UR都市機構による強制退去の法的措置とその不当性について続き



 この問題は、いろいろな視点からの見方が出来るので、今後以下のような、さまざまな観点から考察してみたいと思います。
 ここから考察に移りますが、まず断っておきたいのは、
1.強制退去を受け入れるにあたり、鳩やスズメへの餌やりについて、今もってなんら後悔などはしていない。
2.それまで、長年に渡り、賃貸派を貫くべきか、それとも持ち家を持つべきか、マンションと一戸建てのメリット・デメリット等に逡巡し、なかなか結論が出せなかったことに対し、結果的に「背中を押してもらった」形になったことには、URに対し、ある意味感謝すらしている。
…ということです。1については、読んで字のごとし。「鳩に餌をやったがごときことで、強制退去通告に踏み切れるものなのか」ということに驚きはしましたが、だからといって、「餌やりをしなければよかった」などとは、今に至るもこれっぽっちも思っていない、ということです。2についても同様に、結果的に家を購入し、そこに引っ越したわけなので、広くはありませんが、庭付き一戸建て・新築の家ですし、実に面白く・楽しく生活しています。住環境が年々悪化する世田谷に住み続けるよりは、ずっと良かったと思っています。
 
 それを踏まえた上で、これからもUR住宅に住み続ける方、またはこれから住んでみようと考えている方に多く読んでいただきたいと考えています。

<当家は餌やり問題で強制退去となるまで賃貸住まいを捨てる気はなかったのか>
 まずはこれを押さえておくべきかと思いますが、いつまでも漫然と賃貸に、それも公団住宅に住み続けるということが、果たして得策か家族内でも検討した時期が、断続的にありました。それは、やはり「狭さ」と、「設備の古さ」、「賃貸特有の制約問題」からですが、一方で、当時の公団住宅というものに対する「信頼」が無かったかと言われれば、「大いにあった」と言わざるを得ません。
 ただ、事実1980年頃から断続的に、一戸建てまたは低層マンションなどの購入を検討した時期があり、具体的に検討した住居の場所としては、神奈川県南西部・北部・東部、東京都市部、杉並区、静岡県伊豆地方などかなり多岐に渡り、実際に見学に行ったところ、不動産屋さんに登録して物件情報を送ってもらったところまでありました。しかし結局家庭全体の仕事の関係や、私の進学問題などから、転居に踏み切れず、そのままずるずると公団住宅に住み続けることになってしまっていました。
 ですが、「西経堂団地」が、建て替えで「フレール西経堂」となり、それから10年が経過、元から住んでいた人への家賃減額措置が無くなったときから、それまでより積極的に転居について検討を進めていたことは事実です。家族状況に変化が生じ、私も仕事の形態が変わったりしたことが大きな要因でもありますが、いいかげん「いろいろな制約に飽きた」ことや、「街としての横のつながり」のようなものが失われたと思えたこと(一番下の項目でも詳しく考察します)も、かなり影響しています。

<本件における餌やりの妥当性と問題点>
 はっきりしておきたいのは、鳩・スズメ・猫その他の生物に対して、「餌やり」をすることが、何か法律などに触れるのかどうかということです。
 日本国憲法は、日本国民とそれによって運営される日本国の最高法規であり(→憲法第98条 「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」)、それを上回るような法律や条令の制定は、当然にして出来ません。
 その憲法によれば、第31条 「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」とされ、第19条 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」とされています。よって、国家の機関である独立行政法人が所有する物件や、公園、公道などで、何かに餌をやる行為そのものは、特に制約を受けることはないはずです。
 東京都荒川区には、鳩・カラスなどに餌やりを禁止する条例を制定しましたが、この憲法第31条に抵触する可能性が残されている(一説には裁判で争われると、違憲性を指摘されて区側が敗訴する可能性があるため、とか)ためか、実際に条例に基づき、罰則を科した例はないそうです(2012年2月現在)。
 また、動物愛護法、鳥獣保護法、都市公園法などいろいろな法律でも、「餌やりを禁止」する規定は見あたりません。よって、法的には、「餌やりをするかしないか」ということそのものは、「個人の良心・信条の自由」の問題であり、何らの制限も受けないことになります。またUR(契約当時は住宅都市整備公団または日本住宅公団)との賃貸借契約書にも、「野鳥に餌やりしてはならない」とは書かれていないので、「鳩・スズメに餌をやること」自体は、契約違反には当たりません。
 以上のように、「餌やり」自体は、何ら法律にも契約事項にも違反するものではありませんでした。

 一方、他の住人の財産権を侵害した可能性は、全く想定できないわけでもありません。実際の苦情があったのかどうかは今だ不明ですが、ふとんが汚れるという「被害」が仮にあったとすれば、それが100パーセント当家の餌やりに起因するという証拠を提示できる場合に限り、当家はその責を負わねばなりません。
 純粋に科学的な論考をしたとき、餌やりが、鳩の個体数(地域の生息総数)の増大を招くとは、とうてい考えられません(→「鳩を巡る「嘘」の数々」を参照)が、その場に集散する数を、多少なりとも増大させる要因にはなったかもしれません(厳密な比較データが得られないので、ある程度のあいまいさを残した表現としています)。そのことが、例えば羽音、鳴き声、羽毛の量などを相対的に増大させ、それを迷惑だと感じる人が、無かったわけでもないでしょう。これについて当家は、大規模集合住宅での餌やりについて、もう少し総体的な考察と検討をするべきであったかとは思いますが、一方で、客観的に見て、当家の「居住権」を剥奪しうるほど、「受忍限度を越えた違反行為」があったとも言い切れず(何しろ誰がどの程度、どのような迷惑を受けていると主張しているのか不明であり、その主張が実際にあったとしても、それがURの瑕疵によるものなのか、当家の不作為によるものなのか不明。かつ、戸数の比較的少ない棟で、空き部屋も多数あり、たくさんの人が迷惑を感じる状況でもなかったはず)、「餌やりの妥当性には問題があったかもしれないが、それをもって当家の居住権を剥奪しうるほどの権利は発生しない」と考えられると思います。

<UR側の管理体勢・実態とその問題点>
 何をもって「管理」というのか、というのは、この種の議論では問題になるかと思いますが、URのしている「管理」とは、一般的に想定される管理というのとは、やや離れたところにあるようにも思います。
 かつての「住宅都市整備公団」時代くらいまでは、基本的に団地を構成するほとんどの部分、例えば駐車場や物置、緑地や団地内通路などは、全て自前での管理になっていました。管理事務所が存在し、そこには日中管理や用務に当たる人が常駐していて、建て替えまでは、合鍵を預けてあったりしたものです(建て替えより数年前に廃止?)。また全世帯の名簿が、誰でも閲覧できるように、集会所の壁に、専用の箱を設けて入れてあったりもしました(今からすれば驚きですが、さすがにそれも建て替えよりだいぶ前に廃止)。
 一方で、ガラスを割ってしまったとか、水洗トイレが流れっぱなしになったとかの営繕作業関係は、「団地サービス」といういわば「丸投げ会社」が請け負っていて、すぐに修理に来てくれる反面、他の業者は入れない・または入りにくく、料金で業者を選べない(または選びにくい)というような問題もありました。「団地サービス」は、その後「日本総合住生活(JS)」なる会社になっています。ただ、流れとしては、「住宅管理協会」もそうですが、管理全体が公団→URの手を離れ、自前管理から「丸投げ管理」へと変化していく傾向が見て取れます。
 日本総合住生活とURとの関係について、かねてより「随意契約での工事直接受注」、「したがって競争入札でない」など、URが国の機関でありながら不透明である旨、報道などされていましたが、直接この記事の項目と関係ないので、一応ここでは触れないでおきます。

 さて、公団からURに至るにつけ、管理がどのようにされてきたのかということですが、一言で言えば「ぬるい」管理でありました。例えば、規約上「犬猫の飼養禁止」となっている(時期により猫は例外あり。詳細は下のリンク先参照)にも関わらず、普通に犬猫を飼っている人がいて(当時号棟ごとに「管理連絡員」人がいて、集会所の予約などの一部管理事務を代行委託されていた。その家にすら「孫が喜ぶため」として猫がいた。ただし、1959年当時の賃貸借契約書(当該部分抜粋をこちら)、および「日本住宅公団十年史」を読んだ記憶によると、公団の設立から賃貸住宅提供開始からしばらくは、猫の飼養は認めていた時期がある)、カラスすら飼っている人がいるありさまでした。カラスについては、「おかーさーん、おかーさーん」と鳴くので、なんとテレビで紹介されたりもしましたが(鳥獣保護法では、現在傷病鳥獣の一時的保護を、届出をする条件で認めていますが、この当時適法であったか微妙)、それで強制退去になったりはしていません。
 それと、そもそも日本住宅公団の設立理由の一つが、戦後都市部への人口流入に対し、絶対的に不足していた住宅を、「良好な住宅の提供」をもって改善することであったため、1950年代から日本の高度成長期は、各地で団地は多数建設されました。しかし、その予算は限られており、どこも同じような形の団地が続々と作られる一方、団地内環境もかなり画一的にせざるを得なかった様子が見て取れます。そのためか、「西経堂団地」でも、建て替え前の古い建物だった時代は、公団が植えた階段エントランス左右のシイの木が、工事の影響などで枯れると、住民が勝手に花木を補植しても、そのまま何も言わないばかりか、その木に「管理番号」を付け、年次によっては剪定までしたり、花壇も、常識の範囲内なら、勝手に作って黙認だったりというような状態でした。
 その他、自分のカギを持たずに出かけてしまい、親が帰ってくるまでどこにも行かれないので、仕方なく管理事務所の人に相談。事務所の人が、雨樋づたいにベランダにのぼってくれ、無施錠の小窓から手を入れて大きい窓を開錠、そこから家の中に入ってもらって玄関を開けてもらって、手数料500円だった、とか、その種の良く言えば「おおらか」な話には、枚挙にいとまがありません。
 しかし、建て替えに伴って、大規模高層団地となると、そのような「おおらかさ」では、当然うまく行かないことも出てくるようなります。ですが、公団のちURは、漫然と「ぬるい管理」を続けていました。
 具体的にその「ぬるさ」はどのようなものか。例を示したいと思いますが、
1.周辺道路から人が自由に立ち入れる構造になっているので、不審者からあやしい金銀買い取り業者まで、勝手に出入り・訪問してくるし、自転車や花壇の花が盗まれる。バイクも捨てられる。
2.プレイロットと呼ばれる、共益費で管理されている児童遊具や砂場などが置かれたスペースがあるが、そこを周辺マンション住民が自転車で多数乗り付けて使うので困る旨管理センターに言っても、「共益費で管理されていても、周辺住民が使うことを禁止できない」とかわけのわからない理屈を抜かす。
3.児童館が近くにあるため、深夜〜早朝まで中学生から高校生くらいの年齢の少年が、団地建物エントランス部分にたむろし、飲酒して騒ぎ、吐瀉物をまき散らしたり、空き缶・弁当ガラなどを放置する。当然清掃は、共益費で雇用されている清掃員が行う。区でも問題になり、夜間パトロールを強化したりの対応が取られたが、管理センターとしては少年の中に住民が含まれているとして、何も対策を取らず。たむろ・汚損といったことのほうが、よほど「秩序を乱す」行為かと思われるが。
4.なぜか自民党の議員候補者の演説は、団地敷地内に車を入れて行わせる。「公道で演説するよう」申し入れるように、演説している目の前にある管理事務所に言っても、「(演説は)聞こえなかった」と抜かす。
5.廃品回収業者が車を乗り入れても、何も言わない。
6.駐車場に空きがたくさんあるのに、積極的に埋める宣伝をしない。
7.それなら駐車場を一部つぶして、貸倉庫でも作れば、住民に借り手がいると思われるのに、そういうことははじめから考えない。
8.オートロックとか、宅配ボックスとか、囲いのあるゴミ捨て場など夢のまた夢。そういう基本的なところが出来ていないのに、家賃は周辺の民間賃貸より1〜2万円高い。
9.高めの家賃を維持するなら、設備が古くなっている部分(例えば二重サッシでないとか、キッチンの形が古いとか、トイレに洗浄便座も無いとか、結露対策が不十分とか、一部の住戸は窓が小さいなど)に、遡及改造をこまめに施せばいいと思うのに、そういうことははじめから考えない。
10.普通に犬猫を飼っている人が、多数存在する。住人が子犬を抱きかかえて、エレベータから降りてくるなどは、さして珍しい光景ではない。もちろん規約で飼養が禁止されているにもかかわらず。
11.そんなわけだから、周辺住民が、団地内で犬の散歩をしていても、黙って見過ごすしかない。
12.当家が住んでいた棟だけでも、15年間に孤立死が3件。
13.総戸数717戸の住宅中、入居戸数は約580戸(もちろん変動あり)。あまり積極的に埋める努力をしているとは言えない。家賃が近傍の設備の良い賃貸マンションと比較しても高すぎる。
…等々、数え上げたらキリがないほどでした。ただ、これらは、自治会が「御用自治会」化した部分があり(何しろ自治会というのは、本来企業における組合と同じで、大家であるURとはおおよそ「対峙」するべき存在だと思うのに、管理センターに新任のセンター長などが着任すると、一緒に「歓談」などしてしまい、悪く言えば「ズブズブ」の関係に。さらに区議とは言え、政権党の議員と仲良くしてしまうなど本来の自治を守れるのか疑問な事態に)、本来自治会が意見集約をしたほうが良い問題が、ちゃんと集約できてない(自治会組織率も大幅低下)ことも、管理環境悪化の一端になっているとも、言わなくてはなりません。

 一方で、「ぬるい管理=ゆるい管理」それが全く悪いとは言いませんし、むしろ比較的高齢の人々が多くなった「フレール西経堂」のような団地の場合、案外うまく行っていた部分もあるかとは思います。例えばそれは、
1.自転車の盗難を防ぐため、廊下や玄関前に置いてあってもまあ黙認(消防法からするといけないのですが)。
2.空き家が多くなり、防犯上心配なフロアには、私物をわざと置いて、入居者がいるかのように見せかけるのも認めていた。
3.地域猫活動を、短い間だが、自転車置き場で私たち有志がしていても、それに文句を言われたことは無い。
4.住戸外物入れの無い棟では、住戸玄関外にある、給湯器ボックスに私物を入れても、まあ黙認。
…というようなことですが、管理の悪い面ばかりではなかったとは、今の私でも思います。
 ですが、URが「住宅管理協会」なる財団法人を作り、そこに管理を丸投げするようになって、自立管理をやめたところから、「住民に対してのみ、締め付けが厳しくなった」ことは明らかかと思います。このことは実はかなり問題で、「管理される側」からすると、例えば家賃の3年ごと見直し(事実上の値上げがほとんど)にしても、広い意味での「管理強化」であり、「自分たちは身を削らないのに、高い家賃を払って住んでいる住民にのみツケを負わせる」体質は、やはり問題かと思えます。

 では、他にどんな「管理強化」があったのでしょうか。
 「フレール西経堂」の例ではありますが、団地内の清掃員に逐一「問題家屋」を監視・報告させ、それを「住宅管理協会」から出張してきた職員に報告・共に「監視」していた住戸を、ベランダ側から盗撮までする(2010年7月1日15時30分頃)というような事例も目撃しました。やがて書くことになると思いますが、当家も当然「監視」の対象だったと思われます。このような行為は、URの直接管理だった時代には無かったことであり、管理が「住宅管理協会」に丸投げされてから顕在化した問題ですが、こんなことこそ、URが当家に対する強制退去事由とした、「共同生活の秩序を乱す行為」をUR自らが侵す行為ではないか、という点は強く指摘しておきたいと思います。

名刺裏の画像です

 これは、当家に来訪した「財団法人 住宅管理協会」の職員に出させた名刺の裏側(下の画像の名刺の裏側)です。…書いてあることが、むなしく響きますね。


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