国鉄・(JR)301系電車

 301系電車は、1966年に国鉄が営団地下鉄東西線と、相互乗り入れするのに際して製作された、初のアルミカーです。

 当時製作されていた103系電車をベースとして、将来あるべき国鉄通勤電車の方向性を探るものとして製作されました。具体的には車体のアルミ化による大幅な軽量化、台車の車体直結式空気バネ化、地下線走行時の騒音防止のために自然通風式抵抗器の採用、パンタグラフの追随性向上、難燃化…など、当時の国鉄としては意欲的な試みでしたが、どうしてもイニシャルコストが上昇、56輌が製作されたにとどまりました。本来は103系に代わって、増備される予定であったようです。

 当初はアルミの地肌を生かすため、クリアラッカー塗装と黄色のホーローびき板貼り付けで、一見すると無塗装車のように見えましたが、クリアラッカーの割れ目から侵入した水分によって、車体表面がわずかに腐食し、見た目が美しくなくなってきたため、のちには灰色8号に塗装、帯も単なる塗装にあらためられています。

 JRに引き継がれてからの301系は、側面と正面のJNRマークの撤去とJRマーク貼り付け以外、さしたる変化はありませんでしたが、東中野駅で発生した追突事故により、急遽205系(ステンレス車)が総武緩行線に投入されると、中野駅や西船橋駅での乗客の誤乗が発生したため、301系については東西線のラインカラーである青にあわせて、帯の色を青く塗り替えることとなりました。

 なお冷房化と車輌更新工事も、当初の予定にはなかったものの行われ、その際ドア類をアルミハニカムドアからステンレスドアに交換しています。

 地下鉄乗り入れ車に抵抗制御車を長く使い続けるのは、乗り入れ相手の営団5000系が添加励磁・抵抗制御であったとはいえ、だんだん時代に合わない状況になってきたため、新世紀になった頃から、置き換えがささやかれるようになりました。結局当初の計画案よりは遅れたようですが、E231系800番台を2003年5月から投入、全車が置き換えの対象となり、301系は37年にわたる活躍に終止符を打ちました。

 2003年8月3日には、「さよなら運転」が行われ、運転後の高尾駅での展示では多くの人が集まりました。またクモハ300−4号が大宮総合車輌センターで保管(残念ながらその後解体)されるなど、国鉄のその後のアルミカー、381系や新幹線200系、203系などの始祖となった、301系の引退を惜しむ声は強いようです。

 ここでは、活躍当時の301系電車の写真をお目にかけます。残念ながら、撮影の機会に恵まれず、あまりいい写真はありませんが、多少車体の各部を撮影したものがありますので、模型の資料などにはなるかと思います。

★一方その後、かなり詳細な各部の写真がEH500氏より、貸していただけたのでそれも「保存車クモハ300−4を見る」のコーナーでご紹介します。

301系銘板取り外し大会の画像はこちら


クモハ300形の画像です

 国鉄時代の301系。クモハ300形ですが、車番はわかりません。しかしこの編成は、側面の帯が黄色いホーロー引きの板ではなく、塗装表現になっているのがわかります。地色はアルミ色のようにも見えますが、もしかすると灰色8号に塗装され、その際に帯も正面以外塗装になったのかもしれません。「Fコレクション」より。1973年頃。


地下鉄線内を走る301系の画像

 国鉄時代、さらにアルミ色時代の301系です。地下鉄東西線内ですが、駅がどこであるかはわかりません。大手町っぽくはあるのですが…。行先は三鷹のようです。さらに正面向かって左側の窓に、「地下鉄 快速」の表示が点灯しています(文字が読めませんが)。この編成は、側面の黄色部分も板が張られたようになっています。JNRマークの部分は、わざわざ窓になっていますが、内蔵の蛍光灯は点灯していません。今に至っても、この部分が窓である必要がわかりませんね。何かを表示するつもりだったのではないかと思いますが、その場合はマークは直上に移して表示するつもりだったのでしょうか。1979年頃?。Aコレクションより。


301系電車の画像です

 雪の綿帽子をかぶった301系。地下鉄直通の運用ですが、この時代この程度の雪では、電車は通常運行でした。それにしても、このまま地下鉄に雪を持ち込んだのでしょうね…。この画像では、「地下鉄快速」の文字が読めます。実際は地下区間での通過運転は無く、地上へ出てから快速運転となります。クハ301−4+モハ301−10+モハ300−7…、中野駅、1978年1月3日。Fコレクション・上原庸行氏撮影(著作者人格権上の表示)。
※なお、この画像貫通ドア窓上に、右下りの筋が見えますが、プリントに入っている筋で、車輌にはありません。

301系電車の画像です

 クハ301−4号のみを見たところ。この編成は撮影時点の1978年初頭では、アルミ地肌のままですが、その後灰色に塗装されることになるのです。本編成の黄帯は、塗装かシール状のものになっています。ドアはアルミハニカムドアですが、案外色味が異なって見えるので、表面処理が施され、クリアラッカー塗装は、ドアには行われていないのかもしれません。この車輌が103系に代わって量産され、各地に配置されていたとすると、だいぶ「国鉄」の評価も変わったでしょうね。中野駅にて、1978年1月3日。Fコレクション・上原庸行氏撮影。


国鉄時代301系の画像です

 あまり鮮明な写真ではないのですが、7輌編成で走るアルミ地肌時代の301系。手前からクハ301+モハ300…と続きます。ややドアが奥まった位置にあり、側板の厚みがわかるカットかと思います。1976年頃?、荻窪−西荻窪間にて。TAコレクションより。このあたりは、まるで様変わりしており、ビルだらけになっているのはもちろん、線路も側道からほとんど見えなくなっています。


クハ301形の側面画像です

 クハ301形です(車号クハ301−4)。更新工事が行われています。2枚上画像の車輌の、後年の姿ということになります。この写真ではわかりにくいですが、正面右下にジャンパ栓受けがあります(103系と同じで、実際併結もできますが、制御器が異なるので相性は良くなかったそうです)。場所が良くなく、あまりいい写真にはなりませんでした。三鷹電車区にて、1996年5月5日。


301系の正面画像です

 301系の正面は、103系一般車、101系、72系増備車などのように、上方が傾斜しているのではなく、左右の窓が左右に行くほど奥まっているという、変わった感じの仕上げです。また上部に行先表示器があり、ヘッドライトは腰ダメに付いているほか、地下鉄装備としての貫通路が中央に設けられています。しかしホロは取り付けを考慮されていません。運行番号窓(向かって左側)と同じ大きさの窓が右側にもあり、JRのマークが入っていますが、ここには以前JNRのマークが入れられていました。わざわざ電照式になっていましたが、もしかするとここは本来種別表示窓にするつもりだったのかもしれません。2002年5月22日、西船橋駅にて。


クモハ300−2号の画像です

 もう少し側面が見えるように撮影してみました。西船橋駅は先頭車輌の撮影には、折り返しが6分ほどしかなく、反対側ホームまで行かれないため、同一ホーム上からの撮影になってしまいます。さて貫通ドアの窓上下にリブが走っていますが、これは製造時からで、このドアは交換されていません。おそらく補強のためではないかと思います。雨樋が103系などよりも、少し上に付いています。これは西武鉄道の701系と801系の関係と同様、自動洗車機で洗浄しやすくするためではないかと思いますが、201系が登場するまで、他の車輌には応用されませんでした。


クモハ300−2号車内の画像です

 301系更新工事後の車内はこのような感じでした。明るい配色でまとめられており、以前の寒色系の内装よりはいい感じがします。奥側に見えるドアは、乗務員室の扉ですが、地下線区間で臨時停車したときなど、乗客をここから正面のドアを通じて降ろすことも想定しており、扉位置が103系の右側に対して、中央になっています。乗務員室の仕切部分の窓は原形のままで、縮小・拡大などの工事はなされていません。


301系運転台の画像です

 運転台はこのような感じです。基本的に103系に似ていますが、貫通ドアがある関係で、よりコンパクトにまとめられ、さらにマスコンのハンドルが営団5000系と同じ仕様なのが珍しいです。国鉄〜JRの車輌で、このようなマスコンハンドルなのは、301系(と103系1200番台)だけです。貫通ドアの裏側には、はしごが用意されています(この写真では写っていません)。


301系窓部分の画像です

 301系の窓はユニット窓で、これは103系より採用が早いです。アルミ車体の構造上からか、ドアと窓には枠が付けられていて、ちょっとメカニカルな感じになっています。特にドアの45度の面取り部分は、後輩の203系では枠なし構造なので、よけいに目立つ感じです。窓の下段は、更新工事の時に開かないように改造されています。幕板部分が広いのがわかります。


301系電車の運転台ドア部分の画像です

 301系の運転台ドア部分です。屋根に昇るためのステップが、また独特な構造です。これは模型では表現しにくいですね。ドアはステンレス無塗装のものに交換されていますが、手すりも同時に交換されているようです。ATS−PとB、ATCの3種類も保安装置を搭載しているのは、常時1つしか使わないとはいえ、頼もしい感じもします。


301系のパンタ台付近の画像です

 三鷹電車区跨線橋から撮影したモハ301形のパンタ台付近です。パンタは地下線の鋼体架線での追随性を向上きせたPS21形です。また地下線のA−A基準難燃化対策をクリアするために、パンタからの引き込み線の主ヒューズ箱が、床下ではなく屋根上に取り付けられています(奥側の四角い箱2つ)。この点は103系一般車との違いです。パンタのランボード左右を通って、手前に延びる線は、冷房改造時に屋根上搭載されたインバータに通じる配線で、国鉄時代または非冷房の時代にはありませんでした。奥側の車輌にはAU712形クーラーと、これまた独特の大形押し込みベンチレーターが見えますが、このタイプのベンチレーターは、101系試作車、クモハ165形運転室上部などにしか、採用例がありません。また運転台の真上には、小さい押し込み形ベンチレーター(201系などと同じもの)2つが並んで載せられています。


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