2004年9月24日号

鈍感表現の愚<1>

  鈍感表現の愚<1>
 

 最近、「コメットさん☆」というアニメが、ちょっと“マイ・ブーム”である。といっても、この作品は、既にテレビ放映が終わってから、2年以上たつので、ごく最近のものではないのだが、今はDVDなどというものもあるわけで、それで視聴したあげく、そのテーマが深遠なことに驚いた話は、前にも6月に書いた。
 詳しいストーリーなどは、再度書いても仕方がないので省略するが、普通のアニメ作品と違うのは、舞台が鎌倉市と特定されていることと、深遠なテーマを含んでいるのに、全体にさらりとストレートに描かれていて、あまり教訓的でないこと、また全体に「急いで物事を決める」ようなことを、求めていないこと、であろうか。
 そういう作品だし、本来はファミリー向けだから、色恋沙汰のようなものはほとんどなく、わずかに主人公のコメットさん☆という少女と、近所の男の子との、恋愛とまでは言えないような、昔の少年少女にありがちだった、互いに意識する関係のようなものが、レトロチックに描かれるに過ぎない。
 さて、こういう作品が、大人であるのにお気に入りになってしまった場合、どうするのか?ということは、案外問題である。
 たいていそれは、キャラクターに「ハマって」しまったとかいう言い方をするのだが、要するに、二次元の“人物”が「気に入って」しまったというようなことである。そういうことなので、その作品なり、キャラクターに感情移入するというのは、必然である一方、相手が二次元であるだけに、いろいろ難しいことになる。
 そこは、歌手のだれそれが好きだとか、俳優のだれかにファンレターを出したとかいうのとは、全く異なる事情ということだ。
 するとファンの連中はどうするのか?。たいていそういう場合、今もそうかもしれないが、かつては「同人誌」などというものを作って、誌上で議論を繰り返したり、イラストなどを載せて、人に見せたりしたものである。そうでもしないではいられない、というべきであろうか。
 ところが最近は、インターネットの環境が、急速に整ったこともあり、「ホームページを立て」て、そこに作品に対する、あるいはキャラクターに対する「愛」を語ってしまうという状況も、まま見られるようになってきた。
 …というと、いかにも分析的で、あたかも「高みの見物」のように聞こえるが、かく言う私も、まあ同じようなものである。「コメットさん☆」と、「怪盗セイント・テール」に関するページや、鉄道のページ、猫の写真に至るまで、さまざまなコンテンツを日夜、「世界配信」し続けているのは、周知の事実なのだから。
 それで、そういうページをあれこれ作っていると、他の人の同じようなテーマのページも、のぞきたくなるというのが、まあ人情であろう。
 私としては、人のページには、それほど関心はないが、新聞の投書欄を見るかのごとく、ちらちらとは、のぞいてみることもある。また既に知り合いになっているページは、もっと真剣に、しょっちゅうのぞきに行くことになる。このあたりは、まあ普通のネットワーカーではないかと思うのだが。
 
 そんなネットワーカーしている私だが、先頃、目玉が腐り落ちるかというようなページに、出会ってしまった。
 アニメに関するページに比較的多いのが、オリジナルのストーリーを考えるというパターンである。まあ小説や、ドラマでも、その後日談を考えるのは、人間の思考としては自然なことだし、そのこと自体結構面白いと思うので、特に違和感のあることだとは思えない。むしろ、作品で語られなかったことは、ファンの想像にゆだねられていいと思うし、ファンの自由裁量ではあると思う。
 ただそれはそうだが、許容限界というのもあろうかとは思う。そのキャラクターの話として書く意味がなくなってしまう「ライン」というのが、やはり存在すると思うからだ。
 例えばそれは、最近話題のドラマとして、「世界の中心で愛を叫ぶ」というのがあったが、それの中心的ストーリーは、白血病になった少女が、徐々に弱っていき、最後に死ぬという話から、それが縁になって…というようなものである。これの後日談をファンが考えるのはいいが、その前提として、やはり白血病の少女が死ぬあたりは、動かせないと思うわけである。それを、白血病で死んだあと、サイボーグとしてよみがえる…というように、ファンが考えてしまうのも、自由は自由かもしれないが、それでは、このドラマの登場人物を用いる必然がなくなってしまうし、作品世界の設定そのものの根幹がゆらいでしまう。結局誰でも、どこでも、どうでもいいということに、なってしまうのではないか?。
 そう考えると、ファンの考える「オリジナル・アフターストーリー」も、必然的に限界があって、それを越える設定や、書き方は、あまりおすすめできない、もしくはしない方が、人に強い違和感を感じさせないだけマシだということになる。
 話を「コメットさん☆」に戻そう。アニメ「コメットさん☆」が、マイ・ブームであり、それが放送作品としては、ファミリー向けだから、恋愛の濃厚なのは描かれないという意味のことは、既に上に書いたとおりである。ところが…。 
 その「目が腐り落ちそうな」、ページの中に書かれていたのは、「小説」と称するものであった。以下に少し引用をさせていただこう。曰く…、
「あのひとの、ところまで」
「同居が始まってから」
「気づかれないように息を殺して、きしり、とベッドに膝を乗せる」
「指先が甘く痺れる」
「自分の感触とは全然違う。『男の子』の手触り」
「触れているところから伝わってくる、規則正しい鼓動」
「微かに上下する身体。ぬくもり」
「身体を寄せ合って午後の眠りにつく日が来るのだろうか」
 …どうであろうか。これはもう「成人向け」の内容に聞こえないだろうか…。
 無論これは、一部をわずかに引用したに過ぎない。これを書いた人の名誉のために証言しておくが、全編これで埋めつくされているとも言えない。しかし、元の「コメットさん☆」の作品世界を考えると、やはりこれだけで十分、目は腐り落ちそうである。
 この「小説」なるものを書いたのは、女性だそうである。こういうのが、「女性の感性」なのか?。それはどうも違うような…。
(以下次号)→続きを読む

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