東急車輌で製造され、まさに出場せんとする201系試作車。本車はクハ201−901号です。実際の出場時と異なり、運行番号表示窓の周りが「銀色」着色になっています。出場までに「ダークグレー」に修正されました。1978年末頃、東急車輌工場内。Fコレクションより。
東急車輌から出場して、京浜急行の線路、神武寺駅を経由し、東急車輌専用線から国鉄逗子駅手前で停車するクハ201−901他5連。4つのパンタが上がっており、りりしい感じ。運行番号表示窓の周りは、「ダークグレー」に修正されています。1979年2月5日、逗子駅東方。「Bコレクション」(撮影者は「Fコレクション」と同じと思われますが、入手先が異なるので名称を分けています)より。
少しアングルを変え、露出も変えて撮ったと思われる写真。2輌目に点検の人らしき人影が見えます。通勤形国鉄電車の前面の角に丸みが付くのは、戦前形旧形国電以来かもしれません。同上。
反対側のクモハ200−901号。横須賀線の貨物列車を引くEF65 1086と並んで。クモハ200形には、ジャンパー栓受けがありません。同日、逗子駅東方、Fコレクションより。
逗子駅東方に留置されるクモハ200−901他5連を、側道から撮影。つやつやの塗装が美しいです。同日、逗子駅東方、Fコレクションより。
同じく側道から、クハ201−901号を。右側は逗子駅電留線です。乗務員室のドアが開き、中に二人ほどの人影が見えます。これから公式試運転なんでしょうか。1979年2月5日、逗子駅東方、Fコレクションより。
絹目写真からスキャンのため、横方向のノイズが目立ちますが、クモハ200−901号の車内です。試作車はやはり試作車らしく、両先頭車の車内には、スタンションポストが立てられていました。早い時期に撤去されていますが、JRになってから、6ドア車が登場すると、そこに復活することになります。立ち客保護のための試験的設置だったようですが、思ったほどには効果が上がらなかったのかもしれませんね。同日、逗子駅にて。Fコレクションより。
連結面側の車内。特徴ある座席、袖仕切り、固定の妻窓、シルバーシートプレート(妻窓上紺色の表示)と実際に銀色モケットのシートなど、当時の仕様がわかります。この時点ではまだ試運転なので、床にケーブルが這っていたり(隣のモハ201形の床)、妻ドアがロープで固定されていたりします。通勤形国電の冷房車としては初めて平天井になりましたが、試作車では天井が低く圧迫感があると言われ、量産車では改良されています。確かに見るとやや天井が低いようにも感じますね。同日、逗子駅にて。Fコレクションより。
なお、国鉄通勤形電車での、「暖色系車内」は、この201系試作車が最初です。
試作車の末尾901番の運転室内は、初めて暖色系の配色となりました。日本車輌製の902番では寒色系の従来形(マスコンは縦軸形)を踏襲したので、これは東急車輌製のみの特徴です。またマスコンも前後動作形になり、量産車では寒色系車内+前後動作形マスコンという「折衷形」になりました。試作車も後に統一改造されているので、この画像は登場当時の配色がわかる貴重なものかもしれません。同日、逗子駅にて。Fコレクションより。
それにしても、この後配置区である三鷹電車区まで自力回送されたと、当時の雑誌にあったように思うのですが、出来たばかりの電機子チョッパ制御車を、試験もせずに運転して、誘導障害は問題にならなかったのでしょうか。この写真でもパンタは上がっており、隣を走る横須賀線に影響しなかったのか、今更ながら心配になりますね。