小田急2400系・1982年まで

 小田急の2400系は、編成全体を当時の標準である70メートルに収めるため(17メートル車×4輌分)、クハ(先頭車)とデハ(中間車)で、大きく車体長が異なるのが特徴です。電動車を重くすることで、粘着重量(動力装置をレールに押しつける力)をかせぎ、その分モーター無しの先頭車を短くしたという苦労の設計です。
 そんな2400系の、いろいろな活躍の姿をお目にかけます。全てフィルムプリントからの取り込みのため、多少見苦しい画像もあるかもしれませんが、ご了承のほどを。

クハ2551号の画像です

 2400系でも、クハ2551には短い期間ではありましたが、スカートを装着する試験を行ったことがあります。なかなかスマートに見えると思うのですが、場所が苦しく、うまく撮影できなかったのが悔やまれます。経堂検車区留置線にて。1977年頃。狭い車体幅に合わせて、5000系のものを少し幅を縮めたような形状になっているようです。

クハ2556号の画像です

 下北沢駅に颯爽と進入する下り急行クハ2556号。この頃は相模大野で、片瀬江ノ島行きと箱根湯本行きを分割する運用がたくさんありました。しかも、この列車は箱根湯本行きが下り方に付くため、下り方が4輌、上り方が6輌と、現在では出来ない組成です。1981年頃。

クハ2462号の画像です

 その箱根湯本からの急行が、上ってきたようです。向ヶ丘遊園にて、手前から4+6の10連急行・新宿行き。クハ2462号他。1980年頃。

箱根登山線内で特急と交換する2400系の画像

 箱根登山線乗り入れの急行は、長年2400系の限定運用(2200系列による代走を除く)でした。これは風祭駅の有効長が当時短かったためで、その後大形車の乗り入れには、長い年月を要し、冷房が当然の時代となると、2400系の立場は苦しいものに…。入生田駅でロマンスカーと交換する、下り箱根湯本行き急行の2400系。1982年春。


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