伊豆箱根鉄道修善寺駅で折り返しの185系「踊り子」。手前に「乗車記念」の看板がありますが、これを入れて自撮り写真を撮るのは、結構アングル的に難しいような?。右側の車輌は、伊豆箱根鉄道3000系ですが、密連が旧形国電用のものになぜか交換されています。1989年6月20日。Fコレクションより。
国鉄からJRとなって、一番異なるのは、側面に付いた大きなマークでしょうか。不似合いなマークと思ったものです。運転室窓下の、小振りなJNRマークは取り去られ、かわりにトイレ部分(車体後部)に、銀色のJRマークが入れられています(200番台は、窓上の緑色マークを抹消)。しかし、あまり大きなイメージの変化はありませんでした。熱海で切り離され、留置される5輌編成のC4編成。手前から2輌目は、C編成にしかないサハ185形です。熱海駅にて。1993年3月27日。
「踊り子」の多くは、熱海で切り離し・連結があります。これは185系200番台のB編成による伊豆急下田行きと、手前0番台C編成による修善寺行きの切り離しシーン。このように185系200番台も、斜め帯塗装になっていましたが、そのせいで、車号表記が斜めの帯に埋もれています。これって、設計段階で、転用することを考えてなかったんでしょうか?。
画像の編成は、横浜から京浜東北線−横浜線を通って中央線甲府方面に行く特急「はまかいじ」に充当されるため、ATCを搭載しており、そのため前のドア脇の小窓1枚が埋められています。ここにATC装置が積んであります。パンタグラフも、当然小形のPS24に交換済み。これは、よりグレードアップした観光特急「スーパービュー踊り子」のデビューにより、予備車に余裕が出た185系を、臨時列車にうまく活用するための施策です。2000年9月18日。熱海駅にて。JRの連結・切り離しは、ジャンパーケーブルの接続・切断などがあるため、一度停車してドア扱い後、いったんドアを閉めて、切り離しをして、再びドアを開けるという面倒なことを国鉄時代からしています。自動解結装置をつければいいのにと思いましたが…。
切り離されて発車を待つ、修善寺行きの5輌編成「踊り子」。こちらは0番台です。C7編成ですね。0番台にはATC改造車は無いので、戸袋窓はそのままです。運転室屋根上に付いた、列車無線アンテナ(丸いとんがり)が目を引きます。修善寺編成は、153系の時代から、2M3T編成になっており、モーター車のほうが少ないという、当時としては珍しい編成でした。万一の故障などを考えると、多少問題ですが、伊豆箱根鉄道の変電所容量の問題があったのでしょうか?。しかしまあ、特に問題なく軽快に走っておりました。2000年9月10日。熱海駅にて。
スーパービュー「踊り子」(画像右)を待たせて行き違う、185系「踊り子」。ここは編成全体をぎりぎり収められるポイントではありますし、左の橋梁など、景色の良い場所ですが、ポール類の処理が苦しい感じも。稲梓駅、2001年8月26日。Fコレクションより。稲梓駅はだらだらの階段を昇ったてっぺんにあり、およそ周辺にお店のようなものは無く、いっそ信号所でもよいのではないかと思われる駅ですが、実は西伊豆方面には一番近い場所です。バス停までは遠いですけどね。
毎日「踊り子」に活躍する185系も、通勤兼用の車内はやはり見劣りするようになってきました。特に「スーパービュー踊り子」がデビューすると、格差が目立ったようです。また内装の経年劣化もあって、リニューアル工事が施されることになり、大宮工場と大井工場で工事が行われました。画像は大宮工場に入場した185系。手前からクハ185−100、モハ185、モハ184です。EH500氏提供。2002年2月5日撮影。
しかし、このリニューアルで、長年親しまれた斜め帯の塗装は、いわゆる湘南色(緑4号と黄かん色)の四角い塗装に変更されてしまうのでした。この編成は、最後の斜め帯車と思われます。
「国鉄時代」で既にご紹介しましたが、臨時の「踊り子」が、客車の14系やお座敷客車で運転されたことがありました。本車はその時の臨時「踊り子」に使われた経歴のあるスハフ14形です。大宮工場の公開時、「夢空間」の展示にあたり、電源車代用に使われていたものですが、「回送」幕になっていたので、職員の某氏が気を利かせて幕を回しておいたとのこと。来場者にはうれしいプレゼントでしょうか。
ちなみに後年発売された、鉄道模型のカトーHO14系座席車は、国鉄時代のこのような車輌をモデルにしています。1999年10月の公開時に、大宮工場にて。