2006年1月30日号

世田谷ボロ市の変質<1>

  世田谷ボロ市の変質<1>
 

 世田谷区が「400年の伝統」と豪語している、「世田谷ボロ市」。もともとは、農家が農閑期に、ボロを持ち寄って交換したことから、その名が付いたと言われている市である。最近はテレビでも紹介され、知名度は、年々上昇していると言っていい。
 市は、江戸時代から、現代にずっと続いて、今では普通のリサイクル市か、骨董市のようになって久しいようだ。毎年1月と12月の、曜日を指定せず15日と16日、つまり年4日間開かれる。冬の12月と1月に、連続して開かれるというところが、由来を表していて、珍しいかもしれない。昔の農閑期は、晩秋から冬であった。
 さて、そんなボロ市だが、私は友人などを誘って、20年前位から、コンスタントに行っている。時には4日間、全て見たシーズンもあった。友人たちと、乗り物関係のジャンクなどをあさりに行ったときである。
 事前の登録をすれば、特に世田谷区に在住、在勤でなくても、出店できるようだが、毎シーズン、コンスタントに出ている業者は、基本的に場所は毎年同じである。そのため20年も通っていれば、だいたいどこにどんなものがあるか、どこをポイントとして見なければならないか、あるいは見たいか、というのは、既にわかっている。
 そうしたボロ市であるが、近年観光バスで乗り付ける人々の出現や、某番組の影響か、西洋骨董、生活骨董と呼ばれる「実使用するちょっと古いもの」の流行で、客筋と、それにともなって、出店の傾向も変わってきた。
 まあ市だから、客も店も、時代とともに変化するのは、ある程度やむを得ない。道具商が少なくなって、得体の知れないアンティークを扱うところばかりになったのも、需要と供給のバランスだから、しょうがないようなものだが、今シーズンの1月のボロ市では、意外な光景を目にしたり、言われたりしたので、ちょっとそのことについて書いてみようと思う。
 この種の市はある程度の値切りと、なんとかなるべく高く売りたい売り子との、「駆け引き」が面白くもあり、醍醐味なのではないかと思うが…。
<事件1>
 大工道具の新品を扱う道具商。今では数少なくなった、本職の大工が使うようなものも扱っているところだ。
 そこにカップ酒を持ったおじさんが、品物を見ている。と、突然店側に座っていたおばさんが、目の前に陳列されている大きなノミを手にとって振りながら、大声で怒鳴る。「4000円っていうのは、あんたが勝手に言っていることじゃないのさ!」。
 それに対しておじさんは、店のおばさんの剣幕に押されてか、口ごもるようにして、何事かつぶやいている。
 どうも内容から推定するに、おじさんはノミが4000円になるなら買うと言ったらしい。ところが店側は5000円というのを譲らず、おじさんは酒が入っていることもあってか、「4000円でいいと言ったじゃないか?」、店側は「言わない」というトラブルになってしまったようだ。
 このこと自体ははまあ、駆け引きで思わず真剣になりすぎた程度のことだけれど、このあと店側が言った言葉はいただけないものだった。曰く、「商売のじゃまだからあっちへ行け」。
 なるほど。お店の人はどのくらいえらいのだろう?。おばさんが手にしているのは大形のノミ。それを振り回して、刃先を前に向けて怒鳴る。店の男も仲裁に入らない。そして「商売のじゃま」とは。
 ここの店は、長い参加歴があり、実際私も買い物をしたことがあるが、いくら酒の入ったおじさんが、無茶なことを言ったからとて、刃物を振り回して恫喝し、罵声を浴びせる態度はいかがなものか。おじさんは私から見てずっと左の方にいたが、大形のノミを「振るっている」店のおばさんは、目の前に立っていた。つまりノミの刃先は、私の数十センチ前を行き交っていたわけである。あまり安心できない光景である。
 私は世田谷ボロ市に20年ほど通っているが、こんな光景ははじめて見た。

<事件2>
 世田谷ボロ市は、「ボロ市通り」と呼ばれる道を、一般の交通を遮断して行われる。その通りは、ある病院の前で直角に折れ、世田谷通りという通りに向かうが、その角付近にあった店で、手のひらに載るくらいの、カットクリスタルで出来たように見える、ダイヤ形のガラス細工を売っていた。店頭に無造作に転がしてある。色がピンク、ブルー、濃いブルー、グリーンと4色、大きさが3種類くらいある。そのうちのピンクの大きいやつを手に取ってみると、形をなしている角の部分も、きっちり角が出ているので、そういい加減な作りでも無いように思えた。それで、値段が手頃だったら買おうかなと思った矢先、店にいた私と同年ぐらいのオヤジが、「もうなんでもやすくしちゃうよ」と、独り言のように言う。それで、私は「これはいくらなんですか?」と、ピンクの大きいダイヤ形クリスタルを手に持ったまま尋ねた。すると答えは「2000円のところ500円!」という。
 ほう、それは安い…かもしれない。それでそんなに安いならば、もう一つ違う色もいいかなと思い、ひとサイズ小さい、グリーンのものを手に取り、再度「これはいくら?」と聞いてみた。すると、オヤジは「それも500円、2個で1000円」と言う。大きさが変わっても、同じ500円というのは、少々解せないが、まあ値引いてのことなんだろうから、それはそれでも仕方ないと思う。それはいいとして、さてこれをどこに置くか、ダイヤの形だから、下がとんがっているので、どうやって置くか…などを、20秒ほど考えていると、オヤジはこう言ったのだ。「…一生考えてな」と。
 ほう、普段やさしいわけでもない私だが、ちょっとこれには頭に来ると言うより、耳を疑った。
 これはつまり、「即買いしないなら、そうやって一生考えていろよ。安くしてやっているのによう」というような意味である。
 安いものか、高いものかということで、置き場所が変わるということは、多少はあると思う。しかし、いずれにしても、家に持って帰って、どこに置くと一番映えるだろうか程度のことは、誰しも考えるのではないだろうか。それを考える余裕すら、くれるつもりは無いのだろうか。こんな「一生考えてろ」みたいな捨てぜりふを、吐かれなければならないほど、私は悪いことをしたのだろうか?。
 私は世田谷ボロ市に20年ほど通っているが、こんなことを言われたのははじめてである。

次号へ続く→続きを読む

※この作品が面白いと思った方は、恐れ入りますが下の「投票する」をクリックして、アンケートに投票して下さい。今後の創作の参考にさせていただきます。アンケートを正しく集計するため、接続時のIPアドレスを記録しますが、その他の情報は収集されません。

投票する