その先のコメットさん☆へ…2006年後期

 「コメットさん☆」オリジナルストーリー。このページは2006年後期分のストーリー原案で、第268話〜第284話を収録しています。

 各話数のリンクをクリックしていただきますと、そのストーリーへジャンプします。第268話から全てをお読みになりたい方は、全話数とも下の方に並んでおりますので、お手数ですが、スクロールしてご覧下さい。

話数

タイトル

放送日

主要登場人物

新規

第268話

秋の訪れ

2006年9月上旬

コメットさん☆・ケースケ・ツヨシくん・ネネちゃん・沙也加ママさん・青木さん・景太朗パパさん・王妃さま・王様・ヒゲノシタ・ラバボー

第270話

カスタネット星国女王の苦手

2006年9月中旬

メテオさん・カスタネット星国女王・留子さん・幸治郎さん・猫のメト・カスタネット星国王宮料理長・料理長の息子・カスタネット星国侍従長・アリストーニ・プラネット王子・ミラ・ムーク

第271話

プラネット王子の写真展

2006年9月下旬

コメットさん☆・プラネット王子・ミラ・立川奉三郎・景太朗パパさん・沙也加ママさん・ツヨシくん・ネネちゃん・ラバボー・ラバピョン

第273話

月明かりの下

2006年10月上旬

コメットさん☆・ケースケ・青木さん・景太朗パパさん・沙也加ママさん・ツヨシくん・ネネちゃん・ラバボー・ライフセーバー仲間たち

第274話

ケースケの決意?

2006年10月中旬

コメットさん☆・ケースケ・メテオさん・景太朗パパさん・沙也加ママさん・ツヨシくん・ネネちゃん・ラバボー・ラバピョン・桐の木

第275話

迷路のケースケ

2006年10月下旬

コメットさん☆・ケースケ・スピカさん・ツヨシくん・ネネちゃん・ラバボー・景太朗パパさん・沙也加ママさん

第276話

さつまいも収穫祭

2006年10下旬

コメットさん☆・景太朗パパさん・沙也加ママさん・ツヨシくん・ネネちゃん・ラバボー・ラバピョン・スピカさん・みどりちゃん・修造さん・メテオさん・幸治郎さん・留子さん・ケースケ

第277話

北風の季節

2006年11月上旬

ツヨシくん・ケースケ・コメットさん☆・ネネちゃん・景太朗パパさん・沙也加ママさん

第280話

遅めの紅葉

2006年11月下旬

コメットさん☆・沙也加ママさん・ツヨシくん・ネネちゃん・景太朗パパさん・メテオさん・ラバボー・ムーク・観光客のおばさんたち

第282話

冬の海とケースケの秘密

2006年12月中旬

ケースケ・ネネちゃん・沙也加ママさん・コメットさん☆・ツヨシくん・ラバボー

第283話

メテオさんのクリスマスデート

2006年12月中旬

メテオさん・イマシュン・留子さん・幸治郎さん・ムーク・猫のメト・黒岩さん

第284話

景太朗パパの年越しそば

2006年12月下旬

コメットさん☆・ツヨシくん・ネネちゃん・沙也加ママさん・景太朗パパさん・ラバボー・ラバピョン・王様

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★第268話:秋の訪れ−−(2006年9月上旬放送)

 夏が終わり、9月になったが、まだまだ暑い日は続いていた。今年の夏は猛暑だったと、テレビは伝えている。そんな中、沙也加ママさんのお店「HONNO KIMOCHI YA」前に広がる由比ヶ浜では、早くも海の家を片づける作業が始まっていた。夏の間、多くの海水浴客たちでにぎわった海の家も、徐々に形を失っていく。ケースケが監視していた監視台も、既に取り払われた。ケースケの、多忙な夏も終わったのだった。

 ツヨシくんとネネちゃんも学校が始まり、苦労して仕上げた宿題を、担任の先生に提出した。ケースケも同じく、また夜間高校が始まり、課題のレポートを提出した。ツヨシくんとネネちゃんは、それでも学校がまだ早く終わるので、午後になると、「HONNO KIMOCHI YA」にやって来て、お店に来ているコメットさん☆といっしょに、前の由比ヶ浜へ水遊びに飛び出していく。海の家の片づけ作業が進む浜の先では、何人もの若者や親子連れが、まだ水遊びをしている。

ツヨシくん:コメットさん☆、早くぅ!。

ネネちゃん:まってよー、ツヨシくん。

コメットさん☆:あははっ、今行くよー。

沙也加ママさん:クラゲに気をつけてね。…みんな元気ね。ま、いっか。うふふふ…。

 今日も「HONNO KIMOCHI YA」の2階で、水着に着替えた三人は、サンダルの下に、熱く焼けた砂を感じながら、浜を歩く。

ネネちゃん:あ、…赤トンボ…。

ツヨシくん:え?、どれどれ?。ほんとだ…。

 ネネちゃんが低い空を指さして言う。体が赤い赤トンボ。1頭、2頭と、空を飛んでいる。

コメットさん☆:…もう、秋なんだね、やっぱり。

ネネちゃん:秋かぁ…。そうだよね。夏休み終わっちゃったもん…。

ツヨシくん:あー、またなかなか終わらない授業かぁ…。

コメットさん☆:そうだね…。また来年だね、夏休み。

ネネちゃん:来年…、どんな私になってるかなぁ…。

 ネネちゃんが、急にそんなことを口にする。コメットさん☆は、「来年もネネちゃんはネネちゃんだよ?」と言おうとして、ふと、今年の自分と、来年の自分は、違うのかもしれないと意識した。

コメットさん☆:私も…、どうかな?…。

 コメットさん☆は、ネネちゃんの斜め後ろからそっと答えた。ネネちゃんは振り返り、コメットさん☆をじっと見た。

ツヨシくん:おーい、ネネ、ボールぅ!。

 その声に、ネネちゃんはまた向き直り、持っていた大きなビーチボールを、5メートルほど先のツヨシくんに向かって投げた。

ネネちゃん:ほらー!。…コメットさん☆も行こ。

コメットさん☆:うん。

 ネネちゃんとコメットさん☆は、水辺に向かって駆け出した。

ケースケ:さーてと、もう少しですね、青木さん。

青木さん:そうだな。けっこうゴミも出るよなぁ…。

ケースケ:そうっすね。

青木さん:どうだ?、ケースケ。最近調子上がっているか?。

ケースケ:もちろんですよ…って、言いたいところなんですけどね、もう少し調整が必要ってところっすか。

青木さん:そうか。今度の大会はオレも負けないぞ。

ケースケ:はい。オレもです。がんばりますっ!。

青木さん:オオ。がんばろうぜ。団体戦もあるしな。

ケースケ:はい。

 ケースケと青木さん、それに仲間数人は、近くの食堂で、少し遅めの昼食をとって、由比ヶ浜に戻って来るところだった。ライフセーバーの仲間とともに、浜の片づけをしていたのだ。道具の清掃と片づけ、ゴミ拾い、危険なものが無いかどうかのチェックなど、意外とやることは多い。夏が終わっても、そのままほったらかしというわけには行かないのだ。

青木さん:おっ、あれ、お前の彼女じゃないのか?。

 青木さんは、ケースケとともに暑い砂浜に降り、解体作業をしている海の家脇から、海のほうを見て言った。

ケースケ:かっ、彼女って?…。あ…。

 青木さんの指さす方向に、視線を向けたケースケは、はっと気付いた。

ケースケ:コメット…。まったく、まだ泳いでいるのかよ…。ツヨシとネネも…。

青木さん:彼女だろ?、こいつぅ…。ふふふふっ…。

 青木さんは、ケースケの頭を指で突き押しながら、にやにやして言う。

ケースケ:か、彼女って、そ、そんなんじゃないすよ!。

青木さん:なんだよ、じゃあ、ただの友だちか?。

ケースケ:いや…、その…。

青木さん:お前、顔に出過ぎなんだよ。あははは…。

 赤くなったケースケを見て、青木さんは豪快に笑った。それに対してケースケは、もう一度コメットさん☆のほうを見た。コメットさん☆はお気に入りの水着に身を包み、楽しそうにビーチボールで遊んでいる。ツヨシくんとネネちゃんも、体いっぱい楽しさをあらわしている。夏の間、ケースケ自身何度も目にした光景なのだが、真夏のような光にあふれた海面をバックに、水に濡れながらボールを追いかけ回すコメットさん☆は、ケースケにとって、妖精のようにも見える。そんなコメットさん☆を見ているうちに、ケースケは、自信たっぷりだったはずなのに、少々弱気になっている自分に気付いた。

ケースケ:(もし、オレが今度の大会で勝てなければ、オレは…、またオーストラリアに行くことになる。そうすれば、コメットのあんな姿ともお別れだな…。どうするんだ…。)

 そもそもケースケは、「もし勝てなければ」などと思う自分を、「弱い」と思ってきた。だがこのところ、時々そういう気持ちになるのもまた事実。

コメットさん☆:きゃははっ。ネネちゃん行くよー!。ほーら。

ネネちゃん:ツヨシくん、はいっ!。

ツヨシくん:オーライっ!。それっ…。

 だいぶ先の波打ち際から、コメットさん☆たちの嬌声が聞こえる。そんな声を、ケースケはぼーっと聞いていた。そしてまた、頭の中で考える。

ケースケ:(…コメットのこと、オレは…、やっぱりよく知らないのかもしれない…。結局わからないまま…。いつまでここにいるのか、どこから来たのかすら、オレは聞いてないじゃないか…。)

青木さん:…おい、ケースケ、ケースケよ。いつまでぼーっとしてるんだよ。手伝えよ。

ケースケ:えっ?、あ、ああ、すみません。ちょっと考えごとしてて…。

 青木さんの声に気付いたケースケは、素知らぬ顔で青木さんが持ち上げようとしていた材木の反対側を持った。

青木さん:そんなに気になるのか?、彼女。

ケースケ:か、彼女って…。だからそうじゃなくて、いや、あの、大会のイメージトレーニングをですね…。

青木さん:ほう。女の子でイメージトレーニングね。まったくケースケはよう…。がははははっ…。

 あわて気味のケースケを見て、青木さんは、また豪快に笑った。ところが、材木を持ち上げてから、それに言い返そうと、ケースケが口を開いたとき、三人のほうから、小さな叫び声が上がった。

コメットさん☆:きゃっ…、痛っ!…。

ネネちゃん:ああっ、コメットさん☆!。

ツヨシくん:コメットさん☆っ!!。

 ケースケが見ると、コメットさん☆が右の足首を押さえて、横倒しに転がっていた。クリーム色にピンクの花が咲いた水着が、砂で汚れるのもそのままに…。

ケースケ:コ、コメット!。あ、青木さん!。

青木さん:おう!。

 ケースケと青木さんはかついでいた材木を放り出し、急いでコメットさん☆のもとに駆け寄った。

ケースケ:どうした!?、コメット。おい、コメット!。

コメットさん☆:あ、ケースケ…、いたた…。足が…。

ケースケ:なに?、見せてみろっ。

ネネちゃん:ケースケ兄ちゃん…。あのね、コメットさん☆がボール取ろうとして、つまづいたの。

ツヨシくん:足首が、曲がるように倒れたよ…。コメットさん☆、大丈夫?…。

ケースケ:足首か…。どれ…。

コメットさん☆:…ケ、ケースケ、いいよ…。大丈夫…。

青木さん:救護所…って、もう、今の時期になると無いんだよなぁ…。足首ひねったかな…。

ケースケ:コメット、足首見るぞ…。

 ケースケは、恥ずかしそうに足先を引っ込めようとするコメットさん☆にかまわず、右足の足首を見た。そして、指先で細い足首をつかむ。

コメットさん☆:ケースケ…、だ、大丈夫だったら…。

ケースケ:ここ、痛いか?。

 ケースケはくるぶしを、軽く押した。

コメットさん☆:痛っ…。痛い…。

ケースケ:足首回せるか?。

 次いでケースケは、足先を持って、そっと回そうとしてみる。

コメットさん☆:い、痛い…。

ケースケ:うーん、骨折はしてないと思うが…。

 コメットさん☆は、ケースケが足首に触れているので、思わず水着のスカートを押さえた。そんなことを気にしている場合ではないかもしれないが、気にしないわけにもいかなかった。

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん、ぼくがコメットさん☆をママのお店まで連れていくよ。

ケースケ:ツヨシ、それはいくらなんでも無理だろ。青木さん、整形外科に診てもらったほうがいいですよね?。

青木さん:そうだな。いつもオレらが診てもらう菊里医院なら、電話しておけば大丈夫だろう。だが…、留学生だよな、彼女。すると保険とかどうなっているかな?。

ケースケ:あ、そうですね…。

コメットさん☆:いいよ、ケースケ。大丈夫。あそこの沙也加ママのお店に帰るから…。そうすれば、なんとかなるよ。歩けると思うし…。

ケースケ:そ、そうは言ってもよ…。こっちへ曲げると痛いか?。

コメットさん☆:あ、痛…。うん、そっちへ曲げると痛い…。足の外側…。

ケースケ:そうか…。

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん、あんまりなんべんも、コメットさん☆の足痛くしないでよ。コメットさん☆かわいそうじゃんか!。

ケースケ:わざと痛くしているわけじゃねぇよ。骨にヒビ入ってたりしたら大変だろ?。おそらく捻挫だと思うがな…。一応レントゲン撮った方がいいだろうな。よし、ツヨシ、とりあえずお前の母さんの店に、コメットを連れて行くぞ。

ツヨシくん:あ、うん。わかった…。じゃ、ぼく手伝うよ。

ネネちゃん:私、先に戻って、ママにわけを話してくるね。

ケースケ:ああ、頼む。

青木さん:えーと、コメットさん☆だっけ。立てるかな?。

コメットさん☆:はい…。なんとか。

 ふと気が付くと、海の家の片づけをしていた他の人たちや、水辺で遊んでいた人も、心配そうに様子を見ていた。

ケースケ:…そ、その、ツヨシ、コメットの背中、支えてやれ。

ツヨシくん:うん。ほらコメットさん☆、サンダルはいて。

 ケースケは、ちょっとばつが悪そうに、ツヨシくんに言った。コメットさん☆のことを思えば、背中から手を回して起こすのは気が引けた。だが、ツヨシくんなら、出来そうだと思ったし、いつものコメットさん☆とツヨシくんの関係なら、大丈夫だろうと思ったのだ。そのことは、ケースケにとって、どこか胸がズキっとすることではあったが、どうしてもそこまでの距離は、なぜか縮められないような気がした。

ケースケ:いいか、そっと足に力が入らないように…。よし、背中から腕を持つように。…持てるか?ツヨシ。

ツヨシくん:うん。大丈夫…。よっと…。

ケースケ:よし。コメット、肩貸すから、右手をオレの肩に回せ。それで右足に力なるべくかけないように歩くんだ。ツヨシ、コメットの水着の砂、はらってやってくれ。

ツヨシくん:りょーかいっ!。

コメットさん☆:そ、そんな…、いいよ、一人で歩くから…。あ…、痛…。

ケースケ:無理するなよ。この際仕方ないだろ?。

 コメットさん☆は、まわりの目もあって、恥ずかしく思ったが、そっとケースケの肩に手を回した。ツヨシくんが背中を支えてくれ、次いで体の右側に付いた砂を、少しずつはらってくれる。コメットさん☆は左手で、水着のスカートのすそを確かめると、自分でも胸のあたりについた砂をはらい、そっと歩き始めた。

青木さん:大丈夫かな?。タンカ借りてこようか?。

コメットさん☆:大丈夫です…。ちょっと痛いけど…。

ケースケ:ゆっくり、ゆっくり歩け。そうしないとよけいに悪くなるかもしれないからな。師匠の奥さんに、あとどうするか相談しよう。

コメットさん☆:うん…。ありがとう、ケースケ。

 コメットさん☆は、右足に体重をなるべくかけないように、ゆっくりと歩いた。

ツヨシくん:コメットさん☆、サンダルぐらぐらしない?。大丈夫?。

 ツヨシくんは、コメットさん☆がはいている右足のサンダルを気にした。また転倒しないか心配になったからだ。

コメットさん☆:大丈夫だよ、ツヨシくん。…でもケースケ、恥ずかしいよ…。足引きずるかもしれないけど、自分で歩けるから…。

ケースケ:…もう、これくらいしか、してやれないかもしれないからな…。

コメットさん☆:えっ…。…ケースケ……。

 それがどういう意味なのか、コメットさん☆は理解した。そんなことを思いたくはなかったが…。

 国道を渡る交差点のところまで、なんとかゆっくり歩いてきたコメットさん☆とケースケ、それにツヨシくんは、横断歩道の反対側に、沙也加ママさんとネネちゃんの姿を見つけた。ネネちゃんは水着姿のまま、沙也加ママさんもエプロンをしたままだ。沙也加ママさんは、新しいバスタオルを持っている。ふとコメットさん☆は、浜辺にタオルを置いてきてしまったことを思い出した。信号が変わると、コメットさん☆は足を引きずりながら、ケースケの肩につかまって横断歩道を渡った。青木さんは、いつの間にかうまく車をさばいてくれている。

沙也加ママさん:コメットさん☆、大丈夫?。ほら、バスタオルはおって。

コメットさん☆:沙也加ママ、ごめんなさい。心配かけて…。ちょっと足ひねっちゃいました。

沙也加ママさん:いいのよ。しょうがないわ。お医者さんのところへ行きましょう。ケースケ、どんな感じかしら?、コメットさん☆のケガ。

ケースケ:あ、え、えーと、捻挫だと思いますけど…。

沙也加ママさん:そう。じゃあ、ほら私の肩につかまって。コメットさん☆。ケースケはいいわよ。お仕事あるでしょ?。

ケースケ:あ、いや、大丈夫っす。手当てとか、手伝いますよ。

 コメットさん☆の腕は、ケースケから離れ、沙也加ママさんに移っていった。ケースケは心のどこかで、胸のうずきを感じた。

ネネちゃん:あ、私…、ていうか、みんなタオルとか置きっぱなし…。

沙也加ママさん:じゃあ、とりあえず持ってきて、ネネ。

ネネちゃん:はあい。

沙也加ママさん:腫れてきた?、足。

コメットさん☆:どうかな?。ツヨシくん見て。どう?。ごめんね。こんなことになっちゃって。

ツヨシくん:ううん。コメットさん☆、気にしなくていいよ。足、腫れているのかなぁ?。なんだか赤いような気がするけど…。

沙也加ママさん:それはケガしたばっかりだから、赤くなるのは当たり前よ、ツヨシ。

ツヨシくん:そっかぁ…。

 国道と平行に少し歩くと、もう「HONNO KIMOCHI YA」に着いた。ツヨシくんは、入口のドアを開け、コメットさん☆を支えている沙也加ママさん、コメットさん☆、ツヨシくんの順で店内に入った。手前の離れたところで、見送るように見ていた青木さんのほうを振り返ると、ケースケは、ぺこっと頭を下げた。青木さんは親指を立てて合図すると、解体が進む海の家のほうへと、戻っていった。ケースケはお店に入り、青木さんとすれ違うようにネネちゃんが、三人のタオルや、小物を取って戻ってきた。ビーチボールも。

 店内に入ったコメットさん☆は、レジ脇にあるいすに座らされた。

沙也加ママさん:まずここに座って。ケースケ、ちょっと見てあげてね。

ケースケ:あ、はい。浜で見た限りでは、外側に向けて無理な力かかった捻挫だと思うんですけど…。念のためレントゲン撮った方がいいかもしれないっすね。

沙也加ママさん:そう。菊里医院かしら?。

ケースケ:そうですね。あそこだったら、電話してわけを話せば、今の時間ならすぐ診てもらえると思います。

沙也加ママさん:そう。じゃ、今ちょっと電話して、診てもらえるようにするわ。

ケースケ:はい。オレもそのほうがいいと思います。

コメットさん☆:沙也加ママ、私…、その…。

沙也加ママさん:いいから。気にしないで。

 コメットさん☆は、そう言われていも気にした。保険がきかないから、医療費が高くなるのは知っている。沙也加ママさんが受話器を上げて、医院に電話をかけ始めたので、心配そうなコメットさん☆を見て、ネネちゃんが、取って戻ってきたタオルを、腰のあたりにかけてくれた。ツヨシくんがコメットさん☆の前にしゃがみ、コメットさん☆の足を、ネネちゃんが持ってきた自分のタオルでそっと拭いた。

コメットさん☆:みんなありがとう…。

ネネちゃん:ううん。コメットさん☆、おなか冷やすといけないよ。

コメットさん☆:うん。そうだね…。

ツヨシくん:コメットさん☆、じんじんする?。

コメットさん☆:ごめんね、心配かけちゃって…。大丈夫だよ。少しじんじんするけど。

 ツヨシくんは、コメットさん☆の右足首をそっとつかみ、それから左足首をつかんでみた。

ツヨシくん:右足のほうが熱いね…。

ケースケ:炎症が起きているんだろ。ひねったとき、ゴキっとか、音しなかったか?。

コメットさん☆:しないと思う…。

ツヨシくん:そんな音聞こえなかったよ。

ネネちゃん:私も聞かなかった。そんな音。こ、怖いから、そんなこと言わないでよ…。そういう音がすると、良くないの?、ケースケお兄ちゃん。

ケースケ:いや、わりぃわりぃ。関節のところで、最悪骨折してることがあるからな…。時々砂に足取られてって人、いるんだよ。

コメットさん☆:えーっ、そうなんだ…。

ケースケ:でも、どんな感じでこうなったんだ?。

コメットさん☆:ツヨシくんとネネちゃんと、ビーチボールで遊んでいたの。そうしたら少し大きめな波が来て、それが引いていくときに足が埋まったみたいになって、上がったボールに手を伸ばそうとしたら、もう足ひねって倒れてた…。

ケースケ:そうか…。よくあるんだよな、そういうの。この夏も、そうやって引き波でひっくり返り、ケガした人が何人かいたよ。海は楽しいところだけど、夢中になりすぎないように気をつけないとな。

コメットさん☆:うん…。

 コメットさん☆は、少し赤みを帯びた足先を見るようにうつむいた。

沙也加ママさん:…はい。それじゃ、今から30分ほどでそちらに向かいますので、よろしくお願いします。藤吉と申します。…はい。はい、お願いいたします。

 沙也加ママさんは、そう言って電話を切った。

沙也加ママさん:今から急いでいらっしゃいって。さあ、コメットさん☆、着替えて病院まで行きましょ。

コメットさん☆:…はい。沙也加ママ、ごめんなさい…。

沙也加ママさん:そんなに気にしないの。ケガは早く診てもらって、手当てしなきゃ。

ケースケ:じゃあ、一応冷やしながら行ったほうがいいです。何か冷やすものないっすか?。

沙也加ママさん:そうねぇ…。氷ならあるけど。

ケースケ:それでいいです。タオルに包んで、当てておくといいはずです。

沙也加ママさん:そう。ありがと、ケースケ。さすがね。

 ケースケは、そう言われると、ちょっと恥ずかしそうにした。

沙也加ママさん:じゃあ、そこのシャワーにさっとかかって、着替えてらっしゃい。ツヨシとケースケは、すむまでちょっと外で待っててあげて。ネネはもしコメットさん☆が困っていたら、助けてあげるのよ。

ツヨシくん:うん、わかった…。コメットさん☆大丈夫かな…。

ケースケ:わかりました。じゃあ…、その、オレ青木さんのところへ行こうかな?。

ネネちゃん:コメットさん☆、シャワーのところへ行こ。

コメットさん☆:ありがとう…、みんな。沙也加ママ、ごめんなさい…。

沙也加ママさん:そんなに気にしなくていいってば。あ、ケースケは、まだいてくれない?。

ケースケ:え?、オレですか?。

沙也加ママさん:仕事ある?。それならいいけど…。

ケースケ:…い、いいえ。わかりました。何すればいいっすか?。

沙也加ママさん:悪いけど、コメットさん☆と病院に行ってくる間、ネネとお店にいてくれないかしら?。

ケースケ:店番ですか?。いいすよ、わかりました。オレ、よくわからないすけど…。

沙也加ママさん:だいたいネネが知っているから、わからなかったらネネに聞いてみて?。

ケースケ:はい。…わかりました。

沙也加ママさん:いい青年に、勝手なこと頼んじゃって悪いけど…。

ケースケ:いえ。いいです。オレ、ちょっと商店の店番って、やってみたかったんで…。がんばります。

沙也加ママさん:ごめんなさいね。お願い。

 ケースケは、実のところ、店番に興味なんかなかったが、コメットさん☆のことが心配で、立ち去りがたい気持ちがしていたのだ。それにしても、ネネちゃんと二人店番となると、ケースケは何を話していればいいかわからない。お客さんがたくさん来てくれて、さっさと時間が過ぎてくれればいいのだが、とも思うのであった。

 コメットさん☆とネネちゃんがシャワーを浴び、普段着に戻ると、さっそく沙也加ママさんは車を出し、タオルで包んだ氷を、コメットさん☆の右足首にあてながら、手伝いにツヨシくんを連れ、材木座にある菊里医院に向かった。ネネちゃんとケースケは、それを見送ったが、さて、二人ともどうしたものかと思っていた。

ケースケ:……。

ネネちゃん:……。

 二人とも、妙な沈黙が続く。冷房は効いているはずなのに、汗ばかり出る。夏のシーズンが過ぎたお店には、お客さんが来る気配はない。間が持たない気がして、ケースケは小さい声でネネちゃんに聞いてみた。

ケースケ:あー、あのさ。

ネネちゃん:…なに?、ケースケ兄ちゃん…。

 どういうわけだか、ネネちゃんも少しドキドキしていた。

ケースケ:こ、こんな感じか、いつもここの店は。

ネネちゃん:さあ?。私あんまり手伝わないから、わからないよ…。

 よく知っているはずのママのお店だが、そう答えてみた。

ケースケ:そうか。なんていうか、その…、いろいろな雑貨置いているんだな。

ネネちゃん:ケースケ兄ちゃん、よく寄って見てるじゃない。

ケースケ:そ、そうかぁ?。あははは…。

 ケースケは、なんだか小学4年生のネネちゃんが、大人のように思えて、妙な感覚を覚えた。内心「なんでオレが、こんなにどきまぎしなくちゃいけないんだよ」と思いながら、わざと声に出して笑ってみた。

ネネちゃん:あのさ、ケースケ兄ちゃん…。

ケースケ:な、なんだ?。

 ネネちゃんが今度は口を開いた。

ネネちゃん:ケースケ兄ちゃんは、オーストラリアに、本当にずっと行っちゃうの?。本気なの?。

ケースケ:ほ、本気って…。本気なのは当たり前だろ?。…でも、オーストラリアに行くかどうかは、前に言ったとおり大会の成績次第さ。

ネネちゃん:大会かぁ…。いつあるの?。

ケースケ:10月のあたま。

 ケースケは、レジ台の高いすに座り、下を向いて答えた。ネネちゃんは、脇の低いいすに座り、時々ケースケのほうを向いてしゃべる。

ネネちゃん:10月って…、来月じゃない。

ケースケ:そうだな。

ネネちゃん:だったら…、コメットさん☆のこと心配して、こんなことしてていいの?。

 ケースケは、「頼まれてここにいるんだが…」という言葉を飲み込みつつ、大人びたネネちゃんの物言いにびっくりした。いつまでも子どもだと思っていたのだが…。ケースケの心は、内心かなり乱れた。しかし、つとめて平静を装うと、静かに答えた。

ケースケ:ずっと大事な友だちが、ケガしているのに、放っておけないだろ?。

ネネちゃん:…友だち?。ケースケ兄ちゃんにとって、コメットさん☆は、ただの友だちなの?。

 ネネちゃんは、ひときわ大きめな声で、鋭く聞いた。

ケースケ:た…、ただのっていうわけじゃねえけど…。

ネネちゃん:恋人じゃないの?。

 ケースケは、ちょっとうろたえた。小学4年生の女の子に。

ケースケ:こ…、恋人…。恋人って、どういうのを言うんだと思う?。ネネ。

 ケースケは、静かに聞き返してみた。

ネネちゃん:…え?。そ…、それは…。メテオさんと…、イマシュンみたいなの…、かな?。

ケースケ:メテオとイマシュン?。あれは追っかけとアイドル歌手じゃねぇのか?。

ネネちゃん:そんなんじゃないよ。

ケースケ:じゃあ、どういうのだよ?。

ネネちゃん:えー…、それはぁ…。

 ネネちゃんは困った顔をした。具体的にどういうのを恋人というのかと問われると、これ、とか、それ、と言えるものでもない。

ケースケ:ほっぺたにキスしたら恋人か?。いっしょにデートしたら恋人か?。

ネネちゃん:それは…、どうだろ?…。

ケースケ:…はっきりしないだろ?。…でも、コメットは、オレの恋人…、かもしれねぇな…。…なんだ恥ずかしいこと言わせるなよ!、ネネ。ああ…、何でいつの間にかこんなこと言わせられているんだオレ…。

ネネちゃん:だ、だってぇ…。なんかコメットさん☆とケースケ兄ちゃん、いっつもアツアツじゃないんだもん…。

ケースケ:なんだよ、そのアツアツってのは…。お好み焼きじゃあるまいし…。しょうがねぇな…。ネネはいつの間にか、そんなこと言うようになってたのかよ…。アツアツだかなんだか、知らねぇけど、そんなのばかりじゃねぇんだよ、恋人っていうのは。

ネネちゃん:じゃあどういうの?。

ケースケ:まずは…、その…、信じること…かな?。

ネネちゃん:信じること?。

ケースケ:ああ。相手のことを信じられなければ、恋するも何もないだろう。それに…、自分も信じてもらえなければ、同じことだろ。

ネネちゃん:ふーん…。そうかぁ…。

ケースケ:あとは、責任持てるかどうかってところかな?。師匠の受け売りだけどよ…。

ネネちゃん:責任?。

ケースケ:無責任なことは出来ない、言えない、ってことさ。

ネネちゃん:ふーん…。ケースケ兄ちゃんは、コメットさん☆にそう思っているんだ。…無責任なこと言えないって割には、言ってそうだけど…。

ケースケ:えっ?、あ、お、お前…。

 ネネちゃんは、両手をひざの間に入れて、手のひらを合わせ、親指を交差するように動かしながら、前の低い棚と、ケースケをかわりばんこに見て聞いていたが、ケースケが「白状」したのを聞いて、にやっと笑って言った。ケースケは「してやられた」と思ったが、後の祭りだ。

ネネちゃん:ふふふふ…。あー、いいなぁ。私なんか、恋人なんていないよ。

ケースケ:まだ小学生だろ?。いいの、お前の歳で恋人なんていなくても。師匠が心配するぞ。

ネネちゃん:何で?。

ケースケ:何でって…。…まあ、いずれ出来るだろうけどよ。

 ケースケがそう言うと、今度はネネちゃん、少し照れ笑いを浮かべた。

ネネちゃん:そ、そうかな?。…それならいいな。ケースケ兄ちゃんみたいな人がいいかなぁ?。

ケースケ:あ…、あのなぁ…。ついて行かれねぇぜ…、まったく…。

 ケースケは一つため息をつき、そしてまたしばらく沈黙が続くと、ちょうど入口の扉が開いて、女性客が二人ほど入ってきた。

ネネちゃん:あ、いらっしゃいませー。

ケースケ:い…、いら…っしゃいませ…。

 ケースケは、声が裏返りそうになりつつ、いすから立ち上がった。

 

 二組ほどの客が帰ってしまうと、車の音がして、沙也加ママさんとコメットさん☆、ツヨシくんを乗せた車が、お店の脇の駐車スペースに戻ってきた。

ネネちゃん:あ、ママとコメットさん☆が帰ってきた。

ケースケ:え?、そうか?。

ネネちゃん:うん。あの車そうだよ。

ケースケ:やれやれ…。助かったぜ。

ネネちゃん:え?、そんなに大変だった?。お客さん。

ケースケ:…いや…。

 ケースケは、「客よりお前の突っ込みのほうが、よっぽど…」という言葉をまた飲み込んだ。

沙也加ママさん:ただいま。悪かったわね、ケースケ。ありがとう。

ケースケ:あ、いえ。

沙也加ママさん:お客さん来た?。

ケースケ:え、ええ。二組ほどっすけど…。

沙也加ママさん:あ、コメットさん☆今ツヨシが連れてくるわ。骨はなんとも無いって。やっぱり捻挫でしょうって。

ケースケ:そうすか。…はあ、まあよかった。下は砂ですから、そんなにひどくはケガして無いだろうって思いましたけど…。それに、コメットは運動神経いいと思うし…。

沙也加ママさん:あら、しっかりコメットさん☆のこと、見ているのね。ふふふ…。

ケースケ:あ、いや、そ、そんなことないっすよ…。たまたま…。

コメットさん☆:ケースケ、ネネちゃんありがとう。大丈夫だったよ…。

ケースケ:あ、コメット…。

 ケースケが沙也加ママさんの言葉を、なんとか否定しようとした時、入口の扉から、ツヨシくんに少しだけ支えられるような格好で、コメットさん☆が入ってきた。

コメットさん☆:足首固定してもらったから、しばらく不自由だろうけどって。お医者さんが言ってた。でも、湿布してもらったから、今はそうっとなら、一人で歩けるよ。

ケースケ:そうか。よかったな。

コメットさん☆:ごめんね、心配かけて。ありがと。ケースケ。

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん、お店大変だった?。

ケースケ:あー、いや、それほどでもなかったけどよ…。ちょっと別な意味でな…。

ツヨシくん:別な意味?。なにそれ?。

ケースケ:いや、なんでもねえ…。

 ツヨシくんは、コメットさん☆と顔を見合わせた。

コメットさん☆:あ、ツヨシくんありがとう。おかげで助かったよ。もう大丈夫だから…。

ツヨシくん:そう?。いいよ、コメットさん☆。早く治って、また海で遊ぼうね。

コメットさん☆:うん。まだ暑いものね。

 ネネちゃんは、そんなツヨシくんとコメットさん☆の様子を見ていて、ふと思った。

ネネちゃん:(ケースケ兄ちゃんが言うのがほんとだったら、コメットさん☆とツヨシくんだって、恋人同士かなぁ。信じてるし…。でも、責任って言うと、どうかな?。わかんないや…。)

 そんなことを考えていたら、沙也加ママさんが保冷箱を車から取り出して来た。

沙也加ママさん:ほらほら、みんなアイスクリーム食べましょう。暑いから、ちょっと寄り道して買ってきたのよ。ケースケも、青木さんを呼んで来られないかな?。

ケースケ:えっ?、あ、いいすよ。そんな…。

沙也加ママさん:せめてこれくらいは…。

ケースケ:お、オレ、帰ります。

沙也加ママさん:あ、じゃあ、これ青木さんたちと食べて。いろいろお世話になったのに…。私たちの分はちゃんと別にあるから。

 沙也加ママさんは、手に持った箱を、ケースケに差し出した。ケースケは少し躊躇したが、そっと手をのばした。

ケースケ:…そ、そうすか?。それじゃすみません。ごちそうになります。

沙也加ママさん:また今度、うちに食事にでも来て下さいって、青木さんにも伝えてね。今日は本当にありがとう。

コメットさん☆:あ、あの…、ケースケ、ありがとう。それに…、青木さんにも…。足もう少しよくなったら、ちゃんとお礼に行くけど…。

ケースケ:あ、はい。師匠によろしく…。コメット、そんなこと気にするなよ。オレたち、ケガした人を助けるってのは、仕事なんだし…。それに…。

 ケースケは、「コメットがケガしているのに、放っておけるか」という言葉を、またまた飲み込んだ。コメットさん☆は、にこっと微笑み、それに応えた。全てを理解しているかのような微笑みで…、

ケースケ:(コメットの、この笑顔が、好きなんだよな…。)

 ケースケにそんな思いを残しながら。そしてケースケは、「HONNO KIMOCHI YA」をあとにして、保冷材の入ったアイスクリーム箱を手に、青木さんたちのところへ戻っていった。

 

 ところが夜になって、コメットさん☆がメモリーボールに、今日の出来事を報告すると、王様はびっくりした。

王様:ヒゲノシタ、ヒゲノシタ!。

ヒゲノシタ:はあ、王様、なんでございましょう?。

王様:姫のもとに、すぐあれを送ってやってくれまいか?。星のトレインでな。

王妃さま:あら、あなた、どうしたのです?。

王様:どうしたもこうしたも…。姫が足をひねったのだぞ!?。わしは心配じゃ。すぐにあれじゃ、あれを送るのじゃ。

王妃さま:あれ?って何ですか?。それにあなた、地球の医師が診てくださったのでしょう?。大丈夫ですよ。

王様:いいや。わしは心配でならん。あれはあれじゃ。とにかく。ヒゲノシタ、頼んだぞ。

ヒゲノシタ:ははっ。わかりました。さっそく手配をいたましょう。

王様:うむ。これで一安心じゃ…。まったく姫は、遊ぶのはいいが、いつもひやひやし通しじゃ…。

王妃さま:まあ、あなたったら…。心配性なのですね。あの子の歳なら、少々のことはありますよ。

王様:そ、そんなことを言っていて、大けがでもしからどうする!?。わしは…、わしは…。

王妃さま:もう、しょうがない人ねぇ…。ところであれって何ですか?。

王様:ああ、そうだった。わが家に伝わる秘伝の湿布薬だよ。

王妃さま:えっ?、ええーー。あれのこと?。秘伝て…、あなた…。

 王妃さまは、取り乱し気味の王様を見て、あきれたように言った。それに「あれ」と言われる湿布薬の正体とは?。

 

 コメットさん☆は、足にキズがあるわけではないので、そこだけお湯につけないように気をつけながらお風呂に入り、そして湿布を貼り替えた。赤みはほとんどなくなり、腫れもだいぶ引いていた。コメットさん☆は、それを見てほっとするとともに、あらためてみんなに迷惑をかけたと思った。

ラバボー:姫さま、どうしたんだボ?。元気出すボ。

コメットさん☆:うん。せっかくの水遊びだったのに、ツヨシくんとネネちゃんに悪いことしちゃったなあって。沙也加ママも病院に連れていってくれたし、ケースケはネネちゃんといっしょに店番までしてくれたんだよ?。ケースケの仲間の青木さんまで…。

ラバボー:…みんなやさしいボ。姫さまがみんなに好かれている証拠だボ。

コメットさん☆:…うん。そうなんだね…。うれしいな…。

 コメットさん☆は、ふいに涙が出そうになった。恋する心としての、「想う心」だけではなくて、人を「思う心」は、大切な絆。あらためてそう感じる。

コメットさん☆:みんな…、やさしい…。

 コメットさん☆は、窓の外を見て、少しうるんだ目になった。と、その時、遠くの空に光の帯を見た。

コメットさん☆:あっ!。

ラバボー:何だボ?。

コメットさん☆:あれって…。

 コメットさん☆は、窓の外を指さした。ラバボーは何だろうと思って、窓の外を見た。

ラバボー:あ、あれは…。

 二人がそのものの正体を口にする前に、星のトレインは、藤吉家のウッドデッキ前に、「シューーーーッ」という音とともにやって来た。ところが停車すると、キラキラと光に包まれた何かを降ろし、すぐにまた発車して、空のかなたに消えていった。びっくりした景太朗パパさんと沙也加ママさん、それにツヨシくんは、すぐにリビングへ飛び出してきた。そしてリビングのガラス戸の真ん前で見つけたのは…。

景太朗パパさん:な、なんだこれ?。

沙也加ママさん:何かしら?。それに…、今やってきたのは、たしか…。

ツヨシくん:星のトレイン…。

 階段の手すりにすがりながら、コメットさん☆も下りてきた。ネネちゃんとラバボーも。

コメットさん☆:何か今、星のトレインが…。

ツヨシくん:コメットさん☆、星のトレインが来て、何か置いていったよ?。

コメットさん☆:ええっ?。

ラバボー:なんだボ?。

景太朗パパさん:これは…、つぼ?。

沙也加ママさん:どこからどう見ても…、つぼ…。

 景太朗パパさんが手にしていたのは、古そうなつぼ。両側に持ち手になるところが付いていて、ふた付きの、手のひらにのるくらいの大きさ。

コメットさん☆:そ、それは…。星国のつぼです…。

 コメットさん☆は、つぼにハモニカ星国の印を見つけると、言った。

景太朗パパさん:星国のかぁ…。定期便じゃないな。中身は何だろう?。あ、何か紙が挟んである。

 景太朗パパさんは、つぼのふたにかぶせた布をしばるひもに、紙が挟んであるのを見つけた。さっそく取って、読んでみる。

沙也加ママさん:なあに?、パパ。

ツヨシくん:パパ早く読んで。

景太朗パパさん:あ、ああ…。えーと、「コメットや、これはわが家に伝わる秘伝の星力湿布薬。これを塗れば、一晩でどんな捻挫も打ち身も治るぞ。あんまりわしに心配をかけんでくれ。大事にな。 父より」…だって。コメットさん☆、なんだかお父様からのもののようだよ。

コメットさん☆:は、はあ…。

沙也加ママさん:どんな捻挫も治るって。知ってる?。

コメットさん☆:ええー?、そんなの知りません…。

ネネちゃん:きっと、王様が送ってくれたんだね、コメットさん☆。

コメットさん☆:…そうなんだろうね。

 コメットさん☆は、今回のケガは、みんながとても心配して、いろいろな役を引き受けてくれたのだから、星力をあえて使わないようにしようと思っていたのだ。しかし、こうして星力のかかった薬が届いてしまうと、そうも言い出せない。

景太朗パパさん:せっかくだから、ちょっとつけてみたら?。その今やっている湿布はがしてさ。

コメットさん☆:はあ…。でも、今貼っているの、取っちゃっていいんでしょうか?。

 コメットさん☆は、困ったような顔で言った。

沙也加ママさん:まあ試しに、というか…。それで治るなら…。お父様の愛が詰まっているかもよ?。

コメットさん☆:えへへ…。恥ずかしいな。

 そう言われると仕方ない。コメットさん☆は、景太朗パパさんから手渡されたつぼの、ふたを開けようとした。ところがラバボーが…。

ラバボー:あっ、姫さま、もしかすると、それは…。

コメットさん☆:えっ?。

 コメットさん☆はもうひもを解いて、ふたを開けたところ。

コメットさん☆:うわっ!。すごい…。つーんとする…。

景太朗パパさん:わっ、これは、ゲホケボ…。

沙也加ママさん:あら、いいにおいじゃない。

ツヨシくん:わー、なんかこれはすげー…。鼻が…。涙が出るよ…。

ネネちゃん:ほんとだ。ママなんで平気なの?。

ラバボー:遅かったボ…。それ鼻に猛烈につーんと来るボ…。

コメットさん☆:は…、早く言ってよラバボー。

沙也加ママさん:でも、効きそうじゃない?。ハーブのにおいみたい。

景太朗パパさん:ママったら、なんで平気なんですか。ゴホっ…。

コメットさん☆:あ、景太朗パパ、大丈夫ですか。ごめんなさい。ふたを閉めて…。

景太朗パパさん:いや、いいよ…。…せっかくだから、つけてごらんよ。確かに…捻挫には…、効きそう…かも。

 景太朗パパさんは、涙が出そうになりながら答えた。みんな鼻にツーンと来る、ミントを強烈に薬臭くしたようなにおいに圧倒された。沙也加ママさん以外は。

沙也加ママさん:そんなにくさくないじゃない。ハーブってこういう感じだと思うけどなぁ?。今ガーゼ持ってくるわね。足に塗ったら、それでカバーしておけばいいんじゃないかしら?、コメットさん☆。

コメットさん☆:あ、はい…。目には…、きついですね。

 コメットさん☆も、かなり目にしみている様子。

ラバボー:星国のハーブを摘んで、練り混んで、星力をかけて作るんだったと思うボ、それ。

ツヨシくん:そうなの?。そういうふうに星力かかっているのかぁ。

ネネちゃん:…強烈な星力だね。

 ネネちゃんも涙を拭きながら答える。

ラバボー:でも、今さらそんな湿布薬、星国でも使う人いないボ…。

コメットさん☆:小さい頃、お父様が…、塗ってくれたのかなぁ?…。

景太朗パパさん:あははは…。そうだとすれば、コメットさん☆も、小さい頃からとても大事にされてきたっていうことだよ。それにしても、かなり強烈だな…、これは。

沙也加ママさん:ほら、コメットさん☆、ガーゼ。

コメットさん☆:沙也加ママ、ありがとうございます。じゃあ、せっかくだからつけてみますね。

 コメットさん☆は沙也加ママさんからガーゼを受け取ると、つぼの「湿布薬」を指で右足首に塗り、素早くガーゼを当てた。すると、不思議なことに、すうっと痛みが引く。

コメットさん☆:あれっ?…。あ、なんかいい感じ…。

景太朗パパさん:あれ?、もうにおいがうすくなった?。

ラバボー:それって、塗るとすぐににおいがしなくなるんですボ。においがしなくなれば効いた証拠ですボ。

ツヨシくん:ええー!?。

ネネちゃん:そんなぁ…。

沙也加ママさん:へえ、いいなぁ。どう?、コメットさん☆。

コメットさん☆:あっ、いいかも…。ほら…、普通に立てる…。

 コメットさん☆は、そっと両足に力を入れて立ってみた。さっきまでは右足首に力を入れると、痛みが走っていたのに、ほとんどそれを感じない。

ツヨシくん:おお、すげー。星力すげー。

ネネちゃん:ほんとだ…。

景太朗パパさん:はあ…。たいしたパワーだね。お父様の愛は、娘のケガをも、瞬時に治す…のかなぁ?。あははは…。

コメットさん☆:ふふふ…。そ、そうでしょうか?。

ツヨシくん:やった。またこれで、コメットさん☆といっしょに、水遊びできるね。

ネネちゃん:あ、そうだ。そうだね。

コメットさん☆:うん。たぶん大丈夫…。

ラバボー:でも、明日また由比ヶ浜に行って泳いでいたら、ケースケが「なんで?」って思うボ。

ツヨシくん:あ、…そうか。

ネネちゃん:あ、そうだね。思うね、ケースケ兄ちゃん。青木さんも。あんなに痛がっていたのにって思うかもね。

景太朗パパさん:うーん、そうだなぁ…。ケースケには、星力のこと、話してないものなぁ。

沙也加ママさん:2、3日は大人しくしているしか、しょうがないんじゃないかしら?。ケースケに「星力で治りました」って言うわけにも行かないでしょ?。

コメットさん☆:…そうですね。なんか、せっかく治ったと思うのに…、うそついてるみたいで辛いなぁ…。

 コメットさん☆は、そう考えると、少し気が重くなった。

景太朗パパさん:時期を見て、ケースケには、ほんとうのこと話したほうが、いいのかもしれないね…。

 景太朗パパさんの言葉に、コメットさん☆は黙って頷いた。

 そのころケースケは、夜間高校で世界史の授業に出ていた。先生の講義に、ノートを取りながら。

先生:いいか。このところは大事だ。よくノートするように。このルネッサンスにおける…。

ケースケ:(そう言えばコメットは、今日見たときも、まるっきり日焼けしてなかったな…。コメットは毎年そうだ。いったい、どうやってあんな白い肌でいられるんだ?。コメットについて、わかっているようで、わかってないような気がする…。)

先生:田中、よそ見しないでよく聞いておけよ。ここのところ大事だ。

ケースケ:(お、いけねぇいけねぇ。ノート、ノートと。)

 ケースケは、ふと思い出したが、近くの席の田中君が、先生に注意されたのを聞いて、授業に集中し直した。

 いつものように、階段をささっと上がれるようになったコメットさん☆は、部屋に戻るとティンクルホンで、星国に電話をした。

コメットさん☆:あ、お母様?。お父様出られる?。

王妃さま:まあ、コメット?。久しぶりね。なんでも、足くじいたんですって?。

コメットさん☆:うん。ちょっとね…。水遊びしていて、足取られちゃった…。

王妃さま:気をつけないといけませんよ。心配させないで。

コメットさん☆:はい、お母様。…あ、でも、お父様だよね?、わざわざ星のトレインで、お薬届けてくれたの。

王妃さま:ええ。パパは今お風呂に入っているから、すぐには電話に出られないと思うわ。それより、もうね、最近困っているのよ。

コメットさん☆:そっか…。え?、その困っているのはなんで?。

王妃さま:パパったら、王宮の地下書庫で、古い本を見つけてね、そこに書かれている薬を作るんだとか言いだして。

コメットさん☆:ええー?。そうなの?。

王妃さま:それで、王宮の花壇じゅう、ハーブの畑みたいになっているの。

コメットさん☆:うふふふふ…。そうなんだ…。それで?、今度の薬も。

王妃さま:そう。すごい強い香りだったでしょ?。

コメットさん☆:うん。涙が出そうだったけど…。沙也加ママは平気だったよ。

王妃さま:いつもよく、お香なんかを売っていらっしゃるからかしら?。それで、お薬効いた?。

コメットさん☆:うん。とてもよく効いたみたいだよ。もうほとんど痛くない。でもね、地球のお医者さんも、とてもよくしてくれた…。また沙也加ママと景太朗パパに心配かけちゃったかな…。…それに、ケースケと、青木さんっていうライフセーバー仲間の人にも、助けてもらっちゃった…。

王妃さま:まあ、みんなによくお礼しておくのね。でも、あなたが早く治って、元気な姿を見せることが、一番のお礼になるわ。

コメットさん☆:うん。そうだね…。お父様にもお礼を言わなきゃ。

 ひとしきりコメットさん☆は、王妃さまとのおしゃべりを楽しんだ。電話の終わり際には、長湯を切り上げて、急いで電話口に飛んできた王様とも少し。そしてティンクルホンを切ると、コメットさん☆は、パジャマに着替えた。しかし、腰につけたティンクルスターに呼びかけてラバボーを呼んだ。

コメットさん☆:ラバボー、ラバボー。

ラバボー:なんだボ?、姫さま。顔出していいのかボ?。

コメットさん☆:いいよ。ちょっとお話したいな、ラバボーと。

ラバボー:ボーと?。いいボ。

 そう言うとラバボーは、ティンクルスターから出てきた。

ラバボー:どうしたんだボ?、姫さま。足は治ったボ?。

コメットさん☆:うん。ありがと…。ほとんど痛くないよ。腫れも引いたし…。

ラバボー:よかったボ…。王様の薬が効いたのかボ?。

コメットさん☆:うふふ…。両方かな?。沙也加ママが連れていってくれた医院のお医者さんも、とても親切に診てくれたよ。

ラバボー:そうなのかボ。地球の医者ビトさんにも、かがやきがあふれているボ。

コメットさん☆:そうだね。病気やケガを治して、元のように元気になろうとする人を、手助けするかがやき…。…でもね、ラバボー、今お話ししたいのは、そのことじゃないの。

ラバボー:なんだボ?。

コメットさん☆:…あのね。私、ケースケにうそついているようなの、辛いな…。

ラバボー:…姫さま。それって…、姫さまが星ビトだといういうのを、ケースケに黙っていることかボ?。

コメットさん☆:うん…。景太朗パパや、沙也加ママは、もうだいたいのことは知っているのに、ケースケには、何もしゃべってない…。

ラバボー:ケースケは、自分の夢の話はするけれど、姫さまの話をあんまり聞いてくれないボ…。

コメットさん☆:えっ?。

 コメットさん☆は、思わず聞き返した。そして、ラバボーの意外な言葉にとまどったが、少し思い出してみて、そう言われてみれば、そうかもしれないと思えた…。互いに信頼しきっていると思っていたけれど、だとしたら、もっとお互いのことを、言葉でさらけ出しているはずだ。

ラバボー:…もし、姫さまが、自分から星ビトであることを、ケースケに言ったとしても、信じてくれるかボ?。それに…、例えばボーの正体を、どう説明するんだボ?。星国っていうところから来て、何を探しているのか、そんな話を、今ケースケにするとしたら…。

コメットさん☆:…し、信じて…、くれないよね…。それに、今ケースケは大事な時…。

ラバボー:…少なくとも今は、いいタイミングだとは思えないボ…。ケースケの大会が、来月なんだから…。

コメットさん☆:はあっ…。…そうだね。

 コメットさん☆は、一つため息をつき、一言ぽつりと答えると、ベッドにそのまま倒れ込んだ。そして天井を見つめる。

ラバボー:……沙也加ママさんにも、相談してみるといいボ…。

 なぐさめるかのように、ラバボーが小さい声で語りかけた。

 

 翌日、コメットさん☆はすっかりよくなり、沙也加ママさんのお店の手伝いをしていた。昨日の迷いを、沙也加ママさんにも聞いてみる。

沙也加ママさん:ケースケに?。そうねぇ、どうしてもっていう必要があればだけど、今のところは黙っていていいんじゃない?。

コメットさん☆:そうかなぁ…。

 コメットさん☆は、小さい声で答える。

沙也加ママさん:びっくりしちゃうかもしれないし…。

 沙也加ママさんは、品物の置き換えをしながら答える。

コメットさん☆:…たぶんケースケのことだから、信じてくれないかな…。

沙也加ママさん:あなたが真剣に話をしたら、最終的には信じると思うわよ。あなたがどのくらい、そのことで悩んで迷ったかを、察してくれないようなケースケだと思う?。

コメットさん☆:……いいえ。

沙也加ママさん:私も、ケースケはそんなに鈍感じゃないと思うけどね。うふふふ…。

コメットさん☆:沙也加ママ…。

沙也加ママさん:でも、なんだか私には、コメットさん☆とケースケの間には、言葉を越えた信頼感のようなものがあるように思えるわね。

コメットさん☆:えっ?、そうですか?。

沙也加ママさん:手をつないだり、ベタベタのデートしたりしないけれど、互いの心は、どこかでちゃんとつながっているみたいな感じかなぁ?。そんなふうに思えるけど…。

コメットさん☆:……。

 コメットさん☆は、黙ってにこっと笑った。

コメットさん☆:じゃあ沙也加ママ、お店の前に、ワゴン出しますね。

沙也加ママさん:あ、大丈夫?、足。

コメットさん☆:ええ。もうすっかりよくなったみたい。沙也加ママ、心配かけてごめんなさいです。

沙也加ママさん:そう。よかった。いいのよ、気にしなくて。しばらくしたら、またツヨシとネネと、いっしょに水遊びでもしたらいいわ。

コメットさん☆:はーい。

 コメットさん☆は、そう答えると、お店のドアを勢いよく開けて、小走りにお店の裏に回り、掃除するために置いてあったワゴンのところに行った。ところがその時、ちょうどケースケが、たまたまトレーニングに向かうため、Tシャツに短パン姿で走ってきた。そして、道の反対側から、お店の裏手に向かうコメットさん☆を見つけた。

ケースケ:(おっ、コメットだ。なんだ今日は店の手伝いか…。足は…、足はどうしたんだ?。今走っていたようにも見えたがな?。オレが走っているせいか?。湿布の包帯もしてないようだけど…。)

 ケースケは、由比ヶ浜から稲村ヶ崎を抜け、七里ヶ浜までランニングをするつもり。

ケースケ:ま、お店の手伝いとなると、包帯でってわけにもいかねぇのかもな。いけねぇ、今日は走り込みに集中しないと。

 ケースケは、そう自分に言い聞かせるように言うと、そのまま「HONNO KIMOCHI YA」の前を通り過ぎていった。9月になったばかりは、まだまだ残暑が続く。ケースケは、10月の大会に向けて、全力で臨む。言葉に出さなくとも、コメットさん☆もまた、それを全力で応援している…。

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★第270話:カスタネット星国女王の苦手−−(2006年9月中旬放送)

アリストーニ:プラネット王子、いったいいつお戻りになるおつもりですか?。予定くらいは立てていただかないと…。王族会は困ります…。

プラネット王子:それはそうかもしれないが…。オレはまだ、地球でやりたいことがあるからな…。もう少し待っていて欲しい。

アリストーニ:ううーむ、王子のお望みとあらば、いたしかたありませぬが…。

プラネット王子:星の子たちはなんて言っている?。

アリストーニ:それはみな喜んでおりまする。王子の地球でのご活躍を。

プラネット王子:活躍ってほどでもないかもしれないけどな…。

ミラ:それでも、写真展を…。

アリストーニ:なんと。それは本当ですか?。すると…、ゆくゆくはフォトジャーナリストということに!?。

プラネット王子:いや、フォトジャーナリストって、それはない。いつかはここに帰って来るつもりだ。それに写真展も、サロンを借り切るみたいなのは、夢のまた夢さ…。いつかはそんなこともとは思うけどな…。まあ一応、雑誌の常連程度ってところさ、今はな。

アリストーニ:そうでございますか…。

 アリストーニさんは、ほっとしたように答えた。

 プラネット王子は、珍しく少しの間、星国に「里帰り」していた。特に用事があるとか、心配だというわけではなかったが、星国の様子を、ここ数年時々見に帰るようにしている。タンバリン星国には、王様や王妃さま、女王さまが待っているわけではない。王子の親戚がいるだけだ。王子には、両親がいないのだ。

 ヘンゲリーノが追放されたあと、新しい王族会が、星国全体を王子に代わって治め、星の子たちをまとめている。王族会は、プラネット王子が地球で住んでいる、橋田写真館まで使いを出したりもする。ヘンゲリーノたちが、タンバリン星国を牛耳っていた頃は、ミラとカロンも、王子の「監視役」だった。しかし今、プラネット王子の良きお供になり、すっかり写真館の「店員さん」のようになって久しい。

 9月に入ってすぐ、数日間ミラといっしょに里帰りをしていたプラネット王子は、何かと世話を焼こうとする、アリストーニ始め、王族会の人々に、やや閉口していた。

プラネット王子:やれやれ。アリストーニたちも、オレたちがいない星国を、ずっと守ってくれているのはありがたいけど、帰国の予定を立てろとか言われてもなぁ…。あははは…。

ミラ:そうですね。まだ帰れませんよね!。

プラネット王子:ああ。…なんだ、ミラはやたら力入っているな。

ミラ:だってまだ、写真展やっていませんし、有名な写真家さんの仲間入りまでは出来ていませんよ、殿下!。

プラネット王子:はいはい…。…そうだな。世界一とまでは思わないけど、やっぱり人の撮れない写真を撮る写真家になってから、星国には帰りたい。理想かもしれないが、オレはそう思っているよ。ふふふ…。

 プラネット王子は、ミラの意外に強気な発言にびっくりしながらも、未来への希望を口にした。

 そんな、楽しくも、少々窮屈な感じがしないでもない里帰りを終えて、再び地球へ向かおうかというプラネット王子に、カスタネット星国の女王から、一通の手紙が託された。

プラネット王子:なんだろうな、この手紙。

ミラ:さあ?。どうして女王さまは、メモリーボールで直接お伝えにならないのでしょう?。

プラネット王子:そうだよなぁ。カスタネット星国の女王からメテオへってことは、言ってみれば親子のやりとりなわけで…。それをわざわざ手紙ってのはなぁ。

ミラ:読んじゃだめですよ?。

プラネット王子:当たり前だろ?。読まないよ!。最近ミラは、手厳しいな…。

 プラネット王子は、きちんと封がされ、白い草花の模様が、浮き出し飾りでついた封筒を眺めながら言った。以前より、しっかりしたことを言うようになったミラの言葉に圧倒され気味になりながらも。

ミラ:…ですよね。ふふふっ…。それにしても、どうしてなんでしょうね?。

プラネット王子:どうしてなんだろうな?…。

 プラネット王子は、カスタネット星国の印を、手でなぞるようにしながら、もう一度言った。飛行船は早くも見慣れた藤沢市の上空に近づいていた。

 

 いつもの風景の中に戻ってきたプラネット王子は、夕方の風岡邸の前の道で、メテオさんに手紙を手渡した。ちょうどそのころ、カスタネット星国の王宮では…。

料理長:女王さま、この度若い者を厨房に入れることになりました。わたくしの息子でございますが。

カスタネット星国女王:あらそう。料理長、あなたの息子さん?。

料理長:はい。わたくしが言うのもなんですが、このところ腕を上げて参りまして。

カスタネット星国女王:そう。それは結構だわ。おいしいものを食べさせてちょうだい。

料理長:はっ。…それで、一言ごあいさつをと思いまして。これ、女王さまに一言申し上げなさい。

料理長の息子:はい。…女王さま、これからよろしくお願いいたします。女王さま、何か苦手なものはございますか?。

カスタネット星国女王:苦手?。

料理長:こ、これ。はじめてのお目通りで、いきなりそんな話を…。

カスタネット星国女王:あら、よろしくってよ。苦手…、そうね。苦手なものなど、なんにもなくってよ!。オーホホホ…。

 女王は、執務室にやって来た料理長親子を見て、料理長の息子の言葉に高笑いを返した。苦手なものなどない、と。

 一方地球のメテオさんは、手紙を受け取り、風岡邸の自室に戻ると、さっそくはさみで開封する。

メテオさん:何かしら?。お母様の手紙って、なんでわざわざ手紙なのかしら?。

ムーク:メモリーボールを投げつけて壊したとか、なさったんでしょうか?。

メテオさん:ムーク、わたくしのお母様が、そんなことをするとでも?。

ムーク:いえいえ…。…やりそうだけどね…。

 ムークは、ぼそっとつぶやいた。

メテオさん:……そうね…。

 ムークの言葉に、きっと目を据えたメテオさんだったが、目線だけ天井に移し、いつもの女王の姿を思い起こすと、ふと「本音」をもらした。

メテオさん:…と、とにかく、よ、読んでみるわよ。

 メテオさんは、誰かに聞かれているのではないかと、自分の部屋のベッドの上なのに、まわりを見回してから、中身の紙を広げた。

女王の手紙:(…二日後、そちらに向かうわったら向かうわ。久しぶりに、恋人の話など聞かせてちょうだいったら、聞かせてちょうだい。)

メテオさん:……。

 メテオさんの顔は、一瞬にして青ざめた。

メテオさん:ふ…、二日後って…。どうしてこう、星ビトはぁ、日にちに余裕がないのよう!。

ムーク:姫さま、どうなさいました?。

メテオさん:どうしたもないわよ。く、来るのよ、嵐が…。

ムーク:女王さまですか?。

メテオさん:ムーク!、なんで嵐って言うと、お母様なのよ…ってな突っ込みはあとにしてぇ!。見、見てよ、この書きっぷり…。

 メテオさんは、手紙をムークに放り投げるように渡すと、ベッドにそのまま背中から倒れ込んだ。

ムーク:何々?。「…二日後に、そちらに向かう…」。…のわーーーーー!、どうしますったら、どうします?。…いちいち「向かうわったら向かうわ」っていう繰り返しの口癖を、字で書くかね、この親子は…。

メテオさん:し…、知らないわよ。…わ、私は字には書かないわよったら、書かないわよ!。…って、問題はそこじゃなーい!!。

 ベッドの上で、寝たまま大暴れするかのようなメテオさんに、ムークはぼそりと言った。

ムーク:…しかし姫さま、風岡夫妻に言っておかないと、女王さまは何をされるかわかりませんぞ…。

メテオさん:…そ…、そうね…。

 メテオさんは、大の字に伸ばしていた手足をたたんで、ベッドから起きあがり、そのまま頭を抱え込んだ。

ムーク:姫さま、こんな時に腹筋運動している場合ではありません。…最近通販スイーツで太ったのかね。

メテオさん:腹筋なんてしてなーい!。それに太ってないわよっ!!。…でも、なんて言ったらいいのかしら…。留子お母様に、いまさら実の母が来ますなんて言うの?。

ムーク:…はあ。そうですなぁ。今までここにお世話になりまくりどころの騒ぎじゃないですがー、姫さまは留学生ということに、一応なっているのですから、遠い国から母親が会いに来るというのは、特に不自然ではないかと。

メテオさん:…そ、そうかしら。それはそうだとしても…、どこまで説明したらいいかしら…。

 メテオさんは、一つため息をついた。そしてちょっぴり、コメットさん☆のことをうらやましく思った。星国のことのだいたいを知っている藤吉家の人々…。それに対して、星ビトであることはもちろん、ほとんど何も話をしていない自分。特段それで不自由もなかったどころか、好き勝手に振る舞えていたはずなのに、本当の母親である女王が、この家にまで来るとなると、どう説明するか迷う。

メテオさん:と…、とにかく、早く留子お母様と幸治郎お父様に言っておかないと、大変なことが起こるかも…。

ムーク:はあ…。

メト:にゃあ?。

 メテオさんのベッドの近くで寝そべっていたメトは、急に立ち上がったメテオさんを、不思議そうに見た。メテオさんは、10秒ほど立ったまま考えると、部屋のドアを開けて出ていこうとした。

ムーク:ひ、姫さま、どう説明なさるので?。

メテオさん:どうって…。とりあえずなんとかするわよ!。

 メテオさんはそう言うと、階段を駆け下りて行った。

 階段を降りて、リビングの扉を開けると、ダイニングに通じるドアが開け放たれ、その向こうに夕食の準備をする留子さんが見えた。やや乱暴に、リビングのドアを開けたメテオさんに気付いた留子さんは、お皿を並べながら、顔を上げてメテオさんを見た。立ちつくすメテオさんの足元には、メトがついてきていた。

留子さん:あらメテオちゃん、どうしたの?。何かあわてて。メトちゃんもいっしょね?。

メテオさん:と、留子お母様…。

留子さん:なあに?。何かあわてるようなことでもあったの?。

 留子さんは手を止めず、メテオさんを見透かすように言う。

メテオさん:く、来るのよ!。

留子さん:何が?。

メテオさん:わたくしの…、し、親戚の…、い、いや…、親戚に決まっているわ…。その…、母が。

 メテオさんは、留子さんがどういう反応をするか、ドキドキした。まるで本当の娘のように居座っている自分。さらに、最初は星力でだますかのようにして、住み着いたようなもの…。それから既に5年もたつのに、今さら本当の母がなんて言ったら…。…ところが留子さんは…。

留子さん:え?、お母様がいらっしゃるの!?。まあ、メテオちゃんのお母様!?。それはよかったじゃない。私たちもぜひお目にかかりたいわ。

メテオさん:え?、と、留子お母様…。…よ、よくなんて、ないないない!。ないったらないー!。

留子さん:ええ?。どうして?。

メト:にゃーーーん。

 メトは、メテオさんの足元をすり抜けて、留子さんのところに行ってしまった。

メテオさん:だ…、だって、とんでもないことが…。

留子さん:あははは…。変よ?、メテオちゃん。お母様がいらっしゃるのが、どうしてとんでもないの?。

メテオさん:そ…、それは…。…その、今まで来たことなかったから…。ここには…。

留子さん:じゃいいじゃない?。はじめてお会いするの楽しみだわ。

メテオさん:た…楽しみ…。そ…、それならいいけど…。

留子さん:メトちゃんはごはんね。ちょっと待ってねぇー。それでメテオちゃん、いついらっしゃるの?。お母様は。

メテオさん:あ…そ、そうだわ!。ふ、二日後よったら、二日後よ!?。

留子さん:あらそう。大丈夫よ。ぜひいらしていただいて。鎌倉駅までお迎えに行きましょうかね?。

メテオさん:い、いえ。あの、で…電車で来るんじゃないの。

留子さん:そう。じゃあお車ね。

メテオさん:…そ…、そんなところかしら?。

留子さん:泊まって行かれるんでしょ?。

メテオさん:え、ええ…。…じゃなくて、いや…。

 もうメテオさんは、汗がだらだらと流れていた。

留子さん:ぜひ泊まっていっていただきましょ。ね?、メテオちゃん。

メテオさん:はぁ…。

幸治郎さん:どうしたんだい?、二人とも。

 そんなメテオさんの、よく通る声を聞いた幸治郎さんが、書斎からダイニングにやって来た。

留子さん:あら幸治郎さん、メテオちゃんのお母様が、あさっていらっしゃるんですって!。

幸治郎さん:ほう。そうかい。メテオちゃんのお母様?。メテオちゃん、それはぜひお目にかかりたいねぇ。どちらにお住まいのどんな方なんだい?。

メテオさん:…そ、その、私の故郷の国の、とんでもない人…。

幸治郎さん:とんでもないって…。あははは…。面白い人なのかな?。それはちょうどいいじゃないか。楽しいお話をたくさん聞かせていただこうか。ね、留子さん。

留子さん:そうね。楽しい方ならお話が弾むと思うわ。メテオちゃん、お部屋、片づけておいた方がいいわよ。うふふふ…。

メテオさん:…はあ、はーい…。

 メテオさんは、なんだか困り果てた気分になっていた。そしてとぼとぼと、階段を上がると、自分の部屋に戻った。

メテオさん:…言ってきたわ。ムーク…。

ムーク:あ、姫さま、どうでしたぁ?。

メテオさん:どうもこうもないわよ…。留子お母様も幸治郎お父様も、やたら歓迎ムード…。もう、ぼんしょり…。

ムーク:それを言うならしょんぼりでしょ…ってな突っ込みしている場合じゃなくて、まあ、来ないで下さいって、今の時点で言うわけはないでしょうなぁ…。どうなさるおつもりで?。

メテオさん:どうって…。待っているしかないでしょ?。何言われるかわかったものじゃないわったら、ないわ…。

 メテオさんは、うなだれたようにベッドに腰掛けた。

ムーク:…それで、女王さまをなんと紹介されたので?。

メテオさん:なにって…、母と言うしかないでしょ?。

ムーク:…まあ、そうですねぇ。留子さんも幸治郎さんも、特に驚かれないんですか?。

メテオさん:なんだかそういう雰囲気じゃないの。私のこと、今まで何も聞いてこないし…。…まさか、いまだに美沙子さんの生まれ変わりだとは思ってないでしょうけど…、だからと言って、ただの留学生だとは、思ってないはず…。

 メテオさんは時々、自分の出身に関することを、何も問いただそうとしない幸治郎さんと留子さんを不思議に思っていた。そして、実は好き勝手やっているようでも、時に「いつまでもこんなことをしていていいのかしら?」と思っているのだ。

ムーク:…姫さまの思いはこのムーク、よくわかりますが、女王さまのことは、普通に外国暮らしの母、ということにするしかないでしょうなぁ。

メテオさん:でしょでしょでしょ?。だから、そうしておいたわよ。そういう普通な感じで、すめばいいけど…。

ムーク:…留子さんも、幸治郎さんも、何かと気を使って下さっているのですよ。

 ムークの一言に、メテオさんははっとして顔を上げた。そしてムークのことをじっと見る。それから夕映えがわずかに残る空を、窓から見上げた。

メテオさん:…そうね。

 メテオさんは、つぶやくように答えた。

 

 二日後の昼間、カスタネット星国の女王は、お供を連れて、いつものように帆船に乗り、地球を目指していた。そして鎌倉を目指す。女王は、船にしつらえられた自分のいすに座り、最近凝っている健康茶を飲みながら、娘であるメテオさんが記録してきたメモリーボールを再生して見いていた。

メモリーボールのメテオさん:(お母様、お願いだから普通に来てよ!。船で来て、そのまま着地とか、絶対にしないでよね。地球の家は、鋼鉄で出来ているわけじゃないんだから!。…それに普通の格好で!!。)

 そんなメテオさんの言葉が含まれた映像を、じっと見据えるように見ると、お茶のグラスを置いて立ち上がった。

カスタネット星国女王:私はしばらくの間、控えの間にいるわったら、いるわ。到着したら呼ぶように。お願いよ。

侍従長:はい。女王さま。

 近くにいた侍従長のタヌキビトが答えた。女王は広間のいすから、衣装部屋に向かった。

 そして数十分後、女王は日傘を差しながら、極楽寺にある風岡邸を目指し、お供もつけずに一人歩いていた。

カスタネット星国女王:…はぁ…はぁ。な、なんて坂かしらったら、坂かしら…。こんなことなら、もっと近くで…。

 女王は、かつてのように、船を稲村ヶ崎の公園に回し、そこで降りて歩き始めたことを、早くも後悔していた。稲村ヶ崎から風岡邸は、歩けばゆうに30分以上かかる。それに平坦な道ではなく、かなりな上り坂である。

通りがかりの人:…うわっ…。

カスタネット星国女王:何かしら?。わたくしを見て、みんな振り向くわ。

 住宅街の道だから、時折近くに住んでいる人とすれ違う。そしてみな一様に振り返る。それもそのはず、女王はラメ入りの紫色のロングなワンピース。それには星がちりばめられた布が前と後ろへ垂らすように付き、さらには宝石をはめた指輪とイヤリング、ブレスレットという出で立ちだ。日傘も高価な絹に派手な花の模様。ようやく秋めいてきたとは言え、まだ日中は暑さも感じるこの季節、見た目で暑そうだし、なんと言ってもスター歌手のようにひときわ目立つスタイルだ。しかし女王は、そんなことに気付くこともなく、ひたすら鎌倉の坂と闘っていた。

 息が切れ、汗だくになった女王は、ようやく風岡邸の前までやって来てつぶやいた。

カスタネット星国女王:…ふう…。もう10年分くらい歩いた気がするわ…。

 日傘をたたみ、両手をひざに置いて肩で息をする。そしてしばらく息を整えると顔を上げ、呼び鈴を押した。リビングのカーテンに隠れていたメテオさんは、いよいよ焦った。

呼び鈴:ピンポーン♪。

留子さん:はーい。

 留子さんはいそいそと玄関へ急いだ。

メテオさん:き…、来たわったら、来たわ…。ああ…、な、なんなのよあの格好…。

ムーク:うーむ、相変わらずすばらしいですなぁ…。

 紫色のラメとスパンコールで飾られたドレスで、門から階段を上がってくる女王を、カーテンの隙間から見たメテオさんは、めまいがしそうな気分になった。ムークもあきれている。

留子さん:まあ、遠いところよくいらっしゃいました。メテオちゃんのお母様ですね?。

カスタネット星国女王:どうも。こんにちは。長いことわたくしの娘がお世話になっておりますわ。お礼申し上げます。

留子さん:メテオちゃん、メテオちゃん。お母様がお着きよ。

 留子さんはドアを開けてあいさつすると、奥にいるであろうメテオさんを呼んだ。リビングに隠れてそれを聞いたメテオさんはあわてた。

メテオさん:うわー、ど、ど、どうするのよぅ、ムーク。

ムーク:どうするって、出て行くしかないでしょう、姫さま。隠れていたって、1秒で見つかりますよ?。

メテオさん:うわーん、ムークのいじわるー!。

ムーク:…どっちがいじわるかね…。姫さま!、あきらめましょう!。

メテオさん:もう、覚えてらっしゃい!。ムークったら!。

 メテオさんは、そう言い捨てると、リビングから玄関へと、仕方なく向かった。その顔は、やや青ざめているかのよう…。

ムーク:なんで私のせいになるんでしょう?。まったく…。

 ムークはそう嘆いて、はあっとため息をついた。メテオさんは、そっと玄関に出た。

留子さん:あら、メテオちゃん、どうしたの?。お母様よ?。

メテオさん:ど、どうも…。

留子さん:何がどうもよ。うふふふ…。恥ずかしいの?。いつもの調子は?。

女王:おや、メテオ。久しぶりね。元気だったかしらったら、元気だったかしら?。

メテオさん:お、お母様、そ、そんなの、いつも見て…じゃなくて、えー、えーと、げ、元気よ。いいい、いらっしゃい…。

留子さん:あら、ずいぶんよそよそしいのね。うふふふ…。さあさあ、こんなところで立ち話じゃしょうがないから、メテオちゃん、お母様をお部屋へ。

メテオさん:…は、はい…。

留子さん:いいお返事ね。

メテオさん:……。

 メテオさんは、女王がじっと自分のことを見ている気がして、ドキドキしていた。女王はうながされるように、まず応接間に上がった。

 女王は応接間の一人がけいすに座り、メテオさんは、反対側ソファの一番女王に近いところに座った。並ぶように留子さんと幸治郎さんが座る。女王の右手にはグランドピアノ、真後ろには暖炉である。高い窓からは、光が入るが、西に向いているわけではないので、西日がきついということはない。留子さんが紅茶を、お菓子とともに出してきた。

留子さん:メテオちゃん、紹介してよ。

メテオさん:え?、あ、はい…。

 メテオさんは、まるで借りてきた猫のように、大人しく座っていた。一応フリルのついたよそ行きワンピースを着ている。

メテオさん:えーと、こちら、私の母です。そちら、私がお世話に…、その…、なっている幸治郎さんと留子さん…。

女王:はじめまして。いつも娘がお世話になっておりますわ。なんとお礼申し上げたらいいか…。おてんばな娘で、ご迷惑をおかけしますわ。

 派手な服を着て、それに似合わないかのような、礼儀正しいあいさつをする女王。メテオさんは、目をぱちくりさせた。

幸治郎さん:いやいや。はじめまして。風岡幸治郎と申します。いつもメテオちゃんには、楽しませていただいておりますよ。メテオちゃんが来るまでは、留子さんと二人、寂しい暮らしでしたが。

留子さん:本当にメテオちゃんには、感謝しているんですよ。娘の美沙子そっくりで。

女王:美沙子さん…。美沙子さんは…。

留子さん:ええ。事故で亡くなりましてね…。まるでメテオちゃんは、その美沙子にうり二つ。最初は生まれ変わりなのかとすら思いましたよ。

女王:そうですか。それはお悔やみ申し上げますわ…。そんなにわが娘メテオに、似ていらっしゃるのでしょうかしら?。

留子さん:ええ。とても似ていますよ。ふふふ…。メテオちゃんのほうが、よっぽど活発ですけどね。

女王:さすがはわが娘。いいこと?、メテオ、わが星国の未来のためにしっかり…。

メテオさん:わーーーーー、お、お母様っ!。

女王:おっと、いけない…。

 女王はついいつものように、メテオさんに立場を自覚させようなどと思ってしまい、半ばあわてて紅茶を口にした。

幸治郎さん:ほしくに、とは?、どちらの国でしょう?。

女王:星国…、あ、いや、遠くの国ですわ。とても遠くの。

幸治郎さん:そうですか。メテオちゃんは、そんなにそのお国の未来をしょってらっしゃるのですかな?。

メテオさん:あ、いえ、そんなんじゃないわったら、ないわ。

 幸治郎さんの、核心を突くかのような質問に、メテオさんはあわて気味に答えた。一方女王はさすがに落ち着いて答える。

女王:そう…。わが星…、いえ、わが国では、若い者たちへの留学教育に、力を入れておりますので…。

幸治郎さん:そうですか。それはすばらしい。

留子さん:あなた、あんまりここにお引き留めしちゃ悪いわ。メテオちゃんのお部屋も見ていただきましょうよ。

幸治郎さん:おお、そうだね。すみませんね、メテオちゃんのお母様、お引き留めして。どうぞ、夕食まで娘さんとごいっしょに。

女王:それはどうもありがとうございます。では、失礼して、メテオ、お部屋に案内してちょうだい。

メテオさん:は…、はい、お母様。

 

 メテオさんと母であるカスタネット星国女王は、2階のメテオさんの部屋に移動した。女王は堅苦しさと、なんと言っても鎌倉の坂道に疲れていた。

女王:ふう…。メテオ、ここはなかなかいいところだけど、坂がきつすぎるわったら、きつすぎるわ。

メテオさん:そ、そんなこと言ったって、私のせいじゃないわよぅ…。

ムーク:それでも、姫さまは歩いて行動もなさいます。

 ムークが、助け船を出すかのように答える。

女王:もう何年も、あんな労働はしたこと無くってよ。

メテオさん:それじゃ運動不足よ、お母様。

女王:そうかしら?。

 女王は、メテオさんの部屋の、一つしかないソファに座っていたが、あたりを見回すと、テレビが置かれた台の上、イマシュンの写真に目をとめた。

女王:これがイマシュンという青年だわね。

 女王は低い声で尋ねる。ベッドに座っていたメテオさんは、あわてて立ち上がり、テレビ台に駆け寄る。

メテオさん:あっちこっち詮索しないでよ!。そうよ。それが瞬さま。悪い?。

女王:いいえ。今でもこの青年とおつきあい…。

メテオさん:…そ、そうよ。デ、デートもちゃんとしているもの。

女王さま:どこまで?。

メテオさん:横浜ぁ!。清く正しく横浜で食事よー!。…それくらいしか、出来ないわよ。うっかりしていたら、週刊誌になんて書かれるかわからないわったら、わからないわ。前に瞬さまのレコーディングについて、アメリカに行ったら、もうそれはすごかったわよ…。

ムーク:姫さまのほうが、あおっていましたからなぁ…。あの時は…。

女王:…そう。週刊誌とは?。

メテオさん:…もう、週刊誌も知らないの?。どういう国よ、カスタネット星国…。政治のこととか、事件のことは掘り下げたこと書いてあるけど、…人の恋愛関係のこととかは、あることないこと、ないことないこと書き立てる雑誌よ…。

女王:……。

 女王は、うんざりしたようなメテオさんの言葉を聞いて、黙ってイマシュンの写真を元に戻した。

女王:純愛もいいものよったら、…いいものよ。

 女王は再びソファに座ると、窓の外を見ながらつぶやいた。その目には、何が映っていたのか。

ムーク:女王様…。

メテオさん:え?、お母様?。

 女王は、窓の外から、少し視線を下げると、静かに語りだした。

女王:…あの人は、一途な人だったわ。

メテオさん:お母様…。

女王:ずっとわたくしのことだけを。わたくしも彼のことを。

メテオさん:それって…。お父…様のこと?。

 女王は黙って頷いた。

メテオさん:そんな話、はじめて聞く…。

 メテオさんは、少しうろたえた。

女王:だから、もしあなたが、その瞬という青年と、結婚するとしたら、いつでもいいわよったら、い・い・わ・よ。

メテオさん:…あ、あのねぇ、なんでそう、カスタネット星国は、なんでも早く決めないとならないのよ!。結果ばかりで、過程ってものがないの?。

女王:そんなことを言っているのではないわ。もちろん、過程は大事なことなのだわ。

メテオさん:だったらなぜ、わたくしをそんなに早く結婚させたいの?。5年前も、今も。

女王:5年前はともかく、早く結婚しなさいなんて、もう言うつもりはなくってよ。そうでなかったら、ここにお世話になりっぱなしで、地球に住むことをすすめたりはしないのだわ。

メテオさん:それは…、そうかもしれないけど…。

女王:あなたと瞬という青年の姿が、…かつてのわたくしに重なる…。そんな気がするのだわ…。だから…つい…。…わたくしが大事にしていた宝石のような彼は…、もういないのよ…。

メテオさん:お母様…。

 女王は、ふと寂しそうな目を向けた。そう。女王は、自分がメテオさんを産むと同時に、愛する夫を失った悲しさから、同じようなことが、よもや自分の娘であるメテオさんに、再び起こるとがないようにと思うと、つい結婚のことが頭をちらついてしまうのだった。そんなことは、二度とないと思いつつも、子どもを授かる喜びもつかの間、最愛のパートナーを失う恐怖。それが普段自信に満ちているかのように見える女王の心に、影を落としていたのだ。メテオさんは、いつも強引だと思っていた自らの母にの心に潜む、寂しく思う気持ちにようやく気付くことが出来た。

女王:…もう、こんな話ができる歳になったのね、メテオは…。

 女王は、窓の外が夕焼け色になってくるのを見て、そっとまたつぶやいた。

女王:楽しみだわ…。

メテオさん:…お母様、私だって心配よ。瞬さまはアイドルだもの…。でも…、ずっと瞬さまを信じていたい…。それにきっと瞬さまは応えてくれる…。そう思っているわ。

女王:そう!。それでこそわが娘!。純愛とは、そういうもの。期待しているわ。あなたの思うようにするのだわ。もう、あなたも子どもではなくってよ!。

メテオさん:うわぁ…、急に元に戻ってる…。…わかったわ、お母様…。

 と、女王が自信に満ちた、いつもの言い方に戻ったかに見えたとき、ちょうどメテオさんの部屋のドアにある、小さなくぐり戸を頭で押しのけて、メトが入ってきた。

メト:にゃー。にゃーん。

メテオさん:あら、メト。どうしたの?。

 メテオさんは、メトを抱きあげた。メトはいつものようにゴロゴロとのどを鳴らしているが、見慣れない女王の姿を見ると、メテオさんの手をすり抜けて、窓のそばにいた女王のほうへ、タタタっと走り寄った。

女王:ひいっ!。ね…、ネコっ…。しっし!。あっちへおいき。

メテオさん:お母様?。どうしたの?。

女王:わ、わたくしは…、ネコはどうしても…。あっちへ、…あっちへおいきったら!。

 メトは知らない人がいるといつもそうするように、鼻をひくひくさせながら、そばに寄って足元のにおいを嗅ぐ。猫にはよくあることだ。当然メテオさんも、そんなことはよく知っているが…。女王は、飛び跳ねるように、着ているもののすそをはためかせながら逃げる。メテオさんのベッドの脇、そして上へ、さらに反対側のテレビ台の前、ソファのうしろと。

メテオさん:あははは…。お母様、何やっているのよ。

 メテオさんは、そんなおろおろする女王を見て笑った。

女王:メテオ!、笑ってないで助けなさいよ!。私はネコが苦手なのよったら、苦手なのよーー!!。

メテオさん:…お母様にも、苦手ってあるのね…。

 メテオさんは、あきれたように言った。

ムーク:はあ…。珍しいこともあるもんだ…。

 ムークもあきれてつぶやく。

女王:あー、もう、なんでネコなんて、メテオは飼っているのかしら!。もう、どうにかするのよったら、するのよ!。うわっ…、このざらっとした毛が…。

 メトは面白がって、逃げる女王に駆け寄り、着物のすそにじゃれついたりする。遊んでくれているのだと思っているらしい。しかし、メトの毛が足首に触れたとたん、女王は全身に鳥肌をたてていた。

メテオさん:なんなのよ、まったく…。

 メテオさんは、仕方なくメトを抱き上げた。

メト:にゃーーん。

 メトは不満そうに、メテオさんの腕の中で暴れる。

メテオさん:メト、留子お母様のところに行きましょ。本当のお母様は、あなたが苦手なんですって。

 メテオさんは、腕の中のメトに言い聞かせるようにして、ドアを開けて1階にいる留子さんのところへ、メトを連れていった。

女王:…ふう…。行ってしまったわ…。

 女王は、そんなメテオさんの背中を見ると、ほっとしてまたソファに腰掛けた。

ムーク:女王さまは、そんなに猫がお嫌いで?。

女王:どうもあの感触が苦手なのだわ。

ムーク:では犬はいかがでしょう?。

女王:犬もダメだったらダメだわ。

ムーク:なるほど、人には苦手が、なにがしかあるということですなぁ…。

 女王は、気楽な口振りで言うムークを、じろっとにらんだ。

 一方、階段を降りて、留子さんのもとに向かうメテオさんは、にやっと笑っていた。

メテオさん:メト、あのお母様でも、あなたが苦手なんですってよ。笑っちゃうわよね…。フフフフ…。

メト:にゃーん。

 メテオさんは、メトにほおを寄せた。

メテオさん:でも…、お母様の言った言葉…。

 それでもふと思い出した。「純愛もいいものよ」という、女王様の言葉を。そして、今の自分とイマシュンとの関係を思った。もちろんそれこそが、純愛そのものなのだと。

 女王は、留子さんの作った夕食を食べたあと、美沙子さんがかつて弾いていたというピアノで、ノクターンを弾いて見せ、幸治郎さんをびっくりさせたりした。留子さんも、久しぶりにピアノを弾いてみる。このところめっきり弾かれることもなかったピアノだが、久々に音を出す。調律だけはきちんとしてあったのが幸いだ。

 メテオさんは、そんな母の意外な一面を見た。強引で、威張ってばかりいるように思え、心の中では距離を置いていたはずの女王である母。しかし、星国を離れ、遠くの娘に会いに来たのは、物言いはいつものように思えるものの、普通に恋愛をし、そしてメテオさんを授かり、子育ての苦労も体験し、そして娘に少しのアドバイスもする、ごく普通の母親そのものだったのだ。

 

 翌日、カスタネット星国女王は、星国に帰ることにした。留子さんと幸治郎さんは、さんざん引き留めたのだが。

留子さん:もっとごゆっくりしていって下さいな。

女王:いいえ。仕事もありますから。

幸治郎さん:そうですか…。でも、親子水入らず、もっとお話になりたいこともあるでしょう?。

女王:わが娘は、日々ちゃんと成長しているようです。お世話になりっぱなしですが、またいずれ話を聞きたいと思いますわ。

留子さん:メテオちゃん、いいの?。

メテオさん:私は…、その…。またこのおうちにお母様が来てもいいのなら…。

留子さん:いいわよ、大歓迎だわ。いつでも来ていただきたいわ。でも、もっとゆっくりしていって下さればいいのに…。

幸治郎さん:そうですなぁ。本当にこのままお帰りですか?。

女王:ええ。いつも娘がお世話になっており、お礼のしようもありません。ありがとうございます。まだしばらくお世話かけると思いますが、よろしくお願いしますわ。…それと…、また会いに来てもよろしいでしょうかしら?。

留子さん:どうぞどうぞ。猫のメトが苦手でいらっしゃるなら、別の部屋に入れておきますから…。

女王:ウフフフフ…。お恥ずかしいですわ…。

幸治郎さん:お母様は、電車でお帰りですか?。車でお送りしましょう。

メテオさん:あ、いいわ、幸治郎お父様。わたくしが駅まで送って行くわ。

幸治郎さん:そうかい?、メテオちゃん。

留子さん:それじゃ、またいらして下さいね。

女王:はい。それでは、失礼しますったら、失礼しますわ。

メテオさん:お母様、そこまでいっしょに行くわ。

女王:お願い。道がわからないから。

 メテオさんは、母である女王を、星国の船まで送り届けるため、「駅まで送る」と言って、風岡邸の階段を降りた。振り返ると、玄関のところに、留子さんと幸治郎さんが手を振っている。女王は、庭のバラ越しに手を小さく振り返した。そしてメテオさんと、坂を下るように歩き出した。

メテオさん:お母様、船はどこ?。

女王:前に来たところよ。えーと、なんと言ったかしら?。海の出っ張ったところよ。

メテオさん:稲村ヶ崎ぃ?。

ムーク:あんな目立つところですか…。

女王:あら、いけなかったかしら?。地球の人には見えないわ。

メテオさん:乗り降りするときは見えるのに…。

女王:細かいことを気にしていると、もはや老け込むわよ?。おほほほほ…。

メテオさん:…お母様に言われると、やたら説得力があるかも…。

 メテオさんと女王は、極楽寺の山を下りながら、ぽつりぽつりと話をした。ムークも少しは、メテオさんの腰につけたティンクルスターから、話に加わる。

女王:瞬という青年は、あなたを大事にしてくれる?。

メテオさん:えっ?、…そ、それはもちろんよ!。昨日も言ったじゃない。

女王:あなたも、その瞬という青年を大事にしているようね。

メテオさん:あ…、当たり前じゃない…。

女王:大事にはぐくむことが、きっと実を結ぶ…。そんなものね…。

メテオさん:…お父様とも、そうだったってことでしょ?。

女王:まあ、そんなところかしら?。

 女王はそう答えると、珍しくにこっと笑ってメテオさんを見た。

メテオさん:お母様でも、苦手ってあるのね…。

女王:ネコのこと?。…フフフ、そうね。

 メテオさんは、ちらっと女王の横顔を見ながら聞いた。女王は涼しい顔で答える。

女王:本当は…、ネコだけじゃないわったら、ないわ。

メテオさん:えっ?、そうなの?。

女王:メテオ、わたくしがなんにも恐れない超人だと思って?。

メテオさん:ううん…。

女王:わたくしだって、一人の人間。苦手なものだって、怖いものだって…。毎日自信だけで生きてるわけじゃないわ。

メテオさん:…知ってるわ。

ムーク:女王さま…、姫さま…。

メテオさん:お母様は、わたくしのお母様だもの。女王であるより前に…。

女王:そうねえ。調べて確かめてみ・た・い?。

メテオさん:あのねぇ、お母様!。

女王:フフフフ…。冗談よ。

メテオさん:当たり前じゃない!。あは…あははは…。

女王:ホホホホホ…。

 真面目な会話を、さらりと受け流す女王に、メテオさんはあきれたが、何となくそんな互いの様子がおかしくて、つい笑ってしまった。それにつられて女王も笑う。やっぱり二人は似たもの同士なのだ。

 

 地球を離れるべく、稲村ヶ崎の公園にメテオさんとムークを残し、発進したカスタネット星国の帆船で、女王はいつものいすに座り、外を見ていた。娘の姿が見えなくなると、女王は前に向き直り、お茶のカップを手にした。侍従長が入れてくれた健康茶。

女王:ネコは苦手なのよねぇ…。

 女王は独り言のようにつぶやく。

侍従長:は?…。はあ、女王さま、ネコは苦手でいらっしゃいますか。

女王:メテオのお世話になっている家で、ネコを飼っていて、メテオは平気にしていたわ。飼っているのは知っていたけど…。

侍従長:まあ、メテオさまも成長なさっておいでですな。動物に愛情を注がれるとは。

女王:そのようね…。わたくしも、夫を思いだしたわ。

侍従長:え?。…といいますと…。

女王:…あまり詮索しないように!。

侍従長:はっ?。ははっ。

 侍従長は、目を白黒させた。いつもの自信たっぷりで、めったに叙情的なことを言わない女王とは、まるで別人のように思えたのだ。

 

 苦手なものというのは、誰にでもあるかもしれない。それは人により、食べ物だったり、特定の人だったり、飛行機なんていう人も。自信たっぷりな人でも、苦手なものの一つや二つは必ずあるはず。人はいつも強い心を持ち続けられるわけではなく、かといって弱い心だけでもない、常に揺れ動くもの…。

 女王のことを、今まで、強引で、強い力を持っている煙たい母だと思っていたメテオさんだが、その意外な一面も見た。今度無理難題をふっかけてきたり、強引な物言いをしたりしてきたら、メトを抱いて話を聞こう…などと思ってみる。しかし一方、「もうそんなことはないのかも…」、とも思うメテオさんだった…。

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★第271話:プラネット王子の写真展−−(2006年9月下旬放送)

 9月も終わりになろうかというある夜、景太朗パパさんと、沙也加ママさんは寝る前に寝室のいすに座って、ひととき語らいの時を持っていた。子どもたちのこと、コメットさん☆のこと。そして、珍しくプラネット王子の話である。

景太朗パパさん:彼もさ、励みになると思うんだよ。

沙也加ママさん:そうね…。今までそういう機会って無かったのかしら?。

 景太朗パパさんと沙也加ママさんは、裏庭から網戸越しに聞こえる虫の声を、静かに聞きながら話す。

景太朗パパさん:ケースケはさ、今度の大会ももう間近に迫っているけど、まあ、世界一のライフセーバーになるという目標がある。でも、プラネットくんはどうかな?。彼は写真家になりたいと言うよね。確かに彼は、写真誌に何度も載っているし、それなりの評価を受けていると思うけど、彼が主な題材にしている「身近な人や自然」っていうほど、身近な人たちに見てもらってないんじゃないかな?。

沙也加ママさん:そう言われれば…、そうね…。鎌倉や藤沢のいろいろなところへ、写真撮りに行っているって言っていた…。撮影するテーマは、人のふれあう姿とか、自然の営みだとか…。でも、市内で写真展を開いたことも無いし、市民ギャラリーみたいなところで展示されても、彼だけのってわけじゃないものね。

景太朗パパさん:うん。そういうわけだからさ、彼にもデビューのきっかけを、つくってあげられないかなって思ってさ。

沙也加ママさん:それはいい考えだと思うけど…。おせっかいじゃない?。

景太朗パパさん:確かにおせっかいかもしれない…。本人が「そんなお仕着せはいやだ」と言うのなら、それはそれでいいけどさ。でも…、彼はかつてケースケの姿でうちに現れた。あの時のだらだらして目標がないように見えたプラネットくんと、今の彼は全くの別人のようだ。本当はあの時、コメットさん☆やメテオさんをどうやって助けようかなんて、思っていたんだろうけど、今はもっと積極的になったじゃないか。そんな物静かだが、心に秘めるものが、あの歳の割にはたくさんあった彼のカメラアイが切り取ったものを、一同に集めて見てみたいとは思わないか?。

沙也加ママさん:そうね。それはそう思うけど…。パパはいつもロマンチストね…。ふふふ…。

景太朗パパさん:そ、そうかな?。

沙也加ママさん:でも…、どこでどうやって?。いきなり都内のサロンなんて借り切ってするの?。

景太朗パパさん:もちろん、プロの写真家だって、個人の写真展なんて簡単に開けるわけじゃないだろう。それはそうだけど、いきなりそういうのを目指すんじゃなくて、もっと小規模で、アットホームなのはどうかな?。

沙也加ママさん:小規模でアットホームぅ?。

景太朗パパさん:あのさ、それはさ…。

沙也加ママさん:ええ?。

 景太朗パパさんは身を乗り出した。そして一つの計画を沙也加ママさんに語った。

 

沙也加ママさん:…というわけだから、コメットさん☆何かいい方法はないかしら?。

 翌日の朝、沙也加ママさんは、朝食の時にみんなに相談した。

コメットさん☆:えー?、…でも、お店閉めてやるんですか?。

ツヨシくん:ぼくたち、学校だよ?。

ネネちゃん:私も…。

沙也加ママさん:土日にやればいいんじゃない?。ツヨシとネネは、別にやりたいことがあれば、手伝わなくてもいいけど…。

ツヨシくん:…や、やるよ、やるけどさ。

ネネちゃん:私もいいよ。でも、何をするの?。

 ツヨシくんとネネちゃんは、今ひとつ話が飲み込めない様子で、顔を見合わせた。

沙也加ママさん:じゃーん。プラネットくんの写真展 in 「HONNO KIMOCHI YA」!。

ツヨシくん:ええ!?。ママのお店で写真展するの?。

ネネちゃん:わあ、面白そう。

コメットさん☆:わはっ、そういうことなんですか?。それはなんかいいなぁ…。

沙也加ママさん:ちょっといいでしょ?。コメットさん☆、お店完全に貸し切りにするんだと、準備が大変だから、1階はだいたいそのままで、2階を中心にしてやるっていうのはどうかしら?。

コメットさん☆:さ、沙也加ママ、ずいぶんもう話が進んでいるんですね。

沙也加ママさん:実はね、提案したのはパパなんだけど…。

景太朗パパさん:あー、おほん!。いや、あんまり早く話を進めるのもなんだけどさ…。プラネットくんは、今まで個人の写真展って、開いたこと無いだろうって思ってさ…。ギャラリーを借り切るのは、まだ無理かもしれないし、お金も相当かかるだろうし…。

沙也加ママさん:それでね、じゃあうちのお店でやればってことになったのよ。

コメットさん☆:へぇー、そう言えば、プラネット王子の写真って、たくさんは見たことないかも。

沙也加ママさん:ね?、そうでしょ?。いつも雑貨売っているのもいいけれど、たまにはちょっと変わったこともしてみたいじゃない。

景太朗パパさん:んー、何となく、それはママの趣味のような…。

沙也加ママさん:あら?、パパはそんなことを言うの?。言い出しっぺのくせに。ふふふふ…。

景太朗パパさん:はい…。言いません。いい計画だと思いますっ!。

 景太朗パパさんは、汗をかきそうになった。秋風の朝は、すがすがしい空気だというのに。

コメットさん☆:…で、プラネット王子はなんて言っているんですか?。

沙也加ママさん:それなのよね。まだなんにも言ってないわ。

ツヨシくん:ええー?。別な予定が入っていたら?、プラネット兄ちゃんに。

ネネちゃん:そうだよ、それはまず決めておかないと。

沙也加ママさん:そうね。朝ご飯が終わったら、電話してみようかな…。

コメットさん☆:あ、じゃあ、私がします。

ラバボー:プラネットさまは、なんて言うかわからないボ…。

コメットさん☆:そうかな?。なんで?、ラバボー。

ラバボー:なんでって…。何となくそんな気がするだけだけど…。

 ラバボーは、心配げな顔をコメットさん☆に向けた。

 

 朝食が終わると、ツヨシくんとネネちゃんは学校に行ってしまった。景太朗パパさんは、日中図面と書類を作る仕事。いつものような藤吉家の一日の始まりである。コメットさん☆は時計を見ると、橋田写真館に電話をかけた。まだ開店前で、プラネット王子が出るだろうと思ったからだ。

コメットさん☆:あ、もしもし…。

プラネット王子:はい、橋田です。…あ、コメット?、コメットか?。

コメットさん☆:あ、…う、うん。おはよう…。

プラネット王子:おはよう。どうした?。珍しいな、電話とは。

コメットさん☆:そ、そうかな。あのね…、実は…、沙也加ママが写真展やりませんか?って。

プラネット王子:え?、誰の?。写真展の手伝いか?。

コメットさん☆:誰のって…、プラネット王子の。

プラネット王子:へえ。…えっ?、お、オレのか?。し、写真展って…。

コメットさん☆:プラネット王子の写真を、たくさんの人に見てもらいたいからって、沙也加ママのお店、「HONNO KIMOCHI YA」で、王子の写真をいっぱい飾って…、それでって…。ど、どう…でしょう?。

プラネット王子:あはは…。どうでしょうって…。それは…、ありがたいな…。しかし…。…いつ頃?。

コメットさん☆:今度の週末…。どうかなぁって、沙也加ママが…。

プラネット王子:…ち、ちょっと待てよ。今度の週末ぅ?。いきなりそれか…。

コメットさん☆:無理かな?。

プラネット王子:いや…、無理っていうか…。そうだな…。

 しばらくプラネット王子は、押し黙った。「それは自分でやるべきことなんだよ」と、コメットさん☆に言いそうになったが、コメットさん☆の心情を考え、さらにこの話は沙也加ママさんの思いやりではないかと、素早く考えると、その言葉は口に出せなかった。

プラネット王子:…そうだなぁ…。うーん。

 プラネット王子は、答えに詰まった。

コメットさん☆:…あ、あの、あまり乗り気になれない?。

 コメットさん☆は、プラネット王子の反応が、あまりうれしそうでもないように思えたので、そっとそう尋ねた。

プラネット王子:い、いや。そういうことじゃないけど…。週末か…。…少し、…いや、半日考えさせてくれないか?。

コメットさん☆:え?、うん…。わかった。沙也加ママに伝えておくね。

プラネット王子:ああ。頼む。悪いな、即答できなくて。

コメットさん☆:ううん。じゃあ…。あ、お店忙しかったら、星力メールでもいいよ。

プラネット王子:わかった。必ず夕方までには。じゃあな。わざわざありがとう。

コメットさん☆:あ、忙しいときにごめんね。

 コメットさん☆は、そっと受話器を置いた。沙也加ママさんは、いつの間にかダイニングからやって来ていた。

沙也加ママさん:コメットさん☆、プラネットくん、なんて?。

コメットさん☆:あ、沙也加ママ…。それがなんだかはっきりしないんです。

沙也加ママさん:はっきりしない?。

コメットさん☆:ええ。夕方まで待ってくれって…。

沙也加ママさん:…そう。やっぱり、おせっかいだったかなぁ?。

コメットさん☆:…そんなことはないと思うけど…。そう思ったのかな?。

 コメットさん☆は、少し目線を落として答えた。

 沙也加ママさんが、「HONNO KIMOCHI YA」へ、コメットさん☆を乗せた車を走らせている頃、プラネット王子はいつものように開店の準備をしていた。王子と言えども、普段は写真館のお兄さん、ということなのだ。

プラネット王子:やれやれ…。どうするかなぁ…。

ミラ:何がです?、殿下。

 プラネット王子が、「証明写真・DPE」と書かれた縦長の看板を、店の中から外へ出しながらつぶやくと、その前を軽く掃き掃除していたミラが答えた。

プラネット王子:あ、いや…。

ミラ:殿下、何でも教えて下さい。

プラネット王子:あ…、ああ…。あのさ…。ちょっと2階へ行こう。

 プラネット王子は、看板を出し終わり、ちょうど外の掃除を終えたミラと、2階のスタジオに上がりながら、いきさつを話し出した。

プラネット王子:…まあ、そういうわけで、オレの写真展を開いてくれるって言うんだよ。

ミラ:…つまり、コメットさまがいつもいらっしゃるお店を貸し切りにして、そこに殿下の写真を飾ってと。

プラネット王子:ああ。そういうことらしい。でもなぁ…。

ミラ:すばらしいじゃないですか?。はじめてですよ、そういう写真展。

 ミラは、瞳を輝かせるかのように言った。しかしプラネット王子は、浮かない顔だ。

プラネット王子:ミラよ、なんかそういうのって、他人にあれこれセットしてもらってやるものなんだろうか?。

ミラ:他人って、殿下、そんな言い方は無いと思いますよ。

プラネット王子:あ、いや、悪い。そういう意味じゃないんだ。つまり自分でない誰か、にさ。

ミラ:そうでしょうか?。

プラネット王子:自分の進むべき道は、自分で切り開くもの。だからオレは、今もここに住み続けているし、ここでいろいろなかがやきを見つけたい。もちろん、どこかへ出かけて行って見つけるかがやきもあるけれど、地球という星に住み続けているのは、自分の力でたくさんのかがやきを見つけるためじゃないのかな?。

ミラ:それはその通りでしょうけど…。

プラネット王子:それをまあ、身内のように親しい間柄だとしても、コメットが住んでいる家の人たちの世話になるっていうのは、自分の力でかがやきを見つけることになっているのかな?。

ミラ:殿下…、殿下の写真には、かがやきが宿っていると思いますよ。

プラネット王子:ありがとう…。ミラがそういってくれるのはうれしいけどさ…。いつも…。

ミラ:でも、殿下の写真にかがやきが宿っているのなら、それをそこに閉じこめていていいんでしょうか?。

プラネット王子:…え?。

ミラ:殿下の写真、かがやきをたくさんの人に見せているのは、今まで雑誌に紹介されたり、市民ギャラリーに飾られたりしたほんの一部ですよ。…し、失礼かもしれませんが…。

プラネット王子:…いや…。

ミラ:殿下の写真に込められたかがやき、それをたくさんいろいろな人に見て欲しい…。そして、それを見た人も、かがやきを感じて欲しい…。そう思いませんか?。その機会を与えて下さる方がいらっしゃるとすれば、喜んでお引き受けするべきかと…。

 プラネット王子は、頭に衝撃を受けたかのような気がした。

ミラ:…ごめんなさい…、殿下。生意気言って…。

プラネット王子:…いや。そうだな…。ミラの言うとおりだ。オレは…、オレこそ変なプライドで、生意気になっていたのかもしれない…。

 ミラの言う真理に、プラネット王子は心を揺り動かされた。自分だけで、夢は追い求めるものではない。手助けや励まし、救いの手をさしのべる人がいるのなら、ともに手をたずさえて、夢に近づこうとするべきだ。そうミラは言っているのだと思った。このごろ変化の少ない日々を過ごしていたプラネット王子は、「オレはまた、自分の殻に閉じこもりそうになっていたのかもしれない」と思い直した。そう思うと、すっと目を上げて言った。

プラネット王子:よし。やろう。ミラ、ありがとう。ミラは…、その…いつもオレのこと…。

ミラ:私の…、殿下ですから。

 プラネット王子とミラが、話し込んでいる頃、コメットさん☆は、「HONNO KIMOCHI YA」に着いて、ワゴンをお店の前に出していた。涼しい風が吹く秋の空は、どこまでも遠い。

コメットさん☆:もう秋だね、ラバボー。

 空を見上げたコメットさん☆は、ティンクルスターにいるラバボーに語りかけた。ラバボーも顔を出して答える。

ラバボー:そうだボ。もう誰も泳いでいないボ。

コメットさん☆:お昼過ぎになると、たまにいるよ、まだ泳いでいる人。

ラバボー:水は冷たくないのかボ?。それにクラゲがいるボ。

コメットさん☆:水温って、9月が一番高いんだって。

 コメットさん☆とラバボーは、まだ人通りの少ないお店の前の歩道見ながらおしゃべりする。

ラバボー:…それって、ケースケが言っていたんだボ?。

コメットさん☆:…うん。そうだよ。

ラバボー:姫さまは、ケースケが気になっているボ?。

コメットさん☆:…それは…、そうだけど…。

ラバボー:もう来週末は大会だボ…。

コメットさん☆:うん…。

 コメットさん☆は、手を止めて、また空を見上げた。澄んだ青空は、やはりどこまでも遠い。

コメットさん☆:ケースケ、どうなるかな…。

 …そしてぽつりとつぶやいた。

 夕方を待たずに、昼過ぎには「HONNO KIMOCHI YA」に電話がかかってきた。もちろん相手はプラネット王子。

プラネット王子:こんにちは。藤吉さん。

沙也加ママさん:こんにちは。どうかしら?、写真展。

プラネット王子:ありがとうございます!。お言葉に甘えさせていただいてもいいですか?。

沙也加ママさん:まあ、あらたまって。ふふふ…。いいわよ。ああよかった…。うちもね、少し普段と違った「HONNO KIMOCHI YA」を企画したいなぁ、なんて思っていたところ。

プラネット王子:なんだか返事に時間がかかってすみません。さっそく写真選ぶ準備と、額に入れたりの作業します。

沙也加ママさん:そうね。ちょっと急でごめんなさいね。みんなで手伝うから。

プラネット王子:ありがとうございます…。オレ…、正直はじめてなんで…、どんなふうにするか…、よくわからないですけど。

沙也加ママさん:大丈夫よ。何とかなると思うわ。そういうの慣れた人知っているから。

プラネット王子:そうですか。よろしくお願いします。

 沙也加ママさんは、プラネット王子とそんな会話を交わすと、電話を置き、心配そうにそばに来ていた、エプロン姿のコメットさん☆にさっそく言った。

沙也加ママさん:OKよ、コメットさん☆。

コメットさん☆:わあ、よかった。じゃあ、プラネット王子の写真、たくさん見られるんですね。

沙也加ママさん:そうね。

コメットさん☆:どこにどうやって飾りましょうか?。

沙也加ママさん:そうねぇ…。ちょっと相談してみよう。

コメットさん☆:え?。誰に?。景太朗パパ?。

沙也加ママさん:ううん。

 沙也加ママさんは、コメットさん☆にウインクすると、受話器を取り、前島さんの事務所の番号を押した。

 すぐに展示に使うパネルや照明、ついたてやその足といった機材は、前島さんが勤めるブティック花村から借りられることになった。社長の花村志保さんが、会社の展示会で使う機材を貸してくれるという。

 夕方になるまで、沙也加ママさんとコメットさん☆は、お店に来るお客さんの応対をしながら、展示の仕方を考えた。紙に簡単な図を描いてみたりしながら。

沙也加ママさん:そうね…。だいたい1階から2階に上がる階段の横と、その回り、それから階段にもパネルを立てて、それから2階のギャラリー全部と…、それでどうかしら?。

コメットさん☆:…えーと、2階のいすがあったりする、キッチンの前のところも、展示できないでしょうか?。

沙也加ママさん:ついたてのドアを開けて?。

 「HONNO KIMOCHI YA」は、前のオーナーから買い取った建物なので、今でも2階に小さなキッチンが残っている。喫茶コーナーとして使われていたようなのだ。それを使って、コメットさん☆と沙也加ママさんは、お昼ご飯を作って食べたり、コメットさん☆やツヨシくん、ネネちゃんが水遊びの時、着替えをしたりするのに使っている。そのため喫茶コーナー時代のテーブルといすが、少し残っているし、階段を挟んで反対側は、普段はあまり使うことのないギャラリーになっているから、そこに数年前ドアをつけて、ギャラリーからミニキッチンが見えないように改造したのだ。しかし今回は、そのドアを開け放ち、喫茶コーナーのほうにもパネルを立てて、写真を展示できないかと、コメットさん☆は思ったのだった。

沙也加ママさん:そうすると…、いいけど、お昼ご飯食べたりするのが困るかも…。

コメットさん☆:みんなで交代でお店番しながら、展示の案内はプラネット王子にやってもらうとして、その代わり月曜日をお店お休みにして、片づけとかしてはダメ…でしょうか?。

沙也加ママさん:うーん、そうね。そうしようか?、コメットさん☆。

コメットさん☆:はいっ。

沙也加ママさん:そうすると…、当日は配達できないから、あまり大物は売れないし…。さすがにシャワー室は使わないだろうから、そこに少し荷物を片づけましょ。

コメットさん☆:え?、いいんですか?。沙也加ママ。

沙也加ママさん:だって、階段の近くのものは、どこかに置かないと、どうしようもないし、ギャラリーに普段置いてある商品や、それ以外のものも、一度はどけないと、パネル入れられないわよ?。

コメットさん☆:そっか。考えてみればそうですよね…。じゃあ、もしどうしても置き場所が無かったら、おうちに星力使って、星のトンネルで運ぼうかな…。

沙也加ママさん:うちに置くとすれば…、ガレージかしら?。リビングに並べるわけにも行かないし…。もしそうなったら、コメットさん☆お願いしてもいい?。

コメットさん☆:はい、もちろん。ガレージですね。

沙也加ママさん:小物は納戸にしている部屋にも置いていいから。

コメットさん☆:はーい。

沙也加ママさん:なんだか面白くなってきたわね。私たちも。ふふふふ…。

コメットさん☆:あはっ、そうですね。私も面白い。

ラバボー:姫さまも、沙也加ママさんも、かがやきがあふれてきたボ。

コメットさん☆:えっ?、そう?、ラバボー。

 ひょっこり顔を出したラバボーに言われ、コメットさん☆は少し恥ずかしそうに笑った。

 

 その後、「HONNO KIMOCHI YA」は、毎日大忙しで準備に追われた。何しろ開店しながら、前島さんの勤めるブティック花村から搬入される展示用パネルを、プラネット王子、カロン、ミラ、時には学校から帰ってきたツヨシくんとネネちゃん、仕事の合間を縫うように景太朗パパさんまでが手伝って並べ、その一方でチラシを刷って、駅前や近くのお店に置いてもらったり、小さなポスターを作って、貼ってもらったりするのだ。もちろん店内の片づけも。プラネット王子自身は、自分で写真を選び、引き延ばし、額に入れる作業を、寝る間も惜しんでする。全て急ごしらえの写真展だが、スピーディに作業を続けるしかなかった。

 やがて金曜日になって、進められてきた準備も、昼頃には終わりに近づいていた。「HONNO KIMOCHI YA」の入口ドアから、右手に続く階段には、しっかりと化粧パネルが立てられ、階段の脇にも立てられた。そして2階のギャラリーは4面の壁と、中央についたてが立てられ、喫茶サロンのほうにも、小さな展示場が作られた。2階のパネルには、既に写真の「題」が書かれた紙が貼られた。コメットさん☆は、それらを見て回った。

コメットさん☆:「春の宵」、「ラッシュの夕暮れ」、「うごめく足」、「白富士と光」…かぁ。

 コメットさん☆は、額がつけられるのを待つ、写真の題が書かれた紙を、いくつか見て読み上げてみた。

コメットさん☆:どんな写真なんだろう?、わあ、楽しみ!。

沙也加ママさん:そうね。プラネットくんの写真って、そう言えばたくさん見たことなかったものね。コメットさん☆が、ウエディングドレスコンテストに、モデルで出たときのドレス姿のは、何枚かうちにもあるけど…。

コメットさん☆:あ、あれは…。もうなんだか恥ずかしいけど…。写真館にも貼ってあるし…。あ…、そう…、写真館には、ミラさんの写真があったっけ…。

沙也加ママさん:そうなの?。へえー。じゃあ、ミラさんをモデルにしたってこと?。

コメットさん☆:そう…かな?。ポーズを取ったミラさんの、少し横からの写真。とてもミラさん、かがやいて写ってたような…。

沙也加ママさん:うふふふ…。何か特別な思いが、ミラさんにあるのかしら?

コメットさん☆:えっ?、そ、それって…。

沙也加ママさん:それにしても、あー、なんか思い出すなぁ。文化祭の前の夜みたい…。

 沙也加ママさんは、コメットさん☆がびっくりして聞き返したのには答えず、レジ台に両肘を突いて、手で顔を支えながら、2階に上がる階段を見つめつつつぶやいた。

コメットさん☆:文化祭?。学校のですか?。

沙也加ママさん:そう。高校や大学の。文化祭の前の日ってね、たいてい夜までかかるものなのよ。準備が間に合わなくてね。私の頃は、まだ木のパネルを教室に立てて、それに模造紙を貼って、研究発表なんかを書いた板を貼ったりしていたわ。

コメットさん☆:へえ…、そうなんだ…。ケースケの、高校の文化祭も、そんな感じでした。

沙也加ママさん:あ、そうか。コメットさん☆は、ケースケの文化祭に行ったことあったわよね。なんかあんな感じしない?。今夜のお店は。

コメットさん☆:そうですね。ふふふっ…。明日が楽しみ…。

 そのころ、小町通りや御成通りのお店に置いてもらったチラシは、それなりに無くなっていた。近所の人々も、何気なく手に取るらしい。

おばさんA:あら、写真展ですってよ?。

おばさんB:どこで?。いつよ?。

おばさんA:えーと、明日とあさってね。由比ヶ浜の雑貨屋さん。

おばさんC:行ってみようかしら?。

おばさんB:誰の写真展なの?。有名な人?。

おばさんC:そう…でも無いみたいね。

おじさんD:ほう…。ねえ君、いっしょに見に行ってみよう。

おじさんの奥さん:ああ、いいわね。面白そう。こういう小さなところで開催される写真展って、見たことないわね。

 小町通りから少し入ったところにあるそば屋では、一人の40代後半と思われる男性が、壁のポスターに見入っていた。男性はそばをずるっとすすると、もう一度ポスターを見上げた。

男性:ほう…。写真展か…。橋田プラネット…。雑誌で見た名前だな…。あ、おねえさん、そば湯ちょうだーい。

店員の女性:はーい。ただいまー。

 男性は店員さんに声をかけると、黙ってまたそばをすすった。

 

 夕方になると、プラネット王子が息を切らせるようにしながらやって来て、いよいよ全ての写真が飾られた。ようやく用意が整ったのだ。もう明日お客さんを待つばかりだ。プラネット王子は、販売用のポストカードも、何種類か用意して、レジ脇に置くことになった。

コメットさん☆:わあ、きれいな写真がたくさん。かがやきがいっぱい。

プラネット王子:そ、そうかな。まあ、そう言ってもらえると、うれしいよ…。はぁ…、間に合わなかったらどうしようかと思った…。

 プラネット王子は、コメットさん☆に笑みを返しながら、さすがにほっとした表情を浮かべた。

沙也加ママさん:そうね。きれいな写真が多いわね。あとは人を撮った写真が印象的かなぁ。

プラネット王子:そうですか?。オレ、事件や事故、災害みたいなのは撮る気がしないんですよ。

沙也加ママさん:そう。あなたの性質が現れていて、いいんじゃない?。まあ、そういうジャンルは、報道写真家の人たちに任せておけばいいと思うわ。

プラネット王子:そうですね…。

 プラネット王子は、やや疲れたような表情ながら、恥ずかしそうに言った。それは、「人が傷つくのは見たくない」という、プラネット王子の思いの表れかもしれなかった。コメットさん☆は、それを言葉には出さなかったが、そう思って聞いていた。ちょうどその時、景太朗パパさんとツヨシくん、ネネちゃんがやって来た。

景太朗パパさん:おーい、来たぞー。よう、プラネットくん。準備できたって?。どうだい?、気分は。

プラネット王子:あ、景太朗パパさん。いやなんか、恥ずかしいですね。うれしいですけど…。

景太朗パパさん:あははは…。まあ、こうやって一歩一歩前に進むってところかな?。

プラネット王子:はい。

ツヨシくん:プラネットの兄ちゃん、明日も来てるんでしょ?。

ネネちゃん:ずっといるの?。

プラネット王子:ああ。ミラにも来てもらうさ。橋田のおじさんと、カロンも来るかもな。

景太朗パパさん:おお、それじゃあみんなであれこれ話が出来るな。天気がいいといいんだけど…。

沙也加ママさん:あんまりたくさん人が来ると、入りきれないわよ。うふふふ…。

プラネット王子:あ、いや、そんなに来ないでしょう…。まさか…。

景太朗パパさん:わからないよー。意外な人が来たりするかもしれないし。

ツヨシくん:ぼくたちいろいろなお店にチラシ置いたよ。

ネネちゃん:置いてくれなかったお店、ほとんどなかったよ。

プラネット王子:悪いな。今度いっしょにご飯食べに行くか。そんなにたくさん置いてもらったの?。

コメットさん☆:1000枚くらいかな?。前島さんの先生が、小町通りに開いているブティックの、簡単な印刷機でささっと刷ってくれたんだよ。

プラネット王子:そ、そんなにか?…。なんか…、すまないな…。ご飯位じゃ…。

沙也加ママさん:いいのよ。ふふふ…。やあね、プラネットくんたら。そんなこと気にしないで。私たちが言い出したんだし…。

プラネット王子:いえ…、なんかみんなの気持ち、うれしいです。本当にありがとうございます…。

 王子はそう言うと、ぺこっとみんなに頭を下げた。

景太朗パパさん:明日、いろんな人が見に来てくれるといいね。

プラネット王子:はいっ!。

 プラネット王子は、いつになく元気な声で返事をした。

 コメットさん☆は、ゆっくりと1階にあるものから順に、一つ一つの写真を見た。プラネット王子といっしょに。ツヨシくんとネネちゃんも、同じように見て回る。

コメットさん☆:この「白富士と光」って、きれいだね。

 稲村ヶ崎から、冬の朝によく見える富士山。それに朝の光がきらめくように見える写真。

プラネット王子:ねらって何日か通ったよ。寒くてさぁ。

コメットさん☆:何時頃?。

プラネット王子:冬だったからな。6時過ぎってところかな?。

コメットさん☆:うわー、そんな時間だと寒いよね…。あ、この「沈むアーケード」っていうのは?。

プラネット王子:それは、数年前に閉鎖された遊園地にあった、おみやげを売っていた商店街だな。そこは、意外と普通の店も入っていて、有名だったんだけど、結局そんな感じにシャッターが降りててさ。

 人気(ひとけ)がなく、シャッターが降りた商店街に、昼の明るい光が差している。白っぽい壁に薄汚れたシャッターが印象的な、妙に無機的な写真。

コメットさん☆:…この写真は…。

 コメットさん☆は、4枚の組写真の前で足を止めた。ちょうど2階に上がって、右手のギャラリーに入ってすぐのところだ。

ツヨシくん:ミラさんだ。

ネネちゃん:ミラさん4枚組。ミラさんなんかかわいい…。

プラネット王子:あはは…、いや、それはだな…。

コメットさん☆:「君でなければ…」って?。

 コメットさん☆が、画題を読む。

プラネット王子:え?、あ、まあ、その…、ミラが、なんかいい表情をしていたから、連写してみたっていうか…。

 プラネット王子の言葉は、歯切れが悪い。ミラさんの写真は、はにかんだような表情で、カメラを見つめるもの、下を見るもの。横顔、そして少し上目遣いなもの。いずれもモノクロの写真。4枚を田形に並べた写真は、どれから見てもいいような感じ。そしてどれもがミラさんの、秘めたようなかがやきを、何気なく伝える。カラーでないのが、かえって新鮮に見える。

コメットさん☆:…そうなんだ…。

 コメットさん☆はそれでも、その写真の中にプラネット王子の「想い」かもしれない心遣いを見た。そしてなんだか、うれしいような、もの悲しいような、うらやましいような、複雑な気持ちにとらわれた。

 

 翌日、「HONNO KIMOCHI YA」には、朝からぽつぽつと、写真展を見に来る人が現れていた。市内の各所に貼ったポスターや、置いてもらったチラシは、意外な効果があったようだ。プラネット王子は、説明のために2階のギャラリーに置いたいすに座っている。見に来たお客さんに、求められれば写真の説明もする。だいたいは黙っているのだが。コメットさん☆と沙也加ママさんは、レジに立つが、いつもよりスペース上、たくさんの雑貨は置けないので、大物を中心に、コメットさん☆の星力で、藤吉家のガレージに置いてきていた。だからあまり売り上げは上がらないし、ヒマはヒマである。ミラさんも来ることになっているが、プラネット王子のために、お弁当を届けながらになると言う。そのためお昼前にならないと来ないらしい。写真展はそこそこ盛況なようだが、いつもより手持ちぶさたなコメットさん☆と沙也加ママさんなのであった。

 やがてお昼前になり、徐々にお客さんの数は減り、みんながヒマになってきた。ツヨシくんとネネちゃんは、前の由比ヶ浜まで遊びに行ってしまった。きっとまた水と砂で磨かれたガラス片なんかを探しているのだろう。そんな頃、入口のドアを開けて、一人の男性が入ってきた。ジーパンに襟付きシャツ、それに薄いグレーのサングラスというラフな格好だが、それなりの年齢ではあるようだった。

コメットさん☆:いらっしゃいませー。

男性:えーと、写真展というのは?。

コメットさん☆:あ、はい。そちらの階段から2階でやっております。どうぞご覧下さい。2階には撮影した本人もおります。

男性:ありがとう。ちょっと見せてもらうよ。

コメットさん☆:はい。

 男性は、コメットさん☆のことをちらりと見ると、返事をしながら階段脇の写真をじっと見て、それから2階への階段を上がっていった。しかしその歩みはゆっくりで、階段に飾られた写真も、1枚ずつじっと見ているようだった。

沙也加ママさん:あの人…。

コメットさん☆:え?。

 レジ台のコメットさん☆のさらに右後ろに控えていた沙也加ママさんは、その男性を見て、コメットさん☆にささやいた。

沙也加ママさん:写真家よ。有名な…。鎌倉に住んでいる…。えーと、名前が思い出せない…。

コメットさん☆:そうなんですか?。すごい…。有名な写真家が来るなんて…。

 コメットさん☆は、もう一度階段のほうを見たが、写真を展示しているパネルがじゃまになって、その顔を確かめることは出来なかった。ちょうどその時、ミラがやってきた。ドアを開けて、お弁当の包みを持って。

ミラ:こんにちは…。

沙也加ママさん:あ、ミラさんいらっしゃい。

ミラ:あの…、殿下にお弁当を届けに来ました…。

沙也加ママさん:ミラさんは、やさしいのね。いつもそんな感じ?。

ミラ:い、いいえ…。その…、私は…。

ラバボー:感じるボ…。

コメットさん☆:えっ?。

 ミラのはにかんだような表情を見て、沙也加ママさんはにこにこしていたが、ラバボーはティンクルスターの中から、コメットさん☆に呼びかける。

ラバボー:ほんわかかがやきだボ。

コメットさん☆:そっか…。

ラバボー:そっかって、姫さま気付いていたのかボ?。

コメットさん☆:うん…。なんとなく…。

ラバボー:だとすれば…、これは大変なことだボ。

コメットさん☆:どうして?。

ラバボー:だって…。

ミラ:ラバボーさんとコメットさま、どうかされましたか?。

 ミラが、ヒソヒソと話をするラバボーを気にして尋ねた。

コメットさん☆:あ、ううん。なんでもないよ。それより…、今有名な写真家さんが来ているみたいだよ、ミラさん。

ミラ:ええっ!?。

沙也加ママさん:ああ、思い出した。そう!。立川奉三郎さんよ、あの人。

ミラ:立川奉三郎さん!?。

コメットさん☆:知っているの?。

ミラ:ええ、一応は…。殿下の写真を雑誌に応募したときの、審査委員とかなさっていた人ですし…。それに今住んでいるところは写真館ですから、お名前は…。

コメットさん☆:じゃあ、プラネット王子の写真を、とても評価してくれてるのかな?。

ミラ:さあ…。そこまではわかりませんけど…。

 ミラ、コメットさん☆、沙也加ママさん、それにラバボーの4人は、2階を見上げた。2階に上がった男性は、立川奉三郎という写真家であった。彼は2階のギャラリーに貼られている写真を1つ1つ見る。

立川奉三郎:君が撮ったんだって?。

プラネット王子:は、はい。

 立川奉三郎は、ギャラリーに入ってすぐのいすに座っていたプラネット王子に、声をかけた。プラネット王子は立ち上がった。

立川奉三郎:いいな、富士山。

プラネット王子:ありがとうございます。

 プラネット王子は、「白富士と光」の前に立つ立川奉三郎さんを見て、「誰だったか…」と思いを巡らせた。

立川奉三郎:300ミリかね?。三脚は?。

プラネット王子:手持ちです。

立川奉三郎:ほう…。

 立川奉三郎さんは、サーファーがボードに立ち上がった瞬間を、望遠でとらえた作品の前で聞いた。題は「波に立つ」。

立川奉三郎:君の写真のテーマは何だね?。

プラネット王子:…そうですね…。事件・事故とか、センセーショナルなものではなくて、人の営みというか、人が輝いている瞬間をねらいたいと思っています。あとは自然の美しさとか。

立川奉三郎:なるほど。

 立川奉三郎さんは、頷くと、さらにギャラリー入口脇にある、ミラを4枚組のモノクロでまとめた「君でなければ…」という写真の前に来た。

立川奉三郎:ふーむ…。

 立川奉三郎さんは、プラネット王子のほうを見て、少し口元に笑みをたたえた。

立川奉三郎:君の恋人か?。

プラネット王子:え?、いや…、その…。ずいぶん突っ込んだこと聞かれるんですね…。あははは…。

 プラネット王子は笑いながらも、この人は普通の観覧客とは違うと思った。それは、最初に声をかけてきたときから、なんとなくそう思えたのだが、それは今確信に変わった。

立川奉三郎:いや失礼。ぼくはこういうものです。

 立川奉三郎さんは、名刺を出すとプラネット王子に手渡した。「写真家:立川奉三郎」とある名刺を。

プラネット王子:立川先生でしたか…。先生に見ていただけるとは…。光栄です。

立川奉三郎:そんなかしこまらないでくれよ。たまたまいつも行く店の壁にポスターがあってさ。よく雑誌に投稿しているよな?、君。

プラネット王子:はい。見知っていていただけましたか?。それはありがとうございます。

立川奉三郎:この恋人の写真、結構いいな。題材の取り方は、やや平凡だけどな。表情がいい。たとえ恋人でも、こういういい表情はなかなか撮れない。

プラネット王子:ありがとうございます…。まだまだです。恋人っていうのか、その…そうでないのか…。

 プラネット王子は、照れながら言った。

立川奉三郎:いいんだよ。本当に恋人かどうかが問題なんじゃない。芸術家っていうのは、作品をあとからあれこれ解説するようじゃ、ダメなんだよ。そのものだけで勝負しないとな。ま、写真の場合は、シャッター速度や絞りは、写真に写し込んでおく訳にはいかないから、そういう説明は必要だけどな。はははは…。

プラネット王子:はいっ…。

立川奉三郎:君のねらいは、なかなかいい線行っていると思う。アマチュアの写真家とは、ちょっと違った視点だな。それはいいと思うが、もう少し対象を広げてみてもいいような気がする。別に外国まで行けというじゃないけどな。事件・事故にカメラを向けるんじゃなくてっていう、君の思想も悪くない。そういうカメラだって無ければいけない。ただ、その思想性の中でも、世界は広げられるはずだ。その中から見える何かを切り取る。…どうかな?。ははは…。えらそうなこと言うようだが…。

プラネット王子:あ、いいえ。わかります…。なんだか時々まとまらないなって思うんです。

立川奉三郎:そうやってああでもない、こうでもないと考えることがいいんだよ。それがなければ、人を感動させられる作品なんて、写せやしないさ。本来、芸術に優劣なんて無いはずだ。だが現実にはこれがいいとか、あれはよくないとか言っている。ぼくはあまりそういうのは好きじゃないんだが、結局視る者が決めることになる。自分の自信作でも、世の人がいいと言わなければ、ダメだと言われる。しかし、逆にエライ人たちがいいと言っても、世の人々がいいと言わなければ、それだってダメなはずだ。

プラネット王子:はい。いつもそういうことには、オレ、悩むんです。

立川奉三郎:結局、君もたくさん撮って、君にしか撮れない写真をものにすれば、その輝きに自ずと評価はついてくるはずさ。それを信じるんだ。写真を撮ること自体、もう一つの表現なんだ。その喜びを、広くいろいろな人に伝えられるといいな。ぼくもいつも、そう思っているんだよ。この写真のように…。

 立川奉三郎さんは、ミラの写真を指さしながら言った。

プラネット王子:立川先生…。かがやき…。

立川奉三郎:いつものように、キザなこと言ってしまったぜ。あはははは…。まああまり気負うなって。こんどぼくのスタジオに来いよ。材木座のほうだからさ。君の写真の撮り方、なんか気に入ったよ。

プラネット王子:は、はい。ありがとうございます。あの…、おじゃましてもいいんでしょうか?。

立川奉三郎:これも何かの縁なのさ。仕事が入ってなければ、いつ来てもいいが、電話入れてくれればいいよ。スタジオのメンバーには言っておく。

プラネット王子:ありがとうございますっ…。お、オレ…、じゃなかった、私は藤沢の橋田写真館で働いています。おじさんのやっている写真館なんです。

立川奉三郎:そうか。普段は写真館の仕事だな。それは大変だな。まあがんばれよ。

プラネット王子:はいっ。

 立川奉三郎さんは、そう言うと、階段を降りた。プラネット王子は、あわててそれを追って自分も階段を降りる。そして連絡先である橋田写真館の住所が書かれたポストカードを、立川奉三郎さんに手渡した。立川さんは、にこっと微笑むと、それを受け取り、「HONNO KIMOCHI YA」をあとにした。その背中に向かって、プラネット王子は一礼した。沙也加ママさん、コメットさん☆、ミラ、それにラバボーは、みんな何事かと顔を見合わせつつ、同じようにあわてて礼をする。立川奉三郎さんの背中を、目で追いながら、プラネット王子は、「人の絆」を感じていた。そして、自分のためにたくさんの人が協力してくれたことに、感謝する気持ちでいっぱいになった。

 

 夜が来て、コメットさん☆は寝る前のひととき、ベッドの上に座り、窓から星空を眺めていた。今夜はラバピョンが、何かの助けになるかもと言いながら来てくれていた。もちろんラバボーといっしょにご飯を食べたりしていたが…。コメットさん☆は、なんだか心はざわざわした気分。プラネット王子の恋人は、ミラさんらしい。ただそれがわかっただけのことと言ってしまえば、それだけだが、なぜか心が騒ぐ。コメットさん☆は、視線を星空から、心配そうにのぞき込むラバピョンの顔に移した。もう少し後ろでは、ラバボーも、じっと見ている。ラバピョンに両手を添えて、そっと胸に抱く。ラバピョンは、敏感にコメットさん☆の心のざわめきを感じ取った。

ラバピョン:姫さま、プラネットさまは、もう姫さまに結婚を迫ったりしないのピョン。

 ラバピョンは、コメットさん☆の目を見ながらささやいた。

コメットさん☆:…そ、そんなのないよ、最初から…。

 コメットさん☆は、顔を赤らめつつ、ラバピョンの突然の言葉に答えた。

ラバピョン:それでも、ミラさんが…とは、考えなかったのピョン。

コメットさん☆:そう…だね。

 コメットさん☆は、メテオさんだったら、「肩すかし食っちゃったわ」などと言うのだろうかと、ふと思った。自分では、そう強く意識していたわけではないはずなのに、どこか拍子抜けしたような気分でもあり、やっぱりうらやましいような気分でもあり、取り残されたような気分でもあり…。

コメットさん☆:ラバボーが、時々言っていた、ミラさんの「ほんわかかがやき」って、このことだったんだね…。

ラバボー:そうだったんだボ…。ボーにはどうしてもよくわからなかったボ…。姫さま、ごめんだボ。

コメットさん☆:ううん。ラバボーが謝ることなんてないよ。別にいいじゃない?。ミラさんとプラネット王子が、お互いに好きって思っているの。

ラバボー:そうだけど…。

ラバピョン:…でも姫さま、プラネットさまのこと、最近ちょっとは好きだったのピョ?。

コメットさん☆:え?、そ、そんなこと…、ないよ。い…、一度もそんなこと…。

 コメットさん☆は、そう言ってみたものの、それはウソだと自分でも思った。かつて、プラネット王子のことを怖いと思ったこともある。それに、優柔不断に見える生き方に、ひっぱたいてしまおうとすら思ったことも。しかしやがて、ある朝七里ヶ浜で、熱心に富士山の写真を撮っているプラネット王子と再会したコメットさん☆は、彼がもう前の彼ではなく、ささやかながら、みずからかがやきを探し、かがやきを放ち、夢を追う少年になったことを知った。彼の人柄がわかって、日常的に接するようになると、ケースケやツヨシくんとともに、「好き」と呼んでもいい男の子になっていた。そんな時間はずっと続くと、心のどこかで思っていたから、今度のことを、さらりと割り切れる気持ちには、まだなれなかった。コメットさん☆は、確かに見たのだ。プラネット王子の横顔に、「夢に向かう勇気」のかがやきを。立川奉三郎さんに励まされたプラネット王子の放つ、強いかがやきを。それはまるで、ケースケのよう…。プラネット王子のことを、誰よりも好きとまでは、思ったことはない。それでも、そのかがやきを見てしまうと、あこがれる気持ちがまた芽生える。その気持ちは、やはり恋心にも似ているし、そうではないとも思えるし、境目がはっきりしないのだ…。

 明日もまた、プラネット王子の写真展には、いろいろな人が来るだろう。そして、それが終われば、ケースケの大会がある。秋風の立つ鎌倉に住み続けるコメットさん☆。その心のざわつきは、まだしばらく続いてしまいそうだ。だがこの風は、みんなを前に進ませる。向かい風でも前に進むヨットのように…。

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第273話:月明かりの下−−(2006年10月上旬放送)

 ケースケの出場した、10月の上旬にあるライフセーバーの国内選手権大会が、とうとう終わった。毎年七里ヶ浜の海や、片瀬東浜の海を会場に開かれる大会。それが国内での選考会を兼ねていて、世界選手権に出場できるかの分かれ道になるのだ。特に今年は、ケースケが今後の進路を決めるための、重要な大会ということになっていた。その大会が、終わったのだ。

 コメットさん☆は、大会の直前、鬼気迫るようなケースケの最終トレーニングを、遠くから眺めていた。そばに寄って、声をかけようかとも思ったけれど、ケースケにはそれに応える余裕は無いようにも思えたし、自らを追い込むかのような厳しいトレーニング内容に、コメットさん☆は圧倒され、声をかけるのを遠慮せざるを得なかった。いつものケースケとは、全く異なる。そんな様子にコメットさん☆は、やはりケースケと自分との間の、「遠さ」を実感していた。しかし、それほど今度の大会が重要なのだとも、あらためて思った。

 もうさすがに暑い日はなくなった。すずしい風の吹く秋の日が続く。雨は多く、はっきりしない天気が続いたりもする。街にただようキンモクセイの香りも、雨にかき消されがちだ。コメットさん☆は、大会が終わった翌日、いつものように「HONNO KIMOCHI YA」の手伝いに来ていた。曇りがちの天気の中、沙也加ママさんといっしょにお店番。特に用事がないときには、いつものそうしているのだが、今日はなんだか上の空だ。沙也加ママさんも、そんなコメットさん☆を察して、何も言わない。コメットさん☆の頭の奥では、大会の様子が思い出されていた。レジ脇の大きな窓から、ほとんど人のいない由比ヶ浜を見つめながら…。

(コメットさん☆:ケースケ、がんばれー!。)

(ケースケ:くそっ…。追いつけねぇ…。うおおおおおーー!。)

(コメットさん☆:ケースケ、優勝できないよ!。そうしないと、ずっと鎌倉には……。だから、勝って!。)

(景太朗パパさん:ケースケ、今だ!。抜け!。)

(沙也加ママさん:ああ…、もうゴールは近いわ…。)

(ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん…。)

(ネネちゃん:ケースケ兄ちゃん、負けちゃだめだよぅ!。)

(ケースケ:と、届かないか…。)

(景太朗パパさん:負けるなっ!。もうひとかきだ!。ケースケぇ!。)

 ケースケの出場したのは、「アイアンマン」レース。その名が示すとおり、過酷なレースだ。泳いで、ボードでも泳ぎ、さらにサーフスキーに乗って、最後は走る。かつてはビーチフラッグスや、サーフレースを得意としたケースケだったが、近年はそれよりハードな競技にかけている。…だが、個人戦の成績は、終わってみると4位。結局優勝できなかった。団体競技の、レスキューチューブレスキューも…。今年は千葉県のチームに押され、ぱっとしない成績に終わった。

(コメットさん☆:ケースケ、ケースケ!……。)

 コメットさん☆の頭の中には、ケースケを呼ぶ自分の声がこだましていた。しかし、もう昨日で大会は終わってしまったのだ。

 

沙也加ママさん:ほんとうに…、残念だったわね…。

コメットさん☆:えっ?。

 沙也加ママさんが、お店の大きなガラス窓から、由比ヶ浜を見つめるコメットさん☆の肩に手を置き、話しかけてくれた。コメットさん☆は、はっとして振り返った。

沙也加ママさん:ケースケのこと、思い出していたんでしょ?。

コメットさん☆:…はい。

 コメットさん☆は、うなずきながら答えた。沙也加ママさんも、コメットさん☆も、波が何度も寄せては返す、前の由比ヶ浜を見つめた。そこにケースケの姿は無かった。

沙也加ママさん:心配?、コメットさん☆。

コメットさん☆:…で、でも、それがケースケの夢だから…。夢を達成するために、大会にも出たんだし…。

沙也加ママさん:そうね…。それはそうだけど…。

 コメットさん☆は、沙也加ママさんの顔を見ながら、わざと明るく答えてみたのだが、沙也加ママさんの微笑みには、少し陰が見て取れた。それを見てしまうと、コメットさん☆は、また前の海を見つめた。

コメットさん☆:(ケースケ、これでまたオーストラリアに、行っちゃうのかな…。)

 コメットさん☆は、やっぱり心の中でそう思った。

 実は前の日の夕方から、いつもケースケや青木さんが集まっているサーフショップ兼食堂で、打ち上げ会が開かれていた。コメットさん☆は、そこの常連でもないし、ライフセーバーでもない。だからそんな打ち上げ会があることすら知らなかった。そもそもライフセーバーの世界のことは、ケースケから聞く話や、新聞・雑誌に載っている程度しかわからない。だが、その打ち上げ会は、まるで「反省会」のようになってしまっていたのだった。

(青木さん:…もう、なんて言うかよ…、言葉がねぇよな…。)

(ケースケ:…なんか、突き落とされた気分っす…。)

(ライフセーバー仲間A:ま、まあ、そんな落ち込んでもしょうがないっすよ。次のシーズン目指してがんばりましょう!。ねっ?。)

(ライフセーバー仲間B:…しっかし、今年の千葉の連中、なんで急にあんなに力つけてきたんですかね?。強力なコーチでもついたのかなぁ?…。)

(青木さん:向こうが力つけたんじゃなくて、オレたちがふがいないんだよ。そうに決まってんだろ?。)

(ライフセーバー仲間C:そうは言いますけどね、青木さん、オレたちだって必死にがんばっているんですから。)

(ケースケ:よせよ…、もう…。だいたい千葉だけじゃなくて、東伊豆にも負けた訳じゃねぇか。やっぱり油断があったんだよ、オレたちには。)

(ライフセーバー仲間A:なんだ、三島さんまでそんなこと言うんですか?。なんかオレたちが悪いみたいじゃないですか…。ちぇっ…。)

(青木さん:もうよせったら。誰かが悪いなんて言ってねぇよ。そう言うなら、オレたち全員がパワー不足だった…。そういうことだろ?。そうでなきゃ、今頃もっと盛り上がってるよ。)

(ライフセーバー仲間B:…そうっすよね…。)

(青木さん:そんなことより、来シーズンこそ、もっと盛り上げないとな。また明日から、シーズンは始まるんだよ。それに新しいメンバーも入れて、パワーを増強しないとな。)

(ライフセーバー仲間C:…そうですよね。そうそう。今夜はパーッとやって、また明日からがんばりましょう!!。)

(ライフセーバー仲間A:やるだけはやったんですから。)

(ライフセーバー仲間B:まあなぁ。過ぎたことを後悔しても始まらないし…。)

(ケースケ:あ、あの…。オレさ、みんなに聞いて欲しいことがあるんだけど…。)

(青木さん:ん?、どうしたんだケースケ?。)

(ライフセーバー仲間C:なんですか、三島さん。国に帰るとか言うんじゃないでしょうね?。)

(ライフセーバー仲間A:なんだよそれ。あはははは…。三島さんの国って言ったら、もうここのようなもんじゃないか?。)

(ケースケ:真面目に聞いてくれ…。オレ、実は…。)

(ライフセーバー仲間B:実は?。)

(ケースケ:オレ、今度の個人戦で必ず優勝しようと思っていたんだ。でもダメだった。それで、ずっと考えていたんだが、オーストラリアで修行することにしたいって思うんだ。…だから…。)

(青木さん:な…、なんだって!?。ケースケ、本気か?。)

(ライフセーバー仲間A:本気で真面目な話だったんですか!?。で、でも、なんでオーストラリアで修行って…。ケースケさんが、5年前にオーストラリアで、働きながらセーバーやっていたことがあるって聞きましたけど…。またそこへ行くんですか!?。)

(ケースケ:オレは…、世界一のライフセーバーになりたい。つまりそれは、世界選手権でトップに立つっていうことなんだ…。…そのために…、競技や練習環境に恵まれている、オーストラリア・ケアンズに住んで、ライフセーバーの修行を、さらに積みたいんだ…。5年前に行って、1年しないうちに帰ってきたのは、高校進学のためだったし…。)

(青木さん:それって…、ケースケ、お前が抜けて、うちのクラブに大穴が開くってことか…。)

(ケースケ:すみません、青木さん。それに…、ほかのみんな…。)

(ライフセーバー仲間B:仕事はどうするんですか?、三島さん…。)

(ケースケ:オーストラリアの海洋研究所で働く口が見つかった…。だからそこで働きながら、なるべく早く世界一になる。)

(ライフセーバー仲間C:なんだか、試合に負けた上にそれですか…。寂しくなるなぁ…。)

(青木さん:やっぱりそうか…、ケースケ。お前のことだから、そんなことを考えているんじゃねぇかって、思っていたさ。…それは前々から考えていたことだろ?。今度の試合の結果で、最終的に決めたことだよな?。)

(ケースケ:はい…。…正直言うと、実はまだ最後のところは決めかねているんです…。このままここにいて、世界選手権を目指すことも出来ますし…。ただ、仕事のこともあるし…。それに、今回の成績を見ても、オレはもう少し持久力をつけたい…。そのためにはなんか、自分を追い込まないとダメかなって…。すみません…。)

(青木さん:いや、別に謝ることはねぇよ、ケースケ。お前自身の話だからな…。しかし…。)

 …と、そんなやりとりがあったのだった。コメットさん☆は、当然そんなことがあったなど、知る由もない。ケースケの突然の「意思表明」には、青木さんをはじめとする、ライフセーバークラブのメンバー全員にも動揺が広がった。もちろんそこには、「このままでは、団体戦がよりいっそう闘いにくくなる」という思いもあったし、「なぜオーストラリアに行かなければならないのか?」という疑問もあった。しかし、青木さんはよくケースケの気持ちを知っていた。かつて一度ケースケは、オーストラリアに渡って行ったわけである。しかし、高校進学のために帰国して、4年間の夜間高校生活を送り、来春卒業だ。そうすれば大学に進むのか、あるいは仕事に就くかたわら、ライフセーバーを続けるのか、それ以外の道か、というように、進路を決めなくてはならない。かつて自分も経験した進路を決める悩み。青木さんはそれを知っていたからこそ、ケースケの気持ちが理解できた。だいたい、ケースケの過去を知るメンバーも、今やほとんどいなくなっていた。

(青木さん:ケースケよぅ、まだ大会が終わって、今日の今日だからな。今すぐ決めなくてもいいだろ?。もう少し落ち着いて考えろよ。)

 青木さんは、打ち上げ会がお開きになるとき、静かにそう言ってくれた。青木さん自身、ケースケを引き留めたい気持ちと、ライフセーバー発祥の地であるオーストラリアで、世界の強豪にもまれて来いという気持ちが、半々なような気がしていた。

 

 夕方になり、コメットさん☆と沙也加ママさんは、いつものようにお店を閉め、家に帰った。そしてやがて夕食になったが、何となくみんな雰囲気が湿っぽい。

景太朗パパさん:どうした?、みんな、なんか元気ないなぁ…。あははは…。ママ、そう思わないか?。あははは…。

 景太朗パパさんは、みんなを元気づけようと、箸を持ったまま無理やり笑ってみた。

沙也加ママさん:そ、そうね。食事おいしくないかな?。

コメットさん☆:い、いいえ。そんなことないです。おいしいー。

ツヨシくん:…おいしいよ、ママ。

ネネちゃん:おいしいけど…。なんか大会、残念だったよね…。

 ネネちゃんが、少し下を向いて、ぽつりと本音をもらした。景太朗パパさんと沙也加ママさんは、顔を見合わせた。

景太朗パパさん:…まあ、やるだけやって、それで優勝は出来なかったということだから、仕方がないさ…。

 もちろんみんな、それはケースケの話だとわかっていた。

ネネちゃん:でも、それならどうするの?、ケースケ兄ちゃんは。優勝しないと、オーストラリアに行っちゃうかもしれないんでしょ?。

沙也加ママさん:…そうね。…私たちは、ケースケじゃないから、どうすることも出来ないわ、ネネ。

コメットさん☆:…そうなんですよね…。ケースケには、自分の夢をかなえて欲しいし…。

ネネちゃん:コメットさん☆、いいの?。

 ネネちゃんは、他人事のように聞こえるコメットさん☆の言葉で、少しむっとしたように、コメットさん☆をじっと見て言った。

コメットさん☆:…私だって、ケースケのこと、心配だよ。…でも…。

 コメットさん☆は、ネネちゃんの視線に少したじろぐように答えた。

ツヨシくん:ネネ、もうやめろよ。

ネネちゃん:どうしてよ?。

ツヨシくん:だって、ここでいろいろ言っても、どうしようもないじゃん。ケースケ兄ちゃんが決めることなんだし。

ネネちゃん:えー?、ツヨシくん、信じられない…。

景太朗パパさん:まあまあ…。まだケースケが、オーストラリアに旅立つって、決まったわけでもないんだ。きっとあいつのことだから、ぼくのところに報告くらいはしに来るだろう。その時どうするつもりか、聞いてみるよ。とりあえずは、高校を卒業するんだから、どこかで仕事をするか、大学に進学しないといけないだろう?。それに、お母さんのこともあるだろうし…。

沙也加ママさん:そうね…。お母様はどうしてらっしゃるかしら…?。

景太朗パパさん:うーん、それはぼくもわからない…。大学進学だとすると、もう相当準備してないとならないし…。推薦入試だって、11月には合否が決まるところが多い。

ネネちゃん:ケースケ兄ちゃん、大学に行くのかなぁ…。

コメットさん☆:前は、三重の大学に行くかもしれないって、言っていたけど…。

沙也加ママさん:そうなの?。そんな勉強しているのかしら?。

景太朗パパさん:どうなんだろうなぁ。あいつは成績はいいらしいから、その気になれば、推薦で合格できそうだけどね…。

沙也加ママさん:まあ、でも、ここで延々と話をしていても始まらないわ。本人がどうするか、決めるでしょうから、それを聞くしかないわね、私たちは…。

コメットさん☆:はい…。

 コメットさん☆もまた、少し下を向いて答えた。

 そのころケースケは、いつものように夜間高校の教室にいた。もうすぐ授業が始まる。教室の中は、生徒達が思い思いに談笑している。そのざわめきの中で、ケースケは一人考えていた。

ケースケ:(…コメットが応援に来ていた。あんなに応援してもらったのに…、オレは…。最近、コメットのことがどうしても気になる…。でも、コメットは留学生だから、いつか国に帰ってしまうんだろうな…。そしてオレが、オーストラリアに行くとしたら…。別々な道を歩むことになるのか…。)

 ケースケは、一つため息をつくと、カバンから教科書を取り出しながら、また考えた。

ケースケ:(オレも、コメットの応援があったのに、勝てないなんてふがいないぜ…。これでオレは、オーストラリアに行くんだな…。そして、研究所で働きながら…、もし永住権が取れれば、ずっと現地の大会に出続け、世界一のタイトルを保持し続ける…。それこそがオレの夢だったんだ…。…だが…、だが…、それが本当にいいのか?。それで、本当にいいのか?。…おふくろはどうする?。…それに、そうなると、もうコメットには…。)

 ケースケは、そんなことも考える。机の上には、筆入れと教科書、そしてノート。いつもは、授業が始まるまで、ノートを見て、前回の授業のことを思い出したりするほど、ケースケは熱心なのだが、今日は雑談に興じるクラスメートのことを、ぼうっと眺めているだけだった。

ケースケ:(…何を情けないことを考えているんだオレは…。オレは、オレの夢に向かって、ひたすらやるだけのことをやるだけだ。…コメットのいないところに、行ってしまったほうが、いっそ楽なのか?…。いや、だからそんなことは…。)

 ケースケの頭は、まとまらない考えでいっそう混乱する。ケースケ自身驚くほど、コメットさん☆のことが、頭から離れない。それほどの想いだったのか?。そんな気持ちが、ケースケをますます悩ませる。道は決まったはずなのに…。しかし、そんなケースケのめまぐるしく変わる考えも、先生がやって来て、授業が始まると、ひとまず断ち切られた。

 

 夕食がすんだみんなは、順番にお風呂に入り、思い思いの時間を過ごす。藤吉家の最近は、いつもそんな具合だ。宿題のあるネネちゃんは、明日の準備。ツヨシくんも来週提出することになっている、書き取りのプリント問題を解く。小学生と言えども、勉強は忙しいのだ。沙也加ママさんと景太朗パパさんは、夜のドラマを、テレビの前で見ている。コメットさん☆は2階の部屋で、ベッドの上にぺたんと座ると、窓から星空を見上げていた。部屋の電灯を点けることもなく。お風呂で頭を洗ったので、頭にはタオルを巻いている。着ているのは、長袖の部屋着。スウェットのようなデザインだ。

コメットさん☆:(…ケースケを応援するだけで、優勝できるほど簡単じゃないんだよね…。)

 そんな当たり前のことを思ってみる。

コメットさん☆:ラバボー、ラバボー。

 コメットさん☆は、窓辺に置いたティンクルスターに呼びかける。

ラバボー:なんだボ?、姫さま。

コメットさん☆:少し…、お話していいかな?。

ラバボー:いいボ。姫さま、…その、頭のタオル、なんだかかわいいボ…。

コメットさん☆:あはっ…。そう…かな?。いつもこんなだよ?。

 コメットさん☆は、少し恥ずかしそうにした。

ラバボー:それにしても…、姫さま、なんで電気つけないんだボ?。

コメットさん☆:…うん。星が見えるよ、ほら…。

 コメットさん☆は、窓の向こうの空を指さした。

ラバボー:…それだけじゃないボ?。姫さま。

コメットさん☆:ラバボーには、わかっちゃうよね…。ずっといっしょだったものね…。あのね、ラバボー…。

ラバボー:なんだボ?。

コメットさん☆:ケースケの夢が、オーストラリアに行くことでかなうとしたら、私、ケースケを応援するごとに、どんどんケースケから遠ざかっているような気がする…。

ラバボー:え?、それはケースケを応援することと、姫さまの想いは、反対になって行っているっていうことかボ?。

コメットさん☆:うん…。そうじゃないかな?。

 コメットさん☆は、暗い部屋に差す、青白い月明かりの中で、小さな声で言った。その表情は、もの悲しそうで、恥ずかしそうなのだが、暗いので、ラバボーにはうかがい知れなかった。

ラバボー:そうでもないボ…。姫さまがケースケを応援する気持ちは、姫さまの想いそのものだボ。ケースケの夢は、世界一のライフセーバーになることだとすれば、それは別にオーストラリアで達成しなければならないわけでもないボ。鎌倉にいても、試合の時だけ外国に行けばいいことだボ。

コメットさん☆:…うん。それは、そうだね…。

ラバボー:問題は、この鎌倉よりは、オーストラリアのほうが、ケースケ自身トレーニングしやすいとか、試合に出やすいとか、そういうことがあるんだボ?。

コメットさん☆:やっぱり、そうなのかなぁ…。ケースケも、そんなこと言っていたような気がするよ。確かに夏のシーズンが、ケアンズのほうがずっと長いよ…。

ラバボー:…それは、どうしようもないボ…。気候の違いまでは、どうすることも出来ないボ…。

コメットさん☆:……。

 コメットさん☆は、ゆっくりと身を倒し、ベッドに横になった。そのまま何度か目をしばたかせて、じっと空を見ている。ラバボーはわずかな光で、コメットさん☆の目に、少し涙が浮かんでいるのを見た。そして、何か見てはいけないものを見たような、いたたまれない気持ちになるのであった。

 そのころ、夜間高校から下校し、一人部屋のベッドに寝っころがり、なんとなくぼーっとしていたケースケは、ふと顔を右側に向けた。そこにはサーフボードが立てかけられた壁が見える。そしてさらに上を向いて、窓の外を見た。ベッドからは窓を通して星が見える。

ケースケ:(…もう決めていたはずなのにな。…オレは、コメットの笑顔が、がんばりの元だったに違いない。でも、それを失うとしたら…。オレは…。)

 そんなことをじっと考えてしまう。これまで、それに気付いていたのに、そうは考えないようにしてきたケースケ。自らの想いにまたとまどう。自身の進路について、堂々巡りのように、どうするべきなのか迷う。もう決めた道のはずなのに。月明かりに照らされた窓の外。青白い光に包まれた鎌倉の街の夜は、だんだんと更けていく…。

※この回で開かれているライフセーバーの大会は、実際に開催されているものをもとにしていますが、競技内容などの詳細は、実放送との整合性などから、やや簡略化して描写しています。
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★第274話:ケースケの決意?−−(2006年10月中旬放送)

 ケースケは、この一週間近く、まるで抜け殻になったような気分で、考え事ばかりしていた。それまでは、大会が終わっても、もう翌日から再びトレーニングを始めていた。成績がどうであっても。しかし、今度ばかりはまるでそんな気は起きなかった。2月には、屋内の大会もあるのだが、それに出場する気にもならず、もしオーストラリアに行くとすれば、その準備も考えなければならないのに、それすら考えられないような気分だったのだ。また、大学に進学して、国内に留まり、勉強のかたわら、世界大会を目指すというコースも、考えに入っていないわけではなかったし、そうだとすれば、すぐにも夜間高校の先生と相談の上、推薦入試を受けなければならないのだが、気持ちが働かないのだった。

 ケースケは、それでも毎日のように、七里ヶ浜の海を見に行った。由比ヶ浜に行ってもいいのだが、そうすると「HONNO KIMOCHI YA」の前を行き来することになり、コメットさん☆と顔をあわせてしまうかもしれない。それはなんだか、避けたい気持ちだった。でも海を見たい。そうすると、由比ヶ浜から少し離れた七里ヶ浜に行くしかないようなものだった。

 七里ヶ浜の駐車場から、海風に吹かれながら、海上に見える江の島を眺めた。回りを見ると、同じようにして、風に吹かれている人々がいる。ケースケはふと、時計を見た。お昼前なのであった。いつもならアルバイトに行ったり、そうでなければトレーニングを始めている時間だ。しかし、今日はアルバイトも無く、ぼうっと過ごしていた。

ケースケ:…はぁっ。

 ケースケは、水平線を見ながら、ため息を一つついた。

ケースケ:今日は伊豆半島、見えねぇな…。

 天気が良く、朝の澄んだ空気の時は、遠くに伊豆半島が見えることがある。しかし今日は、曇った天気の中、東風が入っているのか、やや肌寒さを感じるほど。水平線はかすんで、空の雲と区別が付かないような海の色だ。

ケースケ:(進路をちゃんと決めた上で、コメットにはきちんと話しておかないと、ならないんだろうな…。)

 ケースケは、浜辺でたわむれる子どもたちの声を聞きながら、そんなことを考えていた。

ケースケ:(…師匠にも。もちろん。)

 視線を下げながら、そうも思う。長い間お世話になった景太朗パパさんにも、沙也加ママさんにも、自分の意志を語っておかなければならない。ケースケは、二十歳を過ぎて、さすがにそんな道理もわかるようになっていた。

 ちょうどそのころ、メテオさんは、通販で買ったウオーキングシューズを試すため、散歩をしていた。まず自宅を出てから、江ノ電極楽寺駅まで歩き、そこから電車で二駅。七里ヶ浜駅で降り、海岸へ向かった。行合川に沿って歩くと、海岸まではすぐである。そこから海岸沿いの国道を歩き、景勝地稲村ヶ崎の手前から、山に向かうように歩けば、また極楽寺駅に戻れ、そしてそこから自宅へ帰れる。そんなコースを考えながら歩いてきた。

メテオさん:ふふーん、この靴はいいわぁ。

ムーク:姫さま、そんなにいいですか?。

メテオさん:いつもよりヒール低いし。

ムーク:最近ヒールの高い靴なんて、履くこともないじゃないですか。

メテオさん:ムーク、そうは言うけど、時々は履いているわよ。

ムーク:せいぜいサンダルでしょ?。

メテオさん:…うっ、それはそう…だけど…。でも、いいじゃない!。あまりヒールの高い靴を履いてばかりいると、足に良くないのよ!。

ムーク:はいはい。わかりますけどね、星国でドレス着るようになったら、ウオーキングシューズってわけにもいきませんよ?。

メテオさん:ドレスで見えなきゃおんなじよ!。悪い?。

ムーク:…うーむ、悪くは無いですよ、そりゃね。見えないってわけじゃないと思いますけどね。

メテオさん:女はヒールが高くないといけないなんて、誰が決めたのよ!。そんなの差別だわったら、差別だわ。わたくしは、自分でいいと思うものを身につけるわよ!。

ムーク:はい。いいですよ。私も止めませんけどね。女王さまがなんて言うかね…。

メテオさん:お母様なら、メト抱っこして言えば、たいていのことは何とかなるわよー。

ムーク:…はぁ。もうこのところそればっかり…。いいのかね…。

 メテオさんは、腰につけたティンクルスターの中のムークと、まるで口げんかをしているよう口調でしゃべりながら歩いた。不思議そうに振り返る人のことなど、既に目には入っていなかった。

 そうするうちにメテオさんは、七里ヶ浜の国道沿いにある駐車場のところまで来た。高い防波堤を兼ねた駐車場の上から、海を眺めつつ歩く。浜に降りる階段があるが、そこから降りてみる気にはならなかった。

メテオさん:靴に砂がつくのはイヤだわったら、イヤだわ。

ムーク:はあ。波が高いですか?。

メテオさん:高くはないけど…。うっかり水に濡らしたら…。もっとも、防水だけどこの靴。

ムーク:いくら防水でも、足首のほうから水が入ったら、中が濡れてしまうのでは?。

メテオさん:…そりゃあそうよ。当たり前じゃない…。…あら?。

ムーク:どうされたので?。

 メテオさんは、海を見ながら歩いているうちに、少し先のところ、海に張り出した防波堤の上に座り込み、ぼうっと海を眺めているケースケを見つけた。

メテオさん:カリカリ坊やがいるわ。

 メテオさんは、小さな声でムークに言った。

ムーク:いまだに坊やなわけですか…。ケースケさんという青年は…。

メテオさん:だって、あんなの坊やで十分だわ。

ムーク:あっちのほうが年上ですよ?。

メテオさん:そうだけど。言っていることは、なんだか子どもっぽく聞こえるわ。

ムーク:そうですかねぇ?。

 メテオさんはそう言ってみた。どの辺が子どもっぽく聞こえるのか、具体的に「ここが」とは言えそうにないのだが。しかし、つかつかとケースケに歩み寄った。

メテオさん:こんにちは、カリカリ坊や。

ケースケ:ああ?、なんだよ、メテオか。

メテオさん:何しているの?、カリカリ坊や。

ケースケ:…何って…。はっ、お、お前、いい加減にそのカリカリ坊やってのをやめろよ。しまいには怒るぞ!。

メテオさん:あら、もう怒っているじゃない。

ケースケ:何の用だよ。オレは忙しいんだ。

メテオさん:忙しい?。そうは見えないけど?。

ケースケ:だから、何の用だよ!?。人にケンカを売る前に、答えろよ。

 ケースケは、あからさまにイヤそうな顔をして、メテオさんをにらんだ。

メテオさん:何しているのったら、何しているの?。

ケースケ:お前から答えろよ。

メテオさん:じゃあ教えてあげるわ。コメットのことでも考えていたんでしょ?。

ケースケ:……。

 ケースケの顔色がすっと変わったように見えた。視線を急にそらし、今までより遠くの海を見た。

メテオさん:図星のようね。だいたいわかっちゃうったら、わかっちゃうんだから。

ケースケ:けっ…。どうしてそうなんだよ…。

メテオさん:ねね、教えなさいよ。コメットとケンカでもしたの?。

 メテオさんは、いたずらっぽくささやくように尋ねた。

ケースケ:しねぇよ。そんなことじゃない…。

メテオさん:えっ?。じゃあ、どういうことよ。

ケースケ:ふぅ…。仕方がねぇな…。オレが、世界一のライフセーバーを目指しているのは知っているだろ?。

メテオさん:知っているわ。なんでそんなたいそうなことを思っているのかは、知らないような知っているようなだけど?。

ケースケ:よけいなことはいいよ。それよりよ、この前の大会で、世界選手権へのキップを手に入れようと思ったんだが、うまくなくてよ、あっさり負けちまった…。

メテオさん:ふーん。それは残念ね。それで?。

ケースケ:あっさり言いやがるな…。お前性格悪いって言われるだろ?。

メテオさん:よけいなお世話よ!。いいからそれで?。

ケースケ:…前々から高校の先生に、言われていた仕事の口があってよ、そこに就職すれば、世界一をねらいやすくなりそうなんだ。

メテオさん:じゃあ、そこに行けばいいじゃない。何を迷っている必要があるのよ?。

ケースケ:…その先が、オーストラリアでも、簡単にさっと決められると思うか?。

メテオさん:オ、オーストラリアぁ?。…それって、あなたが5年前に行っていたあのオーストラリア?。

ケースケ:ああ。そこの海洋研究所の所員にならないかって…。そうすれば、研究所員とライフセービングの選手との二足のわらじってことさ。

メテオさん:…ということは、あなた一人でオーストラリアに行っちゃおうかって、そういうこと!?。

ケースケ:まあ、そういうことになるかな…。この前の大会で、優勝していれば、ここにいながら世界一を目指そうと思ったんだけどな…。

メテオさん:そういうこと…。でも、そんな重要なこと、一人で決めるつもりなの?。

ケースケ:あのなぁ、オレはもう大人だぞ?。誰に決めてもらうんだよ。

メテオさん:…コメットには、もう話したんでしょうね?、そのこと。

ケースケ:一応、そういう可能性はあるって話はな…。

メテオさん:一応?。一応って何よ?。大会の結果、話してないの!?。

 メテオさんは、びっくりしたように言った。

ケースケ:いや、結果は応援に来たから、知っているはずだ。…でも、それでどうするかまでは…、まだ…。オレも決めかねているから…。

メテオさん:あなたねぇ!。何よ、わたくしには、こんなに詳しく話すくせに!。

ケースケ:…そ、それはお前が…、その、なかなかコメットには、言いにくいじゃねぇかよ…。ましてや、決まってもないことを…。

 ケースケは、コメットさん☆ではないメテオさんだから、特に話したのだと言いたかった。しかし、メテオさんの剣幕の前に、かなりうろたえた。

メテオさん:何言っているのよ!。あなたが真っ先に言う相手は、相談する相手は、わたくしじゃなくってよ!。このドンカンバカ!。

ムーク:姫さま、言い過ぎ言い過ぎ。

 ムークが小さい声でささやく。

ケースケ:む…、お、お前、ド、ドンカンバカって、それ、お前…。

 メテオさんは、ケースケのとなりから立ち上がり、スカートをはたくと言い放った。

メテオさん:わたくしに言い返す前に、どうしてドンカンバカなのか、自分でよく考えなさいよ!。失礼しちゃうわったら、失礼しちゃうわ。あー、無駄な時間過ごしたっ!。

 メテオさんは、怒りをケースケにぶつけ、さっさと駐車場を横切り、国道の歩道へ向けて歩き出した。メテオさん自身、いつになく怒りの気持ちを抑えられない理由が、実はよくわからなかったのだが、なんだか先に聞くべきではない話を、聞いてしまったような気持ちになったことは確かだった。

ケースケ:…くそっ!。

 ケースケは、メテオさんを追いかけ、もっと心の内を説明しようかと一瞬思ったが、それはやめて、右手のこぶしを左手の手のひらへ、胸の前で「ぱしっ」と当てた。メテオさんの言った「鈍感バカ」という言葉は、胸に突き刺さった。立ちつくしたケースケは、しばらくメテオさんの後ろ姿を目で追うと、もう一度海のほうに向き直りつぶやいた。

ケースケ:…ああ、オレは確かに、鈍感バカかもしれねぇや…。

 ケースケは視線を浜辺まで下げ、ため息をついた。

 

 疲れているのに眠れないような一夜を過ごしたケースケは、翌日、とうとうコメットさん☆に話をしようと思った。いつまでもあれこれ考えていても仕方ないと思ったのだ。まだ心のどこかでは、揺れているケースケだったのだが…。天気は、ケースケの心のように、どんよりとした曇りだった。秋晴れの日は、このところ少ない。今にも雨が降り出しそうな、北東の風が吹く日。

 朝、ツヨシくんとネネちゃんが学校で出かけ、沙也加ママさんとコメットさん☆がお店に出発する頃を見計らって、ケースケは藤吉邸に電話をかけた。なんとなく指が震えた。

ケースケ:もしもし…。

沙也加ママさん:はい藤吉です。あら、ケースケね、その声は。

ケースケ:あ、はい。おはようございまっす。…あ、あの、コメットいますか?。

沙也加ママさん:コメットさん☆?。いるわよ。かわる?。

ケースケ:あ、いえ…。その、今日コメットと…。

沙也加ママさん:コメットさん☆とどこかへ?。

ケースケ:はい…。

 まるでケースケは、コメットさん☆をデートに誘っているかのように、はたから聞いていれば思えたかもしれない。しかし、ケースケがコメットさん☆を呼んだのは、昨日メテオさんに「鈍感バカ」と言われた、あの駐車場だった。

 

コメットさん☆:ケースケ…。どうしたの?。急に私を呼び出したりして…。何かあった?。

 コメットさん☆は、心配そうに聞いた。

ケースケ:わりいな、こんなところに呼び出して…。

 コメットさん☆は、思わず回りを見回した。特に誰がいるというわけではない。国道には車が走っているが、雨が降りそうで降らないような天気。駐車場の人影はまばらだ。

ケースケ:…あ、あのさ、浜に降りねぇか?。

コメットさん☆:うん。いいよ。ケースケ、…大会残念だったね。

ケースケ:ああ。

 ケースケは、コメットさん☆と二人、そばにある階段から砂浜に降りながら言葉を交わす。

コメットさん☆:ケースケのトレーニング、あんなにがんばっていたのに…。

ケースケ:…言ってもしょうがないことなんだよ。

コメットさん☆:…そうだね。

 ケースケの言葉は、落ち着いて選んだようなものだった。心の中は、もうわかっている…。二人ともそんな気持ちだった。しかし、砂浜にケースケは、腰を下ろした。コメットさん☆もまた、スカートのすそを両手で抱えると、ケースケの右隣に座った。やや冷たいような風が、二人に吹き付ける。

ケースケ:北東風だな…。雲が厚い。雨が来るかもしれないな…。

 ケースケは、コメットさん☆に言うでもなくつぶやく。

コメットさん☆:本当だ…。黒っぽい雲が…。

 コメットさん☆もまた、空を見上げてつぶやいた。

ケースケ:コメット、オレやっぱりオーストラリアに行くよ。

コメットさん☆:…えっ?。…そ、そう。…だ、大学には行かないの?。

ケースケ:オーストラリアの海洋研究所…。向こうにも夜学の大学はあるからな…。留学と同じさ…。

コメットさん☆:そう…。

ケースケ:ここにいてもいいんだけどよ…。オレは、やっぱりここでぬるま湯につかったような生活を続けながら、世界一をねらうよりは、もっと自分から飛び込んでいくようじゃねぇと、世界一にはなれないような気がするんだ…。だからオレ…。

コメットさん☆:…そうなんだ。やっぱりケースケは、夢のために旅立つんだね…。

ケースケ:ああ…。ずいぶん考えたんだけどな。ここにいながら、世界一になれねぇかって。…事実、今年の2月は、もしかしたらなれそうだった。でもやっぱり世界の壁は厚い…。それに、師匠も言っていたけど、ライフセーバーってどうしても体力勝負だから、いつまでもやれることじゃない。ということは、世界一だって、いつまでも目指せるわけじゃないってことさ…。

コメットさん☆:いつまでも目指せるわけじゃない…。

 コメットさん☆は、ケースケの言葉を、自分の口で言い直してみた。

コメットさん☆:…そんなこと…。あ…、そっか…。

 コメットさん☆は、「ケースケなら、きっとそんなことないよ」と言い返そうかと思ったのだが、ケースケの目を見たら、そうは言えなくなった。真剣に悩んだ様子がありありとうかがえて、気休めのようなことを言っても無駄だと思えたのだ。

ラバボー:姫さま、ケースケのかがやき、かなり薄くなっているボ…。

 ラバボーがティンクルスターからささやく。コメットさん☆は、そっと右腰のティンクルスターに手を添えた。

コメットさん☆:…寂しくなるけど、ケースケがまた夢を追い求めに行くのなら、それはそれでうれしい…。

 コメットさん☆は、無理に作り笑いをすると、そう言った。

ケースケ:…でも、オレは…、オレは…。…この前のように、すぐには帰って来ないつもりなんだ。永住権が取れれば、もうずっと向こうに住むことになる…。

コメットさん☆:……。

 さすがにその言葉には、コメットさん☆は返す言葉が見つからなかった…。そんな話を聞いたのははじめてだ。笑っていたのに、鼻の奥がきゅんとなって、涙が出そうになった。

コメットさん☆:…も、もう、全然帰ってこないの?。

ケースケ:たぶん…な。ビザの更新の時、ちょこっとくらいは帰ってくるかもしれないが、それだって、別に日本でしなければならないわけじゃない…。

コメットさん☆:ビザ?。

ケースケ:ああ。ビザ。

 コメットさん☆は、ビザが何であるかわからなかった。コメットさん☆は星国人なのだから。地球の上のどこかの国から、この鎌倉に来たわけではない。しかしケースケは、ビザ?と聞き返すコメットさん☆のことを、特に不審には思わなかった。単に聞こえにくかったのかと思ったのだ。

コメットさん☆:そっか…。ケースケ、がんばってね。必ず世界一のライフセーバーになって欲しい。

ケースケ:ああ。必ずなるさ。…お、雨が降り出した…。

 コメットさん☆は、ケースケに精一杯明るい声でエールを送る。だが、降りそうで降らなかった雨が、とうとう降り出した。

コメットさん☆:ほんとだ…。雨が…。ケースケは傘持っている?。

 こんな時でも、コメットさん☆は人の傘の心配をする。

ケースケ:いや、この位の雨たいしたことねぇよ。コメットはどうなんだ?。

コメットさん☆:私、お店に行けばあるから…。

ケースケ:そうか。

コメットさん☆:あ、待ってケースケ…。…あのね。

ケースケ:な、何だ?。

コメットさん☆:…私だって、いつまでここにいるか、わからない…。いつかケースケが帰ってきたら、私、もうここにはいないかも…。

 コメットさん☆もまた、一度は言っておかなければいけないことを、ようやく口にした。

ケースケ:えっ?。…そ、そうか…。コメットも留学生だもんな。いつか留学のスケジュールが終われば、帰るんだろ?。

コメットさん☆:う…、うん…。そ、そういうことになるかな…。あははっ…。

 ケースケは、あくまで冷静に答えた。コメットさん☆は、悲しそうにわざと笑った。

ケースケ:コメットの留学って、いつまでなんだ?。国費留学なのか?。それとも…、あ、こんなに長いんだから、私費留学だよな。面白いか?、ここは。

コメットさん☆:…私の留学…。いつまで…。そうだね…、いつまで…かな?。面白いよ、ここに住んでると。とても面白い。景太朗パパも、沙也加ママもいい人。ツヨシくんもネネちゃんもかわいい。ケースケも、メテオさんも、みんないい人…。だからあったかいよ…、心が…。

ケースケ:そうか。それならよかった…。

 ケースケもまた、無理に笑顔をつくった。コメットさん☆が、「留学」の年限をあえて口にしないことに、やや引っかかりを感じつつ…。

コメットさん☆:あ、雨ひどくなって来ちゃったから、帰るね、私。

ケースケ:あ、ああ。風邪引くなよ。送ろうか?。

コメットさん☆:いいよ。大丈夫。すぐ電車に乗って行くから。

ケースケ:そうか。悪かったな、こんなところに呼び出して、雨にあてちまって…。…でも、なんかコメットには、ちゃんと言っておきたくて…。

コメットさん☆:…ありがとう、ケースケ。じゃあ…。

 コメットさん☆は、砂浜で立ち上がると、そばの階段を駆け上がろうとした。するとケースケが急に呼び止めた。

ケースケ:あ、コメット!。…オレ、まだしばらくはいるから。来年の春に向こうに渡るから…。それまではいるからよ…。

 ケースケ自身、なんだか言わずにいられない言葉。

コメットさん☆:…うん。わかった。ありがと、ケースケ。

ケースケ:ああ。すまん…。

 ケースケは、手を挙げた。コメットさん☆もまた、小さく手を振って、小走りに駐車場を抜け、国道を横断する横断歩道を渡った。江ノ電の七里ヶ浜駅には行かず、線路を踏切で渡り、そのまま北へ向かって緩い坂道を歩き続けた。いつしか、コメットさん☆のほおには、涙がつたっていた…。

ラバボー:姫さま、電車に乗らないのかボ?。沙也加ママさんのところに行くんじゃないのかボ…。

コメットさん☆:……ぐすっ…、おうちに…帰ろう、ラバボー…。

ラバボー:姫さま…。星のトンネルを使うボ…。他の人に見られると、恥ずかしいボ?。

 様子を察したラバボーは小さい声で言う。しかしそう言われても、コメットさん☆は、ラバボーの言葉に耳を貸さなかった。

 冷たい雨の中、コメットさん☆は目を涙で潤ませながら歩き続けた。とうとうケースケの口から直接聞いてしまった。…そんな気持ちがコメットさん☆の涙腺を刺激する。住宅街の整然とした道を、足早に歩く。駐車場に行っていることを、沙也加ママさんは知っているが、景太朗パパさんは知らないかもしれなかった。いきなり帰ってきたらびっくりするかも、と、コメットさん☆は思ったが、そんなことはなんだかどうでもいい気持ちになってしまった。しかし無情な雨は本降りになり、コメットさん☆の頭や体をどんどんと濡らし、体温を奪っていく。靴の中まで濡れてきて、気持ちが悪く感じるはずだが、それすらも気にならなかった。それでも、道ですれ違う人に、泣いていることを悟られないように、下を向いて歩いた。

ラバボー:姫さま…。うちに帰ってからにするボ…。泣くのは…。

 ラバボーは心配して、そんなことを言う。しかしそれは空回りなだけだった。やがてコメットさん☆と、ティンクルスターにいるラバボーは、家にたどり着いた。雨はいっそう激しく、ざあざあと降っている。道行く人々で、傘を持たずに小走りしている人とともに、コメットさん☆は、びしょ濡れになってしまっていた。

ラバボー:こんなにびしょ濡れだと、風邪を引くボ…。

 コメットさん☆は、それにすら答えず、涙をぽろぽろとこぼしながら、家の門を開け、玄関の軒先に歩み寄った。そして、そっと玄関の扉を開ける。引き戸の扉は、ガラガラと音をたてて開いた。

 景太朗パパさんは、仕事部屋でドラフターに向かい、図面を描いていた。しかし玄関のガラガラという音に気付くと、誰だろう?と思い、時計を見た。まだツヨシくんやネネちゃんが帰ってくる時間ではない。

景太朗パパさん:…おかしいなぁ?。誰だろう?。

 景太朗パパさんは、とりあえず席を立つと、仕事部屋のドアを開けて、廊下に出、右の方を見た。右へまっすぐ先は玄関だ。そしてびっくりした。

景太朗パパさん:コメットさん☆!。どうしたんだ!?。

 そこにはびしょ濡れでうつむいて泣くコメットさん☆が立っていた。景太朗パパさんは、何かとんでもないことが、コメットさん☆に起きたのではないかと心配して駆け寄ってきた。

景太朗パパさん:コメットさん☆、どうした?。ケガしてない?。

コメットさん☆:…い、いいえ…。大丈夫です…。でも…、…ぐすっ…。ケースケが、オーストラリアに行くって…。

 コメットさん☆は、少し顔を上げて景太朗パパさんを見て言った。

景太朗パパさん:…その話か。聞いたんだね?、ケースケに。

コメットさん☆:えっ?、景太朗パパ、知っていたんですか?。

景太朗パパさん:いや、正確には知らない。ただ、今朝ママが、コメットさん☆とケースケが海岸で会うって言っていたから、もしかすると、そんな話をするつもりかなとは思っていた…。

コメットさん☆:…そう…。…ひっく…、うっ…ぐすっ…。

 コメットさん☆は、景太朗パパさんの言葉を聞いているうちに、気持ちが抑えられなくなってきて、よけいに大粒の涙が出てきてしまった。うちに帰ってきたという、緊張のゆるみもあって…。

景太朗パパさん:…あああ…、コメットさん☆、泣かないで。それより、まず熱いシャワーを浴びなよ。なんで星のトンネルっていうので帰ってこなかったの?。びしょ濡れでまあ…。今タオル出すから…。

 景太朗パパさんは、かなり狼狽していろいろ口走った。

コメットさん☆:…ごめん…なさい…。景太朗パパ…。

ラバボー:ほんとに姫さま、早く体をあっためないと、風邪引くボ。

景太朗パパさん:ぼくはリビングに行っているから、早く熱いシャワーを。寒かったら、お風呂わかして入ってもいいから。早く早く…。濡れた衣類は、どうするかな…。ぼくが洗ってあげるわけにもいかないから…。

 景太朗パパさんは、突然の出来事に困惑し、どうしていいか迷った。

コメットさん☆:ごめんなさい…。心配かけて…。

景太朗パパさん:いいから。ほら早く。

 景太朗パパさんは、コメットさん☆をうながしてお風呂場へ行くように言った。コメットさん☆は、言われるままにお風呂場へ歩いていった。それを見届けると、ラバボーは景太朗パパさんに言った。

ラバボー:パパさんパパさん、ボーがラバピョンを呼ぶボ。それで姫さまの着ていたもの、洗って乾かしてもらうボ。

景太朗パパさん:ああ…、ラバボーくん、そうしてくれるかな?。今うちに誰もいないし…。ラバピョンちゃんならわかるよね?。

ラバボー:大丈夫だと思いますボ。…ボーも星のトンネルを使うように、姫さまに言ったんですボ…。

景太朗パパさん:きっと…、ショックだったんだよ。前から一応聞いていたとはいえ、はっきり決定的なことを言われるとね…。

ラバボー:…はい。

 景太朗パパさんは、コメットさん☆を気づかい、そしてラバボーにも、やさしい言葉をかけた。

 お風呂場では、コメットさん☆が熱いシャワーを浴びていた。しかし、その目は涙で真っ赤だった。湯気が上がるお湯は、冷えた体に温かいが、それでもお湯が当たっていないところは、冷えて冷たく感じる。時々鏡を見ようと思うのだが、どうしても顔を上げて、鏡に映る自分の姿や顔を、見ることは出来なかった。そんな時ラバピョンは、スピカさんのペンション近くから通じる星のトンネルを通って、急いでやって来た。

ラバピョン:ラバボー、姫さまどうしたのピョ?。

ラバボー:それが…。ケースケがオーストラリアに行くって、本人からはっきり聞いたんだボ。

ラバピョン:そうなのピョ?。でも、それは、わかっていたことじゃないのピョン?。

ラバボー:先週この近くでライフセーバーの大会があって、それに勝てなかったら、オーストラリアにある研究所に勤めながら、世界一のライフセーバーを目指すかも、ってことになっていたんだボ。だけどケースケは勝てなかったボ。

ラバピョン:そうなのピョン…。

ラバボー:それで姫さまは、ずっと心配していたんだボー。それで今日、ケースケから呼ばれて、七里ヶ浜の駐車場に行ったボ。そうしたら、ケースケがやっぱりオーストラリアに行く、ずっと帰ってこないって…。

ラバピョン:…それで姫さまはショックを?。…それは、実際のところ、「失恋」ってことなのピョン。

ラバボー:ラバピョン…。

 ラバボーは、悲しそうな顔でラバピョンを見つめた。さすがにいつものように、のろけているわけにはいかない。

ラバピョン:それで、姫さまは今どうしているのピョン?。

ラバボー:お風呂場でシャワー浴びているボ。雨が降っているボ?。それなのにずっと濡れて、歩いて帰ってきたんだボ…。

ラバピョン:なんでラバボーは、そんなの止めないのピョン。

ラバボー:ボーだって、何度か星のトンネルを使うように言ったボ。でも姫さま、ずっと泣きながら歩き続けて…。

ラバピョン:…姫さま風邪引いちゃうのピョン。ラバボーは姫さまのために、タオルを出しておいてなのピョン。姫さまの着るものは?。

ラバボー:タオルはお風呂の入口のそばにあるボ…。前に見たボ。それから姫さまの着ているものは、いつも部屋のチェストにあるボ…。たぶん…。

ラバピョン:じゃあラバボーは、ここにじっとしていてなのピョン。男の人は私が戻ってくるまで来ちゃダメピョン。

ラバボー:わかったボ…。

 ラバボーは、うつむいて答えた。ラバピョンはそんなラバボーの肩にそっと手を置くと、さっとお風呂場に駆けていった。

 

コメットさん☆:…くしゅん!。

 夜になって、コメットさん☆は熱を出していた。やっぱり昼間、冷たい雨に当たって、髪を濡らしたまま帰ってきたのは、よくなかったらしい。ご飯は普通に食べたが、微熱があって鼻水も出ている。元気がない。

沙也加ママさん:コメットさん☆、しょうがないわね…。まずは熱が下がるまで、あったかくして寝ていなさいね。

コメットさん☆:沙也加ママ…。ごめん…なさい…。

沙也加ママさん:いいのよ。あなたくらいの歳ってね、時々はこういうことになるものよ…。ふふふ…。ちょっと懐かしいような感じ…。何かあったら、呼んでね。

コメットさん☆:沙也加ママ…。

ネネちゃん:コメットさん☆、あったかいココア出来たよ。飲んで。

コメットさん☆:ありがとうネネちゃん。…いただくね。

沙也加ママさん:カップそのままでいいから。飲んだらそこに置いておいていいわ。

コメットさん☆:沙也加ママ、ネネちゃん…。ごめんなさい…。

 コメットさん☆はまた少し涙を流しそうになった。

ネネちゃん:いいよ。コメットさん☆。

沙也加ママさん:いいってば…。うふふ…。

 沙也加ママさんは、そう言うとコメットさん☆の部屋のドアを閉めた。熱は37度ちょっとなので、それほどたいしたことはない。しかし、気分は重いし、体はだるかった。それでも沙也加ママさんは、限りなくやさしい。かつての記憶を呼び覚まされたような気分だからだろうか。

 ツヨシくんは、一階の自分の部屋で、なんとなく憤然とした表情でいた。本当は宿題をやらないといけないのだが、そんな気分にはならなかった。だが階段を降りてきた沙也加ママさんが、ツヨシくんの部屋をノックした。

ツヨシくん:どーぞー。

沙也加ママさん:ツヨシ、コメットさん☆のこと、時々見てあげなさいね。

ツヨシくん:あ、ママ…。うん、わかった。

沙也加ママさん:コメットさん☆だいぶ落ち込んでいるから、無理なこと言っちゃダメよ。やさしくね。

ツヨシくん:はーい。

 ツヨシくんは、そう返事をしたが、「やさしくって言ったって、いつもやさしいつもりなんだけどなぁ」と思った。それからふと、ケースケのことを思い、またなんとなく不愉快になった。

ツヨシくん:(ケースケ兄ちゃんは、結局コメットさん☆のなんなんだよ…。いつも最終的に泣かせてばかり…。そんなの、恋人じゃないじゃん…。)

 ラバボーやラバピョン、景太朗パパさんに沙也加ママさんと、4人もの人々から、いきさつをいろいろ聞いたツヨシくんとしては、不満の矛先がケースケに向くのも、仕方のないことなのかも知れなかった。ツヨシくんは、広げたノートの上に、「コメットさん」と書いてみた。そして鉛筆を放り出すと、はぁ…とため息をついた。しかし、やっぱりコメットさん☆のことが心配になって、すっと立ち上がると、自室のドアを開けて、そっと廊下に出た。リビングの様子をうかがうと、誰もいなかった。ラバボーとラバピョンは、どこに行ったのだろう?。景太朗パパさんの話し声が聞こえるので、景太朗パパさんと沙也加ママさんは、仕事部屋にいるらしい。ツヨシくんは意を決して、2階に上がっていった。そしてコメットさん☆の部屋に近づく。緊張で手が冷たくなるのを感じつつ、そっと部屋の扉を叩いた。そして…。

ツヨシくん:コメットさん☆、コメットさん☆、入るよー。

 そう言うと、そっと扉を開けた。いつものように、鍵はかかっていない。しかし中に電灯は点いていなかった。

ツヨシくん:…コメットさん☆、大丈夫?。

 ツヨシくんは、いつもと全く違って緊張しながら、おずおずとベッドに寝ているコメットさん☆に近づいた。

コメットさん☆:…ツヨシくん、今日は入ってこないで…。なんでもないから…。大丈夫だから…。

 コメットさん☆は、向こうを向いたまま、小さな声で答えた。

ツヨシくん:…で、でもぼく、心配だもん…。

コメットさん☆:…今夜は、泣いちゃいそうだから…。ツヨシくん、出ていって。

ツヨシくん:…イヤだ。ぼく、ずっとコメットさん☆のこと看病する。

コメットさん☆:……そんな…。

ツヨシくん:…ぼく、星力ないから、コメットさん☆のこと治療はしてあげられないけど…、恋力あるもん。コメットさん☆が落ち込んでいたって、泣いていたって、笑っていたって、普通にしてたって、ぼくはコメットさん☆のこと、好きなんだから…。

 ツヨシくんは、そう言うと、コメットさん☆のベッドにさらに歩み寄り、そっとコメットさん☆のおでこに手を置いた。はっとするコメットさん☆。ひんやりと冷たいツヨシくんの手にびっくりする。冷たいのに、そこからツヨシくんが言うように、「恋力」が入ってくるような感覚…。

コメットさん☆:…ツヨシくん、私、また涙が…、出ちゃうよ…。

 コメットさん☆は、上向きになると、また一筋一筋と、涙を流した。あくまでもやさしいツヨシくんの心。それを受け入れる余裕はない今の自分の心。その間でどうしていいかわからないコメットさん☆。涙はケースケのことでだけではないのだった。

ツヨシくん:コメットさん☆、泣かないおまじない…。ちゅっ…。

 ツヨシくんは、コメットさん☆のおでこに、そっとキスをした。前にコメットさん☆がしてくれたように…。コメットさん☆は、よけいにどうしていいかわからなくなり、どんどん涙が止まらない。

コメットさん☆:ツヨシくん…。…よけいに…涙…出ちゃう…。

ツヨシくん:…あ、ごめんねコメットさん☆。どうしてもイヤだったら、ぼく自分の部屋に戻るから…。

 ツヨシくんは、あわてたように後ろへ下がり、本棚の前にあるいすにとりあえず座った。コメットさん☆は、首を左に曲げて、ツヨシくんのことをじっと潤んだ目で見た。そして、上に向き直ると、もう何も言わなかった。指で涙をぬぐうと、そっとティッシュで鼻をかんだ。ツヨシくんは、コメットさん☆のことを、またじっと見つめ続けていた。いつまでも…。

 そのころラバボーとラバピョンは…。

ラバボー:はぁー、ボーたちじゃ、こんな広い場所の掃除大変だボー。

ラバピョン:泣き言を言わないのピョン。

 なんと二人はお風呂掃除をしていたのだ。ラバピョンが手伝いをすると言いだして。

ラバピョン:…あっ、感じるのピョン!。

 突然ラバピョンは手を止め、お風呂場の天井を見て言い出した。

ラバボー:何をだボー?。はぁー。だるいボ…。

ラバピョン:感じないのピョ?。ほら…。

ラバボー:ええ?、あ…、…か、感じるボ…。だけどこれは…。

 ラバピョンが指さす天井を見上げ、ようやくわかったラバボーだが。

ラバピョン:姫さまのかがやきじゃないのピョン…。

ラバボー:これは…、「恋力」?…。

ラバピョン:そうなのピョン…。ツヨシくんのピョ?。

 二人は強い「恋力」を感じ取った。上のほうから。つまりは2階のコメットさん☆の部屋から。二人は顔を見合わせた。

ラバピョン:ツヨシくんは、本当に姫さまのことが好きなのピョン…。ずっといっしょに暮らしているから、もう幼なじみのように、他の女の子のことは、見えなくなっているのかも知れないのピョン。それって、なんだかステキなのピョン。

ラバボー:そうなのかなぁ…。

 

 翌日になり、熱は下がったコメットさん☆だったが、鼻声なのはそのままだった。ツヨシくんの「恋力」が働いたとしても、さすがにさっと治るものでもない。天気は回復し、ようやく秋晴れの青空が広がった。ツヨシくんはコメットさん☆を心配しながら、学校に行かないわけにもいかない。ネネちゃんももちろん心配だったが、だから休むというわけには行かないのだ。沙也加ママさんもお店に出かけていき、景太朗パパさんは出来上がった図面を持って出かけた。家にはコメットさん☆一人が取り残されたような雰囲気だったが、昨日からラバピョンが帰らないでいてくれた。

 しかし、コメットさん☆はあまり多くを語らなかった。思えば心は沈むし、だからといって無理に明るい表情をしようとすれば、それはそれで悲しくなった。それでもお昼になったら、沙也加ママさんのお店に、いつものように出かけるつもりになっていたが、ふと、裏山の桐の木のところへ行ってみた。

ラバピョン:あ、姫さま、どこに行くのピョン?。

コメットさん☆:裏山だよ…。

ラバボー:ボーたちも行くボ。

コメットさん☆:うん。じゃあいっしょに来て。

 ショックのあまりまた熱を出してしまうといけないと心配して、なるべくいっしょについて来ようとするラバピョンとラバボーに、コメットさん☆は少し微笑むと、家に鍵をかけ、そっと裏山に出かけた。桐の木は、もう冬支度のためなのか、大きな葉を少しずつ落としていた。黄色くなったり、無惨に破れた落ち葉。それでも桐の木の葉は、あたりの木の葉とは比べものにならないほど大きい。コメットさん☆は、さくさくと土を踏んで、桐の木の前まで来た。そして桐の木を見上げる。

コメットさん☆:桐の木さん…。

ラバボー:姫さまはどうするつもりだボ?。

ラバピョン:さあ…。木の妖精に語りかけるのピョ?。

 ラバボーとラバピョンは、数メートル後ろでコメットさん☆の様子をうかがいながら、ヒソヒソと語り合った。鼻がつまり気味のコメットさん☆は、黙って空へと突き進むように立つ桐の木を見上げた。青空に、やや傷んだ葉っぱを、まだたくさん残している桐の木。あくまで高い高い空を目指す。

コメットさん☆:……。

桐の木:……。

 コメットさん☆は、何も語らず、桐の木も何も語らない。しかしコメットさん☆は、心の中で思っていた。

コメットさん☆:(人はなぜ、いつか別れるときが来るとわかっていても、友だちであることを続けるんだろ?。いつか悲しい思いをするかもしれないのに…。…私も…、そう…だったけど…。)

桐の木:(それは…。)

コメットさん☆:(あっ…。桐の木さん!?。)

桐の木:(久しぶりですね、星の国の王女。…それは、別れもあれば、新しい出会いもある。それに友だちであり続ける限り、その間楽しかったり、意味のある時間を共有できるから…。もうあなた自身、それは十分知っているでしょう?。)

ラバボー:姫さま…。姫さまは今…。

ラバピョン:あの木とおしゃべりしているのピョン!。

 ラバボーとラバピョンは顔を見合わせた。

コメットさん☆:(うん…。知っている…かも。でも…、いっそ知らないままのほうがよかったのにって…、思うときだってあるよ…。)

桐の木:(そうかもしれない…。けれど、知っていたから楽しかった、うれしかった、わかり合えた…、そして悲しかった。人はそうやって成長するのでしょう。知らなければ何も起こらない。確かに楽かもしれませんね。でも、それはあなたの成長のために、あるいはあなたの言う友だちの成長のために、いらないことなのでしょうか?。)

 コメットさん☆は、それを聞くと、そっと背中を桐の木にあずけた。そして、もう一度空を見た。限りなく遠い青空。コメットさん☆の心にも、少し日の光が射したかのよう…。コメットさん☆は、ふとラバボーとラバピョンが、心配そうにこちらを見ていることに気付いた。それを見たコメットさん☆は、ちょっと微笑んだ。

コメットさん☆:ラバボーとラバピョン、ありがと…。心配かけてごめんね…。

ラバピョン:いいのピョン。姫さまが寂しそうだと、私もラバボーも寂しいのピョン…。

ラバボー:ボーもだボ…。

コメットさん☆:うん…。

 コメットさん☆は、ラバボーもラバピョンも、大切な友だちだと思った。ラバボーやラバピョンと、いつか友だちでなくなる時が来るかも、なんて、いつも考えているの?と、自分で自分に聞いてみた。もちろん、その答えを言うことすら、無意味なことだと思えた。

 それにしても、ツヨシくんとケースケの恋力は、今のコメットさん☆を混乱させる。コメットさん☆の心が安定するには、まだ長い時間が必要なようである…。

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★第275話:迷路のケースケ−−(2006年10月下旬放送)

コメットさん☆:私、裏庭の桐の木さんに言ったの。

スピカさん:なんて?。

コメットさん☆:人はなぜ、いつか別れるときが来るとわかっていても、友だちであることを続けるんだろう。いつか悲しい思いをするかもしれないのにって。ケースケがオーストラリアに行っちゃうって言うから…。

スピカさん:オーストラリアかぁ…。遠いことは遠いわねぇ。でも、そうしたら、木はなんて言ったの?。

コメットさん☆:別れもあれば、新しい出会いもある。友だちであり続ける限り、その間楽しかったり、意味のある時間を共有できる。知り合えているってことは、私とその友だちの成長のために、必要なことなんだって…。

スピカさん:そう…。うふふふ…。難しいことを言うのねぇ、その木は。

コメットさん☆:…うん。

スピカさん:…私だって、星国を離れるときは、おんなじような気持ちあったなぁ…。

コメットさん☆:そうなの?、叔母さま。

スピカさん:星の子たちが寂しいよ、寂しいよって…。いっそ、星国に生まれなければ楽だったかも…、なんて思ったときもあったけど…。

コメットさん☆:…そうだったんだ。

スピカさん:でもね、もう永遠に会えないわけじゃ、ないんじゃないかしらって思った。もう帰らないって決めたのに…。いつかまた、会いに来てくれるかもしれないし、会いに行くことが出来ないとも限らないってね。星の絆って、そんなに簡単に切れないって信じた…。そうしたら、ほら、あなたが星国からやって来てくれたでしょ?。これもまた、星の子たちの気持ちなんだなって思ったわね。

コメットさん☆:えっ?、そうなのかな?。私がここへ5年前に旅行で来たことも?。

スピカさん:星の導きだって、言ったでしょ?。

コメットさん☆:そっか…。それなら…、よかったかな…。

 コメットさん☆は、あれから数日たって、星のトンネルを通り、スピカさんに会いに来ていた。引きかけた風邪は、もうすっかりよくなったし、冬に向かうというのに、鎌倉は温かい秋晴れが続いていた。だが、スピカさんのペンションの回りは、もう既に紅葉が始まっていて、高い山ではとっくに見頃を迎えていた。スピカさんは、そんな山を、遠くに見ながら話を続けた。

コメットさん☆:叔母さま、そう言えば…、修造さんとみどりちゃんは?。

スピカさん:みどりは保育園に行っているわ。来年はもう年長さんになるわね。修造さんは、町のほうまで買い物に行ってる。だから今こうしてあなたとお話しできるのよ。

コメットさん☆:叔母さま、いつも忙しいのに、ごめんなさい…。

スピカさん:いいのよ、コメット。お客さんがいないときなら、たいてい大丈夫だから。

コメットさん☆:ありがとう、叔母さま。

スピカさん:コメットは、星ビトや星の子、それに星国とこの星を結ぶ、細いけれどしっかりとした糸のようなものねぇ。簡単に切れたりしないはず。それに…、その糸は、星国とこの星を結んでいるばかりじゃない…。

コメットさん☆:叔母さま…。それって、ケースケと私もっていうこと?。

スピカさん:そう…かな?。うふふふ…。ひとときの別れが、その先の全てを決めてしまうわけではない…。違うかなぁ?。距離が離れているからって、絆が途切れるとしたら、私と星国なんて…。

コメットさん☆:叔母さまぁ…。…そうだよね。

 コメットさん☆は、はっとしたようにスピカさんを見て、びっくりしたような声をあげ、次いで少し下を向き加減でつぶやいた。

スピカさん:…もう少し時間がたってみないと、よくわからないかも。きっとケースケくんも、揺れているわよ。ケースケくんは、すぐにオーストラリアへ行くの?。

コメットさん☆:ううん。来年の春だって…。

スピカさん:そう…。本当にケースケくんは、行くのかなぁ?。

コメットさん☆:えっ?、叔母さま…。

 スピカさんは、遠くの山をまたじっと見ながら言った。コメットさん☆は、びっくりして、その横顔を見た。

 

 そのころ、藤吉家にある景太朗パパさんの仕事部屋には、ケースケが来ていた。かたわらにある応接セットの、図面台を背にした側に景太朗パパさんが、反対側にケースケが座る。テーブルの上には二人分のコーヒー。

ケースケ:師匠…。オレ…、今度のことだけは、どうしても一人で決められないんです…。

 珍しくケースケが、自信のないような声で言う。

景太朗パパさん:そうか…。お母様には、相談したのか?。

 景太朗パパさんは、落ち着いたやさしい目で、ケースケを見て言う。

ケースケ:海外で、研究所勤めになるかも…って話は、しましたけど…。

景太朗パパさん:…ケースケとしては、最後の踏ん切りがつかない…。そういうことかな?。

ケースケ:…はい。

 景太朗パパさんは、少し深めに座り直した。

景太朗パパさん:…それは、お前がどの夢を取るか…。そういうことだろうな。

ケースケ:えっ!?。

 ケースケは、少し大きい声で答えた。そしてじっと景太朗パパさんの目を見る。

景太朗パパさん:…お前の夢は、もう一つじゃなくて、その形にはいろいろある…。違うか?。

ケースケ:…どの夢って…。それは師匠、世界一のライフセーバーか、それだけじゃなくて……、その…。

景太朗パパさん:…まあ、そういうことさ。

ケースケ:……。

 ケースケは黙りこくってしまった。そう言われてみれば、思い当たることもある。

景太朗パパさん:人間っていうのは、達成したい夢や希望が、たいていいくつかあるものさ。そういうものだろ?。たった一つ、という人は、まあ少ないかもしれない…。目標自体は一つだとしても、それのまわりに、いくつかいっしょに達成したい目標があったりする…。

ケースケ:…は、はぁ…。

景太朗パパさん:今のお前は、まさにそういうものじゃないのかなぁ?。ぼくには、そう思えるけどな。

ケースケ:……。

 ケースケは、いつにも増して、無口にならざるを得なかった。

景太朗パパさん:ああもしたい、こうもなりたいってさ、人間は思うものさ。…でも、結局そんなに全部は達成できないかもしれないな。こんなことを、若いケースケに言うのは、ぼくの気持ちとしては、うれしくないけど…。現実は意外と厳しい…。

ケースケ:は、はい…。

景太朗パパさん:…どの望みを、一番かなえたいかということといっしょに、どういう形でかなえたいか。…それは、その本人が決めるしかないんだよ。酷なことを言っているかもしれないけど、ケースケ、もし誰かに指図されて、それでうまく行かなかったら、きっと後悔するだろ?。違うか?。

ケースケ:はい…。たぶん…。

景太朗パパさん:世界一のライフセーバーになる。それは大きな目標であり続けるだろう。だが…、その目標とともに、別な目標も見えてきてしまった…。それが今のケースケなんだろうな…。…世界一のライフセーバーになる目標を、いっしょにそばで見届ける人がいて欲しいか、それともその想いを断ち切ってでも、世界一になることのほうがまず優先なのか。…たとえ今日明日答えが出ないとしても、お前自身で決めるしかない。そのことは…。

ケースケ:はい…。師匠…。

景太朗パパさん:…もう、ぼくが言ってやれることも、この程度だなぁ。あまり頼りにならなくて悪いけど…。

ケースケ:あ、い、いえ。そんな…、師匠…。

景太朗パパさん:ケースケ、お前も成長したよ。

ケースケ:はぁ…。

 景太朗パパさんは、少し寂しそうに笑った。ケースケは、それに対して少しうつむき加減で答えた。

ラバボー:…なんていうことだボ…。大変だボ…。

 なんとその会話を、こっそりラバボーは聞いていたのだ。全てを聞くつもりはなかったのだが、ついコメットさん☆が心配なあまり、どんな話し合いをしているのか、ほんの少し聞いてみようと、景太朗パパさんの仕事部屋の近くまで行った。そしてロールカーテンの降りた、廊下に向いた窓に、そっと耳をつけてみたのだ。そして聞こえてきたのは、景太朗パパさんが最後に言った言葉。

ラバボー:いっしょにそばで見届ける人って…。もしかして!…。

 ラバボーは、そっとツヨシくんの部屋へ走って行った。

 ツヨシくんはツヨシくんで、最近のコメットさん☆の様子から、ケースケという存在をかなり意識するようになっていた。自分が一番大好きだと思っているコメットさん☆の心をつかんで離さない、ケースケという一人の男。今まで、気のいいお兄ちゃんと思っていたのに、どこか裏切られたような気持ち。コメットさん☆の心を揺さぶり、いつも泣かせる人間。そんなイメージが、ツヨシくんの中で膨らんでいく。ここへ来て、はっきりケースケと自分は、コメットさん☆を真ん中において、対立する存在同士なのだと、まだ4年生とはいえ、カンのいいツヨシくんは思うのであった。そのツヨシくんの部屋に、ラバボーが急いで入ってきた。

ラバボー:ツヨシくん、ツヨシくん、まずいボ!!。

ツヨシくん:えっ?、何が?。

 ツヨシくんは、景太朗パパさんのところに相談に来ているケースケを意識しながらも、なんとなく机に向かって、子ども向け小説を開いていた。ネネちゃんもなぜかいっしょに部屋にいる。いつもなら、ネネちゃんに「来るなよぅ」とか言うツヨシくんだが、今日はなんだか、むしろいっしょにいて欲しいような気持ちだった。だから二人で別々な本を、読んでいるつもりだったのだが、まるで活字が追えないし、だから頭に入らない。読んでいることに、ちっともならないでいるところだった。二人は、ラバボーのただならない声に、顔を上げて見た。

ラバボー:ツヨシくん、ケースケに姫さま連れて行かれちゃうかもしれないボ!。

ツヨシくん:えっ!?。

ネネちゃん:えー?、ラバボー盗み聞きして来たの?。わるーい。

 ネネちゃんはラバボーをじっと見て言った。すぐにラバボーが、こっそり景太朗パパさんとケースケの会話を聞いてきたのだとわかった。

ラバボー:だ…、だって、気になるボ?。ボーはお供なんだし…。一応…。

ツヨシくん:そんなのダメぇっ!。

ネネちゃん:うわっ…。

 ツヨシくんは、ひときわ大きな声で言った。ラバボーは、盗み聞きしてきたことを、ツヨシくんにもダメと言われたのかと思った。ネネちゃんはびっくりした。

ラバボー:ツ、ツヨシくん…。

ツヨシくん:それはヤダ!。ケースケ兄ちゃんは、ぼく嫌いな訳じゃないけど、コメットさん☆を連れて行っちゃうなんていうのはダメ!。コメットさん☆を泣かしてばかりのケースケ兄ちゃんは嫌い。ぼく、コメットさん☆のこと泣かさないもん…。

 ツヨシくんは、いすから立ち上がると、胸を張って言った。ラバボーは、自分のことを言っているのではないと、ほっとした。

ネネちゃん:な…、なんか説得力あるね、わが兄貴は…、フォルテシモ謎です…。

 ネネちゃんはびっくりするあまり、パニッくんのまねをしてみた。しかし、言ってみても、全然面白くなかった。

ラバボー:……ツヨシくん、ケースケはライバルだボ…、もう。

ツヨシくん:ぼくはあんまりそう思いたくないけど…。仕方ないかも…。

 ツヨシくんは、今度は下を向いてつぶやくように言った。

ツヨシくん:…でも、ぼく…、負けないもん…。

 そして、ちらりと本音を語る。

ラバボー:もし…、姫さまがオーストラリアに、連れて行かれちゃったりしたら…、ボーはどうしたらいいんだボ…。

ネネちゃん:…ラバピョンと逃亡するしかないかもね…。ヒゲのおじさんに、なんて言われるか…。

ラバボー:そんなぁ…。ボーだって、姫さまと別れ別れになるのは寂しいボ。

ツヨシくん:ちょっと、二人とも、コメットさん☆がオーストラリアについて行っちゃうのが決まったみたいな言い方、しないでよったら、しないでよ!。ぼく、そんなこと、絶対にさせないから!。

ラバボー:ツヨシくん、いい意気込みだボ。ボーももう最大限応援するボ!。

ネネちゃん:ラバボー、意志弱っ!。それより…、ツヨシくん、絶対にさせないって言うけど、コメットさん☆がいいよって、ケースケ兄ちゃんに言っちゃったらどうするの?。

ツヨシくん:……。

ラバボー:……。

 ネネちゃんの、核心をつく質問に、二人は黙りこんでしまった。

ツヨシくん:…ぼく、信じているから。コメットさん☆は、そんな人じゃない…。

ネネちゃん:えっ?。

 ネネちゃんは、ツヨシくんがじっと空(くう)を見つめ、つぶやくのを耳にした。そして「信じているって言っても…」と言い返そうかと思ったが、何かツヨシくんの言葉には、重みがあるような気がして、ふと口をつぐんだ。そして心配顔のラバボーと、顔を見合わせた。

ツヨシくん:ぼくは、ケースケ兄ちゃんみたいに体力があるわけじゃないし、大人でもないけどさ…。でも…、コメットさん☆のこと、泣かせてばかりいるケースケ兄ちゃんは、本当にコメットさん☆のことが好きなんだろうかって、前から思ってた。そりゃあさ、いっしょに遊んでる時とか、コメットさん☆がケースケ兄ちゃんのこと、好きだって思っていることくらい、よく知っているよ…。それでもぼくは、コメットさん☆のこと、泣かしたりしたことないよ。

ラバボー:…確かに、ツヨシくんは姫さまのこと、泣かしたりしないボ…。いたずらしてならともかく、心を傷つけたりしたことは…、一度もないボ。

 ツヨシくんの部屋には、重苦しい空気が漂った。

ネネちゃん:それ、わかるような気がするな…。私も…、ツヨシくんのほうが、コメットさん☆にやさしいと思う…。妹だから兄貴をかばうってわけじゃなくて…。

ラバボー:ネネちゃん…。

ネネちゃん:私だって、やさしい人じゃないとイヤだな…。…あ、ケースケ兄ちゃんが、やさしくないってわけじゃないけど…。

ツヨシくん:ぼくもケースケ兄ちゃんが、やさしくないとは思わないけど…。なんか違う気がするんだよ…。なんて言うのかなぁ…。ケースケ兄ちゃんは、世界一のライフセーバーになるって言うけど、コメットさん☆は星国の人だよ?。

ネネちゃん:うん…。ケースケ兄ちゃんの夢と、コメットさん☆が星国に帰ってやりたいと思っていることって、たぶんいっしょにやれることじゃないよね…。だってさ、星国の海で、ライフセーバーって必要なのかな?。

ラバボー:え?、ネネちゃんが言っていることって、どういうことだボ?。

ネネちゃん:つまりぃ、ケースケ兄ちゃんだって、いつか世界一になれたとしてよ?、コメットさん☆と結婚したら星国の殿下になるってわけでしょ?。

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん、コメットさん☆と結婚なんてさせないったらぁ!。

ネネちゃん:ちょっといいから、例えばの話だし。ツヨシくん落ち着いて聞いてよ。コメットさん☆と結婚したら、星国の仕事しなければならないんじゃないの?。ライフセーバーなんて、やっていられないよ、たぶん。

ラバボー:うーん、確かにそうだボ。星国には、泳げる海なんて、姫さまが作った砂浜の海水浴場くらいしか、まだ無いと思うボ…。

ネネちゃん:ね?。だから、星国一のライフセーバーなんて、やっていられない…。つまり、ケースケ兄ちゃんの夢は、地球で世界一を達成したら、そこで終わりってことよ。

ツヨシくん:…そうか…。

ラバボー:…ネネちゃん、さえてるボ…。

ネネちゃん:さえてなんていないよ…。考えてみれば、わかることだと思うよ。…でもさあ、もし、もしだよ?、コメットさん☆がケースケ兄ちゃんについて、オーストラリアに行っちゃって、それで結婚して地球に住むとか言い出したら?…。

ツヨシくん:そ…、それは…。そんなこと…。

ラバボー:ええー!?。…そんなスピカさまのようにかボ…。

ネネちゃん:絶対にないとは言えないよ?。

 ツヨシくんとラバボーは、ネネちゃんから告げられる事実に愕然とした。それに、まるでメテオさんががつーんと言うときのように、切れる頭ですらすらと言うネネちゃんにびっくりもしていた。

ネネちゃん:…でもやっぱりぃ、ケースケ兄ちゃんがどう言っていたのか、私にはわからなけど…、ケースケ兄ちゃんが、本当にコメットさん☆のこと、オーストラリアに連れて行っちゃうのかなぁ?。そうなのかなぁ?。なんかそれよりは…、ケースケ兄ちゃんが、ここに残ることのほうが、ありそうに思えるけど…。

 ネネちゃんは、まるで推理をする刑事のように、静かに語った。とても小学4年生とは思えないほどの思考力に、ラバボーとツヨシくんは、ただ顔を見合わせた。そして、みんな押し黙ってしまった。

 

 夕方になって、沈みゆく夕焼け空を見ながら、コメットさん☆とケースケは、由比ヶ浜の「HONNO KIMOCHI YA」前の浜にいた。コメットさん☆のほおには、夕日のオレンジ色の光がさし、美しく見える。ほとんど人影のない浜には、静かに波が寄せては返す。オレンジ色の光の中に立ちつくす二人。コメットさん☆が口を開いた。

コメットさん☆:…ケースケ、どうして私に教えてくれなかったの?。もっと早くに…。

 ケースケもすぐに言葉を返す。

ケースケ:お、オレとしては、早く教えたつもりだったんだけどな…。

コメットさん☆:学校の先生から、そういう道もあるって、わかったときに教えて欲しかったかな…。

ケースケ:…あんまり決まってもないうちから、こうかもしれない、ああかもしれないって、言いたくなんじゃんか…。それに、そんなことで、コメットのこと、思い煩わせたくない…。聞いてもどうしようもないことだろうし…。

コメットさん☆:…そ、そうかもしれないけど…。

 コメットさん☆はわかっていた。ケースケなら、やっぱりそう思うんだろうなということを。だけど、なんだか言わずにはいられないような気持ち。

ケースケ:…それに、コメットだって、だいぶ前だけど、黙って帰っちまったことあっただろ?。…師匠が電話で、「帰っちゃったぞ」って…。あの時、オレだって、もう会えないんだなって…。

コメットさん☆:…ケ、ケースケ…。ごめんね…。そう…、だね…。私も人のこと言えないね…。

ケースケ:いや、も、もういいよ。前の話だし…。でも…、今度はオレ、コメットのこと、あんまり傷つけたくないから…、悲しませたくないって思ったから…。…うまく言えねぇけど…。あまり早くから言うと…、コメットがそれだけ長く悩むかもな、なんて…、うぬぼれたようなこと思っちまってさ…。あはは…。

コメットさん☆:ケースケ…。

 ケースケは、照れ隠しのように笑うと、恥ずかしそうに、つぶやくように言った。一方コメットさん☆は、それがケースケなりの思いやりなのだと思った。

コメットさん☆:…ケースケ、ありがとう…。

 コメットさん☆は、顔を上げて夕焼けに染まる海と空を見ながら、そっと言った。

ケースケ:…そんな、礼なんてしないでくれ…。オレは、オレの夢のために、ただ勝手を言っているようなものなんだから…。

 ケースケもまた、日が沈んでいく稲村ヶ崎のほうを向いて言う。二人の間には、秋のやや冷たい風が吹いている。

コメットさん☆:ケースケの夢は遠いんだね…。…でも、きっとかなう。そう思う…。

ケースケ:ああ…。確かに遠いな。思ったよりずっと遠い。必ずかなえるけどな…。

コメットさん☆:…私は、ケースケの夢を、いっしょに追うことは出来ないけど…。ケースケを海のこっち側から応援するよ…。

ケースケ:…あ、ああ、そう…だよな。…そう…。いっしょに追ってってわけには…、いかない…よな…。

 ケースケは、コメットさん☆の言葉に、やや深い意味が込められていると思った。

ケースケ:オレも…、コメットと、みんなといっしょに、伊豆に行ってみたかったかな…。

 ケースケは、そんな重い空気をはらうかのように、少し明るい声で言った。いつしか足元の砂で団子をつくり、それを野球のボールのように、遠くに放りながら…。

コメットさん☆:…ケースケ…。ごめんね…。誘わなくて…。夏は忙しいケースケだったから…。最初から誘えないって思ってた…。

ケースケ:いや、コメットが謝ることじゃねぇよ。実際忙しくて、抜けられなかったさ…。オレたちは、オレたちの海を、泳いだり、遊びに来る人を守ってる…。伊豆には、伊豆の海を守る人たちが、いるだろうよ…。

コメットさん☆:…うん。そうだね…。

 コメットさん☆は、ケースケが普段していることの重みを、その言葉からあらためて感じた。

ケースケ:…でも、オレもまだ正直迷っている…。

 ケースケは、また一つ砂団子を投げると言った。

コメットさん☆:えっ?。

 コメットさん☆は、スカートのすそを抱えて、乾いたところに腰を下ろすと聞き返した。

ケースケ:…まだ、オーストラリアに行くのかどうか…。

コメットさん☆:そうなんだ…。

ケースケ:迷いはあるさ…、誰にでも。

コメットさん☆:…うん。

 もう夕日は、水平線の彼方に沈もうとしていた。ケースケは砂団子をいくつも投げ続けた。「HONNO KIMOCHI YA」の窓からは、沙也加ママさんが二人の様子を遠目に見ていた。もうすぐお店を閉めて、家に帰る時間なのだが。

沙也加ママさん:(…どんな話をしているのかしら?。あんまり秘密なのは、私も心配だけど…。コメットさん☆とケースケのことだから、大丈夫よね、きっと…。お互いが引き合うあまり、互いの進むべき道をじゃましちゃってるみたいなのは、見ててかわいそうだけど…。)

 沙也加ママさんは、少しばかり心配していた。それは若い二人が心配、というよりは、なんだか二人の背中が、とても寂しそうに見えたから…だったかもしれない。また、自分がかつて通ってきた道を、そこに見たからかも…。沙也加ママさんの心には、これから冬が来て、春になったとき、いったいどうなっているだろうという思いが、しきりに押し寄せていた。「HONNO KIMOCHI YA」の窓を、オレンジ色に染める光の中で、コメットさん☆とケースケをじっと見つめながら…。

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★第276話:さつまいも収穫祭−−(2006年10月下旬放送)

 10月も下旬になり、すっかり天気は安定していた。毎日まずまず晴れの天気が続くが、朝夕は肌寒さを感じる気温になってきつつある。まだ木々は紅葉したりしないけれど、確実に冬は近づいている。そんな時、コメットさん☆の心は、ずっと揺れていた。ケースケがオーストラリアに行ってしまうのかどうか。ケースケは「まだ迷いがある」と言うが…。

 なんとなく家中が、ケースケの話で、たそがれたような雰囲気になってしまったと感じていた景太朗パパさんは、毎日仕事をこなしながらも、「なんとか気分を変えてやらないと…」と思っていた。それは、もちろんコメットさん☆だけではなく、ツヨシくんもネネちゃんも、そして沙也加ママさんも、自分も…である。

景太朗パパさん:…そうだ。もう10月も終わりじゃないか…。いかん、間に合わないぞ。しまったなぁ…。大丈夫かな…。

 そんなある日、景太朗パパさんは、コンピュータに向かってキーボードを叩いていて、ふとカレンダーを見て気付いた。もう10月は終わり、11月に入ろうという日なのだ。景太朗パパさんは立ち上がった。そして壁に掛けてあったジャンパーをはおると、玄関から裏山の畑に出かけた。ちょうど家には誰もいなかった。

景太朗パパさん:おっ…、まだ大丈夫そうだな…。よしよし…。えーと、明日は土曜日か…。よし、じゃあこれをやるか…。

 裏山の畑にやって来た景太朗パパさんは、もう秋になって、ほとんど収穫を終え、地面がかなり露出している畑で、それだけまだ残っている「ある植物」を見た。そして、少し土を掘ってみてつぶやいた。そして畑すらも放りっぱなしになっていることに、苦笑いした。

 

 翌日は土曜日。景太朗パパさんは朝食の時、テーブルについていたみんなに切り出した。

景太朗パパさん:さてと、今日は土曜日。ツヨシもネネも、学校は休みだよね。

ツヨシくん:うん。休みだよ。あー、いいなぁ。

ネネちゃん:ツヨシくん何?、そのおじさん臭い言い方…。私ももちろん休みだけど…。

景太朗パパさん:コメットさん☆は、何かあるかな?。

コメットさん☆:あ、いいえ…。午前中は何もないです。

景太朗パパさん:ママは?。

沙也加ママさん:私は…、今日は棚卸し。だから臨時にお休みよ?。午後からコメットさん☆といっしょにお店へ行って…。

景太朗パパさん:よーし。じゃあ、全員午前中は何もないね。それなら芋掘りしよう!。

ツヨシくん:芋掘り?。やったぁ!。

ネネちゃん:お芋堀ぃ?。…あー、なんかそういえば、春に植えたような…。

景太朗パパさん:忘れるなよ、ネネ…。

コメットさん☆:わはっ…。私もちょっと忘れていました…。

沙也加ママさん:わあ、お芋だらけになるのね…。

景太朗パパさん:でも、いいだろ?。うちもそろそろ「収穫祭」をね。

沙也加ママさん:収穫祭かぁ…。そういえばもう最近やってないわねぇ。前は近所の人や、知っている人たち呼んで、やったりしたけど…。

ツヨシくん:収穫祭ぃー!。サツマイモ、どうやって食べようかなぁ。焼き芋かなぁ。

ネネちゃん:もう食べる話してるし…。

 ネネちゃんはちょっとあきれ顔…。

コメットさん☆:あの…、ラバピョンもいっしょにしてもいいですか?。…最近、私のこと心配してくれて…。よく来てくれるから。

沙也加ママさん:うふふ…。ラバピョンちゃんにも、ぜひ手伝ってもらって。夕食に天丼なんてどうかな?。

景太朗パパさん:いいね。ラバボーくんと、ラバピョンちゃんもいっしょにやろう。ね?。

コメットさん☆:あはっ…。はいっ…。

 コメットさん☆は、少しにこっと笑った。

 景太朗パパさんは、手袋をして、長靴を履き、作業着をちゃんと着て、背中にはクワを背負って、裏山までの道を歩く。歩くと言っても、藤吉家の裏庭から外の道へ出てすぐなのだが。ほかのみんなは、汚れてもいいような格好をしているが、せいぜいスニーカーを履いている程度。だが、手袋はきちんとはめている。これがないと、あとで手ががさがさだ。ツヨシくんは、そんなことを気にしたりはしないが、コメットさん☆、ネネちゃん、沙也加ママさんは、やっぱり気を使う。ラバボーとラバピョンも、誰が見ているかわからないから、コメットさん☆のティンクルスターの中に入って移動だけれど、コメットさん☆が星力で出してくれた手袋をちゃんとしている。いつだったか、こんなこともあろうかと、縫いビトに作ってもらってあったものだ。

 景太朗パパさんは、歩きながら、誰に言うともなく語る。

景太朗パパさん:なるべく芋掘りは、天気のいい日がいいんだよ。

コメットさん☆:どうして?…。

 コメットさん☆は、思わず答える。

景太朗パパさん:そのほうが、掘った芋が傷みにくいのさ。とてもその日のうちに、全部食べられる量じゃないだろう?。そうすると必要な時に使うわけだから、その時にダメになっていないように。

コメットさん☆:そうですか。たくさん掘れるといいな…。あ、でも…、たくさん掘れて、食べきれない分は、どうやって保存するんでしょう?。

景太朗パパさん:長い間なら、また土に埋めておくんだ。やり方があるんだけどね。それと、一週間とか一月くらいなら、新聞紙に包んで日陰に置いておけばいい。

コメットさん☆:へぇ…。冷蔵庫に入れなくていいんですか?。

沙也加ママさん:冷蔵庫に入れるとね、かえってお芋は早くだめになっちゃうわ。

コメットさん☆:そうなんだ…。なんだか不思議ですね。

 コメットさん☆は、意外な感じがして、丸い目をさらに丸くした。そんな話をしているうちに、もうみんな裏山の畑。じっとしていると、少し肌寒い秋風が吹いている。コメットさん☆がふと見上げると、いつもの桐の木が、がさがさと葉を揺らしている。もうすぐ葉を全て落として、また来年の春を待つのだ。

景太朗パパさん:さーて、やるかぁ!。畝(うね)1列でも、結構あるぞぅ!。

コメットさん☆:ラバボー、ラバピョン、出てきていいよ。

ラバボー:ハイですボ。姫さま。

ラバピョン:姫さま、今日はお芋堀なのピョ?。

コメットさん☆:そうだよ。お芋を掘って、それでお菓子作ろう。

ツヨシくん:あ、いいな。ぼくも食べたい…。

ネネちゃん:あのね、もう、すぐに食べる話。ツヨシくん、そんなこと言っていると、だんだん太って、体脂肪がたまるよ?。

ツヨシくん:いいじゃんか。…たいしぼう?。

ネネちゃん:体脂肪も知らないの?。遅れてるぅ。

 ツヨシくんは、最近妹のネネちゃんには、やりこめられている。兄妹といえども、ネネちゃんは女の子。手厳しい指摘も多い。

沙也加ママさん:ラバボーくんと、ラバピョンちゃんは、ちょっと力がいるからがんばってね。

ラバピョン:ハイなのピョン。

ラバボー:なんとかがんばりますボ。

ラバピョン:スピカさまにもおみやげにするのピョン。

コメットさん☆:あ、それいいな。私もスピカ叔母さまに、おみやげのお菓子作ろう。何にしようかな?。

沙也加ママさん:スピカさん?。えーと、誰だっけ?。

ラバボー:あー、あの、…姫さまの友だちだボ。

沙也加ママさん:そう?。叔母さまがどうとかって聞こえたけど…。

コメットさん☆:えーと…。

 コメットさん☆が、もう少し説明しようかと、ふと思ったとき、景太朗パパさんが呼んだ。

景太朗パパさん:ほらー、みんな始めよう。茎を一株分まとめてしっかり持って、慎重に引っ張るんだぞ。

コメットさん☆:はーい。

ツヨシくん:はいよー。ネネやるぞ。

ネネちゃん:はーい。たくさん掘れるといいな。

ツヨシくん:結局ネネだって、食べるんじゃん…。

 そんな会話をしながら、みんなサツマイモの植わっている畝のそばに集まると、並んで1株ずつ両手でつかんで引っ張り始めた。コメットさん☆は、スピカさんのことを、なんとなくいつまでも黙っていていいのだろうか、という気持ちになりながらも。

沙也加ママさん:よいしょ…。うん、なかなか…これは、茎がちぎれちゃいそう…。

ネネちゃん:なんか葉っぱさんがかわいそうだよ?。

ツヨシくん:でも…、引っ張らないと掘り出せないよ?。

ネネちゃん:そうだけど…。

コメットさん☆:ゆっくり引っ張れば、あんまりちぎれないかも…。

景太朗パパさん:みんな…、気持ちはわかるけど…、芋が出てきたら、茎のところは切って捨てちゃうしかないよ?。

沙也加ママさん:そうだけど…。まあ、なんていうか、気持ちの問題かしら?。

景太朗パパさん:なるほど。そう言われればそうか。

沙也加ママさん:ラバピョンちゃんとラバボーくんも、うまく掘れるー?。

ラバピョン:はーい、なのピョン。

ラバボー:うー、力はいるけどなんとか…だボ。

 ラバボーとラバピョンは、二人で一株力を合わせて芋を掘る。実際のところ、「掘る」というより、「引っこ抜く」という感じなのだが、少し小さなシャベルで土をよけると、手で引くのに合わせてもこもこと土が盛り上がり、土の中からまるまるとした芋が、ごろごろと出てくる。そんな感触はみんな面白い。

ツヨシくん:よいっしょっ…と。よーし、掘れた掘れたぁ。たくさんついているよ芋が。

ネネちゃん:えいっ…、あー、私もー。小さいのも入れれば、8個くらいついてる。

コメットさん☆:なかなか抜けない…。あっ、茎が切れちゃった…。あ…、でも、残りのは5個くらいはある…。

景太朗パパさん:いいよ、茎が切れたら、あとでちゃんと掘り返すから。どんどん次行ってー。

ツヨシくん:わーい。また掘れた。ほらたくさんついているよ。

 ツヨシくんは、立て続けに大きな芋がついている株を堀り、自慢げに手で持ち上げてみる。

ネネちゃん:私だって負けないよー。ほらぁ。あはははは…。

コメットさん☆:わあ、ネネちゃんもすごいね。楽しいっ…。ふふふふ…。

 コメットさん☆も、このところの沈み気味の気持ちが切り替わり、楽しそうに笑う。そんな様子を見て、景太朗パパさんと沙也加ママさんも、ちょっとの間手を止めてにっこりした。

ラバボー:たくさん出てくるボ。泥の中から。

ラバピョン:こんなにとれるの、とても楽しいのピョン。やめられないのピョン。アハハハ…。

 ラバボーとラバピョンも楽しそう。こんな経験は、さすがに星国でもしたことはない。地球ならでは、というか、これもまたコメットさん☆が住み続ける藤吉家でなければ、と思う。

 みんなの手で、芋は次々に掘り起こされていく。ところが、予想以上の「豊作」に、景太朗パパさんも少々うろたえ気味…。

景太朗パパさん:うわぁ、思ったよりずっとたくさんとれるなぁ…。ママ、これどうしよう?。

沙也加ママさん:どうしようって言っても…。さっきまでとずいぶん違うのね。うふふふ…。収穫祭なんだから、喜ぶべきよ?。

景太朗パパさん:そうだね。あははは…。あー、それは…、そうなんだけど…。八百屋さんになるわけにも行かないし…。うちでお菓子にするのもいいし、焼き芋とかもいいけど…。おすそ分けしたとしても、お芋じゃあんまり喜ばれないかも…。

沙也加ママさん:植えすぎだったのかしら?。

景太朗パパさん:今年は夏の気温が高かったから…、かなぁ?。

沙也加ママさん:大豊作を喜ばないのはいけないわ。…とは言うものの…。とても食べきれないかもね…。

コメットさん☆:あ…、それなら、ワゴンに出したらどうでしょう?。「HONNO KIMOCHI YA」の。

 ふいにコメットさん☆が思いつきを語る。

ラバボー:姫さま、それ場当たり的過ぎるんじゃ…?。

沙也加ママさん:ワゴン?、うーん、意外と売れるかもしれないわね…。それ、やってみようか、コメットさん☆。

ラバボー:あれ?だボ…。

コメットさん☆:はい。きれいにして並べたら、いいかなぁって…。

沙也加ママさん:それなら、そのまま泥がついたままのほうが日持ちするし、自然栽培そのままって感じでいいんじゃないかな?。…それに、正直言うと、これ洗っていたら大変よ?。

景太朗パパさん:あー、確かに。1つずつ洗って、乾かしてから売るとなると、大変だな。特別な道具もないし…。いいアイディアだね、コメットさん☆。

コメットさん☆:あはっ…。

 コメットさん☆は、またにこっと微笑んだ。

ツヨシくん:コメットさん☆、少し元気になったかな?。

ネネちゃん:ツヨシくん、心配なんでしょ?。

 ツヨシくんとネネちゃんは、そんなコメットさん☆の様子を見て、小さい声で語り合った。

ツヨシくん:うん…。だって、ぼくコメットさん☆が…。

ネネちゃん:あー、もうわかったら。知ってるよ、その先は。

ツヨシくん:ちぇっ…。

 ツヨシくんは、それでもにやっと笑った。あきれたような顔を、ツヨシくんに向けたネネちゃんも、その口元は笑っているのだった。

 たくさんとれたサツマイモ。景太朗パパさんは、クワやスコップで堀り残しが無いように土を掘り返した。それから一輪車を持ってきて、それに収穫した芋をのせ、裏庭の物干しの近くに運んだ。ここには水道があるので、手や道具を洗える。

景太朗パパさん:やれやれ…。とんでもなく豊作だな、これは。あっはっは…。

沙也加ママさん:そうね。ふふっ…。まあいいわよ。豊作で困る方が、小さいお芋が、ほんの少しで困るよりいいでしょ?。ぜいたくな悩みよそれは。

景太朗パパさん:はい、そうでした。まったくその通り。ふふふ…。さてと…、ツヨシ、芋を少し洗おう。ここ数日分でいいからな。

ツヨシくん:りょうかい。…でも、ただ洗えばいいの?。たわしでこするとか?。

景太朗パパさん:いや、まあとりあえずはざっとでいいよ。料理する前には、茎についていた頭と、しっぽは切り取って、もっとちゃんと洗うことになるから。

ツヨシくん:わかった。じゃあバケツ持ってくるね。

景太朗パパさん:ああ、たのむ。

ラバボー:ラバピョン、ボーたちはどうするボ?。

ラバピョン:大きいのと小さいのをより分けるのピョン。ネネちゃんもいっしょにやるピョ?。

ネネちゃん:うん。私もそうしよ。

沙也加ママさん:パパ、悪いんだけど、私とコメットさん☆は、そろそろお店に行ってもいいかしら?。

景太朗パパさん:ああママ、ここはぼくたちにまかせて。コメットさん☆もね。お疲れさん。

コメットさん☆:はいっ。あ、あの…、景太朗パパ、とても楽しかった…。お芋掘り…。

景太朗パパさん:そうか。よかった…。

コメットさん☆:あとで、お菓子作ってみます。

景太朗パパさん:いいね。ぼくも学生の頃作ったお菓子、日持ちするから作ってみるよ。

 景太朗パパさんは、にこっと微笑んで言った。コメットさん☆もまた、微笑む。沙也加ママさんもまた。みんなの微笑みがそこにはあった。

 コメットさん☆と沙也加ママさんは、「HONNO KIMOCHI YA」へ、棚卸しに出かけた。明日は日曜日で定休日だから、今日のうちにやっておくのだ。もう冬向きの商品に、並べてあるものを入れ替えなければならない。お客さんのお気に入りも、年々変化するから、それも少しは考えないわけにはいかない。「HONNO KIMOCHI YA」は商店だから、本来営業が終わってから棚卸しにしたいところだが、沙也加ママさんとコメットさん☆の二人では人手が足りないのだ。だからと言って、家族総出で、というわけにも行かない。

 

景太朗パパさん:さあて、やるか。ツヨシ、やると言っても、そうだな…。中ぐらいの20本も洗えばいいだろ。

ツヨシくん:え?、そんなに少なくていいの?。

景太朗パパさん:うん。冷蔵庫には入れない方がいいし、洗ったまま転がしておいてもいいけど…。ま、大変だろ?。あははは…。

ツヨシくん:そっか、そうだね。あははははっ…。

景太朗パパさん:ママがお店に並べる分は、泥付きのほうがいいだろう。…それに、最初はいいけど、芋のお菓子ばかりだと、だんだんうんざりするぞ。だから、少しずつ使うようにしないと。焼き芋毎日食べたいか?。

ツヨシくん:うーん、毎日はつらいかも…。

ネネちゃん:私も、お芋は好きだけど…。毎日は苦しいなぁ、きっと。

 ネネちゃんはラバボーと、ラバピョンとともに、芋の山と「格闘」しながら言う。しわけをするだけでも大変だ。ラバボーとラバピョンの大きさでは、その山に隠れてしまいそうな位なのだから。

景太朗パパさん:な、ツヨシ。ネネがああ言うんだから、きっとコメットさん☆だって同じだぞ。ましてや、芋というのは、あれとかそれとか。

ツヨシくん:な…、なるほど…。

 景太朗パパさんとツヨシくんは、手振りも交えてヒソヒソ言葉を交わす。

ラバピョン:ちょっとラバボー、そっちは中ぐらいの大きさのところなのピョン。小さいのはこっちピョン。

ラバボー:えー?、大きいの、小さいの、中ぐらい、の順じゃないのかボ?。

ラバピョン:普通大きいの、中ぐらい、小さいのと分けるのピョン。

ネネちゃん:ちゃんと分けないと…。だって、鉛筆みたいなのから、大根みたいなのまであるよ…。

 ネネちゃんは、房のようにたくさんついた芋を、一つずつ手で切り取るようにしながら、山を分けていく。もちろん両手は手袋をしたままだ。ラバボーとラバピョンも、小さい手で、埋もれそうになりながらしわけを続ける。

 一方車で「HONNO KIMOCHI YA」に着いた沙也加ママさんとコメットさん☆は、さっそくワゴンの準備をすることにした。まずは、今の季節物置になっている、レジの反対側にあるシャワールームから、折り畳まれたワゴンを取り出す。二人であっちとこっちを持って、よいしょと出さないとならない。

沙也加ママさん:さて、ワゴンは少しきれいにしないとね。とりあえずレジの脇に置いてね、コメットさん☆。

コメットさん☆:はい。外で水かけますか?。

沙也加ママさん:それじゃ寒いし、乾くまで時間もかかるから、ぞうきんで拭けばいいわ。

コメットさん☆:はい。じゃあ…。

沙也加ママさん:2階にあるバケツ持ってきて。私、新しいぞうきん持ってきたわ。

コメットさん☆:あ、はい。今持ってきますね。

 コメットさん☆が2階に上がると、沙也加ママさんは、売り物のチェックを始めた。雑貨の在庫を、手元の書類と見比べ、チェックしながら、新しいものを並べる準備をする。大物はともかく、これからは紅葉を見に来る人向けの商品も、あちらこちらに並べなければならないから、季節が外れたものは片づける必要があるのだ。まずはそういう品物の拾い出しから。

沙也加ママさん:(あ、お芋売るなら、はかりと袋もいるわね…。はかりはうちにしか無いなあ…。袋はポリ袋でいいかしら?。日が当たると、中が蒸れそうだけど…。)

 そんな作業をしながらも、沙也加ママさんは、頭の中で、もうお芋をどうやって売るかなんて考えていた。

 

 夕方になって、沙也加ママさんとコメットさん☆は、お菓子の材料として、バターや生クリームを買ってから、家に帰った。

沙也加ママさん:コメットさん☆は、何を作りたい?。

コメットさん☆:えーと、スイートポテトかな?。

沙也加ママさん:そう…。ちょっと手間がかかるわよ?。

コメットさん☆:でも…、やってみたいような…。

沙也加ママさん:わかったわ。私もあんまり何度も作ったことはないけど、わかる範囲は今夜教えるわね。

コメットさん☆:はい…。沙也加ママ、ありがとう…。明日の昼間に作りますね。

 帰りの車で、そんな会話を沙也加ママさんと交わしたコメットさん☆は、家に着くと、ツヨシくんと景太朗パパさんが洗っておいてくれた芋から、手頃なものを選び、上下の細くなっている部分を、少し切り落としておいた。そしてオーブンに入れて焼くための容器を用意し、洗ってもおく。

 

 翌朝、沙也加ママさんは、泥付きの芋が入った透明なポリ袋を、いくつも車に乗せ、お店へ出かけた。昨日コメットさん☆がきれいにしてくれたワゴンに並べ、店頭に出してみようというのだ。ツヨシくんとネネちゃんは学校に出かけたが、コメットさん☆と景太朗パパさんは、キッチンで芋をゆでたり切ったりしていた。

景太朗パパさん:コメットさん☆と料理することになるとは思わなかったなぁ…。あははは…。

コメットさん☆:そうですね。うふふふ…。

ラバボー:ボーも何か手伝うことがあったら、姫さま教えて。

ラバピョン:私も手伝うのピョン。

コメットさん☆:うん。ありがと。お芋がゆで上がったら、皮むかないと…。

 ラバピョンはこのところ、コメットさん☆が寂しそうなのを心配して、普段よりずっと顔を見に来てくれる。ラバボーとデートするため、ということでもなく。昨晩も、ネネちゃんの部屋に泊まったのだ。

景太朗パパさん:そうか。じゃあやけどしないようにね。

コメットさん☆:はい。景太朗パパは何を作るんですか?。

景太朗パパさん:そうだなぁー、芋ケンピかな?。

コメットさん☆:いもけんぴ?。

ラバピョン:なんなのピョ?、姫さま。

コメットさん☆:私もわからない…。

景太朗パパさん:大学時代にさ、四国出身の友だちがいて、作り方教わったんだよ。サツマイモを細い角材のように切って、からっと揚げてから、甘辛のタレをかけたもの、ってところかな?。

ラバボー:そ、それはおいしそうだボ。

ラバピョン:えーと、大学芋ピョ?。

景太朗パパさん:うーんと…、大学芋はサツマイモを斜めや横に切って、一口大にするんだ。それを揚げて…ってやるのが大学芋で、芋ケンピは、1センチ角くらいの割り箸みたいに切るんだよ。そこが違うな、一番。

コメットさん☆:へえー、なんか、とてもおいしそう…。

景太朗パパさん:大学芋よりも、なんていうのかな、こう、かりっとした感じっていうのかな?。ジャガイモのポテトスナックを、サツマイモに代えて、もっと堅くした感じかな?。それでハチミツで少し甘い味付けに。

ラバピョン:おいしそうなのピョン。なんかカリカリなのピョ?。

コメットさん☆:うん、おいしそうだね。カリカリしてて、お煎餅みたいかな?。楽しみっ。

景太朗パパさん:そうかい?。じゃあがんばって作るか。

 景太朗パパさんは、にこっと笑って手近な芋を手に取ると、包丁でざくざくと切った。コメットさん☆は、ゆでている芋に竹串を刺してみて、ゆで具合を見る。

 それから景太朗パパさんは、切り上がった芋を水通しし、ペーパータオルで水気をさっと取り、天ぷら鍋に油を入れて、電熱コンロに火をつけた。藤吉家のキッチンは、オール電化なのだ。ちょうどその後ろのカウンターでは、コメットさん☆がアツアツにゆで上がった芋の皮をむく。

コメットさん☆:うわ…、熱いから気をつけないと…。熱っ…。でも、これを切り抜けないと…。

景太朗パパさん:気をつけなよ。やけどしないようにね。

コメットさん☆:はいっ…。皮がむけたら、ボウルにとってと…。

ラバボー:姫さま、これ少し厚めに皮むくとうまく行くボ。

ラバピョン:でも、そうすると食べるところが少なくなっちゃうのピョン。

コメットさん☆:なんとか大丈夫…、だと思う…。表面は少し冷めても、あとでまた焼くんだし…。

景太朗パパさん:そうだよ。あまり無理しなくてもいいでしょ。…さて、もう一つの鍋で、タレを作ると…。あんまり甘すぎないようにしよう。えーと、ハチミツだな。それに砂糖…。塩にしょうゆ、それにダシかな?。

 景太朗パパさんは、すいすいと作業を進める。調味料のありかも、結構よく知っているのだ。コメットさん☆は、ボウル一杯分芋の皮をむき終わったところでつぶやいた。

コメットさん☆:ゆでたお芋、少し余るかも…。というか…、ボウルに入りきらない…。

 まだ何本か芋は残っている。

ラバボー:姫さま、それゆですぎだボ?。

ラバピョン:何本か多すぎだったのピョン。

景太朗パパさん:それなら大丈夫。貸してごらんよ。

コメットさん☆:えっ?。

 コメットさん☆は、何本か残った芋のうち、中ぐらいの芋を指先でつまんだまま、景太朗パパさんの声のほうに振り返った。景太朗パパさんは、コメットさん☆が手にしている芋をさっと手に取ると、素早く包丁で輪切りにした。

景太朗パパさん:こうやって、皮付きのままで…。ラバボーくん、悪いけど、そこの棚にあるざるを取ってくれるかな?。ラバピョンちゃんは、そのざるにペーパータオルを敷いて。

ラバボー:はいですボ…?。

ラバピョン:ペーパータオルなのピョン?。

 ラバボーとラバピョンは、急いで言われたとおりに動く。

景太朗パパさん:サンキュー。それで、この輪切りにした芋、これそのまま外に出して、少し日に当てて干し芋にしよう。そうすれば無駄にならないよ。

コメットさん☆:星芋?。

景太朗パパさん:あ、なんかコメットさん☆、星のこと考えただろ?。あっははは…。干した芋だよ。そこそこ日持ちもするし、自然の甘みが出てうまいぞ。ここ数日は天気がいいはずだから、大丈夫だろう。

コメットさん☆:わはっ…。わあ…、恥ずかしい…。思い切り間違えちゃった…。なんで星が関係あるのかなとか…。

ラバボー:姫さま、それって…。

景太朗パパさん:まあ、コメットさん☆らしくていいじゃないか。ふふふ…。

 景太朗パパさんは、またにこっと笑った。ラバボーとラバピョンはくすくすと笑い、コメットさん☆も少し赤くなって、恥ずかしそうに笑った。

 やがて景太朗パパさんは、揚がったばかりの芋に、タレを絡めて胡麻をかけ、コメットさん☆は容器に、つぶして味を付けた芋を、茶巾絞りをするように絞り出し、オーブンに入れた。あとは出来上がりを待つばかり。

景太朗パパさん:よーし。あとはさませば出来上がりっと。コメットさん☆はどうだい?。

 コメットさん☆は、エプロンをして、腰を少しかがめてオーブンの様子を見ている。

コメットさん☆:たぶん…、大丈夫だと思いますけど…。

景太朗パパさん:何分ぐらい焼くの?、それ。

コメットさん☆:10分くらいです。焼き色が付けば…。

景太朗パパさん:うまそうだよね。かなり期待だな。

コメットさん☆:そ、そんな、あんまり期待されると…。困っちゃうって言うか…。

 コメットさん☆は、キッチングローブをしたまま、恥ずかしそうにした。

ラバボー:パパさんの芋ケンピは、出来上がりですかボ?。

景太朗パパさん:うーん、もう少し。まだ熱いからね。冷えたら出来上がりさ。しばらく作ってないから、うまく出来たかな?。

コメットさん☆:胡麻の香りがして、おいしそう…。

景太朗パパさん:甘すぎないといいけどね。…ところで、コメットさん☆はそれ誰かにもあげるのかな?。

コメットさん☆:え?、あ、…その、メテオさんとか…、ケースケ…とか。

景太朗パパさん:そうか。いいね。みんな喜ぶんじゃないかな?。

コメットさん☆:それならいいんですけど…。

景太朗パパさん:特にケースケは。

コメットさん☆:…そ、そうかな…。

 コメットさん☆は、わざとオーブンをのぞき込むようにしながら答えた。オーブンには、まだ何の変化も無いのに…。しかし景太朗パパさんは知っていた。最初からコメットさん☆は、ケースケにもプレゼントするだろうなと…。

 

ネネちゃん:おいしー!。

ツヨシくん:うまーい!。スイートポテトぉ。

ラバボー:おいしいボ、この芋ケンピっていうの。

ラバピョン:姫さまのスイートポテト、とてもおいしいのピョン。

景太朗パパさん:それはよかった。コメットさん☆も帰ってきたら喜ぶぞ。

ツヨシくん:コメットさん☆は、ママのお店?。

景太朗パパさん:ああ。メテオさんの家にも行くって言っていたぞ。それにケースケのところにも…。

ネネちゃん:もうケースケ兄ちゃんに、こんなお菓子作ってあげられないのかな?。

景太朗パパさん:さあなあ…。

 そのころコメットさん☆は、スピカさんのところにスイートポテトを届け、それからケースケのところにも届けた。次いでメテオさんのところへ行き、お礼になのか、イマシュンへのプレゼントのおすそ分けなのか、メテオさん自身が焼いたアップルパイをもらってから、沙也加ママさんのところへ。コメットさん☆からのスイートポテトを受け取った家々では、ちょうど午後のお茶の時間になる。

スピカさん:あなた、お帰りなさい。お茶にしましょ。

修造さん:ああ、ただいま。ついでにみどり連れて帰ってきたよ。

スピカさん:あらそう。ちょうどよかったわ。

みどりちゃん:ママー、ただいまぁ!。またおやつぅ!?。

スピカさん:うふふふ…。そうね。みどりは保育園でおやつ出たあとよね?。

みどりちゃん:うん。そうだよー、ママぁ。

修造さん:あれ?、お菓子買ってきたの?。

スピカさん:ううん。ちょうど届いたのよ。

修造さん:ふーん。お菓子なんて注文してたかな?。どれ、今日はどこのどんなお菓子かな?。みどり、楽しみだねー。

みどりちゃん:楽しみー、楽しみぃー。

スピカさん:あ、あのね、「ほうき星堂」のよ。

修造さん:ほう。あれ、そこ聞いたことあるな。前にも…、そうだ、ぼたもち食べなかった?。

スピカさん:あ、そ、そうね。そうそう。あそこのよ。ほら…。

修造さん:おー、おいしそうだ。カップに入っている、スイートポテトかな?。

スピカさん:新鮮なお芋だそうよ。自然栽培の。

修造さん:そうかい。それはいいね。どれ、みどりもいっしょに食べようね。…うん、これはおいしい。

みどりちゃん:おいしー!。お芋のお菓子好きぃ!。

スピカさん:あ、ほんと。あんまり甘過ぎなくて…。うふふ…。おいしい。

 スピカさんは、「いつか修造さんにわかっちゃうかなぁ」と、なんとなく思いつつ、みどりちゃんがうれしそうに食べるのを見ていた。そしてメテオさんのところでは…。

幸治郎さん:うん。いいねぇ、洋菓子も。スイートポテトなんて、素朴でいいなぁ。ね、留子さん。

留子さん:そうね。メテオちゃんも、今度作ってみれば?。それにしてもおいしいわね。

メテオさん:もう…。これじゃあ、わたくしの焼いた、いつものアップルパイは、どうなるのよったら、どうなるのよ!。…でも、おいしいわったら、おいしいわ。これ難しいのかしら?。

留子さん:そうでもないでしょ?。アップルパイ焼けるメテオちゃんなら、作れるわよきっと。

幸治郎さん:ああ、それでも、昔を思い出すねぇ。新婚の頃、よく食べたじゃないか。

留子さん:そうでしたねぇ。渋谷のお店。

幸治郎さん:そうだったねぇ。都内まで行っては買ってきたねぇ。

メテオさん:そうなの?。

幸治郎さん:そうだよ。ずっと長いこと、同じ店で買ったものだよ。

メテオさん:じゃあ、美沙子さんも?。

幸治郎さん:そうだったねぇ。小さい頃、一生懸命食べていたものさ…。あ、いやいや、思わず昔を思い出してしまったねぇ…。ふふふ…。

留子さん:今となっては、懐かしい思い出だわ。

メテオさん:懐かしい…、思い出ね…。

 ケースケのアパートでも…。

ケースケ:なんだよ、コメットのやつ…。すぐに帰っちゃってよ…。もう少し話くらいはしていけばいいのに…。…ふう、まあ、しかたねぇか…。それにしても、コメットはなんだかんだで料理上手だよな…。…うん、うまい。コメットが、はじめてオレにつくってくれたのは…、マーボナス弁当だったな…。めちゃくちゃ辛いのな…。うまかったのに…、まずいなんて言っちまってよ…。オレも子どもだったな…。今となっては、懐かしいような思い出かもな…。そしてこれも…。…昔、おやじがたまに買ってきてくれた、洋菓子の味に似てるぜ…。

 コメットさん☆は、メテオさんからもらったアップルパイも手にしながら、沙也加ママさんのお店に来た。

沙也加ママさん:コメットさん☆、出来た?。お菓子。

コメットさん☆:はい。なんとかまあ…。

沙也加ママさん:そう。よかったわね。…パパは?。

コメットさん☆:芋ケンピっていうの作って…。今頃ツヨシくんとネネちゃんが帰ってきてると思うから…。食べてるんじゃないかな?。

沙也加ママさん:ああ、パパの定番ね。うふふふ…。去年もこっそり作っていたじゃない?。

コメットさん☆:そうでしたっけ?。

沙也加ママさん:パパがね、大学時代に覚えたんだとか言って、私に何度も食べさせてくれたのよ。もういいっていうくらい。ふふふ…。

コメットさん☆:え?、そうなんですか?。

沙也加ママさん:せっかくだから、いただきましょ。お店休憩にしてもいいから。あ、そう言えば…。見て、窓の外。

コメットさん☆:窓の外?。それってワゴン?。

沙也加ママさん:そうよ。ほら。

 沙也加ママさんは、お店の窓から見える、店頭に出したワゴンを指さした。

コメットさん☆:あれっ?。お芋出したんじゃないんですか?…。でも…、無い…。全部売れたんですか?。

沙也加ママさん:ええ。なんだか知らないけど、通りかかる人がささっと買っていって…。明日は補充しないとダメね。うふふふ…。こんなに売れるなんて。

コメットさん☆:わあよかった。とれすぎちゃったかな、なんて思ったけど…。

沙也加ママさん:そうねぇ。正直言って、こんなにどうしようか心配になったけど…。なんとかなりそう。さ、早くお茶にしましょう。

コメットさん☆:はーい。

 沙也加ママさんは、コメットさん☆を連れて2階に上がり、ミニキッチンからお皿を出し、コメットさん☆が作ったスイートポテトと、景太朗パパさんが作った芋ケンピを並べた。

沙也加ママさん:サツマイモのお菓子2つだけど、どれどれ…。まずはコメットさん☆のスイートポテトを…。

 沙也加ママさんは、一口スイートポテトを口に運ぶ。ほのかな香りとともに、甘さが広がる。

沙也加ママさん:わあ、おいしい。秋の味覚ね、サツマイモも。

コメットさん☆:よかった…。おいしくできて…。あ、景太朗パパさんの芋ケンピ、カリカリしていてとてもおいしい!。

沙也加ママさん:そう?。ふふふ…。パパも喜ぶかな?。私もね、実は結婚するまで、よくいっしょに作って食べたなぁ…。ちょっとした思い出…。

コメットさん☆:え?、そうなんですか?。

沙也加ママさん:ふふふ…。そういう料理にまつわる思い出って、結構みんな持っているものかもね。

コメットさん☆:そういうものなのかな?…。

 コメットさん☆には、なぜかその言葉が心にしみる気がした。

 たくさんとれたサツマイモ。ありふれた野菜ではあるけれど、それを使った料理には、みんなちょっとした思い出をもっていた。そして、それはコメットさん☆にとっても、また新たな思い出となるかもしれない。毎年やっている焼き芋は、もう少し先にすることになって、新聞紙に包んだサツマイモは、庭の北側、陽の当たらない場所に置かれた。またいずれ、落ち葉が積もるときになったら、みんなで焼き芋をすることになるだろう。そんな季節は、もう、すぐ近くにやってきている…。

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★第277話:北風の季節−−(2006年11月上旬放送)

 コメットさん☆は、このところあまり出かけない。メテオさんのところへ、お茶に呼ばれて行ったり、ちょっとした買い物をしに出かけ、その帰りにツヨシくんとネネちゃんを迎えに行くなどという日常とは、少し違った過ごし方になっていた。毎日ひたすら沙也加ママさんのお店を、仕事のように手伝うばかり…。沙也加ママさんは、そんなコメットさん☆を、少し心配していたが、それもまあ、コメットさん☆自身が解決するしかない、避けて通れない、一つの曲がり角なのかもしれないと思って、黙って見ていた。何しろ、ケースケが遠くに行ってしまうのか、それともここ鎌倉に住み続けるのか、未だわからないのだから…。

沙也加ママさん:コメットさん☆、毎日お店ばかりで飽きない?。

コメットさん☆:ぜんぜん。とても楽しいですよ?。

沙也加ママさん:そう…。

 そんな会話を交わしながらも、コメットさん☆はよく海を眺めていた。いつもよりずっと…。

 ツヨシくんとネネちゃんも、夕方コメットさん☆が帰ってくるまでに、必死で宿題を終わらせたり、翌日の学校の準備は終わらせておいたりして、コメットさん☆といっしょにゲームをしたり、トランプで遊んだり、いっしょにテレビを見たりしようとするのだが、どことなくコメットさん☆が「静か」になってしまった気がして、とまどいを感じていた。特にツヨシくんは、それを敏感に感じていた。

ツヨシくん:ネネぇ、コメットさん☆さあ…。

ネネちゃん:なに?、ツヨシくん。コメットさん☆がどうかしたの?。

 ツヨシくんはある日、学校から帰ってくるなり、ランドセルを降ろしながらネネちゃんに語りかけた。ネネちゃんは素っ気なく答える。

ツヨシくん:なんか…その、なんていうかなぁ、寂しそうだと思わない?。

ネネちゃん:…それはまあ、その、失恋しちゃうかもしれないからでしょ?。

ツヨシくん:失恋?。

ネネちゃん:しつれんって言ったら、恋人がいなくなっちゃうってことだよ!。

ツヨシくん:そ、それは知っているけどさぁ…。

ネネちゃん:私はぁ、ツヨシくんのほうが、コメットさん☆のこと好きだって思っていると思うよ。でも…、コメットさん☆は…。ツヨシくんは、まだ片思いってところかなぁ?。

ツヨシくん:えー?。…そうなのかぁ。

 ツヨシくんは、なんだか妹のおませな言い方にびっくりした。二人とも小学4年生。このくらいだと、男の子のほうがずっとうぶなものだ。ツヨシくんには、この先まだどうしていいいのかわからないのだ。想いには多少の自信があっても…。

ネネちゃん:でもぉ、ツヨシくんは、ライバルがいなくなるかもしれないんだよ?。喜べばいいじゃん…。

ツヨシくん:ええー?、…そ、そんなこと…、出来ないよ!。ネネ、なんかそれって違うよ…。誰も喜べないよ…。もしケースケ兄ちゃんが、本当にオーストラリアに行っちゃったら、兄ちゃんはそれでいいかもしれないけど、みんなはどうなんだよ…。

ネネちゃん:…そ、そうかぁ…。そうだね…、私も寂しいや…。なんか涙出そうかも…。

ツヨシくん:だろ?。…コメットさん☆も、泣くんだろうなぁ…。そんなの見たくないけど…。

 ツヨシくんは、複雑な思いで、困ったような気になった。ツヨシくんにとって、ケースケは確かにライバルなのかもしれなかった。しかし、その「ライバル」とされるケースケが、この鎌倉からいなくなってしまうとすれば、自分も含めて、それは寂しいこと。そう思うと、喜ぶなんてことは、とても出来ないのだった。ところが、唐突にネネちゃんが言った。

ネネちゃん:…コメットさん☆、また泣いてた…。大泣きはしてないけど…。

ツヨシくん:えっ?。いつ?。

ネネちゃん:スイートポテトを、ケースケ兄ちゃんに届けて、ママのお店に行って帰ってきたあと、…ウッドデッキのところに一人でいたとき…。電話があったみたい…。

ツヨシくん:そうなのかぁ…。

ネネちゃん:ツヨシくん、平気なの?。気にならないの?、なんでプレゼントしたコメットさん☆が泣いていたのか…。

ツヨシくん:…いや、平気じゃないよ。全然平気じゃないし、気になるよ…。

ネネちゃん:私もなんだか、コメットさん☆の気持ち、ケースケ兄ちゃんはあんまり考えてなかったんじゃないかって、そんな気持ちになるな…。

 ツヨシくんは、妹のその言葉を聞いたとき、それまでの複雑な気持ちが、押さえきれない感情になった。だいたい、本当にケースケは、コメットさん☆の恋人なのか?、という疑問も、ツヨシくんにはこのところいつも湧いてくる。ツヨシくんは、いつしかそれをケースケに、直接聞きに行こうと思った。聞いてどうするのか?…までは、考えていないのであったが。

ツヨシくん:ぼく、ちょっと出かけてくる。

ネネちゃん:え?、どこへ?。パパに言っていかないと。

ツヨシくん:…ケースケ兄ちゃんのところ。パパにはネネから言っておいて!。

ネネちゃん:ち…、ちょっとぉ!。ツヨシくんったらぁ。ケースケ兄ちゃんいなかったらどうするの?。それに…、私からって、ちょっと、まってよー。

 ツヨシくんは、ネネちゃんが背中で叫ぶのを聞きながらも、玄関の引き戸を開けると、運動靴を突っかけて走り出していた。ネネちゃんはびっくりして、ツヨシくんを呼び止めようとしたのだが。

ネネちゃん:どうしよう…。もしケースケ兄ちゃんと、ツヨシくんがケンカになったら…。…パパぁ、パパぁ!。

 ネネちゃんの頭には、ケースケとツヨシくんがつかみ合いのケンカになる様子が浮かんだ。大急ぎで、仕事部屋にいるはずの景太朗パパさんのところへ駆けていく。電話で、やや長めの打ち合わせをしていた景太朗パパさんは、娘のネネちゃんの大声に気付いて、受話器を持ったまま廊下の窓のロールカーテンを開け、そっちを見た。

 

景太朗パパさん:…それで、ネネが言うのも聞かずに、ツヨシは行っちゃったってわけか…。

ネネちゃん:うん…。私、いけないこと言ったのかなぁ…。

景太朗パパさん:いや…、まあしょうがないさ。それより…、ツヨシのやつ、そんなに急に、ケースケのところに行って、何をするつもりなんだろう?。

 打ち合わせを終えた景太朗パパさんは、ネネちゃんを仕事部屋に入れ、ソファーに座らせると話を聞いた。そしてネネちゃんに答えながら、じっと考えた。

ネネちゃん:…ツヨシくんとケースケ兄ちゃんが、とっくみあいのケンカになっちゃったらどうしよう…。

景太朗パパさん:…まあ、ケースケも大人なんだし、ツヨシもおとなしいから、そんなことにはならないと思うけどな…。

 心配するネネちゃんに、景太朗パパさんはそう応じたが、確かに多少の心配は感じた。両方とも感情的になれば、あり得ないとも言い切れない。景太朗パパさんは、そういうことに口を出すべきではないとは思ったが、仕方なく部屋の受話器を取ると、ケースケの携帯電話に電話をかけた。

ケースケ:はい、もしもし…。

景太朗パパさん:あ、ケースケか?。ぼくだ。景太朗だけど…。

ケースケ:あ、師匠。こんちは。

景太朗パパさん:ケースケな、今部屋にいるよな?。

ケースケ:え?、あ、はぁ…。いますけど?。どうしたんです?、師匠。

景太朗パパさん:ぼくにもよくわからないんだけど、うちのツヨシが、コメットさん☆のことで何かお前に話があるらしい。それでもうそっちに向かっているらしいんだ。

ケースケ:は?、コメットのことでツヨシが?。オレの部屋に来るんですか?。…はあ。どんな話ですかね?。

景太朗パパさん:わからない。ネネが言うには、学校から帰って来て、話をしているうちに、お前のところに行くと。

 景太朗パパさんは、ネネちゃんがどんなことを言ったから、ケースケのところにツヨシくんが向かったのかまでは、あえて言わなかった。

ケースケ:そうですか…。まあ、オレもちょうどツヨシには、頼みたいことっていうか…、ま…、ちょうどいいかもしれないす。

景太朗パパさん:え?、そ、そうなのか…。まあいいや。ツヨシがそっちに行って、いろいろ変なことも言うかもしれないが、ひとつ受け流してやってくれないか。

ケースケ:は、はあ…。

 ケースケは、話の筋がいまひとつわからず、目を白黒させた。なんだかキツネにつままれたというのは、こういうのを言うのか?、というような気持ち。

景太朗パパさん:落ち着いてな。

ケースケ:落ち着いて、ですか?。

 ケースケはますますわからなくなった。景太朗パパさんの言うことが。

景太朗パパさん:頼むぞ。よろしく。

ケースケ:はい、わかりました。

 そして通話は切れた。ケースケも、なんだかわからないままに、携帯電話の終話ボタンを押した。

 

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん、怒らないで聞いてよね。

ケースケ:あ?、ああ…。何の話だ?。

 30分ほどたったとき、ツヨシくんはケースケの部屋にやって来ていた。部屋の真ん中近くにツヨシくんは突っ立っている。ケースケはベッドに腰掛けて、そんなツヨシくんをじっと見つめていた。

ツヨシくん:コメットさん☆のこと。

ケースケ:コメットのことか…。あ、ツヨシ、ジュース飲むか?。

ツヨシくん:…い、いらない…。

ケースケ:そうか。で、コメットがどうしたって?。あ、まずは座れよ、ツヨシ。そんな突っ立ってたら、話もできないだろ?。ほら…。

 ケースケは、ツヨシくんに言い、自分も畳の上に腰を下ろした。仕方なくツヨシくんもその場に座り込む。

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん、コメットさん☆のこと、恋人だと思っているの?。

 しかしツヨシくんは、ややきつめの視線で、ケースケに尋ねた。

ケースケ:い、いきなりそういう質問かよ…。ツヨシも男だろうが…。男のお前に答えないといけないのか?。

ツヨシくん:だって…、ぼくだって…。

 ツヨシくんは、少し口ごもった。それに対してケースケは、静かに答える。

ケースケ:…ふぅ…。しょうがねぇな…。ああ、恋人だと思っているよ。思ってはな…。

ツヨシくん:思って?。思っているだけってこと?。

 ツヨシくんは、ケースケの意外な答えに、自分でもよくわからない返答をしてしまった。

ケースケ:だってよ、別にどこかのテーマパークに、デートしに行ったわけじゃないぞ?。

ツヨシくん:でも…、ケースケ兄ちゃんは、コメットさん☆の恋人なんかじゃない!。いつも、…いつも泣かせてるじゃんか、コメットさん☆を!。

ケースケ:…ツヨシ…。それお前…。い…、いつもって…。

 ケースケは、内心かなりむっとしたのだが、一方で心がチクリと痛むことを言われたとも感じていた。

ツヨシくん:ケ、ケースケ兄ちゃんは、いつもコメットさん☆を泣かす。コメットさん☆は傷ついているよ!。

ケースケ:…そ、そんなにいつも、オレはコメットのこと泣かしていたか?。

 ケースケは、つとめて平静を装って、静かに答えた。

ツヨシくん:泣かしてた!。こ、この前の電話のあとだって…。

 ツヨシくんは、真っ赤な顔をして、妹の受け売りの話を持ち出した。

ケースケ:…そ、そうなのか?。…な、泣かせるようなこと言ってないはずなんだが…。

ツヨシくん:ぼくのほうが、ぼくのほうが!、コメットさん☆のこと、…好きなんだから!。

 ツヨシくんのほおを涙がつたう。興奮したツヨシくんは、押さえきれない感情に、ついに泣き出してしまった。多少は口が達者になったとは言え、まだまだ小学校4年生のツヨシくん。どうしたって子どもなのだ。

ケースケ:お前、ちょっと…、お前まで泣くなよ…。

ツヨシくん:うっ…、うっ…。ぼくのほうが、コメットさん☆のこと、好きなんだぁー!。

ケースケ:わ、わかったから。近所にまずいから、もう少し小さい声で言えよ…。お前が泣いたらダメだろ?。オレを泣かしてみるくらいじゃないと。…それに、お前がコメットのこと、ずっと好きなんだなってことは、知っていたよ。お前ほどコメットの近くにいて、いつもいっしょに出かけたりしているやつはいないじゃないか…。オレよりずっと、お前のほうが身近にいる…。

ツヨシくん:…えっ?、ぐすっ…。ケースケ…兄ちゃん…。

ケースケ:仕方がないんだよ。オレだって辛い…。コメットから離れていくのは…、辛いさ…。でもな、お前がコメットのことを、それほどまでに好きだと言うのなら、オレは安心してオーストラリアに行けるかもな…。

ツヨシくん:…ケースケ兄ちゃん…、どうして…?。

 意外なことを言うケースケに、びっくりしたツヨシくんは、思わずケースケを泣き顔のまま見た。ケースケは、ツヨシくんのそばに寄ると、両手をそっと肩に置いて、諭すように言った。

ケースケ:いいか、ツヨシ。コメットのことは、お前が守ってやってくれ。…そんなえらそうなことが言える立場じゃないことはわかってる。だがな、守るっていうのは、誰かがいじめに来たのをやっつけるってことじゃない…。いや、まあ、それもそうかもしれないけどよ…。そういうことよりも、「支え」になることだ…と思う。オレもうまく言えねぇけどな…。

ツヨシくん:支えになる…こと?。

ケースケ:ああ。人間ってさ、意外と強いけど、意外と弱いっていうか…。一人じゃどうにもならない時って、あるんじゃねぇかって思うんだよ。そういうときに、支えになる人が、そばにいてくれると思えれば、自分も強くなれる…。…オレは、コメットに対して、そういう存在になれたのかどうか、正直わからない…。だけどよ、コメットは少なくとも、オレにとっての支えではあり続けた…。コメットがいなかったら…、オレは今までやってこれなかったかもしれない…。

ツヨシくん:…そ、そんなケースケ兄ちゃんが、どうして…、オーストラリアに行っちゃうんだ?…。

ケースケ:…そうだな、自分の力だけで、世界一になるって決めたから…かな…。オレは、心の奥底から、コメットを愛していないんだろうな…。それは悪かったと思ってる…。

ツヨシくん:愛して?…。

 いつしかケースケは窓の近くに座り込み、外を見るようにして語り、ツヨシくんは、その話をぼうっと聞いていた。しかしツヨシくんは、ケースケの「愛して」という言葉に引っかかった。愛と恋はどう違うのか。それはまだ、ツヨシくんにはよくわからないのであった。

ケースケ:オレが、オーストラリアに行ったら、お前がコメットの支えになってやってくれ…。ツヨシ、オレはお前に頼む…。

ツヨシくん:…ケースケ兄ちゃん…。

 ケースケがぽつりと言った。ツヨシくんは、ケースケがそんなことを言うとは思わなかったので、少しうろたえた。

ケースケ:ツヨシ、お前に本をやるよ。オレが子どもの頃…、そうだな、今のお前よりもう少し小さい頃、おやじに買ってもらった本の、新しい本だ。

ツヨシくん:え?、ケースケ兄ちゃん…。何でぼくに本を?。

ケースケ:…ふふふ、オレはよ、子どもの頃SFが好きだったときがあって、学校の図書室で借りて読んでいたら、おやじが買ってくれたんだよ。…オレはおやじの歳じゃねぇし、お前が面白いと思うかどうか、わからねぇけど…。ほら…、やるよ。

 ケースケはそう言うと、本棚に横向きに入っていた、真新しい少年小説の本を2冊取り出して、ツヨシくんへと手渡した。ツヨシくんは、一瞬とまどったが、それをそっと手に取った。

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん…。…あ、ありがとう…。

ケースケ:いいよ、オレが読んで面白かったってだけで、まあ面白かったら、ネネにも貸してやってくれよ。ははは…。

ツヨシくん:うん…。

 ツヨシくんは、ケースケの顔をじっと見てから、その本の表紙を見た。そして、いったいどうしてケースケ兄ちゃんは、突然こんなことをするのだろう?と、不思議に思った。

 

 ツヨシくんは、ケースケのアパートを出ると、和田塚の駅まで歩き、そこで一度うちに電話をかけてから、江ノ電に乗って帰った。「HONNO KIMOCHI YA」に寄ってもよかったが、そこにはコメットさん☆と沙也加ママさんがいる。そうすると、理由をいろいろ話さないとならないだろうと思ったし、今度はコメットさん☆を自分が泣かせることになってしまうかもしれないと、何となく思って、ケースケに言われたことは、自分の胸にしまっておこうと思ったのだ。

 夕日が門の影を長くする頃、ツヨシくんはケースケにもらった本を抱きかかえるようにして持ち、玄関の引き戸を開けた。

ネネちゃん:あ、ツヨシくんが帰ってきた…。どうしよう、鼻血出してたら…。

 ネネちゃんが引き戸の音を聞き、心配そうな顔で、景太朗パパさんに言った。

景太朗パパさん:さすがにそれはないだろうよ…。

 二人は、座っていたリビングのいすから立ち上がり、玄関に急いだ。景太朗パパさんは、ネネちゃんにそう言ってはみたものの、多少はドキドキを感じていた。ところが…。

ツヨシくん:ただいま。

ネネちゃん:…お、おかえり…。ツヨシくん…、無事だ…。な…、何で本なんて持っているの?…。

ツヨシくん:無事って…。ケースケ兄ちゃんから本もらっちゃった。

ネネちゃん:ええ?、どうして?。

景太朗パパさん:おお、ツヨシおかえり。どうだった?。ケースケは何か言っていたか?。

ツヨシくん:あ、パパただいま…。…まあ、その…。

 ツヨシくんは、景太朗パパさんの顔を見ると、少し口ごもった。

ネネちゃん:ケースケ兄ちゃんとケンカしたの?。

ツヨシくん:しないよ。してたら本なんかもらってこないってば。

景太朗パパさん:ケースケが本をくれたのか?。

ツヨシくん:うん…。これって、どういう意味なんだろう?。

ネネちゃん:どんな本?。ライフセーバーのとか?。

ツヨシくん:違う…。SFの小説だって。ケースケ兄ちゃんが好きで、子どもの頃買ってもらった本の新しい本。

 ツヨシくんは、靴を脱いで玄関から上がりながら答えた。三人でリビングへ移動する。

景太朗パパさん:ちょっと見せて…。ああ、これか…。ケースケがお父さんから買ってもらった本だとか、前に言っていたな。しかし…、それをわざわざ新しく買ってツヨシに?。

ツヨシくん:うん…。よくわからないの。

ネネちゃん:えー?、ツヨシくんは、ケースケ兄ちゃんのところに、「コメットさん☆泣かせすぎ!」って、文句言いに行ったんでしょ?。

ツヨシくん:べ、別に文句言いに行ったわけじゃないけどさ…。

景太朗パパさん:ツヨシ、相手がケースケだからまだよかったが、ネネもパパも心配したんだぞ。勝手に出かけて、人に心配させちゃダメだ。お前のしたこと、危ないところだったかもしれないし、もしコメットさん☆が知ったら悲しむと思わないか?。

ツヨシくん:…そうだね。パパ、ネネ、ごめん…。

景太朗パパさん:よし。まあいいさ。いいか、ツヨシもネネも、このことはコメットさん☆にはないしょだぞ。もしコメットさん☆が知ったら、きっと悲しむに違いない。自分のことで、ツヨシとケースケがケンカしそうになったなんてことはな。

ツヨシくん:ケンカするつもりはなかったけど…。うん、ぼくもないしょにする。

ネネちゃん:はい、パパ。

ツヨシくん:でも、本のことはどうする?、パパ。

景太朗パパさん:それはお前がもらったんだから、そのままお前がもらっておけよ、ツヨシ。ケースケにもお礼は言ったんだろ?。あとでパパも言っておくよ。

ツヨシくん:うん。ケースケ兄ちゃんにお礼はした…。

景太朗パパさん:それなら、読んでからでいいから、パパにも貸して見せてくれよ。

ネネちゃん:あー、私にも見せて。

ツヨシくん:わかった、パパ、ネネ。いいよ。どんなんだか、ぼくもすぐ読んでみるね。

 藤吉家でそんな会話が交わされている頃、沙也加ママさんは、お店を閉めてから、車にコメットさん☆を乗せて、若宮大路を鎌倉駅方向へと走っていた。少し買い物をしてから家に帰るつもりなのだ。そしてケースケは、来年春には卒業になる夜間高校へ行き、授業の準備をしていた。しかし、ケースケの心は、どこか沈んでいた。ツヨシくんが帰ってから、まるで身が入らないというか、ぼうっと考え事をしてしまう。

ケースケ:(はぁ…。相手がツヨシとはいえ、ああ真正面切って言われると、ショックだよなぁ…。)

 高校の教室で、いすに座り、教科書とノートを開いて、鉛筆の尻をピタピタとほっぺたに当てながら、黒板を見る振りをしながらそんなことを考えるケースケ…。いつもとは全く違うケースケになっていた。

 

 夕食の前、ツヨシくんは家の手伝いとして、お風呂を掃除していた。今夜は床を掃除することになっていた。床に軽く洗剤をまき、ブラシでごしごしとこする。遠くのほうでは、ネネちゃんのよく通る声が、わずかに聞こえる。きっと帰ってきたコメットさん☆や沙也加ママさんと、楽しい話をしているのだろう。

ツヨシくん:ちぇっ…。

 ツヨシくんは、少しばかりつまらないと思いながら、せっせとブラシをかけた。しかし、ふと手を止めると、また考えた。

ツヨシくん:(支えになる…かぁ…。ケースケ兄ちゃんの言ったこと…。ぼくは…、本当にコメットさん☆のことを、おヨメさんに出来るほど好きなのかな?…。…いや、もちろん好きだよ、コメットさん☆のこと…。でも…、ぼくがコメットさん☆のおムコさんになって、コメットさん☆がぼくのおヨメさんになるっていうことは…、結婚するということで…、今のように「大好き」っていうのとは違うのかな?…。…うーん、よくわからないや…。ケースケ兄ちゃんは、コメットさん☆のことを、おヨメさんにしようとしていたのかなぁ?…。なんだかそうは思えないような…。)

 ツヨシくんは、一つため息をつくと、また床をごしごしとこすった。ひとしきりこすり終えると、お風呂に栓をしてふたを閉め、スイッチを入れた。これでお湯がはられるはずだ。それから手を伸ばして、シャワーを取り、床に水をかけていく。これでお風呂掃除はおしまいだ。

ツヨシくん:…今日は、パパと入ろう…。

 ツヨシくんは、景太朗パパさんにすら、話の内容を聞かれていないことを思い出し、自分から言おうと思ってつぶやいた。

 沙也加ママさんが夕食の支度をしているとき、もうお風呂はわいた。それを確かめるとツヨシくんは、景太朗パパさんのところに行った。景太朗パパさんは、今日電話で打ち合わせていた相手に、今度仕事で扱う建物の、外観図を明日渡すため、仕事部屋でまだ準備をしていた。その仕事部屋にそっと行くと、ツヨシくんは、景太朗パパさんに声をかけた。

ツヨシくん:パパ、パパ…。

景太朗パパさん:うん?、あ、なんだいツヨシ。

 部屋のドアを開けて、景太朗パパさんをおずおずと呼ぶツヨシくんに、景太朗パパさんは手を止め、振り返って答えた。

ツヨシくん:あのさ、お風呂わいたんだけど…。今日は、ぼくといっしょに入って。

景太朗パパさん:え?、あ、そう。いいよ。なんだツヨシ、何かぼくに言いたいことでもあるのか?。ふふふ…。

 景太朗パパさんは、ちょっとうれしくなって答えた。

ツヨシくん:うん。ちょっとパパに聞きたいことと、言っておいた方がいいかなって思うことがあって…。

景太朗パパさん:そうか。よし、わかった。これはあとにして、お風呂入ろう。今わいているんだろ?。誰も入ってない?。

ツヨシくん:うん。わいてる。ぼくが掃除してわかしたもん。コメットさん☆もママも、ネネも入ってない。

景太朗パパさん:よし。じゃ、今から行くから、ママにお風呂に入るって言っておいで。

ツヨシくん:はーい。

 ツヨシくんが、キッチンまで行ってしまうと、景太朗パパさんは外観図をそのままドラフターに載せ、入浴の準備をした。

 

景太朗パパさん:あー、やっぱりお風呂はいいな、ツヨシ。

ツヨシくん:うん、いいね。

景太朗パパさん:それで、何だい?、パパに聞きたいことって。

 景太朗パパさんと、ツヨシくんは同じ湯船に入って、湯につかり、向かい合っていた。

ツヨシくん:あのさ…、パパ…、「愛」ってなに?。

景太朗パパさん:ほほう。もうツヨシも、いよいよそんなことを聞くようになったか…。

ツヨシくん:変?。

景太朗パパさん:いいや、変じゃないよ。そうだな…、愛か…。愛は…、とりあえず何か、あるいは誰かのことを、とても大事だと思うこと…、とは言えるな。決まった答えがあるわけじゃないけど…。

ツヨシくん:そうなんだ…。大事に思っていれば、愛しているのかな?。

 景太朗パパさんは、ツヨシくんがケースケと、そんな大人びた話をしたのだろうかと思った。そして答える。

景太朗パパさん:愛っていうのは、愛情のことと言っていいと思うけれど、大事に思っているということは、愛情の一つだとは言えると思うよ。パパも、そんなに自信を持って言えないところもあるけどさ…。

ツヨシくん:ふぅん…。

景太朗パパさん:そうだな…、少しわかりやすい例で言うとすれば…。お前がコメットさん☆のことを、とても大事な人って思えば、それも愛だし、パパからすれば、ツヨシもネネも、ママも、コメットさん☆だって、大事な家族だから、愛しているって言えるさ。愛って、恋することだけじゃないからね。恋するっていうのも、愛の一部なんだけど、全部じゃない。愛してなければ恋なんて出来ないさ。

ツヨシくん:そういうものなのかぁ…。あのね、ケースケ兄ちゃんは、「コメットさん☆はオレの支えであり続けたけど、心の底から愛してなかった」なんて言うんだ。

景太朗パパさん:ほう…。そうか。…どうかなぁ、それは。

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃんの言っていることって、おかしいのかな?。

景太朗パパさん:ツヨシはどう思う?。

ツヨシくん:えー?、ぼくは…。ケースケ兄ちゃん、コメットさん☆のこと好きだって思っているはずなのに、泣かせてばかりいるから、大事なのかどうかわからないと思う…。

景太朗パパさん:うん。それはよくわかる。ツヨシがそう思う気持ちはな。だけど、ケースケはコメットさん☆のことを、「支えであり続けた」って言うんだろ?。それって十分大事に思っているからこそ、そう言っているんじゃないかな?。

ツヨシくん:…うーん、そうなのかなぁ…。

 景太朗パパさんとツヨシくんは、だんだん暑くなってきたので、湯船から上がって、体を洗い始めた。

景太朗パパさん:あ、ツヨシ、背中流してくれるか?。

ツヨシくん:はいよ、パパ。

景太朗パパさん:そのほかにはケースケとどんな話をしたんだ?。

ツヨシくん:あ、そうだ…。それをパパに話しておかないとって思ったんだ…。あのね、ぼく、ケースケ兄ちゃんは、コメットさん☆のことどうして泣かせてばかりいるんだ、ぼくのほうがコメットさん☆のこと好きなんだって、…ちょっと泣いて言ったの。

景太朗パパさん:あはは…、なんだ、泣いたのか?。しょうがないな。ライバルにそれじゃ…。まあいいや、そしたら?。

ツヨシくん:そしたらね、ケースケ兄ちゃんは、ぼくがコメットさん☆のこと好きだっていうのは知っていた、ずっと身近だしって言うの。

景太朗パパさん:そりゃまあ、そうだな。何しろツヨシの部屋の上は、コメットさん☆の部屋なんだから。それは身近だな。

ツヨシくん:でもね、ケースケ兄ちゃん、それから不思議なこと言うの。ぼくに、お前がコメットさん☆のこと好きなのなら、お前がコメットさん☆を守れって。守るっていうのは、いじめられていたら相手をやっつけるっていうことだけじゃなくて、「支えになることだ」だって…。オレがオーストラリアに行ったら、お前がコメットさん☆を支えてくれ、頼むって…。

景太朗パパさん:なるほど…。ケースケがねぇ。あいつもなかなかいいことを言うなぁ…。…それでどうなんだ?、ツヨシは、ケースケに代わって、コメットさん☆の支えになれると思うか?。

ツヨシくん:えっ?…。そ、それは…。

 景太朗パパさんは、ケースケに電話したとき、ケースケが言っていた「頼みたいこと」とは、このことかと思い当たった。またケースケはやはり、オーストラリアに行くつもりだな、とも。しかしツヨシくんは、景太朗パパさんが返した予想外の問いに、とまどった。

ツヨシくん:…それって、ぼくがコメットさん☆の何かを、手伝ってあげるとか、そういうこと?。

景太朗パパさん:うふふふ…。ツヨシも面白いことを言うな…。そうだなぁ…、コメットさん☆はツヨシよりお姉ちゃんだし、すっかりここの生活にも慣れているから、宿題を教えてあげないとならないとか、バスに乗るときの乗り方を教えないとダメだなんてことは、もう無いわけだよ。そうだろ?。

ツヨシくん:うん…。

 ツヨシくんは、景太朗パパさんの背中と、自分の体をスポンジでこすって、泡だらけにしながら答えた。

景太朗パパさん:そういう手助けをしないとならないとか、高いところのものを取るのに支えてあげるとか、そういうことじゃないんだな。いやまあ、それだって手助けしてもいいけどさ。そういうことよりも、気持ちの支えになるっていうことなんだよ。…何か困ったことがあっても、いやなことがあっても、この人がそばにいて、話を聞いてくれたり、声をかけてくれるだけで、乗り越えられるって思われること…かな?。そういうことだと思うな、支えになることって。

ツヨシくん:そっかぁ…。

 ツヨシくんは、じっと真剣な目で、景太朗パパさんの目を見て言った。

景太朗パパさん:何年か前に、コメットさん☆がインフルエンザになって、星国に治療に行ったろ?。あの時ツヨシは、星国までついて行った。コメットさん☆にしてみれば、お父さんである王様や、お母さんである王妃さまに会えるのも安心の一つだっただろうけど、ツヨシが手を握って、治療の時にそばにいてくれたっていうのも、心強かったと思っただろう…。ああいうことだよ、支えになるってことは。

ツヨシくん:ぼく…、コメットさん☆のことが、本当に好きなんだ…。だから、支えになってあげられるなら、そうしたい…。それが愛ってことでしょ?。

景太朗パパさん:ふふふふ…。そうだな、それは確かに愛の一つの形さ。まだいろいろな形があるけれど、それは追々わかるだろうよ。

ツヨシくん:そういうもの?。

景太朗パパさん:…この先、もしケースケがオーストラリアに行ってしまうと、コメットさん☆は、大きな支えを失うことになる。その時はツヨシ、お前がコメットさん☆をやさしく支えてあげな。それも愛の一つ。でも、コメットさん☆は、それを受け入れてくれないかもしれない…。たとえそうでも、支えようとすることが、本当の愛情というものだよ。…がんばれ、ツヨシ…。

ツヨシくん:うん、わかった。パパありがとう…。

景太朗パパさん:さあ、シャワーで流して、もう一度あったまってから上がろう。このところ夜は特に冷え込むからなぁ。風邪引かないようにしないとね。愛情を注ぐには、体力も必要さ。

ツヨシくん:了解!。シャワー、ゴー!!。

 楽しげなツヨシくんを見て微笑んだ景太朗パパさんだったが、心の中には、少し重い気持ちがわいていた。

景太朗パパさん:(…5年前の春、コメットさん☆を、ケースケに紹介しないほうが、よかったのかな…。)

 

 夕食がすんで、ツヨシくんは自分の部屋へこもると、最近気が付いたことを書いている日記帳へ、景太朗パパさんに言われたことをざっと書き留めた。日記と言っても、毎日は書かないのだが。そしてそれがすむと、ふと、ケースケにもらった本のことを思い出し、本棚に無造作にのせたそれのうちの1冊を手に取った。表紙を見て、それから本を机の上にのせ、開いた。

 ツヨシくんは、読むのが早いほうである。パラパラとページをめくりながら、どんどん読み進む。しかし、その本を読むにつけ、だんだんドキドキと、小刻みなふるえが止まらなくなった。本の題名は「プラスチックの木」。SF少年小説で、ちょうどツヨシくんのような少年たち二人が、地球とつながっている別の世界からやって来た青年と仲良くなり、やがて青年の正体を知る、という話である。その本を読み進めるうちに、こんなことが書いてあった。

“「地球はいい、きみたちもいて、いい」

 おにいさんはぽつりといいました。そして目をほそくして、前の道路をいききする自動車をたのしそうにみているのです。

「えんりょしないで、ききたいことはきいてもいい。ぼくはなにもかくさなくてはならないことはひとつもないんだ。ただね、みんなをあまりおどろかしたり、へんにしんぱいさせたりしたくなかっただけなのさ」

 しばらくして、おにいさんはいいました。

 そういわれてしまうと、フジオくんもこまってしまいました。いまさら、おにいさんに、あなたは敵か、味方なのかときくのもおかしい。

 でも、そうです、ではいったいなんのために、やってきたのでしょう。それに、地球にはたくさんの人がいるのに、この町の、この団地のそばの、このぼくたち、ふたりのところへなぜちかづいてきたのでしょう。” (※下)

ツヨシくん:こ…、これって…。

 ツヨシくんは、ケースケがこの本を手にして読んでいたということ自体、単なる偶然なのだろうか?と思った。コメットさん☆が地球の人間ではなく、星国からやって来たということに、ケースケは既に気付いているのではないか?…。だとしたら…。ツヨシくんは、もう一度いすに座り直すと、さらにページをめくって読み進めた…。

 

 ツヨシくんは、今日一日で、コメットさん☆への想いを、より強くしたのかもしれなかった。一方コメットさん☆は、今日の出来事を、いつものようにメモリーボールに記録していた。特に変わったことのない一日。本当はコメットさん☆を巡って、一つの大きな事件があったのだが、コメットさん☆には知る由もない。ツヨシくんとコメットさん☆、それにケースケ。ネネちゃんに景太朗パパさん、沙也加ママさん。それぞれの想いは、それぞれの胸にしまわれたまま、今夜も更けていく。夜になって強くなった北風は、ひゅうという音を残し、屋根をふるわせるように吹いていく…。

※原著作者転載許諾済み。『プラスチックの木』(国土社・ブッキング刊)(C)1981・2006 Yoshiko Kohyama all rights reserved.
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★第280話:遅めの紅葉−−(2006年11月下旬放送)

 普段から古都・鎌倉には、観光客の姿は絶えないし、外国人の人々もやってくる。しかし、11月半ばになると、その数はひときわ多くなる。もちろん桜の季節、夏の海、それぞれに観光客は多いのだが、この季節の人々はもちろん、紅葉目当ての人々である。

(おばさんA:まだ全然なのよ?。)

(沙也加ママさん:そうなんですか?。そうですね、もう少し後。来週くらいにならないと…。)

(おばさんB:だから言ったじゃないのよ。まだ来るのは早いって。)

(おばさんA:そうねぇ。もうすっかり紅葉かと、錯覚していたわぁ。でも、ここみたいな面白いお店が、見つかったらいいじゃない?。)

(沙也加ママさん:ああ…、それはどうもありがとうございます。せっかくですから、おいしいものでも食べて行って下さいね。ここ鎌倉には、おいしいお店がたくさんありますから。)

(おばさんA:見頃はいつ頃から?。)

(沙也加ママさん:そうですね。このところは少し遅めで、11月…下旬くらいでしょうか?。)

(おばさんB:あらそう。やっぱりそうなのよねー。最近関東は、紅葉遅いって言うじゃない?。)

 沙也加ママさんのお店、「HONNO KIMOCHI YA」にも、早々と紅葉を期待した客がやって来て、まだ全くその気配もない木々を見て帰っていく。そんな客を見るたびに、沙也加ママさんは、なんだか悪い気になるのだが、こればかりは気温の関係だから、仕方がないのだ。

 お店でそんな会話が交わされていた11月半ばから、さらに半月近くの日が過ぎた。今年は、やや紅葉は遅め。11月下旬になって、ようやく木々は色づき始めている。秋も前半は高温傾向だったので、このところの冷え込みが、紅葉をやっと押し進めたようなものである。

コメットさん☆:これは何かな?。

ツヨシくん:それは…、ドウダンツツジ…だったかな?。

コメットさん☆:そっか…。赤くてきれい…。お花が咲いてないと、わかりにくくなっちゃうね。

 ツヨシくんとネネちゃんは、学校から帰ると、コメットさん☆を誘って裏山に来た。コメットさん☆は、特にいつもと変わらないコメットさん☆。とりたてて落ち込んでいる様子はない。しかし、ツヨシくんとネネちゃん、それにラバボーは、それでもやっぱり、どこか心配なのであった。

ラバボー:姫さま、落ち葉の季節だボ…。

コメットさん☆:そうだね。色々な木が、紅葉になってる。

ネネちゃん:コメットさん☆、もう桐の木が…。

コメットさん☆:あ、もう…、葉っぱがないや…。

 コメットさん☆は、ネネちゃんに言われ、そばにある桐の木を見上げた。桐の木は、剪定をしないので、とても背が高い。回りの木々よりも、一段上に頭を出しているような感じなのだが、もう木枯らしが吹く季節の今、全て葉を落とし、槍のように空に向かって伸びる枝が、やや傾いた日の青空の中、浮き上がるように見える。しかしもう、来年のための花芽がたくさんついているのがわかるし、実も残っている。

ツヨシくん:もう…、ヤマザクラの木が、葉っぱが黄色や赤になっちゃったね。

コメットさん☆:ほんとだ…。また来年だね…。

 ツヨシくんの言葉にコメットさん☆は向き直り、ヤマザクラを見てつぶやくと、足元に散らばっているその葉を拾い上げて、手にのせてみた。真っ赤な、縁が少しギザギザの葉っぱ。左手にその葉っぱを持ったまま、またもう1枚、右手で葉を拾うコメットさん☆。ネネちゃんもそれを見て、同じようにまねしてみる。ツヨシくんは、そんなコメットさん☆とネネちゃんをじっと見ていた。

ネネちゃん:うちにはモミジがないよ。

ツヨシくん:モミジ?。あの手のひらみたいなやつ?。

ネネちゃん:そうだよ。カエデのこと。

ツヨシくん:ああ、あれかぁ。

コメットさん☆:モミジは…、そうだね、裏山にも、お庭にも無いね。

ネネちゃん:モミジがあれば、とってもきれいだよ。コメットさん☆、探しに行こうよ。それで、押し葉作ろう!。

コメットさん☆:あ、いいね。探しに行こうか。

ツヨシくん:あー、じゃあ、ぼくも行こうっと。

ネネちゃん:当然でしょ?、ツヨシくんは。

ツヨシくん:えへへー。

ラバボー:姫さま、いいけど、どこにあるんだボ?。

コメットさん☆:そうだね…。うーん、近くでよく見たことはないから…、沙也加ママに聞こうか。

ネネちゃん:うん。たぶんママなら知っている。なんかお客さんに、紅葉のこと聞かれたって言っていたから。…あ、でも急いで行かないと、日が暮れちゃうよ。もう日が短いよ。

 ネネちゃんは、西の空を見て言った。

コメットさん☆:そうだね。あんまり遠くには行けないかも。

ツヨシくん:帰りは、星のトンネルで、なんとかならない?。

コメットさん☆:あはっ。そうか。そうだね。じゃあ…。

 コメットさん☆は、ティンクルホンを取り出すと、沙也加ママさんに電話をかけた。

 

 家を出て、江ノ電で鎌倉駅まで出た三人は、西口から今小路通りを歩いていた。沙也加ママさんに教わった、「鎌倉紅葉の名所」の一つに向かうためだ。だんだん日暮れが近い気配。背中にオレンジ色がかった日が差す。三人は、一生懸命急いで歩いた。北風が前のほうから吹いてくるが、その冷たさも、さして気にならない。

ツヨシくん:あ…、北鎌倉のほうの山は、ほとんど緑色だ。

ネネちゃん:ほんとだ…。モミジが無いのかなぁ?。

 横須賀線の線路に平行する道を、一列になって歩きながら、ツヨシくんが口を開いた。ネネちゃんがそれに答える。コメットさん☆も、一番後ろから、少し遠くに見える小山を見る。銀色に光る横須賀線の線路は、その山のほうへと続く。山の向こうは北鎌倉である。

 時折通る車を避けながら、横須賀線の線路と別れると、道は少しずつ寂しく、細い道になってきた。

コメットさん☆:ふう…。坂だよ、この先は。

ネネちゃん:コメットさん☆、知ってるの?。

コメットさん☆:うん。ずーっと前に、沙也加ママのお店から、荷物を配達したことがあって…。

ツヨシくん:ええっ?、どんな荷物?。

コメットさん☆:鹿島さんの、流木アート。

ネネちゃん:重くなかったの?。

コメットさん☆:んー、ちょっと…、重かったかな?。

ラバボー:あの時は、途中で雨が降ってきたりして、大変だったんだボ…。

ネネちゃん:そうなんだぁ。雨が降ってきたら、荷物濡れちゃうよね。

コメットさん☆:うん。だから、途中で雨宿りしたよ。

ツヨシくん:だいたいどこに持っていったの?、それ。

コメットさん☆:えーとね、この山の向こう側にあった、おばあさんの家。

 コメットさん☆は、そう言うと、目の前に迫る急坂を控えた山を指さした。高さはたいしたことはないが、その道が険しいことで知られている、化粧坂切り通し(けわいざかきりとおし)。ここを登ると、その先には公園があり、そこの紅葉はとてもきれいなのだと、沙也加ママさんに教わったのだ。

ネネちゃん:そっか…。私、ここに来たことあったかなぁ?。

ツヨシくん:ぼくも…。あ、虫取りに来たことがあったかなぁ?。

コメットさん☆:今からだと、あんまり時間がないね。早く登ろうか。

ネネちゃん:うん、そうしよう。

ツヨシくん:日が暮れると、危ないもんね…。

 ツヨシくんは、そう言ってあたりを見回した。山の緑に遮られ、薄暗く感じる。あたりに人の気配はしない。すぐ下には住宅があるのだが、そこからも人の声が聞こえたりはしないのだった。さっきすれ違った観光客らしい人以来、誰にも会っていなかった。

 山道は、アスファルトの舗装道路が終わると、急な坂で始まっている。そこはもう、ただの砂利道というより、泥の道なのだ。鎌倉には、こういうところがところどころあるのだが、特にこの化粧坂は、険しい坂道として知られている。三人は、しっかりと足を滑らせないように気をつけながら、一歩ずつ歩き出した。右へ向かい、次いで左に折れる。わき水が流れ出しているのか、路面が濡れているので、ゆっくりと歩かなくてはならない。

コメットさん☆:みんな、滑らないようにね。

ネネちゃん:うん。大丈夫…。でも、なんか滑りそうで怖いな…。

ツヨシくん:体重を前にかけるといいんだって。

コメットさん☆:ツヨシくんは、いろいろなこと知ってるね。

ツヨシくん:え?、えーと、パパが言ってた。えへっ。

 ツヨシくんは、照れ笑いを浮かべた。

ネネちゃん:そういうの、黙っていればいいのに。ツヨシくん。アハハハ…。

ツヨシくん:えー?、だって…。まあ、パパから教わったのは事実だし…。

 こういう、ちょっとした隠し事もしないというところが、ツヨシくんらしいのだ。

 道はまた右に折れ、ごつごつして、湿った土と岩が混じった段々が続く。なるほどこれでは、車も通れない。

ツヨシくん:足をくぼみにかけないと、転ぶよ。

ネネちゃん:くぼみって…。なんか…、相当きついよ、この坂…。

コメットさん☆:そうだね、危ないね。気をつけないと…。

 ツヨシくんもネネちゃんも、あっちこっちに高い段差と、小さな段差が繰り返しある上り坂に、かなり苦労した。コメットさん☆も、前に荷物を抱えるようにして登った時は、夢中だったのであまり気付かなかったし、荷物を落とさないように、自分が転ばないように、ということしか頭になかったから、こんなに悪路だということには、今さらながら驚いていた。

コメットさん☆:こ…、こんな大変な道だったかな?。

ラバボー:確かにここは、こんな道だったボ…。

コメットさん☆:そう?。こんな岩があったり、がけみたいになっていたり?。

ラバボー:姫さま、そこのがけから落ちそうにもなったボ?。

コメットさん☆:そうだっけ?。い…、今のほうが怖いな…。

 ラバボーはティンクルホンから出て、道の右脇にある小さながけを指さした。コメットさん☆もそれに答える。

ツヨシくん:うわぁ、なんか大きな岩まであるよ…。

ネネちゃん:ほんとだ…。何で階段にでもしないのかな?。ここってみんな歩くところじゃないの?。

コメットさん☆:みんな歩くところだよね。でも、歴史のある場所だから、そのままなんだって、沙也加ママが教えてくれた。

ツヨシくん:ふーん。そうなのかぁ…。

ネネちゃん:よいしょ…。やっと岩を越えたよ…。はぁ…。なんか息が上がっちゃうよ…。

コメットさん☆:そうだね…。

ツヨシくん:お?、もう、この先は…、普通の坂かな?。

ラバボー:確か、この岩のところを抜けると、もう普通の坂で、もう少しで終わりだったはずだボ。

ネネちゃん:あ、ほんとだ…。よかったぁ。

 ようやく三人は、ごつごつした岩の山道を抜けた。ここからはしばらく、乾いた土のゆるやかな坂道が続き、そして化粧坂は終わるのだ。

コメットさん☆:ふぅ…。やっとだね…。あ、ほら…。紅葉しているよ、ここも。黄色い葉っぱだ…。

 コメットさん☆は、わずかな間立ち止まって、空を覆うように伸びている木々を見上げて言った。

ツヨシくん:ほんとだ…。ここの紅葉は黄色だ。

ネネちゃん:そっちのは赤いよ。

 ネネちゃんは、少し離れた斜面の、赤い葉の色づきを見つけて言う。1000メートルもある山に登ったわけではないが、なんだか妙な達成感を感じてしまう三人だった。

コメットさん☆:さあ、源氏山公園だね。急いでモミジのあるところに行こう。

ネネちゃん:うん…。コメットさん☆、モミジどっちにあるの?。

コメットさん☆:こっち。ほら、ツヨシくんも。

ツヨシくん:え、あ、うん…。

ネネちゃん:ツヨシくん、どうしたの?。

ツヨシくん:あそこに、タイワンリス…。

 ツヨシくんは、空を覆い隠すように伸びた木々のこずえを指さした。

コメットさん☆:どこ?。あ、ほんとだ…。

ネネちゃん:えー?、どこぉ?。

コメットさん☆:ほら、あの木の上…。グレーのリスちゃん。

ネネちゃん:ああ、ほんとだー。大きいね、リス。

ラバボー:普段のボーよりも、大きそうだボ…。

 大きなタイワンリスを見つけたツヨシくん。今頃のタイワンリスは、木の実を食べているのだろうか。

 化粧坂を登り切ったところは、源氏山公園という公園になっている。ここは春の桜・新緑、秋の紅葉と、訪れる人も比較的多い、自然の木々がたくさん残る公園だ。三人は、いくらかアップダウンはあるものの、おおむね平坦な公園内の道を、北に向かって歩いた。そうすると、すぐに道が左とまっすぐに分かれるところへ出た。そこから左の方、少し離れた場所にきれいな紅葉が見えた。

ネネちゃん:あ、あれ違うかな?。とてもきれいな真っ赤な紅葉があるよ!。

 ネネちゃんが声をあげる。

コメットさん☆:うん。たぶんそうかな?。行ってみよう。確か沙也加ママが教えてくれたところ。

ツヨシくん:黄色いのも見えるね。あれはイチョウかな?。

 三人は駆け出した。道がカーブして数十メートル行った先には、もうカエデやイチョウが色づいているところに出た。

ネネちゃん:うわー、きれいだね。真っ赤だよ、もう…。モミジだね、やっぱり。ここへ来ればあるんだ。

コメットさん☆:わはっ、ほんとだね。おうちの庭には無いけど、ここにはあるね。しかもたくさん…。

ツヨシくん:カエデの葉っぱ…。やっぱ手のひらみたいだ…。

 ツヨシくんは、木の上を見ないで、下に落ちている葉っぱを拾って、もう手に持って見ていた。と、その時みんなの後ろから、聞き覚えのある声がした。

メテオさん:…あなたたち、何をしているの?。

コメットさん☆:えっ?。

 三人が振り返ると、そこにはメテオさんがいた。

ネネちゃん:メテオさんだぁ。

ツヨシくん:メテオさんこそ、何しているの?。

メテオさん:な…、何をって、紅葉狩りに決まっているでしょ。今の季節は、紅葉よ紅葉!。

コメットさん☆:そ、そうだけど…。私たちだって、紅葉を見に来たんだよ?。

メテオさん:あ…、あらそう。

ツヨシくん:坂登ってきたんだよ。

ネネちゃん:なんか滑りそうな坂…。

メテオさん:はあ?、坂なんて登ってきたの?。何で?。

コメットさん☆:…だ、だって、他に方法が無いもの…。

ツヨシくん:メテオさんはどうやって来たの?。そっちの道から?。

 ツヨシくんは、モミジがきれいな場所の、もっと奥に見える道を指さした。

メテオさん:わ・た・く・し・は…。恋力で飛んできたのよったら、飛んできたのよ。瞬さまへの恋力で。

 メテオさんは、きらきらの目になって言う。

コメットさん☆:そうなんだ…。

 コメットさん☆は、少しうつむき加減に答えた。すかさずツヨシくんが言う。

ツヨシくん:メテオさん、横着ぅ。

メテオさん:な、何よ、横着ってぇ!。いいじゃない。それに…。はっ…。

 メテオさんは、「コメットだってそれくらいの力あるでしょ」と言おうとして、はっとケースケとの会話を思い出した。

ネネちゃん:メテオさん、どうしたの?。

メテオさん:な、何でも無いわよ。わ、わたくしは、きれいな落ち葉を拾って、留子お母様にあげるんだから。

ツヨシくん:うん。ぼくたちもそうするよ、たぶん。

メテオさん:そ…、それなら…。コメットもあのドン…。…だ、誰かにあげたら?。

 メテオさんは、うっかりケースケのことを、「鈍感バカ」と言ってしまいそうになり、あわてて言いつぐむと、そっとコメットさん☆の顔色をうかがった。

コメットさん☆:うん…。そう…しようかな…。

 コメットさん☆は、少し寂しそうな目をしながら、メテオさんを見た。メテオさんは、悪いことを言ったと思い、腕組みしていた手を外して、うろたえ気味に視線を遠くに移した。

メテオさん:…そ、そっちのイチョウのとなりの木、一番きれいよったら、きれいよ!。

 メテオさんは、言いつくろうように指をさし、言った。

コメットさん☆:そうだね。そこが一番きれいかな…。

 コメットさん☆は、そう言われると、顔を上げて、傾いた日に照らされて輝くかのように見える、2本の木を見た。そしてその木に近づいていった。ツヨシくんとネネちゃんもそれについていく。

メテオさん:行きましょ、ムーク。

ムーク:いいのですか?、姫さま。

メテオさん:なんだか、カリカリ坊やの話は、しずらい雰囲気じゃない。

ムーク:そうですねぇ…。

 メテオさんは、コメットさん☆の後ろ姿を見届けると、ティンクルスターから顔を出したムークと、ヒソヒソ語り合った。

ムーク:で、留子さんにあげる葉っぱは拾えたので?。

メテオさん:それはまあ…。留子お母様ったら、ハガキに貼るのよ、ですって。

ムーク:なかなか風流ですなぁー。

メテオさん:そうかしら。

 メテオさんは、あらためてコメットさん☆のほうを見ると、声をかけた。

メテオさん:わたくし、帰るわ。もうそろそろ遅いから。

コメットさん☆:あ、メテオさん、じゃあね。ありがと…。

 コメットさん☆は振り返り、メテオさんに答えた。

メテオさん:ありがとうって…。わたくしは別に…。あなたたちもなるべく早く帰らないと、ここはもうあんまり人もいないから。

 メテオさんは、少し心配そうに言う。

コメットさん☆:大丈夫。私たちモミジの葉っぱで、きれいなのを拾ったら、星のトンネルで帰るから。

 コメットさん☆も、それに答えた。

メテオさん:そう。じゃあね。お子ちゃまたちも。

ネネちゃん:もうお子ちゃまじゃないよう…。メテオさんバイバイ。

ツヨシくん:メテオさん、じゃーね。

 メテオさんは、バトンを出すと、一気に星のトンネルを出し、その中に飛び込んでいった。それを見送ったコメットさん☆、ネネちゃん、ツヨシくんの三人は、美しく紅葉した木の下で、きれいな葉っぱを探しては拾い始めた。

ツヨシくん:これ、拾うのはいいけど…。何にするの?。

コメットさん☆:そうだね…。ネネちゃんが言うように、押し葉を作って、それから何かにしようか。

ネネちゃん:そうだね。押し葉にして、レターセットなんかに使えるよ。こんなに真っ赤…。

ツヨシくん:押し葉かぁ…。イチョウでもいいのかなぁ?。

コメットさん☆:イチョウなら、黄色い押し葉、モミジなら赤い押し葉、裏庭のヤマザクラや、ソメイヨシノなら黄色からオレンジ色、真っ赤までいろいろ作れるね。

ネネちゃん:わあっ、そうだね。じゃあどんどん拾って、持って帰ろう。早くしないと日が暮れちゃうもん。

ツヨシくん:そうだ。まだ明るいけど、暗くなったらここはたぶん怖いよ。

コメットさん☆:そうだね。急いで拾って、星のトンネルで帰ろうね。

ネネちゃん:うん。

ツヨシくん:そうしよ。

ラバボー:そうするボ。星力足りないことはないボ。

 カエデとイチョウの葉を、どんどん拾っては、ネネちゃんが持ってきたクリアファイルに入れていく。ポリ袋や封筒に詰め込むと、葉っぱの端が折れてしまうかもしれないので、景太朗パパさんが余らせていた事務用品から、借りてきたのだ。

ネネちゃん:ち、ちょっと、ツヨシくん拾いすぎ。もう…、キズが多いのまでは拾わないでよ。入らないよ。

ツヨシくん:あれ?、キズ多い?。選んでいるんだけどな…。

コメットさん☆:もう、これくらいにしようか。もう少し暗くなってきたかな?。

 コメットさん☆は、まわりを見回した。さっきまでは、少しいた観光客の人々の声は、今聞こえなくなっていた。ざわざわというような、北よりの風に揺れる木々の葉の音がするだけである。そのたびに、はらはらと舞い落ちる葉っぱ…。

コメットさん☆:さあ、星のトンネルで帰ろ。足りなかったら、明日来てもいいから。

 コメットさん☆は、そう言うとバトンを出し、星のトンネルを開いた。これで由比ヶ浜の「HONNO KIMOCHI YA」まで、ひとっ飛びするつもり。

ツヨシくん:ああ、待って待って。ネネ、これも。

ネネちゃん:えー?、何この緑色の葉っぱぁ。

ツヨシくん:いいからいいから。たまには緑色もあってもいいじゃん。

ネネちゃん:もう…。早く帰ろう。

コメットさん☆:うん。ほら、ツヨシくんも!。

ツヨシくん:うん!。

 ネネちゃん、コメットさん☆、ツヨシくんの順で、星のトンネルに飛び込んで、源氏山公園をあとにした。

 

 夜になって、みんなで押し葉作りを始めた。沙也加ママさんは、もう準備をしてくれていた。景太朗パパさんも、面白そうに見ている。

景太朗パパさん:おお、きれいだなぁ。いいねぇ、紅葉をうちで見られるなんて。

コメットさん☆:源氏山公園、とてもきれいでした。

景太朗パパさん:そうかぁ。いいなぁ。もう何年も、紅葉なんて、ちゃんと見に行っていないな。

沙也加ママさん:柊さんのペンションのあたりは、もう紅葉終わって雪かしらね?。

景太朗パパさん:ああ、そうだねぇ。信州だから、紅葉は早いだろうなぁ。そのころ行ってみたいね、一度。

沙也加ママさん:そうねえ。あ、みんな、ほら、古い電話帳に、葉っぱを挟んで。

ネネちゃん:はーい。

コメットさん☆:はい。1枚ずつですか?。

沙也加ママさん:何ページかに1枚くらいで…。それで…、全部は入らないわね…。

景太朗パパさん:ぼくの古い時刻表も使っていいよ。ほら。

 景太朗パパさんは、仕事場から持ってきた列車の時刻表を差し出した。これもページ数が多くて、水をよく吸い取りそうな紙なので、よさそうだ。

ツヨシくん:ぼくのこの葉っぱも入れて。

ネネちゃん:あー、緑色の葉っぱ…。それなんの葉っぱ?。

ツヨシくん:いいじゃんかぁ。たまには緑色のも。

景太朗パパさん:あははは…、それ、オオヤブソテツっていうシダだろ?。うちにも日当たりの悪いところに、よくはえてくるやつだよ。

ツヨシくん:えー?、そうなの?。もっと珍しいのかって思ったな。

コメットさん☆:オオヤブソテツ…。どんなのですか?。

景太朗パパさん:シダの一種で…、ちょっと湿ったようなところが好きな、割とこの辺や都市でもありふれたものだね。しかし、なんだってツヨシはこれをわざわざ?。

ツヨシくん:赤、黄色があるのに、緑色の葉っぱがないのは、ちょっと寂しいかなって思ってさ。珍しそうだったから…。

景太朗パパさん:あははは…。そうかぁ。目の付け所はよかったんだけどな。

 そんな話をしているうちに、電話帳と時刻表は、挟んだ葉っぱで少し膨れた感じになった。

景太朗パパさん:ママ、これに重しをするんだったよね?。

沙也加ママさん:ええ。でも…、あんまり重いものなんてないわね…。

景太朗パパさん:そうだなぁ…。ガレージから工具でも持ってくるか…。

 景太朗パパさんはそう言うと、リビングのガラス戸から外に出て、ガレージへの階段を降りていった。ところが沙也加ママさんは、ペーパープレートとティッシュを用意している。

コメットさん☆:あれ?、沙也加ママ、それは?。

ネネちゃん:紙のお皿どうするの?。

沙也加ママさん:これはね、5分で出来る押し花や押し葉。

ツヨシくん:ええー?。

ネネちゃん:5分?。じゃあ、なんであんなふうにするの?。

 ネネちゃんは沙也加ママさんの言葉に、たった今葉っぱを挟んだ電話帳と時刻表を指さした。

沙也加ママさん:あれは、ゆっくり普通の速さで作るやり方。でも、今すぐ少しはどんな具合に出来上がるか、見たいでしょ?。今からそれをやってみましょう、ってこと。

コメットさん☆:わあ、そんなこと出来るんですね。

ネネちゃん:すぐ見たい、見たいー。

ツヨシくん:そんな何通りも作り方があるんだ…。

沙也加ママさん:一度にたくさんは出来ないから…。少しだけね。まず、紙皿にティッシュをのせて。

ネネちゃん:ティッシュ?。こんな感じ?。

 ネネちゃんは言われたように、ティッシュを紙皿に広げてのせた。

沙也加ママさん:そうそう。それに今度は葉っぱを広げてのせて。カエデなら2、3枚はのせて大丈夫よ。

ツヨシくん:え?、普通にのせればいいの?。

 今度はツヨシくんが、小さめなのと大きめな葉っぱを選び、少し重ねてのせる。

沙也加ママさん:それでいいわ。そうしたら、上にもティッシュをのせて。

コメットさん☆:じゃあ、私が…。こんな感じですか?。

 コメットさん☆は、両手でティッシュペーパーを伸ばし、そっと上にのせた。

沙也加ママさん:今度はまたお皿を重ねて。

ネネちゃん:えー?、この上に?。

沙也加ママさん:そう。上に重ねて、同じようにティッシュ。

コメットさん☆:はい…。こうやって…。

沙也加ママさん:はい、今度は葉っぱ。

ツヨシくん:はいよ…。よっと…。葉っぱ伸ばすんだよね。

沙也加ママさん:そうね。曲がっているとそのまま出来上がっちゃうのは、重しをのせるのと同じよ。はい、もう一枚ティッシュのせて。

ネネちゃん:はい…。こうやって…。

沙也加ママさん:よーし。いいわね。もう一枚お皿をのせて、同じようにティッシュ、葉っぱ、ティッシュと重ねて。それでお皿が5枚くらいになったら、電子レンジに入れるわよ。

ツヨシくん:えっ?、電子レンジぃ?。

ネネちゃん:電子レンジで出来るの!?。

コメットさん☆:食べ物以外にも使えるんだ…。

沙也加ママさん:間違ってもオーブンにしちゃダメよ。いい?、出来た?。

ツヨシくん:うん…。よっと、これで5枚かな?。

ネネちゃん:1、2、3、4、5…。うん5枚。

沙也加ママさん:よーし、それじゃあいよいよ電子レンジに入れるわよ。でもね、その前に、上に重しを置かないと、お皿が浮き上がるから…。そうね、こんな重い小鉢をのせましょう。

 沙也加ママさんは、底が高く、重量のある小鉢を見つけると、それを一番上にのせた。下から5枚の紙皿と、それを押さえる形の陶器の鉢。位置を調整すると、電子レンジのドアを閉め、3分にセットする。

沙也加ママさん:いいわね。それじゃあ、スイッチオン!。

コメットさん☆:わあ…、大丈夫なのかな?。

 コメットさん☆は、仕掛けがわからず、ちょっと心配になった。ティッシュは燃えたりしないのだろうか。

沙也加ママさん:こうするとね、葉っぱの水分だけが蒸発するのよ。それで蒸気になって出た水分は、ティッシュと紙皿に吸われて、葉っぱはカラカラになるの。押し花も、簡単に作るにはこれで出来るのよ。

ネネちゃん:へえー、そうなんだぁ。

ツヨシくん:電子レンジは…、火を使わないのに、どうやって熱を出せるんだろう?。

 ツヨシくんは、だんだん曇ってくる電子レンジの窓から、中をのぞき込みながら言った。そういう「仕掛け」には、いつも興味があるのだ。

 やがて「ピーピーピー…」という音とともに、電子レンジは止まった。

沙也加ママさん:どうかな、コメットさん☆、ちょっと出してみて。熱かったら、鍋つかみを使って。

コメットさん☆:あ、はい…。あ、熱くはない…。まず重しの小鉢を取って…。あ、なんか…、紙皿はあったかい…。

沙也加ママさん:どう?。一番上のを見てみて。まだぱりっとしてないようだったら、もう一度か二度くらいやるといいわ。

コメットさん☆:あ、あ…、なんか…、出来ていそう…。なんかあったかいけど…。あはは…。

ツヨシくん:え?、見せて見せて…。あ、ほんとだ。ほら、ネネ…。

 ネネちゃんは半信半疑で、ツヨシくんから手渡されたカエデの葉っぱを手に取った。

ネネちゃん:あ、ほんとに出来てる…。なんか乾いてるよ?。

沙也加ママさん:なんか乾燥剤を入れて、電子レンジを使う方法も聞いたことあるけど、このほうが簡単でしょ?。全部これでやっていたら、電気代がかかってしょうがないけど。うふふふ…。

コメットさん☆:わはっ、楽しいなぁ。

沙也加ママさん:そう?。よかった。せっかくだから、ポストカードに貼ったり、しおりにしたりすれば?。

コメットさん☆:はい。

 そこに、あれこれ探し回っていた景太朗パパさんが、ようやく戻ってきた。

景太朗パパさん:あれ?、なんだい、みんな何やっているの?。

沙也加ママさん:即席の押し葉よ。電子レンジ使う方法で。

景太朗パパさん:なんだ、そんな方法あるの?。適当な工具が無くて、とうとうコンクリのブロックもって来ちゃったよ。

沙也加ママさん:あ、パパありがと。でも、あれはあれで重ししておかないとだめだから。これはあくまで簡単に、すぐ作る方法なのよ。

景太朗パパさん:へえ。そんな方法があるんだ。知らなかったなぁ。

沙也加ママさん:おおよそどんな感じに仕上がるか、見ておいてからたくさん作るのも、まあいいんじゃないかしら?、パパ。

景太朗パパさん:そうだね、ママ。それもそうだ。…で、その簡単に出来たやつは、どうやって使うの?。

コメットさん☆:ポストカードにしたり、しおりにしたり…って、沙也加ママが…。

景太朗パパさん:貼り付けて使うってわけだね。んー、それなら…、図面やイラストに使う、スプレーのりを使おう。簡単に貼れるからね。今持ってくるから。あ、ピンセットもいるね。よし、待ってて。

 

 夕方拾ってきて、もうしおりやポストカードになった押し葉を、ツヨシくん、ネネちゃん、コメットさん☆、それに沙也加ママさんも、それぞれの思いで眺める。

ツヨシくん:このしおり、ケースケ兄ちゃんにもらった本のしおりにしよう。

 ツヨシくんは、和紙に貼り付けた、真っ赤なカエデの葉っぱしおりを、ケースケからもらった本に挟んだ。

ネネちゃん:このポストカードで、転校して行っちゃった友だちに、手紙書こうかな…。

 ネネちゃんは、和紙に貼り付けたイチョウのカードを手にしながら、蛍光色のボールペンを手にとった。

コメットさん☆:これ…、星国に送れないかな?、ラバボー。

 コメットさん☆は、真っ赤なカエデのポストカード。それを手にしてラバボーに尋ねる。いすの背もたれに、背中をあずけながら。

ラバボー:星力メールも、星国までは届かないボ?。だから、今度星国から星のトレインが来たら、それに乗せて送り返すしかないボ。

コメットさん☆:そっか…。そうだね。それまでには、たくさん作れるね。お父様とお母様、それから…、あ、叔母さまには郵便で出せるよね。あはははっ…。

ラバボー:スピカさまには、郵便じゃなくても、星力メールでも届くボ。

コメットさん☆:そうだけど…。普通に郵便で届いた方が、みどりちゃんや修造さんも見られるんじゃないかな?。

ラバボー:あー、確かにそうだボ。

 コメットさん☆は、ふと、ケースケにも…と考えた。しかし今ケースケに会うのには、少し気が重い。それにケースケは、紅葉の押し葉なんて喜んでくれるだろうか、とも思う。

 毎年巡る四季。春が来て、夏になり、そして秋が来て、冬に向かう。休むことなく進む、時の流れ。生き物はみな、その流れの中に生き続けている。押し葉や押し花は毎年作れる、ちょっとした季節感を感じさせてくれるもの。時間をかけて作るのもいいし、さっとその日に出来上がるように作るのもまたいい。それは、時の流れをひととき止めて、小さな思いを伝えるものになってくれるかもしれないから。コメットさん☆の心は、実はまだ大揺れなのだけれど、ずっと毎日重い気持ちに落ち込んでいるわけにも行かない。…まもなく冬がやってきて、そして今年も暮れていく…。

※化粧坂切り通し(けわいざかきりとおし)については、「コメットさん☆2001」>「コメットさん☆と鎌倉・ゆかりの場所」>「第1話・第43話以外の鎌倉駅周辺」>「第31話の巨大流木アートコメットさん☆輸送経路周辺」>以下3ページ目の下に設けたリンク「化粧坂に続く」に、詳細な画像を載せています。ご参考にどうぞ。
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★第282話:冬の海とケースケの秘密−−(2006年12月中旬放送)

 鎌倉の街は、もうクリスマスムード一色。あちらこちらに、きらびやかな飾り付けがされて、ライトもピカピカ。冬の寒さはあるけれど、一時華やいだ雰囲気になる。しかし夕日の沈むのは早い。もう4時を過ぎると、夕焼けの空になってしまう。こんな状態が、冬の終わるまでは続くと言ってもいい。確かに、冬至は12月22日前後なのだけれど…。

 そんなある日の夕方、ケースケは一人、冬の海を見つめながら、七里ヶ浜の駐車場にたたずんでいた。

ケースケ:(コメットは…、オレにとって…。)

 考えるのは、やっぱりコメットさん☆のこと。ツヨシくんに対して、「心の底から愛してなかったんだろう」などと言ってしまったが、ケースケ自身、それが本当の気持ちなのか、よくわからなくなっていた。いわゆるカップルが、いつもいっしょにいるような、ケースケから見れば「ちゃらちゃらした関係」を、コメットさん☆と築いていたわけではない。一方で、「好き」かどうか、ということで言えば、コメットさん☆以外に好きな女の子が、いたわけでもない。それに第一、心の支えのようにも思っていた。その2つの思いが交錯し、ケースケの心の中でせめぎ合うのだ。そしてそのせめぎ合いが、自分の進路と、コメットさん☆への想いとして、どこか対立しているのだった。何度も考え抜いて決めた進路のはずなのに。

ケースケ:(恋人とは違うなんて、言っちまったこともあったけどよ…。やっぱりあいつは…。…オレは、オーストラリアに行って、コメットのこと忘れて、トレーニングに没頭できるんだろうか…。)

 ケースケは、そんなことも思う。夕日が江の島の向こうへ沈んでいくのを、まぶしそうな目で追いながら…。

ケースケ:(コメット以外の女の子を、遠ざけて来たじゃないか…。ほかの誰が、コメットのかわりになると言うんだよ…。でも…、オレの夢…、世界一のライフセーバーになるという夢は、コメットの夢とは重ならないんだよな…。あいつはあいつで、留学を終えたら、自分の国に帰って、何かになる夢をかなえるんだろうな…。)

 ケースケは、冬の冷たい海風に吹かれながら、そう考え続けた。しかし、ケースケは、そこでふと時計を見た。

ケースケ:あ、いけね…。そろそろ高校の時間だ…。あ…、まてよ…。もしコメットが…。いや、そんなことは…。いやいや、オレだって…。

 ケースケは時計から顔を上げて、もう一度夕日が沈む江の島のほうを見た。そして少し前から考えていた一つの「計画」を、実行に移すかどうか、考えながら歩き出した。

 

 ケースケは、夜間高校に行く前、わずかな時間を使って、小町通りに出た。もうすっかり日は暮れている鎌倉の街。しかし、商店街である小町通りには、まだまだ活気がある。ケースケは、人々が行き交う小町通りを、ずんずんと歩いた。そして一軒のおみやげや、ちょっとしたアクセサリーを扱う店を見つけると、少しばかり左右を見回して、さっとその店に入った。

お店の人:いらっしゃいませ。

ケースケ:あ、あの…、サイズが調整できる指輪って…。

お店の人:指輪…ですか?。

 ケースケは、意外にも指輪を買おうとしていた。しかしそれは、安いメッキの。

 そしてそのころ、藤吉家では…。

ツヨシくん:え?、海の漂着物集め?。何それ。

ネネちゃん:なんだか知らないうちに、うちの班ではそういうことになっちゃったの。

ツヨシくん:こんな冬に、海で拾いものするの?。寒いじゃん。

ネネちゃん:そうだよねぇ…。だから、しょうがないから、ママのお店に行って、さーっと走って探して、急いで戻って来るつもり。あ、あと、ケースケ兄ちゃんたちに、頼んでおいた。

ツヨシくん:ケースケ兄ちゃん?。なんで?。

ネネちゃん:なんか、流木を拾ったり、ゴミ集めしたりするっていうから。

ツヨシくん:ゴミをもらうの?。

ネネちゃん:ちがうよ!。ゴミもらってどうするのよ。あのね、ガラス玉とかシーグラスとか言われてるのをもらおうかなって。

ツヨシくん:シーグラス?。ああ、あの磨かれたガラスのかけらかぁ。

ネネちゃん:そうだよ。ガラスのかけらが、海の水でじゃぶじゃぶしているうちに、角が丸くなって、表面もざらざらになって、きれいな石みたいになったもの。ツヨシくんも持っているでしょ?。

ツヨシくん:うん。持っていると思うけど…。どっかにいっちゃったかも。えへへへ…。

ネネちゃん:もう…。ツヨシくん、いいかげん。

ツヨシくん:なんだよー、いいじゃんかぁ。…あ、でも、波が荒いときのほうが、いろいろなものが流れ着くかも。

ネネちゃん:それもあるから、冬に漂着物探しってことになったんだけどさぁ…。

 ネネちゃんのクラスで、総合学習の時間、海から流れ着くものについて調べることになったのだ。普通は夏の自由研究にするようなものだが、ネネちゃんの班は、「冬の海で実際に拾えたもの」を報告することになってしまったのだ。ネネちゃんとしては、その案に賛成したわけではなかったが、班で決まったことだから、まあ仕方がない。それで班のみんなで集まって、海岸を延々とうろうろするより、各自が別々になって、拾い集める回数を増やした方がいいのではないかと考え、ケースケにも応援をあおごうと思ったわけである。

(ケースケ:はあ?、海岸に流れ着いたものをか?。拾っておけばいいのか?。)

(ネネちゃん:うん。ケースケ兄ちゃん、ついででいいからぁ。)

(ケースケ:いいけどよ。何にするんだ?。まさか流木とか腐った海草ってわけには行かないんだろ?。)

(ネネちゃん:えー、そんなのはいらないよぅ…。なんかもっとこう…、ちっちゃくて面白いもの。私、貝殻くらいしか、見つけられないよ…。)

(ケースケ:小さくて面白いものねぇ…。そうだなぁ。朝早くから、集めている人がいるからな。)

(ネネちゃん:えー?、そうなの?。)

(ケースケ:ああ。結構面白がって拾っている人がいるぞ。ま、オレたちは掃除するためだから、昼間になるけどな。)

(ネネちゃん:学校の班でまとめなくちゃならないんだもん。)

(ケースケ:そうか。わかったよ。ついでに何か拾っておいてやるよ。茶碗や皿のかけらも、丸くなって落ちていたりするぞ。)

(ネネちゃん:えー?、そんなのあるの?。)

(ケースケ:ああ。まあまかせておけって。でも、お前も貝殻くらいは自分で拾えよ。)

(ネネちゃん:うん。ありがとう、ケースケ兄ちゃん…。)

 ネネちゃんは、海岸のゴミ拾いを、定期的にやっているケースケに、そんなことを言いながら頼み事をした。ケースケは、ちょうど七里ヶ浜を掃除すると言っていたので、ネネちゃんは由比ヶ浜の浜で、拾いものをしてみることにしていた。しかし、海風の強い冬。慣れているわけではないネネちゃんは、それほど長くうろうろ出来ない。

 翌日ネネちゃんは、学校から素早く帰ってきた。そしていつもより厚手のジャケットを着ると、急いで江ノ電に乗り、由比ヶ浜へ出た。駅からはあるいて数分、沙也加ママさんのお店「HONNO KIMOCHI YA」に着く。沙也加ママさんとコメットさん☆への、あいさつもそこそこに、前の浜へ出る。何しろ冬の日暮れは早いから、どんどん砂浜を見て歩かないと、寒さがきつく、手元は暗くなってきてしまう。ネネちゃんは、少しばかり、「ツヨシくんも手伝ってくれればいいのに…」などと思った。しかし、ツヨシくんはツヨシくんで、栽培委員の作業があり、ネネちゃんと同時には家に帰れなかった。

 それでもネネちゃんは、いくらかの貝殻や、よくわからない錆びたネジ、陶器のかけらを拾った。あらためて見ると、意外とゴミが多い。流木のかけら、それに海草、ペットボトルやカンなども。

ネネちゃん:(もっとみんな、海をきれいにしないとダメだよぅ…。)

 そんなことを思うネネちゃんだったが、時々西の空を見ながら、夕日の傾き具合を確かめていると、「おーい」と呼ぶ声がする。ネネちゃんは後ろを振り返ると、ケースケが走ってくるのが見えた。

ネネちゃん:あ、ケースケ兄ちゃん…。

ケースケ:はあ…、やれやれ…。ほら、ネネ。拾っておいてやったぞ。お前も何か拾えたのか?。

ネネちゃん:わあ、ケースケ兄ちゃんありがとう…。私も、こんなの拾ったよ。

 ネネちゃんは、1時間ほどで拾えたものを、ケースケに見せた。

ケースケ:ほう。貝殻はまあ、よく落ちているハマグリか何かだな。なんだ?、このネジは?。これは最近誰かがわざと捨てたものだろ?。

ネネちゃん:えー?、そうなのかなぁ。

ケースケ:それより、この陶器のかけら、こっちのほうがいいものだな。

 ケースケは、ネネちゃんの手にある、薄緑色のかけらを指さして言った。

ネネちゃん:え?、そうなの?。

ケースケ:ああ。この先のほうにな、昔難破した船が沈んでいてさ、それがたくさんの陶器を積んでいたっていうんだ。その船は引き上げられてないから、その積み荷の陶器が、かけらになって、少しずつ由比ヶ浜に流れ着くって聞いたことがある。それかもしれないぞ。

 ケースケは、遠くの海を指さして言う。長い楕円形を描く由比ヶ浜は、もちろん外海とつながっているから、ケースケの指さすところは、もう太平洋の岸より、ということになる。

ネネちゃん:へぇー、そうなんだぁ。そんなのだったらいいなぁ。あ、ケースケ兄ちゃん、頼んでおいたのは?。

 ネネちゃんはすかさず返事をする。

ケースケ:ああ。まあまあってところかな?。掃除は昨日と今日やったんだけどよ。やっぱりオレのところでも、陶器のかけらがあったぜ。もっとも時代はいつのものか、わからねぇけどな。最近のかもしれない…。ほら、模様入り。

 ケースケはそう言うと、手に提げたポリ袋から、ネネちゃんの手に、拾いものを順番に出した。

ネネちゃん:ありがとう…。やっぱりケースケ兄ちゃんのほうが…、いいもの拾ってくれてるみたい…。

ケースケ:別に…。時間をかけただけさ。

ネネちゃん:あ、サザエの貝殻とシーグラスだ。

ケースケ:サザエは…、大きさからすると小さめだし、だいぶ波で削られているから、一応「天然物」だと思うけどな。シーグラス、いいだろ?。珍しく紺色のがあったぜ。他にもいくつかあるからな。

ネネちゃん:わあ、ありがとう。よかったぁ。…あれ?、これは…。指輪?。

ケースケ:あ、ああ、それか。それは落とし物かも知れないな。でもまあ、砂浜にあったからな。

 ケースケはウソをついた。実際は自分で買った例の安い指輪を、混ぜておいたのだ。しかし、なぜそんなウソをつくのだろうか?。

ネネちゃん:ええ?、でも…、これって落とし主の人、探しているかもしれないよ?。

ケースケ:いや、それほどいいものじゃねぇよ。そうだなぁ…、コメットとゴッコ遊びにでも使えよ。おまけってところさ。

 ケースケは、何かもくろみがあって言っているのだ。

ネネちゃん:ゴッコ遊びぃ?。そんな遊び、もうしないよぅ。ふふふふ…。

 ネネちゃんは、少し背伸びしたように言う。さすがに小学4年生ともなると、ネネちゃんもままごと遊びをするような歳でもない。

ケースケ:…そ、そうかぁ?。あはは…。まあ、ちょっとせっかくだからはめてみ?。ここに切れ目が入れてあるだろ?。これってフリーサイズだぜ。もしきつければ、もう少し広がるし、ゆるければ切れ目を狭めれば…。

 ケースケは、妙に詳しく説明する。幅がやや太めの指輪には、指の上側に丸と星形が小さく交互に刻まれ、反対側には斜めに切れ目を入れて、サイズが変えられるようになっている。比較的安価なアクセサリーに、よくあるやつだ。

ネネちゃん:私がはめてみるの?。いいけど…。…うん、あ、ほんとだ。斜めに切れ目が入ってる…。…うーん、私なら…ちょうどいいかな?。子ども用?。

ケースケ:さあな。ネネだとちょうどいいのか?。ふーん。

 ケースケはネネちゃんが言う言葉を、聞き逃さなかった。「確か店のおばさん、買うときに「5号から」って言っていたな…」。…そんなことも思い出す。

ネネちゃん:コメットさん☆や、ママだとはまらないかなぁ?。指の太さって、どのくらい違うのかなぁ。あとで持っていって見てこよっと。

ケースケ:ああ、それもいいな。ま、適当に遊んでくれよ。

ネネちゃん:うん。これって、サイズがきつすぎるとき、どうやってゆるめればいいの?。

ケースケ:安物だからな、両手の指で、少し力入れて引っ張れば、なんとかなるだろ。(いいぞ、ネネ、ナイスだ。)

 ケースケは、素っ気ないふりをしながら、内心いい展開だと思って、ネネちゃんへの返事とともに、心の中でつぶやいた。と同時に、もう「安物だから」と、うっかり買ったものであることを口にしてしまっていた。ところが、それには幸いネネちゃんは気付いていなかった。

ネネちゃん:わかった。ありがとね。ケースケ兄ちゃん。班で報告したら、みんながどんなもの拾って来られたか教えるね。

ケースケ:あ…、ああ。そうしてくれ。

ネネちゃん:あ、そうだ…。もう日が暮れるから、私ママのお店に帰る。ケースケ兄ちゃんもどう?。

ケースケ:え?、オレもか?。いや、悪いからいいよ…。

ネネちゃん:そんなことないよ。コーヒーとかあるよ、たぶん。寒いから、あったまって行ったら?、ケースケ兄ちゃん。私のためにいろいろ拾っておいてくれたんだもん。

ケースケ:うーん、そうか、じゃあ、まあ少しの間寄らしてもらうかな。

 そうは答えたものの、コメットさん☆がいるだろうと思い、今日のところはやっぱり帰るかなと、思い直そうとしたとき、ネネちゃんがすかさず言う。

ネネちゃん:コメットさん☆もいるよ。

ケースケ:な…、何か関係あるのか?、コメットが。

 ケースケは、あえて無関心を装う。

ネネちゃん:ふふふ…。無いの?。

 しかし、ネネちゃんはにこっと笑って言う。そんなことを言いながらも、ケースケとコメットさん☆のこの先を、とても心配していたし、自分も寂しいような気持ちを押しとどめられないでいるネネちゃんなのだが。

 

ネネちゃん:ただいまー。ママぁ、コメットさん☆、ケースケ兄ちゃんに手伝ってもらっちゃったから、ケースケ兄ちゃんもいっしょに来たよー。

ケースケ:あ、お、おい…。そんな発表するなよ…。

ネネちゃん:どして?。

沙也加ママさん:あらケースケ、いらっしゃい。ネネの班の宿題、手伝ってくれたの?。悪かったわね、本当に。お茶でも飲んで、あったまっていって。ね?。

ケースケ:あ、はぁ…。…その、ど、どうぞお構いなく…。

コメットさん☆:…ケースケ、いらっしゃい…。

ケースケ:よ、よう、コメット…。

 コメットさん☆は、少し上目遣い気味に、つぶやくように言った。ケースケも、少しどぎまぎしながら答える。

ネネちゃん:ママぁ、私ココア飲む。だから…。あ、コメットさん☆も飲む?。ココア?、コーヒー?。

 ネネちゃんは、2階への階段を上がりながら聞く。コメットさん☆は、びっくりしたように顔を上げて答える。

コメットさん☆:じ、じゃあ、私もココア…。

ネネちゃん:わかった。今入れてくるね。ケースケ兄ちゃんはコーヒーだよね。

ケースケ:あ、ああ…。サンキュ…。

 ケースケも、元気なネネちゃんにびっくりしたように答えた。ネネちゃんは、勢いよく階段を駆け上がると、奥にあるミニキッチンのほうに行った。

 やがて湯気があがるココアとコーヒーが出来上がり、ケースケとコメットさん☆は、2階のいすに腰掛けて飲み始めた。ネネちゃんが入れてくれたのだ。そのネネちゃんは、1階に下りて、沙也加ママさんと何事か話をしながら、拾いものをざっと洗う。

ケースケ:ああ…、あったまるな…。

コメットさん☆:そ…、そうだね。ケースケは、どんなもの拾ったの?。

ケースケ:どんなって…。まあ、シーグラスとか。

コメットさん☆:シーグラス?。ガラスが海の波で丸くなったっていうやつ?。

ケースケ:ああ。よく知っているな、コメットは。

コメットさん☆:前に景太朗パパとツヨシくんに聞いたよ。

ケースケ:そうか…。

コメットさん☆:あの…、ケースケ、オーストラリアでも、元気でいてね。

ケースケ:あ…、ああ…。

 コメットさん☆は、ふとそんなことをつぶやいた。ケースケが、早い段階でオーストラリア行きを教えてくれなかったことは、コメットさん☆としていまだ多少の引っかかりがあった。しかし今やコメットさん☆は、あまり自分の印象が強く残ってしまうと、ケースケの夢のじゃまになるのではないか…。そうとすら思っていた。ケースケにとって、自分の存在がそこまで大きいかどうか、わからない思いも抱えながら…。

ケースケ:…なんか、ここはいいよなぁ…。

コメットさん☆:えっ?。「HONNO KIMOCHI YA」が?。

ケースケ:いや…、まあ、もちろんこの店もだけどよ…。鎌倉がさ…。

コメットさん☆:鎌倉が?。

ケースケ:ここにいれば、なんだかいつまでもみんなと遠足気分でさ…。

コメットさん☆:遠足気分?。

 コメットさん☆には、ケースケの言っている意味が、今ひとつわからなかった。

ケースケ:居心地がよすぎるってことさ。

コメットさん☆:ケースケは、やっぱりそう思うんだ…。

ケースケ:ああ。なんかそういう感じがしてさ…。

 ケースケは、なんとなくこのところ、コメットさん☆に対して、「言い出せない思い」を持っていた。これだけ距離が縮まったように思えても、まだ言い出すことの出来ない思いを。「好き」という思いの、さらに先とでも言おうか。

 その時、ネネちゃんが階段を上ってきた。

ネネちゃん:コメットさーん☆、いい?。

コメットさん☆:え?、あ、いいよ。なあに?。

ネネちゃん:えへへ…。ほらこれ。ケースケ兄ちゃんが、砂浜で拾ったんだって。これももらっちゃった。

 ネネちゃんは、2階への階段を駆け上がり、ケースケとコメットさん☆が座っているいすの前まで来ると、コメットさん☆に、さっきケースケからもらった指輪を手渡した。

コメットさん☆:あれ、指輪だ…。なんか星の形が刻んであるよ。

ネネちゃん:うん。ケースケ兄ちゃん、ありがとね。ふふふ…。

ケースケ:あ、いや、ま、まあその…、たまたま拾ったもんだからよ…。おもちゃのようなものさ。

 ケースケはまたしてもウソをつく。

コメットさん☆:砂浜って、いろんなものが落ちているんだね。…でも、これって、落とした人は探してないのかな?。

ケースケ:あー、たぶん夏頃に落としたんだろ。それで気が付かないで帰っちまって、波にしばらく洗われていたってところだろ。

コメットさん☆:ふーん。そっか…。

ネネちゃん:コメットさん☆もはめてみて。これフリーサイズだから。ママのところのゲージで測ったら、調整しなければ5号くらいだって。

コメットさん☆:フリーサイズ?。5号?。あのリングを測るやつで測ったの?。

 「HONNO KIMOCHI YA」は雑貨店だから、たまには安い指輪を扱ったりもする。店頭でお客さんの指の太さを測るために、一応指輪をはめると、その太さがわかるゲージがあるのだ。

ネネちゃん:そう。フリーサイズだから、リングに斜めの切れ目が入ってるの。きつかったらその切れ目少し広げれば、指にはまる。

コメットさん☆:そうなんだ…。

 コメットさん☆は、特に気に留めることもなく、指輪をはめてみた。少しきつい感じで、薬指の第2関節までしか入らない。

ネネちゃん:どう?。

コメットさん☆:うーん、私には少しきついかな?。少し広げられるのかな?。

ケースケ:んー?、指輪広げるのか?。どれ、貸してみろよ。

 ケースケは、コメットさん☆から指輪を受け取ると、両手の指で、少し輪を広げた。本当は工具を使うべきなのだが、ケースケの指の力は、やはり強い。

ケースケ:よっと…。これでどうだ?。隙間2ミリくらい。

コメットさん☆:あ、ありがと。…うん、ちょうどいいかな?。

ケースケ:そうか。

ネネちゃん:ほんとだ。コメットさん☆にもちょうどよくなった…。私は細いまんまじゃないと、たぶんゆるゆるになっちゃう。

コメットさん☆:わあ、なんか指が太いみたいで恥ずかしい…。

ケースケ:何てことはないじゃんかよ。たかだか1ミリくらいの違いだろ?。

コメットさん☆:そうだけど…。

 コメットさん☆は、つぶやくように答えながらも、恥ずかしそうにほおを少し染めた。それに対してケースケは、さりげなく心の中で思っていた。

ケースケ:(…すると、コメットは7号くらいってところか…。)

 なぜかケースケは、指輪のサイズにこだわっていた。

 

 数日がたって、ケースケはまた七里ヶ浜にいた。昼間の七里ヶ浜に。冷たい冬の海風が吹き、着ているジャンパーを、ばさばさと揺らす。波は荒く、いくらケースケでも、海に出る気にはならなかった。もっともケースケは、さっきから延々と考え事をしていた。海に出るためにここに来たわけではなかったのだ。

ケースケ:(…海洋研究所。オレは…、海を楽しみにしている人たちを守るだけじゃ、なくなるんだな。海そのものの未来をも守る…。そういうことか…。)

 オーストラリアの海洋研究所員になるとすると、世界一のライフセーバーを目指すだけではなく、それは研究所の仕事との両立ということである。ケースケは、大学への推薦入学の時期も過ぎたというのに、どこかまだ研究所へ身を投じることに、踏ん切りをつけられないでいた。

ケースケ:(コメットは…、恋人じゃないなんて、思おうとしてきたけど…、じゃあ、誰が、どんな人なら恋人なんだ?…。コメット以外は、遠ざけてきたじゃないか…。だ、だが、オレの夢を、そばで見届けて欲しいと、コメットに言ったとしたら、あいつはついて来て…、くれる…かな?。もし、ついて来てくれるなら…、コメットといっしょに…。…いや、それじゃ…、あいつは…、コメットは、留学生なんだから…。コメットの夢をつぶすことになっちまうかもしれない…。…どうしたら、いいんだ…。)

 ケースケは、強い風の中、またこの前と同じことを考え、そこからその先を考えを進めていった。このところ、心の中でくすぶっていたことへ。

ケースケ:(…コメットを、オーストラリアに連れていく…。それは、コメットと結婚を前提にってことなんだろうか…。オレ、あいつが知らないはずの土地で、あいつのこと、責任持てるだろうか…。)

 ケースケにしてみれば、普段コメットさん☆のことを、そんなふうに見たことは無かった。漠然と「好きな女の子」と思っていただけと言える。しかし、オーストラリアに行くとして、もしもコメットさん☆が、自分のとなりにいつもいてくれたら…と、ここしばらく考え始めていたのだ。

ケースケ:(…今から突然、そんなことは言い出せないだろうな…。だけど、オレは…、オレは…、それでいいのか?。…どうしても、そこのところは…。なんだか自信が持てない…。)

 ケースケには、相変わらず冬の海風が吹き付ける。髪とジャンパーを揺らすケースケ。

ケースケ:(…オレは、夢をかなえるためにオーストラリアに行こうとしている…。しかし、そうすれば、もうコメットとは、会えないかもしれないな…。コメットには、コメットの夢があるだろう…。もしオレが、強引にオーストラリアに連れていったら…、コメットの未来を変えてしまう…。…どうしても、そこに責任が取れるのかどうか、オレ自身わからない…。)

 ケースケは、そこまで考えると、少しうつむいた。

 やがてケースケは、七里ヶ浜をあとにすると、江ノ電に乗って藤沢に向かった。藤沢にはデパートを含めた繁華街がある。めったにそんなところに行くケースケではなかったが、藤沢の駅を降りると、なんとなくきょろきょろしながら歩いた。そして一軒のアクセサリーショップを見つけ、立ち止まった。駅前のデパート脇の道を、まっすぐ数分歩いた先にある、小さめなビルの1階。外の道路に面したショーウインドウには、高いのから手頃なものまで、いろいろな宝飾品が並んでいる。ケースケは、そのビルを見上げ、それからショーウインドウをしばらく見つめた。そして深呼吸すると、少しあたりを見回して、中に入った。

店員:いらっしゃいませ。

ケースケ:あ、あの…、注文を…。

店員:はい。ご注文ですか?。こちらにどうぞ。

 スマートな女性店員は、こざっぱりしているとは言い難いケースケの様子を少々意外に思いながらも、たくさんショーケースが並んでいる先にあるいすに招いた。

 ちょうどそのころ、コメットさん☆は珍しく家にいた。たまたま今日は、沙也加ママさんに用事があって、お店は午前中休みなのだ。そろそろお昼ご飯をどうするか、景太朗パパさんと考えなければならないのだが、何となく窓の外を見つめ、考え事をしていた。

ラバボー:姫さま、どうしたんだボ?。

コメットさん☆:えっ?、あ、どうしもしないよ。ちょっと考え事。

ラバボー:……。

 ラバボーは、このところぼうっとしていることが多いコメットさん☆を、心配していた。しかしコメットさん☆は、もっと違うことを、今日は考えていた。

コメットさん☆:(…私の夢って…。やっぱり…、星の子や星ビトたちを、いつかまとめることなのかな?。…地球のかがやきを、星国に伝えること…、なのかな?。…それなら、私といっしょに、星国をまとめる人って…。)

 コメットさん☆の悩みだって、深いのだ。スピカさんや、沙也加ママさんは、星国のことを考えるのは、まだ先でもいいじゃない?と、言ってくれる。それでも、コメットさん☆としては、星国の未来の姿を、どこかで想像し、そこに自分を置いてしまうのだ。星国の未来と、コメットさん☆の未来。それは同じ時間の先に、本当にあるのだろうか。それは、今のところまだ、誰にもわからない…。

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★第283話:メテオさんのクリスマスデート−−(2006年12月中旬放送) 部分改訂

 メテオさんは、自分で自分のことを、「気が弱い」とは思っていない。しかし、このところ少し自信がなくなっていた。

 この前、イマシュンのコンサートで、ちょっと舞台に上がった。数年前は、そんなこと勝手に平気でしていたが、最近は黒岩さんにも止められるし、イマシュンの音楽活動にも影響することは、わかるようになった。ところが、この前のコンサートでは、イマシュンが「少しのコーラス、いっしょに歌ってくれないか?」と、誘ってくれたのだ。あたかもセリフのように、歌の中の男の子が呼びかける言葉に、歌の中の女の子になって応える曲。その一節を、バックバンドの脇から前に出て歌ったメテオさん。なぜだか、久しぶりにスポットライトを浴びるのはドキドキした。ところが、それは思わぬ形で、メテオさんに跳ね返ってきた。

メテオさん:…な…、なんなのよ、なんなのよ!、なんなのよったら、なんなのよー!!。…これ下さる?。

書店の店員さん:はい。380円です。

 メテオさんはある日、クリスマスムードがいっそう強まった鎌倉の街を歩いていて、書店の店頭で芸能週刊誌の見出しを見、そして中身を少し立ち読みすると、思い切り憤慨して叫んだ。しかし、叫んでいても始まらないから、その週刊誌を買った。

 メテオさんが、週刊誌を手にして、街の通りを再び歩き出すと、腰のティンクルスターから、ムークが声をかける。

ムーク:姫さま、姫さま、先ほどの雄叫びは、どうなされたのです?。

メテオさん:だ…、だって…。…いいわ、うちに帰ったら話す。

ムーク:はあ…。

 メテオさんは、眉間にしわを寄せながら、鎌倉駅西口へ出て、江ノ電に乗って帰った。

 家に着いて、さっそくベッドに腰掛けると、週刊誌を取り出し、記事を読んだ。表題には、「イマシュン・まるでカラオケ!どヘタは素人女性!?」とある。

メテオさん:見てよこれ。

ムーク:え?、この記事をですかぁ?。なになに…、ふむふむ…。のわーーーー!、これって姫さまのことではないですか!!。

メテオさん:そうよ。「どヘタ」ですって…。

 記事の内容は、読んでみればそれほどきついことが書いてあるわけではない。よくあるセンセーショナルな記事題名で、読者を釣ろうとするものなのだ。しかし、ちょうどこのところ、デートもままならないでいたメテオさんにとっては、いくら通販グッズを買いあさっても、何か孤独感を感じていたから、記事の見出しはかなり傷ついた。それに、同じ週刊誌をたまたま毎週取っていた留子さんが、その記事のところだけ切り取って、メテオさんが見つけないよう、そっと生ゴミに混ぜて捨ててあるのを見てしまってからは、怒るよりは、なんだかよけいに弱気になっていた。

メテオさん:(わたくしでも…、ちょっとは傷つくわよったら、傷つくわよ…。)

 そんな思いを胸にしまう。いつもなら、軽く笑い飛ばしているはずなのに。週刊誌を買った翌日、メテオさんは元気が出なかった。昼間なのに、ベッドに横になってしまう。何をするでもなく…。

ムーク:姫さま、具合でも悪いのですか?。

メテオさん:えー?、…そんなんじゃないわよ。なんだかやる気が出ないだけ…。

ムーク:うーむ…。瞬さんと、最近会ってもないですからなぁ…。

メテオさん:…そうね。なんだか、わたくしたち、恋人なのかしら?って、思っちゃう。

ムーク:ここで落ち込むなんて、姫さまらしくありませんよ。もう今さら何を言うのです?。

メテオさん:そんなこと言ったって…。

 メテオさんは、そう言うと毛布を頭までかぶった。ちょうど猫のメトが、1階から上がってきて、2階のメテオさんの部屋へ、メト専用のくぐり戸を抜けて入ってきた。

メト:にゃーん。にゃーん。

 メトは、鳴きながらメテオさんを探す。そして、鼻をひくひくさせて、メテオさんを見つけると、さっとベッドの上に上がった。ムークはさっとよけて、メテオさんが枕元に置いたティンクルスターに逃げ込む。

ムーク:うわっ…。姫さまのネコ…。これじゃまるで、私は…、女王さまといっしょですな。

メテオさん:あらメト…。どうしたの?。いっしょにいてくれるの?。

 メテオさんは、枕の脇でメテオさんの顔を、不思議そうにのぞき込んでいるメトを、そっとなでた。メトは、小さい声で鳴くと、そっとメテオさんの毛布の中に入り、メテオさんのとなりに丸まって寝っ転がった。

メト:にゃお…。ゴロゴロゴロゴロ…。

 メトは、メテオさんのぬくもりが好きなのだ。ごはんをもらうのは、留子さんのことも多いのに、メテオさんのことを飼い主と思っているらしい。雨で濡れていた自分を助けてくれた、メテオさんの心を、ちゃんと覚えているのだ。だからたいてい、寝るのはいっしょだし、メテオさんが外出から帰ってくると、真っ先に出迎えに来る。そんなメトのことを、メテオさんも大事に思っている。

メテオさん:メトは…、いつもいっしょにいてくれるのね…。

 そんなことを言いながら、メテオさんは、メトのことを、ベッドの中で抱きしめた。温かなメトは、透き通るような目で、メテオさんを見つめ、次第に目を細める。今日はだいぶ弱気なメテオさん。いつも気を張ってはいられない。メテオさんだって、普通の女の子なのだ。

 しばらくメトを毛布の中で抱いて、そっとなでていたメテオさんだったが、ふとある考えが浮かんだ。そしてむっくりと、ベッドから起きあがる。

メテオさん:…なんだって私だけ、こんなブルーになっていなければいけないのよ。わたくしが「どヘタ」なのかどうか、瞬さまに決めてもらうわったら、もらうわ!。

 起きあがったメテオさんは、メトを抱いたままはっきりと言った。

ムーク:姫さま、どうされるので?。

メテオさん:メト、ちょっと降りてね。わたくし、瞬さまに電話してみる。

ムーク:で、電話?。仕事中では?。

メテオさん:だめでもともとよ!。

ムーク:おお、立ち直ったか?。やることは相変わらず行き当たりばったりだけどね…。

 メテオさんは、ムークをじろっと見ると、部屋のコードレスホンを取り、実はメテオさんと黒岩さんしか知らない、イマシュンの「秘密携帯電話」番号に、電話をかけようとした。メトはベッドから降り、一転活発に動き始めたメテオさんを見て、遊んでくれるのかと勘違いし、棒の先にねずみのおもちゃがついた「キャッツ・トイ」を、口にくわえて持ってくる。そしてメテオさんの前に落とした。

メト:にゃん。

メテオさん:ふふふ…。メト、ちょっと待っていてね。

 メテオさんは、そんなメトの様子を見て、今日はじめてちょっと笑った。そしてダイヤルボタンを押した。

 そのころイマシュンは、黒岩さんとスケジュールの打ち合わせをしていた。

黒岩さん:…えーと、それで年明けには…、関西でコンサート。それと、横浜でまたコンサートだな。それにCM収録が3本。

イマシュン:そうかぁ…。けっこう詰まってるなぁ。

黒岩さん:瞬、どうしても撮影関係の仕事が、最近多くてなぁ。

イマシュン:…本当はオレ、ひたすら歌っていたいけど…。CMも仕事、仕事。最近は、そう思えるようになったさ。…それで、ドラマの話っていうのは?。

黒岩さん:ああ…、それがなぁ、瞬。春から始まるドラマ、刑事物なんだが、湘南を舞台に、ミュージシャンの青年役で、1話ゲスト出演してくれっていうんだ。…どうかな?。

イマシュン:ふーん。それってなんて題?。オレ、見たことあるかな?。

黒岩さん:ちょっと待ってくれ…。ああ…、しまった…。台本の上のもの落としてしまったぞ…。

 黒岩さんは、イマシュンと事務所のいすに座り、雑然といろいろなものが置かれたテーブルを挟んで話をしていた。何段にも積まれた形になっていた新聞や、雑誌、それに書類をどけて、下にある台本案を取ろうとして、上にのせてあるものを崩してしまった。ばさばさという音とともに、床に投げ出される書類や雑誌。その中に、イマシュンは、芸能週刊誌が含まれているのを見つけた。例の、メテオさんのことを「まるでカラオケ!どヘタは素人女性」と切り捨てた週刊誌。そのタイトルが目に入る。

イマシュン:…こ、これは…。

黒岩さん:ええと…、題は「三人の捜査官」だな…。あっ…、し、瞬、それは…。

イマシュン:……、く、黒岩さん、これは…。

 イマシュンは、素早くページをめくると、記事に目を通した。めまぐるしく視線は記事の文字を追う。黒岩さんは、しまったと思った。

黒岩さん:ふぅ…。もう少したってから、お前には見せようと思ったんだがな…。

イマシュン:…お、オレのことなら、何書かれてもいいけど…。メテオさんのことを「どヘタ」って…。…ひどいな。彼女は関係ないじゃないか…。

 イマシュンは、うめくようにつぶやいた。

黒岩さん:まったくなぁ…。しかし瞬、こんなことは気にするな。お前はやるべきことをやるだけだろ。

イマシュン:それは…、そうだけど…。

 と、その時、イマシュンがいつもポケットに入れているのとは別の携帯電話が、ポーチの中で鳴った。

イマシュン:…あ、あれ?、この電話は…。もしや…。

 イマシュンは、あわててテーブルの端に置かれたポーチを手に取ると、中から携帯電話を取りだした。内心、この電話の番号は、目の前の黒岩さんのほかには、ほとんど伝えてないはず、と思いながら。

イマシュン:…もしもし。

メテオさん:…あ、あの、瞬さま…。

イマシュン:ああ、メテオさんか。珍しいね、この携帯に電話してくるなんて。

 イマシュンは、少し安心してメテオさんに語りかけた。

メテオさん:…あの…、うちに…、来て下さらない?。

イマシュン:え?、メテオさん、今日これからかい?。

黒岩さん:瞬…。

 黒岩さんは、電話の相手がメテオさんらしいと知って、ちょっと困惑の表情を浮かべた。イマシュンは、そんな黒岩さんをちらっと見ると、とっさに考えた。

イマシュン:うーん、夕方からかぁ…。

メテオさん:…やっぱり、ダメよね…。

 しかし勘のいいイマシュンは、メテオさんが電話をかけてきた理由を考えた。そしてすぐに、それはあの記事のせいではないかと思い当たった。

イマシュン:いや、わかった。夕方からなら大丈夫だ。行くよ、メテオさん。

メテオさん:…あ、む、無理なさらないで…。わたくし大丈夫ですから。

 メテオさんは、いまさら遠慮しようとする。「大丈夫」な人が、電話をかけてくるというのはおかしい。きっと落ち込んでいるのだろう…。イマシュンはすぐにそう思った。

イマシュン:君が、心配だからさ。

メテオさん:瞬さま…。

黒岩さん:し、瞬…。お、おい…。夕方って…。明日はリハーサルだぞ…。

 黒岩さんは、自分を通り越して、イマシュン自身が、勝手に予定を決めようとしていることに、びっくりして思わず口走った。イマシュンは、それを手で合図して制すると、電話の向こうのメテオさんに、語りかけた。

イマシュン:夕方…、そうだな、4時過ぎになったら、君の家に駅から電話するよ。…あ、いつものように、北鎌倉駅でいいかな?。

メテオさん:瞬さま…。ありがとう…。いいですわ。わたくし、父の車で北鎌倉駅まで、お迎えに行きますわ。

イマシュン:タクシーでもいいのに…。まあいいか。じゃああとでね。よろしく。

メテオさん:瞬さま、忙しいのにごめんなさい…。じゃあ…。

 メテオさんは、そっと電話を切った。少しほっとした表情で。一方で、イマシュンも電話の終話ボタンを押す。

黒岩さん:おい、瞬。どうなっているんだ?。

イマシュン:メテオさん、かなり傷ついていると思う。これはオレの責任でもあるんだから。…彼女をなぐさめないと…。

 イマシュンは、黒岩さんをじっと見ながら言った。

黒岩さん:…そ、それはそうかもしれないが…。明日のリハーサルはどうするつもりなんだよ。

イマシュン:リハーサルは明日の夕方からだろ?。それまでは開けられるだろ、黒岩さん。

黒岩さん:…まあな。1件雑誌のインタビューがあったはずだが、それはずらしてもらうか…。しょうがないな。わかったよ。オレがなんとかする。それから…、帰りは向こうまで車回すよ。また彼女に会いに行ったなんてことが、雑誌記者に感づかれても困るだろう。夜遅くなっても、いつでもいいから、オレを呼び出してくれ。わかったな。

イマシュン:黒岩さん、ごめん。調整よろしく。

黒岩さん:いいってことさ。

 黒岩さんは、そう言うと、ぐっと親指を突き出してにっこり笑った。イマシュンも微笑みを返す。

 電話を切ったメテオさんは、大急ぎで部屋の掃除を始めていた。

ムーク:姫さまぁー、今さらそんなことをして、間に合うのですか?。

メテオさん:だ…、だって。瞬さまと、おうちでデートよ!?。何があっても間に合わせるの!。

ムーク:はあ…。

メテオさん:…待って。瞬さまを…、手料理でおもてなし。それよ、それだわ!。お母様!、留子お母様ぁ!!。

 メテオさんは、一度手にした掃除機を放り出すと、部屋を出て、1階にいるはずの留子さんの元へと、階段を駆け下りていった。

ムーク:やれやれ…。うちの姫さまは、まったく騒々しい…。

メト:にゃあ…。

 ムークとメトは、いつの間にか顔を見合わせた。

 

 十分ほどたって、メテオさんは、キッチンでタマネギと格闘していた。

メテオさん:あああー、涙が出るぅー。

留子さん:そんな、真上に顔をもってくるからよ。

メテオさん:だ…、だってぇ…。

留子さん:うふふふ…。メテオちゃん、しょうがないわね。だいたい今日彼をお呼びするのはいいけれど、料理は急につくれないわよ?。

メテオさん:うーん。だからもうカレーよぅ!。

 メテオさんは、タマネギを細切りにしながら、涙を流していた。最初はポトフかボルシチを作るつもりだったのだが、今からだとどうも間に合わない。それで仕方なくカレーにしたのだが、カレーであっても、本格的に作ろうとすれば、それなりの手間はかかる。

留子さん:おうちのカレー、彼の口に合うかしら?。

メテオさん:合うように作る…、から手伝って、留子お母様。

留子さん:はいはい。タマネギを切ったら、それを炒めるのよ。きつね色になるまで。

メテオさん:わかったわ。フライパンで炒めればいいの?。

留子さん:そうね。まず油をひいて、それから炒めるの。

メテオさん:それで?。

留子さん:タマネギがきつね色になったら、お鍋に入れて。また今度は肉を炒めるの。

 ほとんど手取り足取りだ。

メテオさん:うわっ、タマネギから煙がぁ!。

留子さん:そりゃ出るわよ。換気扇回して。ふふふ…。

 留子さんは、キッチンで「格闘」しているかのようなメテオさんを見て笑うのだった。しかしメテオさんは、必死だ。さっきまで、どこか落ち込んでいた気分も、今はすっかり忘れていた。

 

 時刻は3時を過ぎ、日暮れの早い12月では、もう夕方になってきていた。メテオさんの作ったカレーは、なんとかちゃんと出来上がった。タマネギを炒めて鍋に入れ、肉を炒めて鍋に入れ、それをしばらく煮込んで一度火から下ろし、いつも使っているカレーのもとを入れ、さらにカレー粉やスパイスで味をととのえ、再び火を入れてじっくり煮込む。その間に野菜をゆでて鍋に入れ…とやって、ようやく完成した。イマシュンに出す前に、もう一度火を入れるつもり。そうすることで、また一段と味にコクが出る。

メテオさん:ふぅ…。なんとか間に合ったわ…。

留子さん:メテオちゃんも、なかなか上手に作るわね。

メテオさん:…そ、そう?。あは、あはは…。

 メテオさんは、少々汗をかきながら答える。その時、ちょうど電話が鳴った。居間にある風岡邸の電話。メテオさんは、いそいそとその電話を取る。

メテオさん:…もしもし、風岡ですけど…。

イマシュン:あ、メテオさん?。瞬だけど…。今戸塚で乗り換えだ。もう少しで北鎌倉に着くよ。

メテオさん:瞬さま…。はい。じゃあ今からお迎えに行きますわ。

イマシュン:あはは…。そんなにかしこまらないでよ。いつものメテオさんでさ。

メテオさん:はい…。…それじゃ、あとで…。

イマシュン:うん。なんか悪いな、迎えに来てもらって…。

メテオさん:いいえ…。そんなことありませんわ…。

 メテオさんは、イマシュンの前では、すっかり大人しくなってしまうのだ。それも、「恋力」というものだろうか?。

幸治郎さん:メテオちゃん、わしの出番かな?。

 幸治郎さんが、メテオさんの電話が終わるとともに、リビングからやって来て声をかけてくれた。

メテオさん:はい、幸治郎お父様、お願い…。

幸治郎さん:よしよし。どれ、出かけようかね。わしはガレージを開けて、エンジンをかけて待っているから、メテオちゃんは着替えておいで。留子さん、それじゃわしは出かけるから、帰ってきたらね…。

メテオさん:はい…。

留子さん:はいはい。わかりましたよ、あなた。

 メテオさんは、少し赤くなりながら、急ぎ足で2階の部屋に上がった。そして何事かと見上げているメトを尻目に、急いでちょっとしたドレスに着替えるのだった。

 

 夕闇迫る鎌倉の街。幸治郎さんの運転する車は、極楽寺切り通しを抜け、長谷駅南から一度国道へ出て、由比ヶ浜駅近くを抜け、六地蔵から比較的混雑する下馬交差点をよけるように若宮大路へと走る。若宮大路を北に上がりつつ横須賀線をくぐり、鎌倉街道へ抜ける。幸治郎さんは慎重にハンドルを握りつつ言う。

幸治郎さん:…うむ、今の時間でも、まだ観光の人たちで、道は混んでいるかもしれないね。

メテオさん:そうなの?、幸治郎お父様。

 メテオさんは、落ち着いた色合いの、ピンク色ドレスを着て、後部座席から、めまぐるしく変わる景色をきょろきょろと見ながら答える。

幸治郎さん:ふふふ…。メテオちゃんは、もううちに来てから何年も経つじゃないか。

メテオさん:…そ、そうだけど…。なんだか、今日はいつもの街じゃないみたいで…。

幸治郎さん:…なるほど。そうかもしれないね。

 幸治郎さんは、メテオさんの言葉の意味を理解して、また目を細めながら静かに答えた。日が暮れかけた街の光は、キラキラと輝く。クリスマスが近い街は、いつもより華やいで見える。しかし、メテオさんの目には、もっと違った「かがやき」が映っている。

 やがて車は、北鎌倉駅に着いた。メテオさんは、駅の改札前に立つ、ギターケースを背負った青年を、すぐに見つけた。サングラスをかけ、目立たないようにか、意外ともっさりした感じの服を着ている。メテオさんは、車を降り、その青年=イマシュンのもとに駆け寄った。イマシュンはメテオさんに、さっと手を挙げると、急いで幸治郎さんの車に乗り込んだ。車はすぐに発車し、今度は元来た道を引き返すように、風岡邸を目指す。イマシュンは、メテオさんと後部座席に並んで座った。もうすっかり暗くなった道。対向車のヘッドライトが交錯する。

イマシュン:メテオさん、…お、お父さん、こんばんは…。

 車の座席に、腰を落ち着けたイマシュンは、あらためてあいさつする。

メテオさん:…こ、こんばんは。瞬さま。

幸治郎さん:やあこんばんは。久しぶりだね。元気ですか?。

イマシュン:は…、はい。元気です。

幸治郎さん:歌を歌うという仕事も、大変でしょう。

 幸治郎さんはにこにこしながら尋ねる。しかし、その顔はイマシュンやメテオさんの席からはうかがい知れない。それでイマシュンは、少し緊張した。自分の恋人の父と話をしているわけなのだから。もちろん、幸治郎さんはメテオさんの実の父ではないのだが、イマシュンは実の父だと思っている。

イマシュン:大変とは思わないですけど…。最近は、その…、ドラマとかコマーシャルの撮影が多くて…。

幸治郎さん:そうですか。そのお忙しいところ、ようこそ。

イマシュン:は、はい…。あの、いいえ、今日もおじゃまします。

幸治郎さん:まあ、今夜はしばらくメテオをよろしく。

イマシュン:はいっ!。

 イマシュンは、すっと背筋を伸ばして答えた。車は若宮大路を途中で右折し、横須賀線の踏切を渡って、市役所の交差点を右に曲がって、鎌倉山の方向へ静かに走る。メテオさんは、白や黄色の街の灯が、さらには信号機の色までもが、何かいつもと違うイルミネーションのように感じた。暗い車内で、メテオさんは、そっとイマシュンの手に、自分の手を重ねた。イマシュンは、ちょっとドキっとして、メテオさんを見る。そこには、上品なドレスを着てはにかんだメテオさんがいた。イマシュンは、にこっと微笑む。

 やがて車は、ゆるやかに風岡邸の門に着いた。サイドブレーキを引く幸治郎さん。そして振り返ると言った。

幸治郎さん:ほら、メテオちゃん、着いたよ。二人で先に上がってね。

メテオさん:はい。お父様。

イマシュン:あ、ありがとうございます。それではおじゃまします。

幸治郎さん:どうぞどうぞ。

 メテオさんとイマシュンは、後ろの左側のドアから車を降りた。メテオさんは、門を開けると、イマシュンを招き入れる。イマシュンは、門から続く階段を見上げると、ギターケースを背負って歩き出した。その時、ちょうど車の音を聞いたのだろうか、留子さんが正装をして玄関のドアを開けてくれた。メテオさんとイマシュンは、二人手を取り合いながら、階段を上り、玄関にたどり着く。

留子さん:いらっしゃい、今川さん。

イマシュン:お、おじゃまします。お久しぶりです。

留子さん:そうねぇ。そう言えば久しぶりかしらね。どうぞ、ごゆっくり。

イマシュン:あ、は、はい。失礼します。

 イマシュンは、またしてもかなり緊張して玄関から上がった。前に来たときは、こんなに緊張しなかったのに…、と思いながら。

留子さん:メテオちゃん、メトが外に行っちゃわないように気をつけてやってね。ほら、抱っこしてあげて。

メテオさん:あ、はい…。

 メテオさんは、なんだかぽーっとしてしまったかのように、イマシュンと留子さんのあいさつを聞いていたのだが、留子さんに言われ、はっと足元を見た。猫のメトが、見慣れない来客を確かめに、玄関まで出てきていた。メテオさんは、メトをさっと抱き上げた。メトはなおも不思議そうな目で、イマシュンを見つめた。

留子さん:さて、じゃあ私は幸治郎さんと出かけますからね。メテオちゃん、あとよろしくね。

メテオさん:ええ。…え?、えー!?。お、お母様、ど、どこへ出かけるの?。

留子さん:幸治郎さんと、夕食を食べてくるわ。メテオちゃんは、ちゃんと彼のこと、おもてなししてね。それじゃ。

 留子さんは、そう言うと、さっさと玄関から出て、ドアを閉めてしまった。

メテオさん:ち…、ちょっと…。…あ。

 メテオさんは、全く予想もしてなかった話で、あっけに取られながらも、ふと思い出した。ただイマシュンを迎えに行くだけにしては、妙に幸治郎さんも、正装をしていたことを。てっきりイマシュンに会うために、きらびやかとまではいかないものの、落ち着いた感じのドレスを着た自分に合わせたのかと思っていたのだが。

イマシュン:メテオさん、どうしたんだい?。

メテオさん:あ、い、いいえ。あはは…。その、ふ、二人とも用事があるみたいで…。

イマシュン:いいね。メテオさんのお父さんとお母さんは。ああして二人きりで食事に行かれるなんて。なんかかっこいいな。

メテオさん:し…、瞬さま…。

 イマシュンの意外な言葉に、またびっくりするメテオさん。だが、メテオさんは、何が起きたかと思う一方、幸治郎さんと留子さんが、気を利かせて、イマシュンと自分の、「二人きりの時間」を作ってくれたのだと思った。

メテオさん:…瞬さま、こちらへどうぞ…。

 メテオさんは、ドキドキしながら、イマシュンをリビングに招いた。メトを抱いたまま。

イマシュン:それじゃあ…、おじゃまします…。…その、メテオさん、「瞬さま」っていうのは、やめてくれよ…。なんか気恥ずかしいからさ。

メテオさん:で…、でも…。それなら、なんて呼んだらいいんですか?。

イマシュン:普通に「瞬」でいいよ。

メテオさん:でも…、瞬さまは、わたくしのこと、「メテオさん」って呼んで下さるわ。だから、わたくしも、…瞬さんってお呼びしますね。

イマシュン:なんか、前にもそういうことになったはずなのに…。まあ、いいや。あははは…。…あ、メテオさん、そのピンクのドレス、なかなかいいね…。

メテオさん:ありがとう…。瞬…さん。

メト:にゃあ…。

 メトがあきれたかのように、メテオさんの手から降りていった。

 

 風岡家のダイニングルームで、かすかにお皿が音をたてる。メテオさんが作った、まあまあ本格的なカレーを、イマシュンとメテオさんが食べている音だ。猫のメトも、別にキャットフードのごはんをもらって、もうとっくに食べ終え、2階へ上がってしまった。

イマシュン:このカレー、おいしいな。こんなおいしいカレー、もう長いこと食べてない気がするよ。

メテオさん:瞬さま…、じゃなくて…、瞬さん。そう…なの?。

イマシュン:ああ。小さい頃から、あんまりカレーには縁がなかったっていうか…。よく子どもってカレー好きじゃないか?。でも、うちのおふくろは、カレー作ってはくれなかったからなぁ…。

メテオさん:瞬さん…。じゃあ、食事は誰が?。

イマシュン:ほんとうにたまーーには、作ってくれたけど、忙しい人だったからな…。いつも家政婦さんの作るご飯だったな…。

メテオさん:そう…。

イマシュン:あの、おかわりくれるかな?。これ本当においしいね。メテオさん、料理うまいんだな。

メテオさん:あ、はい。おかわりですね。…そんな、料理うまいって…。いや…、その…。照れちゃうじゃないのったら、照れちゃうじゃないのー。

 メテオさんは、時にイマシュンが語る、子ども時代の思いを聞くと、いつもいたたまれない気持ちになるのだが、今夜はそんな深刻な話ではなく、のろけがかなり入ってしまう。そんな様子を、そっとリビングの外で聞いていたムークは、やれやれと思うのであった。

ムーク:姫さまも、なんだかすっかりイマシュンという青年と、なじみまくっていますなぁ…。まるで幼なじみ同士のようだ…。

メト:にゃあ。

 ムークは、いつの間にかとなりにいたメトと、またしても顔を見合わせた。次の瞬間追いかけられるのであったが…。

メテオさん:はい、どうぞ…。おかわりお持ちしましたわ。

イマシュン:ありがとう、メテオさん。このカレー、つくるの大変だったんだろ?。

メテオさん:…ちょっとタマネギが目にしみましたわ。

イマシュン:そうかぁ。タマネギ細く切ってあるね。

メテオさん:最初にタマネギを切って、それから炒めるんですわ。

イマシュン:手がかかっているんだなぁ…。

メテオさん:…でも、瞬…さん、今日はごめんなさい…。急にこんなこと…。

イマシュン:メ、メテオさん、急にどうしたんだよ。いいんだよ、ちょうどヒマ空いていたんだし。

 メテオさんが、少しうつむいて言うので、イマシュンはスプーンを持ったまま、あわてて答えた。

メテオさん:わたくし、いつになく弱気になってしまいましたわ。

イマシュン:…わかるよ。あの記事だろ?。黒岩さんは、気にするなって言っていたけど、気になるよな。

メテオさん:…なんだか、みんなそう思っているのかなって…。

イマシュン:いや、そんなことはない。ぼくの歌を聴いてくれる人に、そんな人はいない。そう思わないか?。

メテオさん:瞬さん…。わたくしのこと、そんなに心配して下さるのね…。

イマシュン:たった一人の、…恋人…だから。心配するさ…。

 イマシュンは、そう言うと、少しほおを赤くして、じっとメテオさんの目を見た。メテオさんは、その目を同じように見ていることは、出来なくなってしまった。目が潤んできてしまったからだ。

メテオさん:瞬さん…。あり…が…とう…。

 メテオさんは、うれし涙がこぼれないように、そっと上を向いた。イマシュンは、そんなメテオさんのところへ、席を立って歩み寄ると、ナフキンでメテオさんの目尻を、そっと拭いた。そしてにこっと微笑む。メテオさんは、びっくりしたような顔をしながらも、またじっと見つめ合い、にこっと笑った。

イマシュン:ぼくは、メテオさんにいつも笑っていて欲しいな。だから、人が何か言っても気にしない。ね?。

メテオさん:はい…。

イマシュン:ああ、今日は気分がいいなぁ。やっぱりメテオさんといると落ち着くよ。

メテオさん:…うれしい。

 風岡家の、静かな夜はゆっくりと更けていく。メトはおおあくびをすると、勝手にメテオさんのベッドにもぐり込み、さっさと寝てしまった。二人だけの「ディナーショー」。いつしかイマシュンは、ギターを取り出し、弾き語りを始めた。それをメテオさんは、しっとりした心で聞く。

イマシュン:♪いっしょに走ろう   風になれるように  心の翼 ひろげて…♪。…なんか、気分いいな。メテオさん、ここにギター置いておいても、いいかな?。

メテオさん:それって…。わたくしのためにだけ?。

イマシュン:ああ。もちろん。

メテオさん:わたくしのためにだけなんて…。もったいないですわ。

イマシュン:そんなことないって。いまさら何を言うんだよ。あははは…。ね、ギター置かせてよ。

メテオさん:…わかりましたわ。ぜひ。わたくしの部屋でよろしければ…。

イマシュン:ありがとう。なんだか今まで、デートもままならなくてごめんね。これからは、時々おじゃましちゃうことになるかもしれないけど…。

メテオさん:いいえ…。わたくし、母や父に言っておきますわ。瞬さんが、よく来るから、って。

イマシュン:申し訳ないけど…。頼むね。

メテオさん:はいっ。

 メテオさんは、そう答えると、今日一番の笑顔を見せた。

イマシュン:じゃあ、次の曲、いっしょに歌おうか。

メテオさん:…はい。ヘタかもしれないけど…。

イマシュン:そんなことないって。そんなことない。メテオさん、歌上手だから。だいたい、デュエット曲だって、CDに入っているじゃないか。あはは…。

メテオさん:うふふふ…。

 時期としては少し早いけれど、二人の「クリスマスデート」は、メテオさんの住む風岡邸で。メテオさんの手料理で、誰にもじゃまされない、二人だけのショーは、夜更けまで続く…。

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★第284話:景太朗パパの年越しそば−−(2006年12月下旬放送)

 いよいよ年の瀬も押し詰まってきた。もう間もなく、特にコメットさん☆にとって、たくさんいろいろなことが起こった2006年も、暮れようとしている。中でも一番大きいことは、ケースケがオーストラリアに、再び行ってしまうかもしれないということ。それをコメットさん☆は、寂しいと思う反面、ケースケが夢を達成するための近道なのだからと、自分に言い聞かせてもいた。一方ケースケにとっても、実はコメットさん☆への想いは大きい。それを取り立てて意識してきたわけではないけれど、より競技の環境がよいオーストラリアに住んで、仕事をしながらトレーニングを積み、大会に出て世界一を目指す夢に近づこうとするとき、逆にコメットさん☆からは遠ざかってしまうという現実がある。コメットさん☆への想いと、自分が果たそうと思っている夢は、今のところ確実に重ならないことに、ケースケもまた、悩んでいた。もう道は決めたはずなのに…。

 冬の日暮れは早い。もう冬至を過ぎたから、これからは少しずつ昼の時間が長くなるけれど、それでもまだまだだ。夕日が江の島の向こうに沈んで、夜の闇があたりを紺色にするころ、コメットさん☆と沙也加ママさんは、いつものように「HONNO KIMOCHI YA」を出て、家に帰ってきた。今年の営業も、今日で終わり。

沙也加ママさん:ただいま。

コメットさん☆:ただいまです。

ツヨシくん:おかえりー。

ネネちゃん:おかえり。ママ、パパがね…。

沙也加ママさん:あら、ネネ、パパがどうかしたの?。

 待ちかまえていたように、ネネちゃんが言う。沙也加ママさんは、玄関で靴を脱ぐと、自分のスリッパをはきながら聞き返す。コメットさん☆も出迎えたツヨシくんといっしょに、リビングのほうへと歩き出す。

ネネちゃん:なんかねぇ、板と棒を持ってきたんだよ。

コメットさん☆:板と棒?。

沙也加ママさん:何かしら?、それ。棚でも作るのかしら?。今日、仕事納めで大船のほうへ行くとか、パパ言っていたけど。

ツヨシくん:棚じゃないと思うよ。

 ネネちゃんやツヨシくんの言葉に、沙也加ママさんとコメットさん☆は、顔を見合わせた。二人がリビングに入ると、景太朗パパさんが、大きな板をキッチンに運び入れようとしているところだった。

沙也加ママさん:なあに、それ?。パパ。

景太朗パパさん:よお、ママ、お帰り。コメットさん☆もお帰り。

コメットさん☆:ただいまです…。

景太朗パパさん:ちょっと端材をもらってきてね。

沙也加ママさん:は、端材って…。そんな大きな端材があるってわけ!?。

景太朗パパさん:まあ…、その、たまたまというか…。

 沙也加ママさんのびっくりした声に、景太朗パパさんは、多少ひるみながら答えた。

沙也加ママさん:…それ、キッチンで使おうっていうの?。

景太朗パパさん:いやだなぁ、ママ。もう年末でしょ?。

沙也加ママさん:そ、そうだけど?。

景太朗パパさん:年末と言えば?。

沙也加ママさん:ええ?、年末と言えば…。第九…。

景太朗パパさん:それはそうだけど…。

沙也加ママさん:なんだろうな?。…はっ、そ、そんなことより、パパ、とにかくそれは何なの?。

景太朗パパさん:うん。実は…、年越しそばを打とうかと思ってね。…ほら、これも端材を使った麺棒。

沙也加ママさん:ええー!?。…と、年越しそばを、パパが打つの!?。…どうやって?。

景太朗パパさん:どうやってって、この板と、麺棒で打ってさ。

 景太朗パパさんは、持っていた大きな端材の板を、キッチンのテーブルにのせてみた。大きさは、1.5メートル四方くらいある。麺棒だという、長めの棒も、太さが5センチはあろうかという、しっかりした木の棒だ。

沙也加ママさん:ここで打つの?。

景太朗パパさん:まあ…、そういうことになるかな?。

沙也加ママさん:…はあ、パパも好きねぇ…。それ、誰からもらったのよ?。

景太朗パパさん:大工の大町さん。麺棒は、階段の手すりにする材木の、端材だって。

沙也加ママさん:へえ…。

 沙也加ママさんは、あきれたように言った。

コメットさん☆:わあ、…じゃあ、リサイクルってところですね。

景太朗パパさん:そうそう。コメットさん☆、いいこと言うね。

 コメットさん☆と景太朗パパさんは、気楽なことを言っている。ツヨシくんとネネちゃんは、「そばを打つ」ということが、どういうことなのか、わからない様子で、ただ顔を見合わせるだけだ。

ネネちゃん:おそばを打つって?。おそばは細い棒みたいになって、売っているんじゃないの?。

ツヨシくん:あれはそうめんじゃないの?。

ネネちゃん:違うよ。おそばだってあるじゃん。あと、パスタとかぁ。

コメットさん☆:おそばもあるね。乾いていて、棒みたいに切って売っているの。

景太朗パパさん:そばは、そば粉という粉を湯でといて、固めに練ってから、麺棒で少しずつ平らに伸ばすんだよ。それでかなり薄く平らになったら、折りたたむようにして、包丁で細く切る。そうすると生のそばが出来上がるんだな。「手打ちそば」っていうのは、そうやって作るんだよ。

ネネちゃん:ふーん。そうなんだぁ。見たことないね。

ツヨシくん:ぼくも。

沙也加ママさん:そうねぇ…。鎌倉駅の近くにも、粉から作っているのを見せてくれるお店は…、あんまりないわね。

コメットさん☆:あ、うどんとおそばは、作り方違うんですか?。

沙也加ママさん:粉をこねて作るところは同じだけど…。原料が違うってことと、あとはうどんの場合、粘りを出すために、足で踏んで力をかけて、太く切ってから調理するってところは違うわね。

コメットさん☆:足で踏む?。

沙也加ママさん:そうね。小麦粉を塩水でといて、よーくこねて、布かポリ袋をかけて、その上にのるのよ。そうやってちょっとお餅のような、コシのある食感っていうのを出すのね。

コメットさん☆:へぇー、面白そう。

景太朗パパさん:…あー、まあ、そういうわけだから、今年は少し早いけど、パパが年越しそばを作ります。

沙也加ママさん:いつもは、小町通りの「川道」に行くのに?。大丈夫かしら…。

景太朗パパさん:なんだ、信用無いんだなぁ。

沙也加ママさん:…そ、そんなことはないけど…。形から入る人だから、パパは。

景太朗パパさん:とほほ…。まあ、しょうがないか…。

 嘆き気味の景太朗パパさんに、ツヨシくんとネネちゃんは、顔を見合わせて少し笑った。

 

 端材とは言っていたが、景太朗パパさんがもらってきた板と麺棒は、かなりきちんと仕上げられ、少し濡れふきんで拭いただけで、使えるほどだった。それもそのはず、景太朗パパさんは、昼間のうちに板をしっかり乾かしておいたのだ。そしてそば粉もちゃんと用意していおいた。この秋に収穫された、信州産そば粉。これを使って、景太朗パパさんはそば打ちに挑む。

景太朗パパさん:(実は、大町さんのところで、何度か練習させてもらったんだよね…。あの人も、自分でそば打つの好きだから。)

 そんなことを、心の中でつぶやく景太朗パパさんだった。毎年年越しそばは、みんなで大晦日に、鎌倉駅近くの小町通り沿いにある店「川道」に出かけていき、食べていたのだが、自分で作ってみるのもいいかもしれないと考えたのだ。

 ダイニングのテーブルの上に、板をしいて、麺棒や粉など、必要な準備を整えた景太朗パパさんは、こね鉢にそば粉を入れ、お湯を加えて少しずつ団子にしていき、それをさらに固めて、しっかりとこね始めた。ツヨシくんとネネちゃんは、それをじっと見ている。コメットさん☆と沙也加ママさんは、おそばのつゆを作るために、キッチンの中だ。

景太朗パパさん:よしっ。よしっ…と。このくらいの固さだったかな…。

ツヨシくん:なんか、テレビで見たことあるね。パパがやっているのと同じ感じで。

ネネちゃん:そう言えば…。そうかも。まだ棒は使わないんだよね。…あ、いいにおいがしてきたよ、キッチンのほうから。

ツヨシくん:ほんとだ…。

景太朗パパさん:うん、だしをとっているんだね。ママとコメットさん☆には、面倒…かけたかな?。

 景太朗パパさんは、力を込めて、そば粉をこねながら、やや息をあげて答える。けっこう力仕事なのだ。キッチンのほうからは、沙也加ママさんとコメットさん☆が作る、そばつゆの香りがしてきていた。かつお節を使って、ごく普通にだしをとる。まるでそば屋が、朝のうちにつゆを準備しているかのように。

 やがて、粉だったそばは、しっかりこね上げられた「そば生地」になった。丸い固まりの中には、空気が入らないように、何度もこね鉢の中で押しつけるようにしなければならない。景太朗パパさんの額には、暖房のせいもあって、汗が光る。さてここからは、いよいよのばしていく作業である。景太朗パパさんは、「打ち粉」と呼ばれる、伸ばしている間に、板や棒に生地がくっついたり、乾燥したりするのを防ぐための粉を用意し、固まりのようになったそば生地を、打ち粉をたくさんまいた板の上で、まずは手で丸く平らにのばしていく。

ネネちゃん:こうやってのばすの?。棒はいつ使うのかな?。

ツヨシくん:面白いね。手のひらで押しつけてる。粘土みたい。

ネネちゃん:なんか、本格的だね。

ツヨシくん:よくわからないけどね。

 ツヨシくんとネネちゃんは、ダイニングのいすに座り、じっと景太朗パパさんがする「そば打ち」を見続けている。そのころキッチンでは…。

コメットさん☆:こんな感じでどうでしょう?、沙也加ママ。

沙也加ママさん:どれどれ?。うん、いいんじゃない?。寒いから、温かいおそばにしましょ。だから、少し薄めでね。

コメットさん☆:はい。じゃあ、これで一度火を止めておきます。

 コメットさん☆は、料理番組のように、沙也加ママさんへ言った。

沙也加ママさん:そうね。おそばがゆで上がるのに合わせて、もう一度火を入れてあっためて、どんぶりに取り分ければいいわね。

コメットさん☆:はーい。

 コメットさん☆は、電熱調理器のスイッチを切って、火を止めた。やや大きめの鍋に、だしをとって作ったつゆ。これがそばつゆになるのだ。

コメットさん☆:薬味はどうしよう?。

 コメットさん☆は、思い出したように言う。

沙也加ママさん:そうね…。これはふつうの「かけそば」になるから、ネギを細く刻んでいれればいいんじゃないかな?。

コメットさん☆:じゃあ、切りましょうか?。

沙也加ママさん:そうねぇ…。あ、ツヨシとネネにやらせてみましょ。学校の調理実習で、包丁の持ち方は教わっているはずだし、少しずつ覚えないとね。

コメットさん☆:あははっ。そっか。

 コメットさん☆は、エプロンを一度取ると、ツヨシくんとネネちゃんへ、キッチンのカウンター越しに声をかけた。

コメットさん☆:ツヨシくん、ネネちゃん、ネギ切るのやってみる?。

ツヨシくん:やってみる!。

ネネちゃん:私もやってみるっ!。

景太朗パパさん:おお、薬味のネギかな?。頼むよ。

 景太朗パパさんは、少しも手を止めず、麺棒で少しずつそばを伸ばしていく。この時にも打ち粉は欠かせない。

コメットさん☆:あれ?、その粉はなんですか、景太朗パパ。

景太朗パパさん:ああ、これをね…。よっと…。これはね、打ち粉と言って、こうやって少しずつ振っておかないと、せっかく作った生地が、麺棒や、板にくっついちゃうんだよ。何しろ、粘土をこねるようなものだからね。

コメットさん☆:へえ、そうなんですか。

ツヨシくん:うん。粘土はなんにでも、くっつこうとするよね。

ネネちゃん:工作の時、くっついてくれないと困るんじゃない?。

景太朗パパさん:あはは、粘土はそうかもしれないな。…でも、そばはこれから伸ばしてたたんで切るんだから、ばらばらになってくれないと困るわけなんだよ。

 景太朗パパさんは、そばの生地を伸ばしながら、打ち粉をしていく。そのたびごとに、少し灰色がかったそば生地が、白っぽくなる。

コメットさん☆:じゃあ、ツヨシくんとネネちゃんは、ネギの用意。包丁、危ないから気をつけて。

ヨシくん:うん。大丈夫。このまえ、学校でも実習があったよ。

ネネちゃん:私のクラスも。

コメットさん☆:ツヨシくんは、包丁で切って。ネネちゃんは、洗って皮をむいてね。

ネネちゃん:ネギに皮なんてあるの?。

コメットさん☆:うん。外側を少しむくと、固いところがなくなるから、ちょうどいいんだよ。

ネネちゃん:ふぅん。そうなんだぁ。

コメットさん☆:ツヨシくん、まず緑色のところと、白いところの境目で切って。それからもう半分くらいに切って。そうしたらネネちゃんに一度渡してね。

ツヨシくん:えーと、ここを切るんだね。それからこのへんかな?。

 ツヨシくんは、コメットさん☆に教わったように、長いネギの緑色のところを切り落とした。残った白い部分をまた半分くらいに切る。

コメットさん☆:あ、白いところの根っこのところも1センチくらい切ってね。

ツヨシくん:はいよー。ここだね。

コメットさん☆:はい。じゃあ外側をざっと洗って、ネネちゃん、今度は皮をほんの1枚くらいっていうのかな?、少しむいてね。

ネネちゃん:はーい。…どこからむくの?。

コメットさん☆:ツヨシくん洗ったの1本貸して…。

ツヨシくん:ほい。

 ツヨシくんは、おおまかに切ったネギを水道の水でざっと洗い、そのうちの1本をさっとコメットさん☆に手渡した。

コメットさん☆:ありがと。…こうしてね、切ったはじのところから、ほら、こうやって薄くむくの。一番外側は、少しキズがついていたり、あまりきれいじゃないかもしれないから。

ネネちゃん:ふーん。そうかぁ。はじめて知ったぁ。

 そんな様子を、じっと沙也加ママさんは見ている。そして、一生懸命そば生地を、休みなく麺棒に巻き付けたり、伸ばして真っ平らにしたり、少しずつ形を整えたりを繰り返している景太朗パパさんに、微笑みかけた。景太朗パパさんも、手を動かしながら、ツヨシくん、ネネちゃん、コメットさん☆を見、それから沙也加ママさんに微笑みを返す。

 それからおよそ1時間近く、多少の失敗はあったが、景太朗パパさんが打っていたそばは、なんとか出来上がった。こねて、伸ばして、たたんで、切りそろえたそば。これは「そば切り」というのだが、灰色がかった褐色で、粉がたくさんついたような見ばえ。田舎そば風だ。

景太朗パパさん:やれやれ。出来たぞ。あまり見栄えはよくないけど…。一応食べられるだろう。

ツヨシくん:パパ…、一応食べられるだろうって…。

景太朗パパさん:大丈夫だよ。あははは…。そんなにあやしく見えるかな?。

ネネちゃん:あやしいってことはないけど…。太さがバラバラ…。

景太朗パパさん:…うーん、まあ、そこはあまりこだわらないでってことで。あはっ…、あははは…。

 景太朗パパさんは、少々恥ずかしそうにした。しかし、間違いなく「手打ちそば」なのだから、機械で製麺したようなそろった感じは、しなくて当たり前なのだ。

沙也加ママさん:たくさん出来たわね。コメットさん☆、ラバボーくんと、ラバピョンちゃんもいっしょにどう?。

コメットさん☆:えっ?、いいんですか?。

景太朗パパさん:ラバボーくんは、また雪かきにでも行っているかい?。

コメットさん☆:はい。たぶんもう戻ってくると思いますけど…。

景太朗パパさん:すぐ帰ってこられるんだろ?。みんな年越しじゃないか。

コメットさん☆:はい。

 コメットさん☆はにこっと笑って答えた。

沙也加ママさん:じゃあ、せっかくだから、みんなで食べましょ。かけそばだから、ラバピョンちゃんが好きな「天せいろそば」じゃないけど。うふふふ…。

コメットさん☆:あははは…。はいっ。

 

 つゆから上がる湯気は、とてもあたたかそう。掘りごたつになっている、1階のリビングに隣り合わせた部屋で、景太朗パパさん、沙也加ママさん、ツヨシくん、ネネちゃん、コメットさん☆、ラバボー、ラバピョンの7人は、「年越しそば」をすすることになった。

ツヨシくん:いっただきまーす。

ネネちゃん:いただきます。

コメットさん☆:いただきまーす。えへっ、おいしそう。

ラバボー:いただきますボ。

ラバピョン:いただきますのピョン。

景太朗パパさん:どうぞどうぞ。なんならおかわりも…、のびちゃうかな。あははは…。あまり見てくれはよくないけど…。どうかな?。

沙也加ママさん:どれどれ、いただきます。最初はどうなるかと思ったけど…。あら、おいしいわね。…うん、なかなかコシがあるわ。

ネネちゃん:うん、おいしい。

コメットさん☆:おいしいですね。なんかこう、歯ごたえがあって…。まるでおうどんみたい…。

景太朗パパさん:…あははは。うどんみたいね…。もう少し細く切れるといいんだけどね。さすがにおそば屋さんみたいには、うまく行かなかったよ。

ラバピョン:おいしいのピョン。はあ…、あったまるのピョン!。

ラバボー:あったかいボー。雪かきしてきた体には、染み渡るボー。

ツヨシくん:くーっ、あったかいね。

ネネちゃん:うん。あったまる。

景太朗パパさん:冷たいそばとしても、食べて見たかったけど、さすがにちょっと今日は寒いもんなぁ。

沙也加ママさん:そうねぇ。もう今年も終わりねぇ。

 沙也加ママさんは、箸を動かしながら、しみじみと言う。コメットさん☆は、それを聞いてはっとした。そう言えば、もう今年は終わりなのだ。「年越しそば」を食べていて、何かと忙しい仕事納めも手伝った。あと2日ほどで新しい年がやってくる。ふとひとときそれを忘れていたような自分に、ちょっとびっくりしたのだ。

景太朗パパさん:年越しそばっていうのは、いろいろな説があるんだけど、よく「来年もおそばのように、長く細く無事にありますように」っていう、縁起をかつぐために、年末に食べるって言うね。

ツヨシくん:知っているよ?。

ネネちゃん:パパが去年だったかなぁ?、川道ってお店で言っていたよね。

景太朗パパさん:え?、そうだったっけ?。ありゃあ…。

 景太朗パパさんが、ばつの悪そうな顔で言う。

沙也加ママさん:まあいいじゃない。まだ今夜は大晦日ってわけじゃないけど、こういう年越しそばもいいものね。

景太朗パパさん:だろ?。たまには変わった年越しもいいかなって思ってさ。

沙也加ママさん:最初は何を始める気かしらって、思ったけどねー。

景太朗パパさん:もう…、ママは手厳しいからな…。

沙也加ママさん:うふふふ…。パパは道楽好きだから…。

ネネちゃん:おー、なんかラブラブ。

ツヨシくん:ほんとだ。

 コメットさん☆は、困ったように笑い、ラバボーとラバピョンと3人、顔を見合わせた。

 

 夜、お風呂に入って、いつものように髪を洗ったコメットさん☆は、はやばやとパジャマに着替え、メモリーボールに、今日の出来事を記録していた。ラバピョンはネネちゃんの部屋に泊まることになり、もう寝入ったらしい。

コメットさん☆の記録:お父様、お母様、今日ね、景太朗パパが年越しそばを作ったよ。手打ちそばって言って、粉から練って作るの。とても大変そうだったよ。暮れにおそばを食べるのは、「来る年もおそばのように、細く長く無事でありますように」っていう、願いをかけるんだって。細く長ければ、おそばじゃなくてもいいっていうところもあるんだって…。今年もいろいろなことがあったけど、来年もまた、楽しいことが多いといいな…。どうなるか、わからないけど…。

 そのころ星国では、ちょうど王様と王妃さま、それにヒゲノシタが、コメットさん☆のメモリーボールモニタを通して、コメットさん☆の声をそのまま聞いていた。王様は、その声にじっと耳を傾け、そしておもむろに宮殿のバルコニーに出た。星の子たちが、たくさん浮かんでいるのが見える。そしてそのずっと遠くには、無数の星々が輝いている。地球がどれだかはわからないけれど、王様は心の中でつぶやいた。

王様:(コメットや、今年、そして来年というのかな?、そちらの暦では。…いろいろなことがあって、これからもいろいろなことが、おそらく起こるのだろう。そのたびに、コメットは喜んだり、悲しんだりするかもしれないな。わしとしては、とてもそれは心配じゃが…。だが人は、たいていのことは乗り越えられるものじゃ。目的や目標があれば…。目的や目標が見つからないと思って、心が迷うときは、何か小さなそれを見つけてみるといい…。どんなことでもいい。そういう小さな目標に、近づこうとする積み重ねが、いつか大きな目標につながっていくものだよ…。)

 なぜか王様は、そんなことを遠くの星々に語りかけるかのように思うのだった。それは、コメットさん☆が直面している心の迷いに、いくらかは応えようと思う、親心なのかもしれなかった。そしてその王様の思いは、はるかな距離を越えて、コメットさん☆のメモリーボールへと届いた。

コメットさん☆:(あ…、あれ?。…お父…様?。)

 コメットさん☆は、メモリーボールが急に輝き出し、そこから王様の声が聞こえて来るのにびっくりした。

コメットさん☆:(…小さな目標が、大きな目標へ…。)

 コメットさん☆は、そんな王様の声を聞くと、窓から空を見上げた。そしてそこから見える星に願うのだった。「来年が、平穏でありますように…」と。冬の冷たい空気の中、鎌倉の空にまたたく星々は、そんなコメットさん☆の思いを、静かに受け止めるのだろうか?…。

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