小田急ED1012号電気機関車の謎

 小田急電鉄には、電気機関車が複数在籍していました。多摩川、相模川、酒匂川の砂利採取に伴い、それを貨物として東北沢や相武台前にあった集積所まで運ぶ貨物列車けん引や、工事列車、新車や入場車の輸送に使用するためです。
 このうち、
●ED1011号→小田原急行鉄道開通時に新製した1形電気機関車1号。のち、大東急時代にデキ1010形1011号に改番。
●ED1012号→同上2号。のち、大東急時代にデキ1010形1012号に改番。
 であり、1930年には2輌の電気機関車を増備、
●ED1021号→小田原急行鉄道が新製した101形電気機関車101号。のち、大東急時代にデキ1020形1021号に改番。
●ED1031号→同上201形電気機関車201号。のち、大東急時代にデキ1030形1031号に改番。
 …となっています。
 戦後はED1041の新製と、EB1051の車籍編入(専売公社より)がありましたが、一方で貨物輸送の減少に伴い、ED1021号が廃車され、岳南鉄道に譲渡(同社ED28 1号に)。ED1011号が廃車され、向ヶ丘遊園(現在閉園)に保存展示されるという動きがありました。
 形式は一貫して「デキ10XX形」ですが、現車の表記は「ED10XX」(またはEB1051)とされていました。

 各車輌とも、戦前・戦後・廃止直前まで、大きな改造や、形態の変化は無く、ATS取り付けに伴う車上子取り付け(EB1051のぞく)、列車無線取り付け(同)、尾灯の角形2灯化、パンタグラフの電車共通化程度が目立つくらいです。特にED1031号は、トフ104号とともに1990年代まで活躍し、小田急最後の電気機関車となったことで知られています。

 ところが、ここで重大な謎が発見されました。「小田急電車回顧 別巻」(多摩湖鉄道出版部発行)という本の、85ページによりますと、「1012号は、元の1011号である」と書かれています。これが正しいとすると、どの時点かで、1011号と1012号の車号がすり替わっていることになります。こんなことがあるものでしょうか?。
 実際のところ、国鉄などでは例が散見されます。救援車によく見られたのですが、改造や検査のために入場させた車輌より、廃車で入場してきた車輌の方が、状態が良かった等の理由で、書類上の車と、実際の車がすり替わる例です。例えばオエ70 38号は、もともとスニ73 21の改造でしたが、後にマニ60 77に振り替えられ、番号はそのままで車輌全体がすり替わっています。
 小田急電鉄において、ED1011←→ED1012の車号振り替えが行われたとすると、それはいったいいつの時点か?、理由は?、など気になるものですよね。それを雑誌などに掲載された写真を元にある程度推定してみます。
 識別のポイントとなるのは、
●後年ED1012を名乗り、デキ1010形としては長く在籍した車輌の、廃車時新宿方台枠は、衝突事故の後遺症で「へ」の字形に屈曲している(理由の解説は、「小田急電車回顧 別巻」の134ページによる)。
●1959年に、いかなる理由か、2輌とも方向転換している(パンタが小田原寄りから新宿寄りに)。
 …ということでしょうか。
 また別な謎としては、小田急の電気機関車は、EB1051が朱色であったのをのぞくと、一貫して茶色に塗られていました。1960年頃から、車体すそに黄色い帯が通されるようになった程度の変化はありますが、1978年頃は、一度黒色に黄色帯塗装になっていたと思われる時期があり、この理由も定かではありません。
 
 …というように、長く活躍した電気機関車ですので、いくつかの謎がある不思議な車輌と言えます。これらの謎について、資料と、私が撮影した写真から、出来る限りの解明を試みます。




 まずは、黒色塗装について。一部雑誌では、「褪色して黒く見えた時代があった」などという記述があった由に記憶しています(どの雑誌の何ページであったかは記憶にありませんので、現時点では不明です)。しかしそれは本当でしょうか?。茶色が褪色すると、紫色っぽくはなりますが、黒にはならないような気がします。実際のところどうだったのか?。写真を見てみましょう。

ED1012号電気機関車の画像です

 中学生時代の撮影なので、拙い写真ですが、どうでしょう?。床下のエアタンクが茶色味を帯びていますが、それとは明らかに違う黒に見えます。1978年5月。小田原駅にて。また、この画像では、画像中央部あたり、「OER」のマークのあるすぐ右下に、台枠が折れて継いだようなあとが見えます。これが衝突事故の跡でしょう。確かに台枠が変形(前下りに折れ曲がっている)しているのがわかりますね。

ED1012号電気機関車の画像です

 列車全体はこんな感じ。画像で見る限り、ED1012+国鉄ワム70000形+ワム80000形前期形×2+小田急トフ100形という編成であるのがわかりますが、隣の黒いワム70000形と、基本的に同じ色に見えます。

ED1012号電気機関車の画像です

 これは1984年3月19日に、開業時の旅客車輌モハ1形10号が復元され、新百合ヶ丘駅4番ホームで展示された際、大野工場から新百合ヶ丘まで同車をけん引してきたED1012の写真です。明らかに普通の茶色(国鉄のぶどう2号を少し明るくしたような色)に、黄色帯となっているのがわかります。
 これらにより、少なくとも1978年頃は、黒に黄色帯であったと考えられます。当時は黒い貨車が多かったので、それに合わせたのでしょうか?。ただ他のED1041やED1031が黒に塗装されていた記憶は無いので、試験的なものだったのかもしれません。
 同時代と思われる「黒塗装」のED1012の画像は、「ヤマケイ私鉄ハンドブック1小田急」の48ページで見ることが出来ます。やはり隣に連結されている国鉄の黒い貨車と同じ色に見えます。



 おまけ。1978年当時、列車の最後部に付いていたトフ100形108号です。

トフ108号の画像です

 2軸無蓋緩急車というのは、この時点で既に相鉄トフ400形と、小田急のみになっていたと記憶しています。屋根上にトルペード形ベンチレータがぽつんと載っていますが、本車の作られた1925年頃には、既に新規の採用例が無い時代だったはずなので、もしかすると木製客車用の部品流用なのかもしれませんね。それにしてもひどく狭い車掌室で、車内灯も無く、わずかなシートの前に手ブレーキがどーんと鎮座するという車内だったようです。これに乗務するのは、特に1970年代以降は、辛いものがあったように思えます。1978年5月。小田原駅にて。


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