2003年5月16日号

信州花紀行−<連載1>

  信州花紀行−<1>
 

 連休の少し前、長野方面へ花見に行った。
 どうも桜というものは、さっさと咲いて、さっとと満開になって、散ってしまうから、近所の桜だけでなく、少しは桜前線を追いかけて、他の地方の桜も見てみたい。
 今はまったく便利になったもので、家に居ながらにして全国の桜の開花状況が見られたり、人のホームページでは、いろいろな地方の花の名所ルポを、読むことができる。
 それと、新幹線を使えば、都内からわずか数時間で、北上していった桜前線を、追い越すことができる。もちろん在来線の乗り継ぎや、高速バスだってできるが、新幹線のスピードには、やはりかなわない。

 先年、東北へ同じ目的から旅した。岩手県内に入って、北上川沿いの桜並木が、新幹線の車窓から、高速で目に飛び込んできたとき、「ああ、まさに今桜前線に追いついた!」と、感じたものだ。こういう感動は、忙しい現代人では、なかなか味わえないが、かといって昔の人が味わえたものでもない。素直に便利になったと思う。
 内田百閧フ著作を読んでいると、鉄道は高速化し、道路は整備されて、ずいぶんと失った「風情」のようなもの、人の息づかいのようなものがあろうかと思うけれど、逆に獲得した新しい感動も、ないとは言えない。
 前置きが長くなったが、そんなわけで、今年は内陸部に向かって、桜前線を追いかけてみることにした。目的地は長野県。しかもJR信越線を第三セクター化した「しなの鉄道」の経営状態が、あまり芳しくないと聞いていたから、わざわざ軽井沢で新幹線を降り、しなの鉄道で小諸へ。花見をしてから、ふたたび同線に乗って長野入り、という計画にした。たかだか一人か二人の観光客が乗ったからとて、収支が突如上向くわけでもあるまいが、利用しないよりはマシだろうと思ったわけである。

 新宿を出た埼京線の快速は、一路大宮へ向かう。東京南西部に住んでいる者として、東北・上越・長野新幹線に乗るには、案外このコースが便利である。上野や東京へ回っている時間と手間を考えると、埼京線に新宿から乗車というのも、なかなか簡単でいい。
 しかし埼京線の線路から見える風景は、どこにでもある東京近郊の町並みで、あまり面白いところはない。板橋や十条といった元赤羽線の古い駅とその回りは、少しそれなりの風情があるけれど、あとはひたすら高架線を疾走している感じで、つまらない。事実大宮に着く直前まで、眠ってしまった。

 大宮を出た「あさま」は、熊谷、高崎と進む。どちらも車窓で見る限りは、さほど特徴がない街に見える。どうも高架線から見る街の風景は、同じように見えがちでよくない。
 が、高崎を出た長野新幹線は、緩いカーブで左向きに上越新幹線と別れ、どんどんと山のほうへ向かっていく。そしてトンネルに入ったかと思うと、やがてあっさりと軽井沢に着いた。本当は軽井沢の手前には、碓氷峠があって、かつては急な勾配で、鉄道の難所だったのだが、新幹線電車は上り勾配すらほとんど認識させず、顔色一つ変えないかのように、軽井沢に着いてしまうのだ。
 軽井沢には、桜など咲いてもいないような状態であった。乗り換えのために駅構内を歩いていても、なんだか薄ら寒いような感じである。やはり標高が高くて、気温が低いのだろう。改札の外に出たわけではないが、駅前を見る限り、それほどにぎにぎしいところのようでもない。駅の北側には、雑木林のようなものも見えるが、木に白い花が咲いている。桜か?と思いきや、それはコブシなのである。4月下旬にして、まだコブシが咲いている。つまりは桜はまだ咲いていないのであった。そもそも車窓から、あるいは駅のホームから見る限りでは、桜の木と思われる木も、見つけることはできなかった。
 元の信越本線であった、しなの鉄道軽井沢駅のホームには、赤い電車が客を待っていた。構内はムダに広いように思えたが、新幹線ができるまでは、ここから上り方面に向けて、横川まで急勾配を下るための補助機関車をつけていたため、その遺構である。現在横川までの線路は廃止され、バス連絡となっている。したがって碓氷峠を鉄道で実感することは、ほぼできない。

 構内に保存された、ふたたび動くことのない碓氷峠専用機関車EF63の脇から、小諸行き普通電車は発車した。
 3輌編成だが、車内の乗客はそれほど多くはない。向かい合わせのクロスシートに、一人か二人ずつくらいである。電車の窓の外は、ずっとコブシしか花らしい花は見えない。この先いったいどのあたりから、桜が見え始めるのだろうか。
 都内の桜が終わった頃に、箱根の山に花見に行き、登山電車で山を登っていくと、麓で散っている桜が、徐々に満開〜八分咲き…と戻っていく。登山電車の終点強羅から、さらに車で高度を上げていくと、しまいにはつぼみまで見られる。この変化は、なかなか面白い。
 しなの鉄道は登山電車ではないけれど、もしかするとそんな感じの季節の変化を、一直線に走る電車の車窓から見ることができるかもしれないと、期待は膨らむ。
 右手には、浅間山がわずかな噴煙と、雪を載せて見えている。私はなんどもカメラを取り出して写真を撮った。小諸まではわずか20分あまりである。が、窓の近所の風景は、そのわずかな間に劇的に変化し始めた。コブシしか見えなかった木々の花が、徐々に桜に変わり始めたのである。電車は急坂を下っているわけでもなさそうなのに、軽井沢は特に冷涼なのであろうか。
 電車は駅間を快調に飛ばす。もともとここの線路は幹線だったわけだから、高速で走行するが、首都圏のような激しい動揺もなく、畑や林の間をすり抜けるように、一直線に走る。やがて思いだしたように減速し、停車するが、電車が進むごとに桜の花が、多少ばらつきがあるものの、三分咲き、五分咲き、八分咲きと、少しずつ咲いていくのが車窓から見えて楽しい。
 あまりこの辺の地形には詳しくないから、よくわからないが、それほどの高度差なく走る電車から、これほどまでに桜の変化を、わずか20分あまりの距離で体感できる鉄道は、ほとんどないのではあるまいか。新幹線で長野に向かっていれば、おそらくトンネルとその速度で、見逃してしまっていたに違いない。
 めくるめく山と里と桜の20分あまりが過ぎ、電車は小諸に着いた。

※以下次号

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