今さらながらの「言葉の暴力」<1>
言葉というのものが、時に暴力か、それ以上の力を持つことがある、というのは、既に周知の事実である。
例を変えていえば、ちょっとした行き違いや、勘違いで、人を殺すかどうかみたいな憎悪の感情を持ってしまい、それが事件につながってしまうということすらある。
長崎で起こった、小学生が、友人だったはずの同級生を、殺害した事件も、はじめはちょっとした、ネットのチャットでの、言葉が過ぎた程度のことから始まっている。
人の傷つくことを言ったり、書いて読ませてしまったり…というのは、多かれ少なかれ、誰でも経験があるだろう。そういう私だって、小学生の時に、片親の友人を傷つける発言をしたとか、「言い過ぎの発言」というのは、しばしばあったと思える。最近でも、なかったとまでは言い難いだろう。
大人になった今、そんなことでは困るのだが、個人と個人のやりとりならば、まだ訂正のしようがあることもあるし、謝ればすむこともある。しかしまずい表現をしてしまう側が、公的機関や、公の組織ということになると、その不快度は倍加するかもしれないし、取り返しがつかない、あるいは、信用回復に相当な時間を要することにもなりかねない。無論、個人対個人でも、そういうことはありうるけれど…。
うちの母親は、物書きだから、その種の団体に所属している。そこは所定の推薦人がないと入れない、きちんとした団体である。そこからある日、封筒が届いた。
郵便物の仕訳は、いろいろ届くものはあるので、私の仕事なのだが、その団体から来た封筒を見て、私はちょっとぎょっとした。その封筒には、宛名の他に、「長寿会員」という、赤いハンコが押してあったのだ。
よく冊子小包や、書留などを郵便局で頼むと、四角い赤いハンコを、封筒などの表面に、局員の人が押してくれる。
「長寿会員」のハンコは、あたかもそれらのように、四角く赤で押されていた。これは、ちょっと考えると、もらった側からすれば、けっこう不快なのではあるまいか。
案の定、母はこれに怒り、私はしばらく文句を聞かされた。
確かに、「長寿」とは、長生きしている、という意味である。しかしそれは、現役で働いている人に向かって、言う言葉なのだろうか。最近は元気な高齢者など、珍しくもない。80歳の現役医師だって、探せば普通にいるものである。その人に向かって、「ご長寿ですね」とか、「先生、長生きですね」とは、面と向かって言いにくいのではあるまいか?。
この「長寿会員」というのは、やはりどう考えても、普通の会員よりは「まだ死なないでいる会員」というように聞こえる。こう書くと、それは勘ぐりすぎ、と思う人もいるかもしれないが、長寿という言葉そのものが、平均寿命よりは、比較的長生きしていることを示しているのだから、意味として長寿=長生き=もっと言えば、今だ死なないでいる人、というようにも聞こえてしまうのだ。
ここには、「元気で長生きしている」か、「寝付いているか」などということは関係ない。長寿そのものの「おめでたい」言葉の雰囲気は、そのあとに「会員」と書いて、通して読んでみると、やはり消滅してしまうような気がする。
それと、もう一つ非常に違和感を覚えるのは、これが「物書きの団体」からの封筒に押されていたハンコであるということだ。
物書きという仕事、あるいはそういう立場の人は、言葉をなりわいにしているわけで、言葉によって生き、言葉を書いて人に意見やメッセージを伝え、言葉によりどころをもって、大事にしようと思っているはずである。もちろん日々、四六時中そう思っているわけでもないだろうが、まあ意識としてはそう、ということであろう。その物書きが多数加盟しているのだろう団体が、こういう無神経なことを、意外と深い意識を持たずに表現してしまうことには、ちょっと違和感を覚えざるを得ない。これこそ、言葉の暴力に当たるものではないのか。よりにもよって、それを「物書きの団体」が書き表すとは…。
前に携帯電話会社が、コミニュケーション企業であるにもかかわらず、いとも簡単に「督促状」を出す無神経を書いたが、この「暴言」は、意外にもそれ以上なのでは?と思う。
高齢者に対しての失礼な表記というのは、何も「長寿会員」に留まらない。
先日とある週刊誌を読んでいたら、ある人の記事に、「私はあまり好きな言い方ではないが、75歳以降の後期高齢者は…」とある。むむ、これはまた、聞き捨てならないような言い方だ。うちの母親は現役だが、この「後期高齢者」の範疇に入る。それでまた、母は怒り心頭なのであるが、記事をよく読んでみると、内容からして、この記事を書いた人が言っているのではない。そこでいったいどういうところから、そのような「後期高齢者」なる言葉が出てきたのか、ちょっといろいろ調べてみたら…。案の定、厚生労働省筋が、区分けに使う言葉らしいのだ。
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