ここからは事業用車、またはそれに準ずる車3輌を紹介します。
まずは事故救援車スエ71形から、スエ71 102号(横軽対策車)。スエ71形は戦災復旧客車のうち、20メートル車各種の改造ですが、この102号はマニ74形の改造車です。さらにさかのぼるとオハ71 1号(トップナンバー)の改造車です。汐留駅常備だったので、都心のど真ん中で見られる戦災復旧車でした。今ほどビルは建っていなかったものの(左側にわずかに見えますが)、ビル街の真ん中の巨大操車場にたたずむ旧形客車というのは、珍しい光景でした。
さてこの車はマニ時代かなり整備されていたようで、ホロが取り付けられていた痕跡があったり、戦災復旧車としては比較的珍しく雨樋が完備しています。手前側の扉は、オハ時代の客用扉をそのまま転用した車掌室扉(引き戸)ですが、そこから中をのぞくと、車内は薄グリーンに塗装されていました。トイレの位置が、図面と反対になっています(手前の2段窓のところが元トイレです)。台車も客車用のTR23でしたが、一部を残してプレート車輪に交換されていました。残念ながら保存されず、汐留駅の廃止よりも前に廃車回送されてしまいました。汐留駅にて、1982年頃?撮影。
工場入出場の控車として活躍していた、品川区のナハフ11 2021号です(横軽対策車)。この写真ではブルートレイン用のカニ24と連結しています。これから工場へ出発するところでしょうか。すでに一般客用としての使用は考慮されておらず、車内には床上に暖房用の配管が通っていました。保守の関係か、貫通ドア窓が金具留めに改造されています。その他の部分は基本的に現役当時の姿を残していました。この車は国鉄の終焉に際しても、なんとJR東日本に引き継がれ、わりと最近まで在籍していたのは、記憶に新しいところです。
この車を旧形客車と呼ぶべきか、また事業用と言えるのか、ちょっと悩むところなのですが、一応一般の車輌とは目的を大いに異にするということで、紹介してみます。
このマニ30形は、知る人ぞ知る日本銀行の現金輸送車輌です。初代マニ30形の老朽化に伴い製作されたもので、形式は元のものを引き継いでおり、トップナンバーは2007号です。手前は車掌室で、窓のない扉が不気味ですが、2カ所の扉のところが荷物室、中央のクーラーのあるところが添乗員室で、オハ14と同じ簡易リクライニングシートがあります。荷物室の中は、ただの広い空間で、監視カメラが設置されています。そして監視カメラは、なんと車掌室にもあるのです。よく急行銀河号に連結されていましたが、天皇在位60年金貨にするための金塊は、この車で運ばれたというウワサも存在します(真実かどうか不明)。一見すると50系客車に似ていますが、車体長さは14系と同じです。また右の屋根上に謎のアンテナがあるのが、またいっそう怪しい?雰囲気を醸し出しています。写真右側のほうには貫通路やホロは無く、のっぺらぼうの車端部になっています。まるで装甲車のようですが、この写真を撮影した頃は、荷物列車に併結していたので、車掌室側にはホロが取り付けられています。この車はその後、隅田川に常駐したりしていましたが、次第に輸送量が減少し、列車での現金輸送廃止とともに廃車となりました。歴史資料として保存された1輌を除き、解体されています。窓ガラスは防弾ガラスで、ハンマーで叩いてもびくともしないなど、怪しい?話の絶えない車輌ではありました。1986年3月30日、汐留駅にて撮影。マニ30 2008号(横軽対策車)。