信州花紀行−<2>
(前号の続き)
着いた電車は早速折り返しの準備をしている。長野までの直通は少なく、小諸で乗り換えになる場合が多いが、それは地元の足に特化しているのであって、観光客輸送は新幹線に任せているということだろうか。
折り返しの電車は、跨線橋の階段にあわせて止められ、小さな「軽井沢行」の表示を、運転室の窓ガラス内に出して、軽井沢へ向かう客を待つ。誤乗を防ぐささやかなアイディアであろうが、JR時代にはなかった親切心が感じられる。地方私鉄としての努力がかいま見られる感じでもある。
小諸では遅い昼食をとることになった。駅から歩いて「T」というそば屋に入る。つまみの「きのこおろし」と、自家製ふきみそがおいしい。肝心のそばはやや軟らかめで、もう少しコシがあってもいいような気がした。まあ好みもあろうが…。それと盛りが多すぎるのにちょっと閉口する。味は悪くないのであるが。
そば屋を出て、線路を南西側に渡るように歩くと、桜の名所「懐古園」である。小諸城の跡を庭園形公園として整備したもので、重要文化財の「三の門」をくぐって、中に入る。
もう三の門のところから、満開の桜が出迎えてくれる。今年はかくして内陸へ向かうことで、桜前線に追いついたわけである。
三の門の向こうで入園料を支払い、園内に入るのであるが、脇で地元郵便局がテントを張って、ふるさと切手などを売っていた。ここの人に桜のよく見える順路などを教わったのだが、石垣の間の道を上っていけば、たくさん桜は咲いていること、小諸から小淵沢に向かう小海線で働いていたSLが保存されていること、切手の台紙はオリジナルであることなどを教えてくれた。それではと切手を買ってから園内に進む。
園内は教えられたとおり、少し上り勾配を上りながら歩けば、そこここに桜が植えられていた。特にシダレザクラが数多くあり、「コモロヤエベニシダレザクラ」という当地オリジナル品種もあって、それぞれに味わいの異なる桜が楽しめる。平日であることもあり、人もそれほど多くなく、見苦しい酒盛りなどがないこともあって、晴天の天気とともに、あざやかな満開の桜をめでることができた。普通に私たちが見る「ソメイヨシノ」かと思われる桜の木もあるが、少し花が白っぽいような気もするので、品種が違うのかもしれない。
お城の跡であるから、当然のように高い石垣があるのだが、その上にも桜は植えられている。石垣の上の桜を見ることも、石段を昇れば容易だが、そうすれば下の広場になっているところの桜を、見下ろすこともできる。なかなか桜を見下ろすように見るというのは、コンクリの建物からならともかく、ちょっと新鮮なアングルだ。ただ、石垣には手すりも何もないから、うっかりしていると転落してしまいそうである。たまには落ちる人もいるのではないだろうか、落ちたらもしかすると死ぬな…などと、心配になるほど、石垣の上は高いのであった。父親の故郷、岡山県津山市の鶴山公園も、同じようであったことを思い出す。
石垣の下に降りて、ふと石垣の岩のすきまに咲いている花を見ると、スミレに混じって、カントウタンポポが、何株も花を咲かせている。どれもなかなかりっぱな大株だ。ウチのとは大違いだなと思ったが、人の直接歩くところには、セイヨウタンポポが、ここでも見られることは見られる。しかしやはりこれくらい内陸にはいると、カントウタンポポも一大勢力である。
傾きかけた日の中、金色に光る千曲川を遠目に見て、懐古園をあとにした。
懐古園から小諸駅の南口に通じる自由通路には、エレベータが完備していた。これからの高齢化を考えると、なかなか配慮の行き届いた装備だ。市の意気込みも感じられる。
ふたたびしなの鉄道の赤い電車に乗り込み、今度は一路長野に向かう。電車には女性の車掌と、「トレインアテンダント」と呼ばれる、女性乗客専務が乗っている。
車窓にはまだ桜が見える。車内の座席は、すぐに地元の高校生で一杯になった。また沿線の企業の人であろうか。研修を終えたような大きなバッグをもったサラリーマンの姿もある。逆に観光客は、やはり見かけないのであった。
電車は小諸までと同じように、快調に飛ばしながら、各駅に止まってゆく。この鉄道には急行や特急はない。わずかに快速が設定されているが、今の時間は走っていないようだ。
やがて電車は上田に到着した。上田の手前から新幹線の高架が、寄り添ってきていたが、この上田は別所温泉への玄関口であると同時に、新幹線への乗り換え駅でもある。
進行方向右上には新幹線の駅が、左上には上田交通線の駅が見える。しなの鉄道のホームは、谷間のような風情だ。
ここでほとんどの乗客が入れ替わった。地元の高校生も、企業のサラリーマン氏も下車していく。いずれも乗り換えであろうか。それでもやっぱり観光客のような姿は、見る限りでは見あたらない。
上田を発車した電車は、相変わらず速度を上げては止まるを繰り返す。車窓には、田起こしをするトラクターの姿や、大きな農家が見える。もう桜も完全に葉桜である。だがこのあたりはモモの栽培が盛んなのか、モモ畑が見えるようになってきた。つまりこのあたりでは、桜前線が軽井沢へ向かっていることになるわけだ。
進行方向右側には、ずっと新幹線の高架が寄り添っている。車内はまた下校の高校生がたくさん乗っているが、あまりマナーはよろしくない。女性車掌氏は頻繁に車内巡回もするし、無人駅では集札もしているが、ちょっと心細そうにも見える。
やがて坂城駅のあたりから、車窓にモモ畑が一段と広がるようになった。信州は果物がおいしいところである。モモ畑は、桜よりもずっと濃いピンク色で、低い枝を霞のように延ばしている。これは世話や収穫がやりやすいように、低く仕立ててあるからであるが、それでもピンクの絨毯のように広がるモモ畑は、遠目にも美しい。
しなの鉄道線はもともと信越本線であったことは、前にも書いた。しかし新幹線のように前に山が立ちはだかれば、トンネルでぶち抜くというような、安上がりだがいささか乱暴な工事はしていない。なるべく走りやすそうなところを縫うように走っている。スピードアップの妨げではあろうが、山が近寄ったり、遠ざかったり、川を渡ったり、畑や道路、人家が間近に見えたり…といった、変化に富んだ車窓は、この在来線のスピードと、地形を選ぶ線路がもたらすものである。
桜も葉桜だと書いたが、岩山が迫っているようなところでは、ヤマザクラのような桜が、まだ十分に咲いていたり、高いところにはコブシが花をつけていたり、低いところの桜にも、緑色っぽく見えるもの、白っぽいもの、それも木によってかなり咲き方に差があったりする。おそらくちょっとした風の吹き具合とか、霜の降り方の違いなどがあるのであろう。そうしたわずかな違いが車窓に見えるのも面白い。
古いタイプの跨線橋に、駅名が直接書かれている戸倉駅を過ぎ、屋代駅では車庫が見えた。ここからは長野電鉄屋代線が出ている。しばらくしなの鉄道と併走した線路が、右へカーブしていっているのがわかる。
篠ノ井からはJR信越本線であるが、電車はそのまま長野へ直通する。そうして電車は、合戦の名で有名な川中島を過ぎ、広い河川敷にモモ畑の広がる犀川の鉄橋を渡って、長野駅2番ホームに滑り込んだ。
入れ違いに3番ホームから小諸行きが発車していったが、夕方のせいか、結構な混雑ぶりであった。全ての席が埋まり、立ち客が結構いるようである。編成も6輌編成である。地元の足としての機能は、頼もしい感じである。
経営状態の面から考えると、この鉄道をただの地元の足にしておくのは惜しい気がする。もちろん、気ままな観光客のほうばかり向いていて、地元密着を放棄してはいけないのだが、幸い地元の人々に利用されてない様子ではない。とすれば、今回軽井沢から長野まで、わずか1時間半程度の乗車時間で、あれだけ変化に富んだ車窓が楽しめるのであるから、もう少しそういうポイントをアピールしてもいい感じはする。新幹線は同じ区間を35分程度で走るが、これはやっぱり通勤電車の乗車感覚である。
反面、今のしなの鉄道が、車内でゆっくり駅弁でも食べながら、車窓を楽しむという雰囲気でないのも事実。座席に土足をあげて、声高にしゃべる高校生のマナーも、もう少しなんとかしたいところだ。そんなにワルには見えないのであるが…。
トンネルばかりでなく、ゆっくり浅間山も眺められ、花の季節にはいろいろな花を堪能できるばかりか(おそらく紅葉の季節ならそれも)、通常数日から数週間かかる、季節の視覚的変化を、わずかな時間のうちに、手に取るように体感できる点は、他の鉄道にない優れた特長である。これを生かさない手はないように思われる。
駅より徒歩で、メルパルク長野に投宿した。
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