至る予定であったかを、資料から推定したものです。江の島へ渡る橋(当時は桟橋)の東側を通り、現在のヨットハーバー付近、さらに延長して山を越えるように南側へ向かい、稚児ヶ淵まで、というものであったようです。この画像は2005年11月10日、江ノ島展望灯台より撮影。


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