2004年6月5日臨時増刊号

コメットさん☆に捧ぐ<3>

 コメットさん☆に捧ぐ(連載第3回)

(前号からの続き)
<舞台が鎌倉であること>
 「コメットさん☆」が、神奈川県鎌倉市を舞台にしていることは、既に書いた。実際に作品中には、江ノ島電鉄を始め、駅周辺、段葛(だんかずら)、若宮大路、切り通し、小町通り、江ノ島、七里ヶ浜の海岸といった、実在する場所やものが、多く登場する。それらは細かい場所すら特定できるものがほとんどで、現在鎌倉に行ってみれば、「コメットさん☆」の面影を追うことができてしまうほどである。
 このように、テレビアニメにおいて、特定の市や場所を、明確に舞台として描いた作品は、いままでほとんど無かったと言ってよい。この鎌倉という場所の特定と、それが作品をどのように導いたのかを考えると、そこには意外な関係があると思える。
 鎌倉のイメージとはどんなものか。海があり、山があり、自然と人間の生活が渾然一体となっている。そして歴史の古い昔の都であり、古寺も多い。それでいて、多くの文人が昔から住み、生活環境も悪くない。それは比較的都市に近いところにありながら、自然の風景が至る所に残っている、歴史的なバックボーンを持った町であるということである。
 このことが、「星力」という、本来は非現実的な魔法力に、不思議と融合しているように見えるのだ。これはかなり新鮮な感覚である。
 なぜ星力と鎌倉の自然が、違和感無く融合しているように見えるのか。
 「星力」というものは、星のもつ力、いわば星という「人智を越えた」存在から授けられる力であり、一方自然の力とか、姿といったものも、また人の手の及ぶところではない。いずれも人の手が及ばないという共通性が、一見全く異なるはずの二つの「力」を、あたかも結びつけているように見える、つまり鎌倉という古都に残る自然が、魔法じみたものまで内包していそうに見えるから、ではないか。
 またコメットさん☆も、突き詰めて考えれば、星力が「あれば使える」としても、その限界や、日々の感情の錯綜に悩みがちな、一人の人間として描かれることが、どこか人と自然がそこそこ調和した鎌倉という土地に、なじむように思える。

<魔法の特異性>
 コメットさん☆が使う魔法は、「星力」という、星の子たちから転送される力(パワー)である。コメットさん☆自身は、魔法を制御し使う能力を持ってはいるが、その体から、魔法力がわき出すわけではない。いわば電車とSLの関係に似ていると言える。電車はモーターに流す電流を作る、発電所がないと動かない。自らは動力発生機関を持たないからだ。一方SLは、釜を焚けば、それ自体が動力機関だから、走ることができる。コメットさん☆は電車のようなものであり、今までの「魔法少女」たちは、SLのようなものであると言える。魔法を走ることに例えれば、結局両方とも同じように走ることができるものの、その原動力を他に依存しているか、自分の中に内在しているかで、根本的に違うということである。
 この点は、今までの「魔法少女」とは、一線を画するものであると言っていいと思う。
 今までの魔法少女のほとんどは、宇宙人の場合は特に、生まれたときから魔法力を、DNA的に持っており、それを自在に操って何らかの目的を達するものであった。また地球人が何かの作用によって、魔法を身につけるという設定の作品も多くあったが、これも誰かから力を補給されるのではなく、いつでもどこでも使えて、おおむね恒久的に持っている能力となっていた。
 この点、「星力」は集めて保持しておかなければならないこと、非常に数量的で、あたかも携帯電話のバッテリーのように、ある程度以上補充されていないと、「足りないから使えない」ということになるところが、極めて特異的に映る。これは特筆すべき、この作品の特徴と言えるだろう。
 努力して、星の子の協力を得ないと、その力を使えないという点は、実に興味深い。
 また忘れてならないのは、1度だけであるものの、地球人である剛くんが、星力を使うシーンがあることである。なんと特別な能力のない地球人でも、使用可能というのは、今までのアニメ作品を探しても、おそらくないのではあるまいか?。作品中では、コメットさん☆に代わって、コメットさん☆のバトンを握りしめた剛くんが、コメットさん☆の呪文を唱和し、同じようにバトンを振って「星力」を使う。このことは主役が主役でありながら、星力という魔法力の「伝達者」に過ぎないという点で、新鮮な驚きをもって受けとめられる。また「星力」の本質を考える上で、重要なポイントであるとも言える。
 それとコメットさん☆が使う「星力」と、普通の人が持っている力、それは「望みをかなえようとする力」、「努力して目標に近づこうとする力」などに代表されるのだが、その2種類の力のせめぎ合いも、多少はあるものの、あくまでメインは、後者にあって、前者(星力)は、その手助けをするに過ぎないという立場も、意外に新しい感覚なのではないか。
 このように、「コメットさん☆」という作品中での魔法の扱いは、これまでの作品とは大いに異なっており、これらのことがこの作品の独自色を、より鮮明にしていると考えられる。

<意外に狭い作品世界>
 この作品は、ストーリー的に大きく3つの時期に分けられる。1つはコメットさん☆が地球での生活を始めて、様々な縁によって、いろいろな人々と出会い、理解を深める前期、次いで「恋力」に目覚め、叔母の助言を受けながら、思春期の入り口に本格的に立つ中期、そして王子探しに終止符を打つまでの終期、である。
 しかし、終期の星国はともかくとしても、終始全体に渡って作品中で話が展開するのは、ほとんど鎌倉とその周辺地域である。せいぜい横浜や、八ヶ岳山麓が出てくるくらいで、星の力を使うというようなスケールからすると、意外なほど近所で話が進む。
 これは、コメットさん☆という存在を、視聴者と密接な関係にするには、役に立っている設定であると考えられるが、そのやや地味な印象には、ちょっと驚かされる。この点もまた、今までの「魔法少女」アニメの世界とは、大きく異なる路線だと思われる。このことは、鎌倉という場所のリアリティにも関連があるのだが。

<星力の限界>
 魔法少女における魔法とは、かつてほとんど「将来なりたいものに関する夢をかなえる」魔法であった。しかしこれも主として90年代から変化が始まり、制作者集団の中でも、いろいろなとらえ方がされるようになっている。
 この「コメットさん☆」における魔法は、上にも書いたとおり「星力」であるが、これが量的なものとして語られ、さらに補充されていないと使えないなどの新機軸については、既に触れた。
 一つ付け加えるならば、星力には、「限界がある」こと、および星力とともに「人にも限界がある、時には越えられない壁もある」ということを、視聴者が容易に認識できるようになっているのが、今までの「魔法絶対主義」の作品とやや異なる点である。
 今までの作品では、魔法でどうにもならないことは、あまりない、もしくはそれに触れないことが多かったのであるが、この「コメットさん☆」では、コメットさん☆という一人の「星力使い」自身すらも、時に星力の限界に悩み、それでいて、「努力」があれば、その向こうの未来の可能性までは、否定していないことが、当たり前のことながら、目新しく映る。
 その意味では、主人公がこれまでの作品と比べて、より視聴者である人々に、近くなっていると言えるであろう。
 星力ではどうにもならなくても、努力を続ければ、やがていつかはブレークスルーできるかも…という希望をつなぐということである。このことは、「星力」が本当にコメットさん☆をはじめとする、「星人(ほしびと)」だけのものなのか?という疑問にも、いずれつながってゆく(これについては別の章で、再度検討したい)。

<鉄路が結ぶ星国と鎌倉>
 星国と鎌倉を往復するのに使われるのは、「星のトレイン」という特別列車である。長さおおよそ20メートル弱の、短い列車であるが、ここにもこの作品のもつ興味深い思想性があるのではないか。
 星と星を旅する装置としての列車は、かつて話題作となった、松本零二氏原作のSFアニメ「銀河鉄道999」で確立された感がある。この作品では、生きている肉体を捨て、不老不死の機械の体を得るために、乗車する人々が、郷愁を覚えるため…とされていたと記憶する。
 では「コメットさん☆」においての星間飛行体として、なぜ列車である意味があったのだろうか。コメットさん☆や王、王妃の郷愁のためか?。もちろんそれは違う。
 この「コメットさん☆」においては、江ノ島電鉄も、時に重要な役割を果たしている。作品中何度か、江ノ電の電車が登場し、コメットさん☆も乗車するが、そこでの江ノ電の役割は、あくまでご近所の生活を乗せて走る輸送機関である。コメットさん☆が「社会勉強」の過程で、何度か乗車するわけである。ところがコメットさん☆が地球に来るとき、帰る時、両方とも江ノ電の線路が使われる。この部分の詳細な理由は、作品の中で特に語られることはないので、よくわからない部分もあるのだが、おそらくレールというものが、国内のあらゆる都市を結んでおり、外国に行けば国境すら越えている。その連続性が、星国と地球の鎌倉とを結ぶ「絆」としても機能しうると、制作者が判断したからではないかと、私は思っている。
 本来、レールが結ぶ彼方には、故郷があり、出張先があり、仕事場があり、行楽地がある。レールというものが、実体を持って、あらゆる地域を確実に結んでいる。そこには全て必ず「人のつながり」があり、社会と社会、人と人が結ばれている。そのことが、この作品のテーマの一つである「縁と絆」に、深く関係するのではないだろうか。
 星国に帰るとき、様々な人々との別れの寂しさに、泣いていたコメットさん☆は、星のトレインの車窓に、故郷である星国の近くの「星の子」が見え始めると、ようやくちょっと微笑む。このシーンは、鉄道が遠く離れた故郷や人を結び、そのうつりゆく車窓と、過ぎていく時間の中で、人の心持ちも変わりゆくという、列車の窓が持つ不思議な力を、象徴的に描いているようにも思える。
 ところで、鎌倉にはJR横須賀線も走っている。星のトレインは、なぜJRの鎌倉駅ではなく、江ノ電の鎌倉駅に出入りするのか?。
 これはおそらく江ノ電が、地方鉄道でありながら、道路のかわりになっているようなところを走ったり、路面を走行する区間があったり、人家の門前や軒先を、かすめて走るような場所がたくさんあったりという、「生活密着形」路線としての性格と、路線の地理条件を持っており、「コメットさん☆」の作品世界が、意外に狭いことと、そうしたライト・レールウェイとしての江ノ電の姿が、イメージ的に調和するからではないのだろうか。
(以下次号)→続きを読む

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