この頃になると、箱根湯本にも大形車が入れるようになっていたので、もっぱら多摩線の運用が多くなっていました。それもだんだん新製能化された4000系などに追われることになるのですが…。新百合ヶ丘駅多摩線ホームで客待ちのクハ2487他4輌。この車の車号を切ったものを、一時所有しておりました。車体修理の際交換されたもののようです(入手時には、まだ廃車ではなかったので)。1986年冬。
珍しく首都圏に雪が降りました。走ってはいましたが、運用は乱れていたようです。この列車は前2600系+後ろ2400系ですが、あまりこの組み合わせは無かったような…。「箱根湯本/江ノ島」の表示を出していますが、前の6輌が箱根湯本行き、後ろの2400系が片瀬江ノ島行きと、関係が以前とは逆転しています。新百合ヶ丘駅、1986年冬。
当時多摩線は、主として2400系による運転でしたが、雪のために多少下りの急行が遅れたのか、発車待ちをしたらしく、本線をオーバークロスする多摩線高架上で、下り多摩センター行き2400(手前2467編成)と、上り新百合ヶ丘行き2400(向こう)が、顔合わせしてしまうことに。通常ですと、五月台駅ですれ違いでした。下り電車車内より。1986年冬、新百合ヶ丘−柿生間。
経堂駅のホーム山側にあった留置線に置かれた、2400系クハ2466?他4連。ちょうど真下がコンクリート張りになっていますが、ここは経堂工場があった時代、屋外のピット線になっており、ロマンスカーの台車抜きなどに利用されていたようです。床下点検用の穴もありましたが、砂利で埋められていました。さらに2400系のいる場所のずっと右側の本線との間あたりには、ターンテーブルが1960年代末まではあったらしく、井の頭線の新車1700形をここで方転したとか。現在この位置は、おそらく3・4番ホームの真下あたりになるかと思います。背後のビルは、2009年の現在でも健在です。1986年。
新百合ヶ丘駅は、比較的撮影が楽でしたが、露出が難しかった覚えが…。橋上駅舎があるため、車体に影がおちるのと、床下がつぶれ気味で…。しかし、今となってはそれも貴重な記録かもしれません。4番ホームに停車し、多摩センターまで折り返すクハ2473他4連。当時はまだ唐木田まで開通しておらず、「はるひ野」という駅もありませんでした。いまさらですが、2400系は、番号とOERのマークが、他の車輌のように窓下ではなく、戸袋窓下なのが特異的です。1986年夏。
同じホームで、ホーム上から下り方を撮影。これはもう秋から冬ですね。クハ2464他。新百合ヶ丘駅。1986年秋か冬。