小田原を発車していく上りの「踊り子」号。運転室の窓下には、小さなJNRマークが付いていました。また本来車体中央にある車輌番号は、帯を避けるために、各車輌とも左に寄せてあります。これは185系0番台のみの特徴です。1982年頃。なかなかに塗装は華麗ですね。
馬入川橋梁を行く185系「踊り子」。この電車は、やはりなるべく開けたところで、編成全体が入るように撮った方が見栄えがするという見本でしょうか。1986年頃?。「Fコレクション」より。
クハ185形の運転台。運転士用の座席も、通勤形などとは異なる、段の付いたモケットになっています。また背刷りも高めです。熱海駅にて、1982年頃?、「Fコレクション」より。
国鉄が、将来の特急電車像を探る目的で、183系と小田急LSE車7000系を、比較高速試験したことがありました。速度向上に「連接車」という構造が有利なのかどうか、また走行時線路に与える影響は…など、いくつかのポイントを試験したようです。1982年12月10日から15日まで、毎日試験は行われました。この時使われたのは小田急の7002編成でしたが、それとすれ違ったはずの特急「踊り子」。乗客はびっくりしたかもしれませんね。あり得ない場所を、小田急ロマンスカーが走っているのですから。1982年12月15日夕刻。藤沢駅にて。左側の柵の向こう側と、奥の鉄橋は小田急線です。普段そちらを走っているロマンスカーが、右の線路を走り抜けていった直後の画像です。東京よりの先頭車は、クハ185−100番台ですが、前面右下にジャンパーケーブルがあるかどうかで区別できます。
早川−根府川間を行く下り特急「踊り子」。今もあるのかわかりませんが、小さな踏切からの撮影のようです。右後方は小田原市街と思われます。1982年、「KAコレクション」より。
上とほぼ同じ場所を俯瞰気味にとらえたところです。右側に見える海岸には、現在西湘バイパスの料金所が拡張されて張り出しており、手前の国道も、経路が変更されています。細かく見ると、手前から1、3輌目の車輌のクーラーは、日立製のAU75、2輌目は三菱製のAU75のようです。1982年、「KAコレクション」より。
185系には、200番台として番台区分した「耐寒形」のグループがあり、当初それらは東北・上越新幹線が、用地買収の遅れから大宮発として開通したため、上野と大宮を無停車でつなぐ「リレー列車」用として造られました。
その名も「新幹線リレー号」。185系200番台14輌編成で走りました。正面のヘッドマークは「新幹線連絡専用・上野←→大宮」とされています。配置は新前橋電車区で、グリーン車の位置が編成の端より(画像では手前から2輌目)なのが特徴です。しかもグリーン車は、「新幹線リレー号」として使用されるときに限り、新幹線のグリーン車乗客と、高齢者・障害のある人、子ども連れなどの優先車輌とされ、この区間にはグリーン料金は不要(「シルバーカー」と称していました)でした。
この車輌のその後については下で。この画像は蕨駅にて。1982年頃、「Fコレクション」より。
そしてなんと、斜め帯じゃない「踊り子」が!!。
上に書いたように東北・上越新幹線は、都内での用地買収に手間取り、やむを得ず大宮発着で暫定開業しました。そのため大宮−上野間を結ぶ、快速「新幹線リレー号」が運転されました。新幹線の車体塗装に合わせる(当時の新幹線200系は、薄クリーム色に緑の帯)目的で、この200番台はオーソドックスな横帯でデビューしました。しかし、新幹線の上野開業後、「リレー号」は廃止され、車輌は余剰となりましたので、大半は急行を格上げした、短距離の「新特急」に転用する一方、「踊り子」の全面185系化のために、一部が田町電車区に転属。この時に183系1000番台による「赤い踊り子」は無くなっています(長野に転属し、「あずさ」増強用に)。
この一連の動きの中、短期間ではありますが、「リレー号」塗装のままの185系200番台による「踊り子」が走り、これまた沿線の人々を驚かせました。入場の度に、「踊り子」オリジナルの斜め帯に塗装変更されましたが、行先表示器脇の緑色JNRマークも珍しい、185系200番台横帯車による「踊り子」の画像です。伊豆急下田にて。1985年夏。右側には標準塗装の185系0番台が見えます。185系200番台を見分けるポイントは、前面ヘッドマーク下のタイホンカバーが、四角く出っ張っていること(0番台は格子状)。また車体の番号表記が車体中央なこと(モハ184形200番台を除く。同車は、電動発電機への風道が、車体中央に設けられている関係で、車号表記が窓1枚分両側とも左にずれており、モハ184形0番台と同じ位置になっています)、グリーン車のトイレに小窓があるか無いか位です。7輌と比較的短い編成であり、「リレー号」時代と異なり、グリーン車が編成中央部であることも大きな違いでしょうか。
伊豆急行の電車と並ぶ「踊り子」。伊豆急下田駅も、このころはしょっちゅう「踊り子」がやって来ていました。A5編成と、伊豆急クモハ121号の出会い。84年春頃。
品川を高速で通過し、下田と修善寺を目指す185系。当時210ミリの望遠レンズを買い、その練習をかねて撮影に行って撮ったものです。ポールの処理に失敗していますが、左側に新幹線0系が写っており、さらには品川にその後新幹線の駅が出来るなど、一応変わらないのは185系の車体のみ、というのが驚きのカットと言えましょうか。1985年頃。手前C4編成。
国鉄時代の末期近くに、EF58形電気機関車やEF65形1000番台電気機関車+14系客車の組み合わせによる、「臨時踊り子」が運転されたことがありました。伊豆急下田駅に機回し線が残っていたため、入れ替えに伊豆急の電気機関車ED25 11まで動員しての運転だったそうです。
特製の「踊り子」ヘッドマークを掲げたEF58 61号機。ちゃんと「L特急」になっているのがミソでしょうか。1985年頃、東京駅。Fコレクションより。
「サロンエクスプレス踊り子」という、臨時列車です。ヘッドマークには、特に「サロンエクスプレス」の文字は入っていません(のちに専用のものを用意)。サロンカーを夏期臨時列車に仕立てたもので、臨時とはいえ、EF58形の特急仕業でした。1983年頃、東京駅。「KAコレクション」より。
EF65 1127のけん引する、臨時「踊り子」。185系の運用にはあまり余裕が無かったので、臨時ではこのように客車特急になった例がありました。伊豆急線内の有効長の関係から、機関車を入れて10輌に収まるように設定されていたようです。また、品川客車区のスロ81系お座敷客車を使った、「お座敷踊り子」号もありました。この画像は1983年頃、大井町駅にて。「KAコレクション」より。