小田急2400系ドアと特異車の資料

 小田急2400系は、1959年から1963年まで製造された、経済的通勤車です。それまで作られた2200系列の全電動車方式をやめ、電動車と付随車(モーター付き車とモーター無し車)の比率を1:1として、保守費低減をねらっています。愛称は「HE車」。「ハイ・エコノミカルカー」の略です。

 冷房取付の試験車(クハ2478号)は現れましたが、冷房化改造は行われず、8000系に置き換えられる形で廃車が進行する一方で、旧4000系(当時釣り掛け駆動)の高性能・冷房化のために、主電動機が転用され、最終的に1989年全廃となっています。しかし、箱根登山線乗り入れ車は、風祭駅の場内有効長の関係から、この2400系が長く専用車輌(一部例外あり)として用いられた関係で、1980年頃には車体修理(更新)も地味ながら行われ(一部の車輌は未施工のまま)、線路改良が完了するまで、「湯本急行」(箱根湯本直通の急行)の主力として用いられました。

●クハ2494号走行音はこちら。MP3形式約7MB。新百合ヶ丘−玉川学園前間(ただし、連結面のためウインドノイズもあり、音質はそれほど良くないです)。禁転載。
 
 さて2400系は、長期に渡って製作されたことと、その後の改造も多かったせいか、特異車が比較的多い系列と言えます。かつて全編成に乗車し、それらを調査した資料が出てきましたので、まとめてみたいと思います。
 

編成番号(注記:1)

戸閉機形式(注記:2)

ドア本体(注記:3)

2451 EG−136E
2453 同上
2455・(別画像) 同上 F/S
2457 同上 F/S
2459(注記:4) 同上
2461 同上
2463 同上
2465 同上
2467 同上 F/S
2469 同上
2471 同上 F/S
2473 同上 F/S
2475 同上
2477(注記:5・6) EG−102EZ
2479 同上
2481(注記:7) 同上
2483 同上
2485 同上
2487 同上
2489(注記:6) 同上
2491 同上
2493(走行音あり・上方リンク参照) EG−136E
2495 EG−102EZ
2497 同上
2499(注記:8) 同上
2551(注記:9) 同上
2553 同上
2555・(別画像) 同上
2557 同上

注記
1:編成番号は、新宿方先頭車の番号で表記。編成は以下の例を参照。国鉄流に書くと、新宿方からTc−M’−M−Tcと言える。◇はパンタ位置。
←新宿方   ◇           ◇
クハ2451−デハ2401−デハ2402−クハ2452

2:戸閉機(ドアを開閉する空気作動の機械)の、EG−136Eは、2枚のドア連動で、2600系、5000系と同じ音のタイプ。当初「パシー」(開扉3秒)・「パシ」(閉扉2秒)の、国鉄103系と似た動作音であったが、1977年下期頃から動作音と動作速度が逆転し、順次「パシ」(開扉2秒)・「パシー」(閉扉3秒)の、営団6000系に似た動作音に変わった。一方EG−102EZの車輌は、2枚のドアが非連動で、閉扉時に片側を押さえると、反対側のみ閉まる。2台の戸閉機で、それぞれ片側ずつのドアを駆動しており、動作音は国鉄101系に類似するものであった(駆動方式は異なる)。

3:ドア本体について、Fは鋼鉄製塗装ドアを示す。Sはステンレス無塗装ドア(内側のみ無塗装)を示し、F/Sは、小田原方2輌のみステンレスドア、新宿方2輌は鋼鉄製塗装ドアであることを示す。

4:小田原方クハ2460とデハ2410は事故復旧車(多摩川橋梁より衝突・転落)。蕨市の日本車輌東京支店工場にて復旧工事。

5:小田原方先頭車クハ2478は、試作冷房車(改造)。通勤車冷房の方式や冷房装置出力を検討するため、CU−12冷房装置×5台(8000kCal×5)を屋根上に搭載し、ベンチレータは撤去。さらに床下には、枕木方向にCLG−326E形MG(60KVA)を搭載した。2400系のクハは、ドアを等間隔にするためと、M車を重くして粘着重量を稼ぐ目的、当時のホーム有効長から、車体が短く(16メートル級)、冷房を作動させると寒いほどであった。天井は国鉄103系の冷房車などと同じく、ダクトが車体長手方向に平らな箱形で通り、その外側に蛍光灯がついたため、他車より暗い感じであった。となりのデハ2428号車まで冷気が流れ、あたかも2輌が冷房車であるかのようであった。この車での試験は、1968年に開始されたが、試験が終了して、5000系の増備車から、冷房が標準搭載となっても、そのまま冷房車として廃車まで活躍した。中形車グループでは唯一の冷房車で、運転台直後の戸袋窓は、非冷房車の場合、ギャラリとなっていて、通風を考慮した物となっているが、この車輌のみは、普通のガラスがはめられていた。

6:前面の種別表示器が自動で、黒地に色文字である。

7:小田原方先頭車クハ2482号の台車は、FS−30Xである(他のクハはFS−30。デハはFS−330)。初代振り子試験車(デニの廃車放置車体を流用した無番号の車輌)に取り付けた、試作振り子台車を改造の上装着した。軸箱にオイルダンパ受けが残るなど、一般のFS−30とは多少外観が異なる。

8:この編成は、付番が特殊である。
←新宿方
クハ2499−デハ2449−デハ2400−クハ2450
デハ2400と、クハ2450は、それぞれ2500、2550となってもいいような気がするが、形式名そのままの番号に戻って付番されている。小田急で末尾が形式名と一致している車輌はこの2輌のみ。

9:この編成からは、2500番台になるが、特に変化はない。編成付番は、100番台の桁が4から5になっただけで、同じ法則で進行する。
←新宿方
クハ2551−デハ2501−デハ2502−クハ2552
このクハ2551は、一時期幅の狭い専用スカートを試験的に取り付けていた。

※その他特記事項としては以下のようなものがあります。
●1次車は、車体外板が薄く、1.6mm厚であること。しかしこれは新製時、ひずみ取りが困難であるという理由から、2次車より2.3mmに変更された。経済性を追求しすぎた結果。
●車体修理は、1980年頃より順次施工され、外板の下部などの張り替えが行われた。しかし内装には大きな手を加えなかったので、後の2600系、5000系などの同種工事より地味であった。ちなみにこの時切除された番号板などは、小田急デパート新宿店で開催された鉄道市で販売された。筆者もクハ24XXの番号板を一時所有していた。
●クハ2474にSE車(ロマンスカー3000系)の台車、KD17をはかせて試運転をしたことがあるそうである。SE車が金属バネ台車の特急車であり、高速時の左右振動特性が今ひとつだったことから、空気バネの新製台車と置き換え、KD17は、2400系の新製車に転用することを検討したとのこと(「鉄道ピクトリアル 679号 小田急電鉄特集」の記述による)。
 

考察

 ドアが2種類あり(鋼鉄製とステンレス製)、さらにそれが編成内で混ざっている編成が存在するのは、小田急では2400系のみです。1800系でも、一部の車輌にステンレスドアが導入されていましたが、編成ごとに分けられていて、同一編成内で混ざっているということはありませんでした。この編成内で、小田原方2輌のみがステンレスドアに交換されているというのは、2400系が、箱根登山鉄道乗り入れ「湯本急行」によく充当され、風祭駅でドアコック操作による乗降が行われていた(下り方先頭車のドアを、非常ドアコック解放で手動操作して乗降。その後大形車入線後も続けられていた。最近駅改良工事に伴い、小田急からの乗り入れ車を4連のみとすることにより、この扱いは廃止)ことと、関係があるのかもしれませんが、よくわかりません。

 また戸閉機についても、EG−136E装備車が、比較的前期の車輌にまとめられている反面、なぜ後期車の2493編成に1編成のみあるのか?、全車ステンレスドアの編成が、2本のみ(2469編成と2475編成)存在するが、その理由は?、など、謎が多いと言えます。

 2200系列の、2300形と2320形は、両開き2ドアセミクロスシート時代があり、その後片開き3ドアに改造された歴史があります。そのため、改造時に発生した両開きドアを、当時新製していた2400系に転用したということがあるかもしれないと考えましたが、窓ガラス寸法が異なっているように見え、どうもそれはなさそうです。

 経堂には、「小田急経堂教習所」があり、その建物の裏手の線路から見えるところに、デハ1406を利用した教習車がありました。これの車内に、2400系寸法と思われる鋼鉄製両開きドアが、1組教材として設置されていましたが、これがどこから発生した物か、あるいは新製なのか、その辺の事情も不明なままです。
 

画像

1982年まで
1983年から1985年まで
1986年
1987年から全廃まで
 

資料画像

デハ2400形パンタ台付近の画像

 デハ2400形のパンタ台付近。模型化の際の資料にどうぞ。避雷器はパンタの台枠に付くタイプ、手前のケーブルがつながっている箱はヒューズ箱です。その少しパンタよりの盛り上がりは、扇風機を天井にめり込ませたための出っ張り。パンタの向こう側にも見えますね。ランボードは、2600系以降の屋根一体形ではなく、木の板を取り付けたタイプです。

クハ2482号のFS-30X試験台車の画像

 クハ2482号は、小田急が熱心に研究していた、「強制振り子車輌」(カーブでバネの高低を変え、車体を強制的に内側へ倒すことにより、遠心力をうち消し、カーブを比較的高速で走行できる技術)の、初代試験車輌(戦前に廃車となったモニ1形の車体を利用した無番の車輌)から流用した試験用台車、FS−30Xを装備していました。外見上やや高さがあることと、ボルスターアンカーがFS−30よりも大きく、軸バネの形状が異なり二重バネになっていること、台車両端に四角い吊り金具?のようなものがあることなどが異なります。この試験は、やがて試作空気バネ式強制振り子台車FS−080をクハ1658に取り付けての試験へ発展。その後しばらく動きが途絶えていましたが、7000系ロマンスカーへの試作高位置空気バネ車体傾斜台車取り付け試験を経て、VSE50000系ロマンスカーへ、連接車への高位置空気バネ車体傾斜装置搭載という形で結実しています。


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※戸閉機の形式に関する参考文献:廣田尚敬・吉川文夫、ヤマケイ私鉄ハンドブック1「小田急」、山と渓谷社.1981.