2.表記の仕方について


 さて、ここからは、車号板の文字をどのように表記しているかに焦点をあてて見てみましょう。

A.アクリル板に彫刻
 いわゆる「掘り文字」と呼ばれるものです。3ミリか5ミリ厚のアクリル板に、彫刻機で文字列を彫刻し、塗料を差して文字を浮かび上がらせ、さらに背景を白く塗装したものです。文字の色はたいていが紺色ですが、一部に緑色やグレー、うす茶色などがあり、私鉄のものはさらにいろいろなものが存在します。
 ただ、国鉄・JRのものでも、表記は単一ではなく、いくつかの種類がありました。裏側の様子も案外異なります。

キハ40形の車号板画像

 東北地区用のキハ40形500番台の車号板。ごく普通に見られるアクリル彫刻です。裏側から裏文字で文字を掘り、紺色塗料を差して、さらに背景になる側(裏側)から白く塗装されています。3ミリ透明アクリル板。

キハ40形の車号板画像

 同じものの裏面。文字がへっこんでいるのがわかりますが、粘着テープが残っており、汚い感じです。

モハ112形の車号板画像です

 やや細身の文字ながら、同じような彫刻によるモハ112形2000番台の車号板。3ミリ透明アクリル板です。

モハ112形の車号板画像です

 裏側が変わっています。裏文字を彫刻し、そこに塗料が差してあるところまでは同じですが、背景になる白い部分の塗料が、文字にかかっていないという不思議なものです。透明アクリルをまず白く塗装し、そこに文字を彫刻し、紺色の塗料を差せば、このような形になる理屈ですが、実際にはどうやって作っているのでしょうね。文字列下のほうに、両面テープあとが残っているのがわかります。

サハ103形車号板の画像です

 これはJRになってからの更新車に取り付けられた、新しい字体のものです。それまでの「国鉄客貨車文字」に準拠した字体から、丸ゴシック風の字体に変化しているところが目を引きますが、新しくなったのは字体だけではありません。

サハ103形車号板の画像です

 裏側を見ると、全面的に紺色になっています。これは、透明アクリルを白く塗装し、そこに文字を彫刻、紺色の塗料を全面塗装すれば、このようになる理屈です。何かこのほうが作りやすい理由でもあるのでしょうか。

 参考までに、茶色文字のものをご覧に入れます。

モハ484形1000番台の茶色車号板画像

 珍しく透明で背景色が塗られていません。実車を見たことは無いのですが、壁の色に依存していたとは考えにくいので、おそらく後ろ側に白い別板を当てていたのではないかと思えます。文字の字体は、普通にJR字体なので、国鉄からJRに引き継がれ、リニューアルされた際に取り付けられたものと思われます。

モハ102形車号板の画像です

 白いアクリル板に、表から彫刻し、そこに紺色の塗料を差した「表堀」のタイプです。比較的初期の103系や14系客車などに見られるもので、キズが目立つためなのか、その後透明アクリルに裏堀に変化していきました。その点からすれば、過渡的な印象を持ちます。彫刻時の問題か、多少裏堀のものとは、字体が異なって見えるのも特徴です。

モハ102形車号板の画像です

 裏側は掘っていないので、平面なのが特徴です。全面的に黄色いゴム系接着剤で貼られていたようで、経年ではがれやすかったのではと推察します。一方、粘着材が効いていない部分が出来ないので、作りとしては合理的にも思えます。

B.デカールの利用
 デカールとは、プラモデルを趣味にしている方ですとおなじみのものかと思いますが、紙に特殊なシートがのった状態になっており、水につけるとのりが柔らかくなって、表面のシート部分の膜が浮き上がり、所定の場所に滑らせて置き、水気をぬぐい去るとシートが接着するというものを言います。この種のシートに、文字を印刷し、それをアクリル板に貼ることで、車号を表示させようというのが、「デカール文字タイプ」の作りです。このタイプは、ネジで止めると、素材の伸縮で不具合が生じやすいのか、基本的にほとんどが接着で取り付けるようになっているのが特徴(例外あり。下のオハフ50形を参照)です。
 主として、アクリル彫刻タイプの盗難・破損時に、代わりに取り付ける場合や、改造などで車号が変化したり、壁面の構造が変わって、元のものが使えなくなった場合の当面の代用品として使われることが多いようです。しかし、稀ではありますが、事業用車などで、新製時からこれを取り付けていたと思われるものがあります。デカールは1文字ずつ変えられるので、数字と形式の文字を用意しておけば、どのような車号もすぐに作れるという利点があります。

デカール文字車号板の画像です

 オハフ50形と103系、301系のいずれもデカール文字のものです。表側の見た目は、一見アクリル彫刻のものと変わりませんが、一文字ずつ貼るので、文字間隔が微妙にまちまちになる特徴があります。厚さも3ミリか5ミリの透明アクリル板。オハフ50形212号のものには、ネジ穴がありますが、たまたま壁面のネジ穴を利用できたため、粘着テープと併用したものと考えられます。しかしネジ穴があるのは、このタイプではかなり例外的です。

デカール文字車号板の画像です

 上のモハ102−692のもののアップ。文字の回りを囲うように、わずかな白い筋が見えます。この部分から内側がデカールなのです。つまり紺色の文字部分の回りに、少し透明な余白があるということです。

デカール文字車号板の画像です

 裏側。このように全体が平面になるのが特徴です。下のものは、一見文字の部分が掘られているように見えますが、粘着テープの経年変化で文字が浮き出たに過ぎず、これは彫刻ではありません。いずれも全面的に粘着材が貼られているのがわかるかと思います。

デカール文字車号板の画像です

 変わり種としては、このように表側にデカールを貼った例も存在します。これは半透明白色アクリル板の表側に、デカールを貼って車号を表示したもので、かなり少数派と言えます。113系などに稀に見られますが、おそらく壁に直接書かれていた車輌で、壁の塗装更新の度に、文字を記入し直す手間を省くために、工場で製作して貼り付けたと思われます。デカールは薄い膜なので、キズに弱いという問題があり、あまり表側から貼るのに向く素材とは思えませんね。本品も結構キズが付いています。

C.シールの利用
 シールを利用した車号表記が、最近急速に普及しています。印刷や粘着材の技術が進歩したため、プラスチック系の素材をシールとして使用し、車輌の寿命(または表記する箇所の寿命)まで剥離の心配が無くなったことが、普及の理由と考えられますが、それ以外にも、従来形の車号板に、シールを貼り付けたタイプなどが、国鉄がJRになったあたりから、亜種として発生しています。またそれ以前にも、アルミテープのような素材に、車号を印刷して貼り付けていた時代または箇所が存在しました。

クハ115形運転室内車号板の画像

 これは運転室内の曲面に貼られた車号シールを、適当な板に貼り直したものです。アルミテープに印刷と考えられます。廃車からはがされて販売されたもの。近郊形車輌の運転室内は、車号板を取り付けるのに適当な空間が少なく、運転台付き車を中間に組み込んだ際は、貫通路を使用するため、貫通路上などの平面的な壁面にも取り付けられないため、運転台の直上にこのようなシールを貼っていました。おそらく急行形も同じと思いますが、変わったところでは、旧形国電72系の車体新製による近郊形化改造車62系の運転室内でも、このようなものが貼られていました。
 記録によれば、キハ58系などで、客室内の車号表記も、一時期の車輌では本品と同様なシールとしたとの記述が見られます。国鉄では特急形車輌を別にすれば、急行形以下の車輌で、おおよそ壁にじか書き→銀色シールまたは表堀アクリル板→裏掘アクリル板という、時代の流れが読みとれる気がします。

クハ183形車号板の画像です

 クハ183−1500番台の、盗難補充用と思われる「一部シール」の車号板です。この車号板は、もちろん実際に使われていたものですが、「クハ183−」と、「1502」の部分で、字体と色が異なることがわかります。もう少しアップで見てみます。

クハ183形車号板の画像です

 「183」までが普通の「国鉄客貨車文字」に準拠しているのに対し、「1502」という車号部分は「角ゴシック風」文字になっており、ここの部分がシールなのです。千葉地区の車輌で、特に盗難がひどかったのか、このような形式とハイフンのみ印刷またはデカールとしたシールと板を準備しておき、それに車号をシールで貼って補充したと考えられます。本品は薄手の白色アクリル板に印刷+シールに見えます。

シール貼り車号板予備品の画像です

 これらは、実際に使用されたことがあるのかどうか、筆者は実見していないので、今一つ確証が無いのですが、一応盗難・破損補充品用と思われる、形式のみが印刷されたタイプの車号板シール未使用品です。本品は工場イベントで販売されたもののようですが、形式の車輌が全て廃車となったため、放出されたものと考えられます。さすがにイベントのためだけに、ここまで精巧なレプリカを、工場が作ることは考えにくいです。これを適当な台板に貼り付け、さらに車号のシールを貼れば、代用品の車号板が出来上がります(ただ、銀色のものは、実際に車号板として使用する目的だったのか、他に例が無いのでなんとも言えません)。
 なお、これらは部品店や個人がレプリカを差して言う、「工場予備品」というものに本来該当する唯一の例かと思います(「工場予備品」と言われるような、完成した予備の車号板は実在しない話については、この後の項目でもう少し詳しく取り上げます)。
 なお、印刷文字というのは比較的珍しく、本来は今後主流の番号板様式になるかと思われましたが、車号板と銘板を、全てシールとしてしまう流れが出来つつあるために、一時の輝きに終わりそうです。

モハ113形の車号板画像です

 さらに仰天の仕様が発見されました。これは形式のみ裏から印刷(と思われる)としたアクリル板に、「−」と、「1516」という車号を、表から透明シール貼りとした世にも稀なる車号板です。これも「モハ113」とのみ印刷した従来仕様のアクリル板を作成しておき、盗難などがあれば、その都度所定のシールから番号を選んで貼り付け、補充品としたと考えられます。全く「泥棒対応仕様」とでも言いましょうか。大井工場か幕張電車区で作成したものと考えられますが、このように「デカールタイプ」に似た仕様のものは、113系以外では今のところ見つかっていません。

モハ112−1043号の車号板画像

 さらに亜種とも言うべき、「モハ112−」の文字部分が、「表からのデカール貼り」で、それにシールで車号を表示したタイプ。上のものは「裏から」の印刷またはデカールでしたが、本品は「表から」という点が異なります。

モハ112−1043号の車号板画像

 各文字の下に影が出ていることからしても、また「モ」の字や最初の「1」にキズがあることからしても、これは表からデカールを貼っていると思われます。こうしてまで盗難に備えなければならなかった事情には、全く怒りを禁じ得ません。

 なお、内部関係者の話として、幕張の113系解体時に発見された例では、上の形のアクリル板同様形式のみ印刷し、ハイフンと番号部分を「ペイントマーカーで上手に手書き」としたもの、「油性サインペンで殴り書き」のものすらあったとのことです。特に後者などは、整備担当者の怒りがそのまま表されたようなものとも思えますね。
 このように、各社とも盗難には神経をとがらせ(当たり前ですが…)、対処法の一つとして以下のような「全面シールタイプ」とでも呼ぶべきものが登場したのだと考えられます。

山手線E231系500番台の壁面の画像

 これは山手線で活躍するJR東日本E231系500番台、モハE230−552号の壁面。車号だけでなく、銘板もシールの中に取り込んでしまって、強固に固定することで、盗難や破損に対処しようという姿勢が感じられるものになりました。しかし、画像ではわかりませんが、現物をよく見ると形式と車号部分は、シールの上に番号シールを貼った形になっています。つまり銘板にあたる「8(号車)・禁煙マーク・JR東日本新津車輌製作所平成 年」という部分と背景だけを印刷したシールを大量に作っておき、それに年号と形式・車号部分のみ、さらに上からシール貼りして、最終的に壁に貼ってあるのです。未確認なのですが、号車札部分も別シールかもしれません。
 車号は、事故や故障の時に特定しなくてはならないので、車号板が欠落していると大変困るため、このような措置になったのだと考えられます(おそらく省令で規定されている?)。

小田急新4000系壁面の画像

 小田急電鉄の新4000系は、JR東日本E233系の共通設計車です。3000系までは、アクリル板による車号板を長く採用してきた小田急も、地下鉄乗り入れ車兼用の新4000系では、JR東日本の209系・E231系・E233系と同じようなシール貼りになってしまいました。やはり同様に銘板も組み込まれています。趣味的にはつまらなくなりましたが、確実性という点では致し方ないのかもしれませんね。

例外:改番時上から塗装
 その後入手したものから、驚きの仕様が発見されました。
 すでに伊豆急譲渡の113/115系では例があったのですが、それよりずっと前に、「改番したけれど、元の車号板を利用してそのまま上から書き直し」という、ある意味合理的でびっくり、という仕様のものです。

スハ43 503の車号板画像

 スハ43形503号の車号板です。本車は元の番号はスハ43 324でした。それが北海道へ転用される際に、耐寒改造がなされ、500番台とされました。そのためにスハ43 503と改番されたのです。一見違和感が無いようにも見えますが、よく見ると、503の下にうっすらと324の文字が見えます。これはいったいどうなっているのか。

スハ43 503の車号板画像

 アップにしてみますと、元の番号の上(表側)から「503」の文字を書いてあるようです。しかし、元の番号324も完全には消えておらず、うっすら青みがかった文字の形が残っています。

スハ43 503の車号板画像

 裏面を見ますと、全体が掘り文字であり、裏から見る限りではスハ43 324になっています。しかし、324のところは塗り直したような跡が見えます。つまり本品は、一度壁から取り外し、「324」の部分の塗装を可能な限り落とし、白く塗装し直し、表側から「503」の文字を紺色で書いたという流れのようです。それを再度壁に取り付けたのではないでしょうか。
 なお、スハ43形はもともと壁に直接書き込む方法で、車号を記入していたはずですが、本車は近代化改造の際などにアクリル掘り文字のものをわざわざ製作し、取り付けたと思われます。おそらく壁材が木材からデコラ板に変わったためではないかと思われますが、詳細はわかりません。
 さらに、スハ43形の500番台(耐寒形)は、元からあるスハ43形0番台のうちのオハ46形に編入されなかったグループで、500番付近に付番されたものが残存していたため、それとの混同を避けるため、700番台に再改番されたので、本車は703号になっています。おそらく本品は、500番台から700番台に再改番される際に取り外されて発生したものと思われます。


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