ロケ地訪問流行を追う<1>
最近、韓国のドラマが爆発的に流行したせいか、ドラマ、映画、アニメなどで、撮影・参考にされた場所へ、実際に行ってみるということが、どうやら流行っているらしい。
現に、「ロケ地訪問」で、インターネット検索をかけると、2170件ものページがひっかかる。これが全て、特定作品のファンの人々が、制作したホームページということではないけれど、世の中の関心は非常に高いと言っていいだろう。
これに出版社が目を付けないはずもなく、ロケ地訪問ガイド本の類が、種々発行されており、またそのようなロケが行われた場所を、ガイドつきで訪問するツアーも、大変盛況なようである。
この中でも特筆されるのが、結構いい年の男女が、このようなロケ地訪問、ロケ地の探索に夢中になっていることと、アニメでも、明確に舞台になる場所を、その設定に取り入れた作品の出現と、その展開である。
「冬のソナタ」という、韓国ドラマが、日本で放送されるや、私にはよくわからないのだが、大人気となり、熟年の人々がその内容に陶酔しているという。私の近所に住んでいる、初老リタイヤ夫婦も、どうもハマっているらしい。やっぱり韓国の、舞台となったところに行ってみたいですか?と聞けば、行ってみたい、と言う。
熟年世代は、お金もそこそこ、人によってはたくさんあるだろうし、あまり他に感情移入するべきものも、ないのかもしれないから、夫婦で、あるいは片方だけでも、ハマれるものがあるというのは、好ましいことなのだろうと思う。子どもはとっくの昔に独立し、孫すらも大きくなって、「かわいい」という年齢ではなくなる。すると、孫の写真を、そこらの人に見せて回って迷惑がられるという歳でもないのだろうし、そうそう熱中できるものが、これから見つかる世代でもないだろう。かく言う私も、だんだんそういう歳の声を聞く世代に、片足突っ込んでいるようなものだが…。
そういう秋風が心に吹いているようなとき、その人たちにすれば「感傷的、感動的」なストーリーに出会い、そのゆかりの場所に行く財力も、暇もあり、かつツアーなんぞがあれば、それはもうそこの場所を見てみたい、自分をそこに重ね合わせたい…と思うのは、まあ人情かもしれない。
一方、アニメがどこか実在の場所を、定常的にそのストーリー進行の上で、舞台に設定したのは、「オリジナルビデオアニメ」(連続テレビ放送を前提とせず、ある程度自由なテーマ、スタイル、対象年齢で作られたアニメ作品)としては、「究極超人あーる」という作品が、テレビアニメとしては「コメットさん☆」が、その嚆矢であると考えられる。これらの作品が、世に現れてから、のちに作られる少なくない作品で、明確な実在の場所が、アニメであっても「ロケ地」として使われるようになった。
「究極超人あーる」では、国鉄(当時)飯田線の駅などが出てくるという。「コメットさん☆」は、鎌倉市が舞台だ。このうち、私がよく知っているのは、「コメットさん☆」であるが、この作品は、テレビ放送が終了してから、既に4年近くがたつのにもかかわらず、現在でも、鎌倉市に行けば、様々な場所を、作品に描かれたままに、見ることができる。
これらのことが何を意味するか。最近のアニメは、「絵で描かれるもの」であるにもかかわらず、「ロケ地訪問」が可能、ということである。これはちょっと、私が学生の頃、アニメ評論誌を出して、ああだこうだと、友人同士言い合っていた頃には、考えられもしなかったことと言える。
昔から、映画のワンシーンを、自分でその舞台に行ってみて、俳優と同じようにしてみるという程度のことは、割と普通にあったらしい。
よく私のところに配信されてくる、アメリカ・ニューヨークにある、海外版DVD通販会社の、メールマガジンによると、「ティファニーで朝食を」という映画があるが、その舞台となったニューヨークの「ティファニー」に行き、その主役、オードリ・ヘップバーンと同じ格好をして、映画のシーンをまねてみる女性は、映画公開直後から、今に至るまでたくさんいたのだそうだ。
近年のものとしては、映画「タイタニック」で、主役のカップルのまねをして、船の舳先へ行って、女性が両手を広げ、それを男性が支えるといったような光景が、よく見られたのは、記憶にも新しいのではないか。
このように、映画やドラマ、それにアニメの中のシーンと、同じような場所に行ってみたい、そして、場合によっては同じまねをしてみたいという想いは、アニメはともかく、結構昔からあったのだ、と言えるのだろう。それが、様々なメディアの発達によって、より顕在化してきた状況というのが、今日(こんにち)なのかもしれない。
(次回に続く)→続きを読む |